かつて千葉で一番メジャーだった地、流山。
そう、地場産業のみりんで有名だったのだ。
時が過ぎ、景色は変わっていく。
そのみりんで栄えた町の名残があった。
貨物引込線(万上線)跡の案内板 → Map
万上(まんじょう)本みりんの万上だな。
流山街道を車で通る時に、気になっていたカーブの道があった。
引き込み線跡ということならば合点がいく。
流山キッコーマンの北東の角地にある。
かつて千葉で一番メジャーだった地、流山。
そう、地場産業のみりんで有名だったのだ。
時が過ぎ、景色は変わっていく。
そのみりんで栄えた町の名残があった。
貨物引込線(万上線)跡の案内板 → Map
万上(まんじょう)本みりんの万上だな。
流山街道を車で通る時に、気になっていたカーブの道があった。
引き込み線跡ということならば合点がいく。
流山キッコーマンの北東の角地にある。
2023年度の仕事をコンプリートして、今日は久しぶりのお休み。
勇信と史跡巡りをすることにした。
出かけたのは、三郷市市立彦成小学校の校門横に残されている講堂(記念館)である。
中には、係の方が一人いらっしゃって昼食を召し上がっていた。
まあ、訪ねたのが昼飯時だったからだな・・・
しばらくして中を案内していただいた。
随分の昔の航空写真、そしてそのぞれぞれもインターバルがあって比較できる写真を使って説明をいただいた。
九州から出てきて、しばらくの間は交通が不便だった話から、次第に変容していったこと、そして現在に至るまで・・・
丁寧にご説明いただいた。
大正15年に建てられた講堂。
どの地方自治体も、史跡を残していただけるとありがたい。
もちろん、お金がかかるのはわかっているが、一度失われたらもう同じものは存在しなくなるのである。
ここにいたのか。
友人からの情報によって知った次第。
あのビキニ環礁近くでの水爆ブラボーにより被爆した船である。
現物が残っているとは思わなかった。
また、自宅から25km、ゆきたんくの実家があったところから13kmのところにいたのである。
被爆後も紆余曲折の歴史を持っている「第五福竜丸」であるが、その現物に会えることが何よりも驚きだった。
しっかりと第五福竜丸の文字がある。
しっかりと操縦室もある。
形も整っている。
場所は夢の島である。
ゆきたんくの実家が品川区の大井町だから近いのだ。
そして、ゆきたんくが16歳の時に開設されたのだから見るチャンスは早くからあったのだ。
チャンスはあったが、興味がなかったかもしれない。
全寮制高等学校で、ハンマー投げに出会う1年前だったからミリタリー系に興味があったら水爆実験について調べていたかもしれない。
その後大学の4年間は自宅から通っていたのだ。
でも、この機会に会うことができたので友人に感謝である。
勉強嫌いなゆきたんくが若い頃に忘れてきたものは多々ある。
その一つを埋めることができたのだ。
今日は女房の送り。
ゆきたんくは仕事が休みなので点数稼ぎである。
そして、職場の近くに松戸工兵学校跡地がある。
現在の松戸中央公園である。
この脇に毎年、彼岸花が咲く。
昨年学習したのだが、彼岸花は葉がない。
なんとも奇妙な形であるが、その理由に気づいたのは昨年である。
まあ、花の色は綺麗だよな。
今年は暑かったのかな。 枯れ初めている個体もある。
蝶が蜜を吸いに来た。
子どものころに無心に見ていた風景を思い出した。
もちろん、蝶の名前は思い出せないな。
あっ、グーグルレンズを使うか。
一応「ジャコウアゲハ」と回答があった。
すごいな、グーグルさん。
ゆきたんくの話じゃないよ。
ゆきたんくは至って元気。
特に胃袋が・・・
先日も千菓進におでかけ。
食事をし、しっかりとデザートもいただく。
故障したのはゆきたんく号である。
ラジエーターが避けた後は何だ?
急にエンジンがガタガタ文句を言い始めた。
お医者さんに連れて行くと、
「預かります。」
即入院であった。
ということで台車で千菓進に来ている。
8月17日には檀家のお寺で施餓鬼法要があるのだが、今回は行けなかった。
うん、卒塔婆を預かってもらているのだ。
台車で遠出はできない。
旨いものを食べているのに、なぜ急に思い出したか・・・
スナックが宝珠に見えたのね。
チョコレートパフェの左上にのっているスナック菓子。
こういうのが紅一点であるように楽しませてくれるのが千菓進なのだ。
このスナックを可愛いと思った瞬間に宝珠に見えてしまったのだ。
そしてお寺を連想し、卒塔婆のことを思い出したのである。
ゆきたんく号が退院したら、すぐに取りにいかねば・・・
体の方は今一つ。
今日は友人と出かける予定の日。
ただからだがだるい。
遠出はできない。
涼しい所・・・
数年前に栃木烏山の「どうくつ酒蔵」に行って涼しいかったことを思い出した。
そうだ、車の中は冷房が効いている。
牛久シャトーは涼しいぞ。
友人の提案にのり出発。
シャトー入口の建物
シャトーに着いた。外の暑いこと。
写真にある、石を薄く剥いで瓦のようにするドイツの職人さんの話を思い出した。
地下にある樽蔵は涼しかった。
自然の状態でこんなに温度が違うなんて・・・
昨年行った富士の氷穴を思い出した。
体が適度に冷え、レストランでコースをいただいた。
帰りも冷房の効いた車で快適だった。
ところが、帰宅後また発熱した。
完全な状態ではなかったようだ。
2人の子どもが小さかった頃、ゆきたんくは鎌ヶ谷市に住んでいた。
次男が生まれたのも、鎌ヶ谷市にいた時だった。
そして今日訪れた資料館は、昭和62年4月1日の会館だから、鎌ヶ谷市で働き始めた平成元年、鎌ヶ谷に住んだ平成2年にはもうあったのだ。
入口外観 → Map
なんとゆきたんくが住んでいた家から車で3分の所にあった。
それが、今の今まで出かけたことがなかったのである。
鎌ヶ谷市から引っ越して、30年目のことである。
中は1階のフロア―の中に、近代から昔に戻る形で展示がされている。
ゆきたんくの好きな言葉に「何も足さない、何も引かない」というのがあるが、まさにその通り。
見やすく構成されている。
記念に資料集も買った。
再訪したいと思う。
港区郷土歴史館に行って来た。
ここは建物自体が史跡と言っていい場所だ。
着くなり、建物の中をしっかりと見学する。
その外観は素敵である。
港区郷土歴史館の建物正面 → Map
東京大学建築学科教授の内田祥三(よしかず)氏により設計され、昭和13(1938)年に建設された旧公衆衛生院として使われていた。
内部は講堂や教室・研究室があり、当時の意匠などが残されている。
すばらしいものがたくさんあったので、全部紹介したのだが、それは「幸たんく」の旅編におまかせする。
建物の外観を支える意匠はタイルである。
タイルに刻みを入れている。
このタイルで建物全体が包まれているのである。
煉瓦ばかりではなく、このような意匠も遠目と近目では全く違うように見えるのである。
当時の建物をリユースという形になるが、地域の資産として残しておくことはベストな方法だと思う。
自分の中ではこれが一番。
今日は馬頭観音様のお話である。
宝冠に馬頭をいただく観音様である。
宝冠部分は大きかったり、小さかったりする。
ゆきたんくが一番好きなのは、流山市にある長流寺にいらっしゃる。
職場も近いのでたまに会いに行く。
一番好きだなあ。
ゆきたんくと観音様。
はっきりとした顔立ち
台東区の史跡を巡る時に便利な5館共通券というのがある。
その中の一つ、「旧東京音楽学校奏楽堂」に行って来た。
という記事を書く予定だった。
ところが、この施設は現役でこの日は「日本の調べ」という和楽のコンサートがあり見学を諦めた。
このまま上野まで来て何も見ないのもしゃくに触るので、その対面にある「旧博物館動物園駅」を見に行った。
今度はその対面にある施設に目が行った。
「黒田記念館」である。
そして、その時のゆきたんくは「黒田って何?」という状態だった。
黒田記念館内部 → Map
黒田清輝氏は日本近代洋画の父と言われる人物で、亡くなった時の遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるようにとの遺言により竣工されたのがこの黒田記念館だそうだ。
美術には、疎いゆきたんくであるが内部に飾られている絵には心が動いた。絵は黒田清輝氏の遺作である。
上野には、まだゆきたんくが行ったことのない施設がたくさんある。
今後の楽しみが増えたと思った。
今日は仕事は午前中で終わり。
午後からは、職場の近くを見て回ることにした。
うん、職場の周囲はたくさんの史跡で溢れている。
そう、アド街ック天国でもやっていた、今日本で一番住みやすい街「流山市」で働いているのだ。
その流山の地名の由来の一つとして、「山が流れる」説。
群馬県の赤城山は有名である。
そこから、山体の一部が流れ出して現在流山市にある赤城神社になったということ。
こんもりとした小山に神社がある。
鎌倉時代の創建とも言われている、歴史のある神社である。
「立派だねぇ。」というのは、参道にある注連縄(しめなわ)である。
黄金色に輝く赤城神社の注連縄。 → Map
地元の方々が伝統を大切にしていることが、一目で伺われる。
砂丘。
ゆきたんくが行ったことがあるのは鳥取砂丘である。
これは自分が小学生の時の国語の教科書にも載っていた。
そしてこれが日本で一番大きな砂丘と教わった。
実際には、足を踏み入れることができる砂丘の中では日本一の大きさを誇っている。
日本で一番大きい砂丘は猿ヶ森砂丘である。
これは青森県にある。
防衛省の管轄で入ることはできない。
で、こんな所にである。
うん、ゆきたんくの住んでいる千葉県だ。
なんと館山に砂丘があったのである。
戦争遺跡調査をするために館山を目指していた。
事前の予習は戦争遺跡に関するものばかり。
砂丘は移動中に偶然砂丘の表示をナビの中に見つけたものである。
館山砂丘 → Map 2019.02.17
この時は病み上がりで松葉づえをついていた。
砂山に登ることはよした。
さて、台東区巡りだ。
今日は「書道博物館」である。
車を走らせる。
場所は鶯谷である。
ナビで終点が近づく。
景色が偏ってきた。
うん、ラブホテル街なのである。
男二人が、車に乗ってラブホテルの林立している狭い道路をゆっくりと走る。
うん、知り合いには見られたくない光景である(笑)
書道博物館 → Map
洋画家で書家でもあった中村不折(1866-1943)氏の奇襲物や、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専門博物館である。
中野写真は撮影不可であるが、なるほど、ここでしか見れないものが揃っている。
書道の字などは字体によって、随分と見かけが変わるが、その解説が分かりやすかった。
紙ではなく石に刻まれた字がその存在を重厚にしている。
専門博物館というだけあって、独特の雰囲気がある。
この博物館の前は、子規庵という。
かの正岡子規が住んだことのある家屋が残っている。
台東区、なかなか良いじゃないか。
うん、「たけくらべ」は知っている。
内容でなくて、名前だけ。
そう、五千円札の「樋口一葉」さんだ。
友人に誘われ、記念館に行く。
そんなものあったんだ。
それも、台東区に。
台東区立「樋口一葉記念館」 → Map
今までの旅では、子規とか、坂の上の雲記念館とか遠い所が多かった。
樋口一葉さんも、そういう地方の方だとばかり思っていた。
いかに本を読んでいないかが、悔やまれる。
外は雨模様だったが、この記念館は60年以上の歴史があって、今建っているのは、改築したものだという。
ゆきたんくと同じ東京都民だった樋口一葉さん。
結核で24歳の短い生涯を閉じられたことは誠に残念な方だと今回の見学で思った。
時間のある時に本を読んでみたり、かかわる場所を訪れたりしてみたい。
記念館の近くにあった旧居跡。→ Map
私宅の真ん前になるので6mずらしてある。
今日は八潮市立資料館に出かけた。
先週訪ねた「武蔵屋」の2階にある博物館という手もあったのだが、体調と相談の上近場にした。
うん、同伴者もいるので迷惑はかけられないからね。
木曜日の夜は、夜中に4回足(右内転筋)が痙攣して目が覚めた。
寝た気がしていなかった。
そして金曜日を乗り越えて、、、
かかりつけの整体師に相談したら、24時からということでほぐしてもらった。
内転筋が固くなり、筋肉内で血液が鬱血(うっけつ)しているとのことだった。
久しぶりに痛い思いをしたが、背術後の痛みはない。
流石である。
そんなことで、今日は江戸川をはさんで近場の八潮市になった。
木の看板。ものものしくなく、シンプルに資料館。 → Map
八潮の遺構や産業のこと、浦安でもそうだったが建物そのものが資料の場合、資料館の土地の中にそれがあること。
たくさんの物を見ることができた。
特に、展示物が個人や法人から借りたもの以外は写真撮影がフリーなのが良い。
もちろん、ノンフラッシュという制約付きである。
そこで嬉しかったことがある。
旧家の遺構だと、古い道具などが展示されている。
現在のガス台が、かつては窯だったこと。
竈(かまど)である。
じっさいに炭に着火している。
旧家というと、火の気が厳禁であることが多い。
ここではちゃんと人が付いて炭を燃やしている。
その煙が、天井に上がり燻蒸されて虫が付きにくくなるのも良いことだろう。
とにかく昔使っていたままで姿を見れたことが一番の収穫である。
もっとも、その後の説明でネズミが出るのだが、駆除の餌を食べても耐性ができているのか平気なんだそうだ。遺構が齧られて遺構が痛まないことを願う。