ゆきたんくの住んでいる松戸市は、地形が漏斗状になっている。
その一番低いところが伝兵衛新田と呼ばれる所である。
松戸市の西部を流れる坂川は流れが悪く水量が増すと伝兵衛新田を中心に水びたしにした。それを防ぐために坂川の掘削を行ったのである。
そうなると、土地の低い所の住民と高い所の住民の間で争いが起こるものだ。
その争いの中で死者が出たこともある。
そういう生臭い歴史ではあるが、先人の苦労のおかげで快適な生活が送れていることを忘れてはいけないと思う。
昔から坂川を調べていらっしゃる方に話を伺うと、坂川に縁のあるものがどんどん姿を消しているという。
流山市の野々下(豊四季駅周辺)の辺りから、松戸市と市川市の境目にある柳原水閘門(やなぎはらすいこうもん)までが残されている水路などと思っていた。
坂川による水害を喰い止めようと、渡辺庄左衛門が掘削した坂川の出口が残っているときいたので取材に出かけた。

矢切土手にある説明板
柳原水閘門まで、車を走らせ柳原排水機場の駐車場に車を置く。
下総台地側では、坂川の出口に行き着けなかったことがあるので、江戸川側を歩く。

柳原排水機場の横からスタートである
写真の場所が、丁度土手の上になる。車止めがなければスイスイ中まで入っていけるのだが、ここからやく600mは歩かねばならない。
気温は寒いが風がないのが幸いである。
向こうには、和洋大学や、耐震問題で話題になった2棟のマンションが見える。

歩くのは、このようなゆきたんの背よりも高い枯れ草の中
土手を降りると、ゆきたんく(身長180cm)よりも背の高い草が視界を遮る。
セイダカアワダチソウの枯れたやつであろう。
その上に情けないお日様が浮かんでいる。
そのせいか、気温が更に下がってきたようだ。

これが坂川の出口だ
道とはいえない道を歩き、たどりついたのが写真の場所。
もう少し先まで行ければいいのだけれど、ここが限界である。
水路と江戸川がつながっているのを確認できただけで十分である。
これが、渡辺庄左衛門が3代目(初代充房、2代目寅、3代目睦)にして完成した坂川治水である。
このような歴史的なものを、しっかりと子どもたちに伝えられるような形にしてほしいものだと思う。

駐車場に戻るゆきたんくを励ましてくれた夕日とスカイツリー
目的を果たした後は、充実感と虚脱感が同居する。
いっそう冷えてきた中で、夕日のオレンジが気持ちを温めてくれた。
ぼやけているスカイツリーも見守ってくれていると思いたい。