「負の世界遺産」日本編1は足尾銅山の鉱毒被害について書いた。
そのレスにお友達の伊謄(いとう)さんがコメントをつけて下さった。
かれこれ1か月になるので、そろそろアンサーソングを歌わないと失礼だ。
いつものように下手な文だが、歌わせていただく。
「地元住民が苦しめられた→被害は地元だけではなく下流域(谷中村など)にも大きく広がったわけですから、これも追記したほうがいいかもしれませんね。」
というのが頂いたコメントである。
そのコメの中にある谷中村の現在の姿(もう少し北に広い。)がこれである。(グーグルアースより)
谷中湖。別名は渡良瀬遊水地。旧谷中村の一部である。
ハート型をしている。
そして谷中湖に立っている看板や、照明の飾りもハートの形をしている。
何か愛らしい
注意書きの看板も愛らしいハート型…背景に谷中湖。
これだけを見ていると素敵な場所に思えてしまう。
そしてその谷中湖では、
ウィンドサーフィンを楽しむ人がたくさんいる。平和な休日である。
これらの写真は2007年6月17日に撮った写真だ(栃木県藤岡町)。
この写真から約100年前の1906年7月にここにあった谷中村は廃村になった。
足尾銅山の鉱毒の被害は渡良瀬川流域に村々に広がっていたが、国はその鉱毒水を下流の村の一つである谷中村に流すことを決めたからだ。
ここに住んでいた住人は田中正造と反対運動をした。
強制的とも言える状況の中で、土地の買収がなされた。
谷中村民は、栃木県藤岡町・野木町・小山市・南那須町・群馬県板倉町、埼玉県北川辺町・茨城県古河市などへ移転した。
自分が悪いわけではないのに、故郷を追われた人たちが100年前までこの地で生活をしていたのである。
谷中村のことを中心にしてこの辺りの歴史について触れることは大切だと思うのだが。
一番上の写真のハートの凹んだ辺りにマークがあると思う。
そこに史跡「旧谷中村遺跡」がある。