伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

出張2日目

2014-06-30 23:17:50 | 言いたんく

さて、結婚して以来の家族での誕生祝が初めてなかった。

まあ、自分なりに心機一転頑張る誓いを立てる。

朝のホテルからの風景。

山ならではの風景だ。



雲がこんなに近い


家が目の前にあると、よけいに近く見える。


 何しろ空気がおいしい。

おいしいというよりも、呼吸が楽なんだな。

 

そう、うまい空気というのは呼吸を楽にする。 

ただ、この日は山を登った。

前の晩、よく寝れなかったので体がなかなかついていかない。

そんな時は、目がまともに物をとらえることができないのだろう。




山ではこいつに話かけられた・・・

その後入った鍾乳洞(不二洞)では


こいつに話かけられた・・・


 怖いのは幻覚とかそういうのではない。

声が聞こえる訳でもない。

自然と時間を共有してしまっている感じなのだ。

「やぁ。」と言って、しばらく一緒にいるような・・・

まっ、いっか。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は

2014-06-29 23:47:31 | 言いたんく

ゆきたんくの誕生日です。

ただ、2泊3日の出張初日。

この日撮った一番お気に入りの写真を載せます。

自分におめでとう。



群馬県多野郡上野村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ223…台湾・中正紀念堂

2014-06-28 23:22:16 | 

いやぁ、先人を祀ってあるところは広いね。

25haの広大な敷地に、国家音楽庁(下写真右側の建物)と国家戯劇院(下写真左側の建物)が見える。

正面には正門が見える。

正門の辺りには白く見える催しものをする場所がある。

そして当日は何か行われる予定だったのか、椅子を置くための番号シールが地面に貼られていた。



紀念堂から中正公園を見渡す。手入れの行き届いた庭園が美しい


地面に貼られた番号シール。これで通路部分全体に貼ってあった。


 ここには、かつて台湾を治めた、蒋介石の像がある。

ここにまつわる話については台湾の方によって大きく分けて2つの見解がある。

それについては外国人(ここでは日本人を含む)は学習しておいた方が良いと思う。

中正は蒋介石のことだという。



高さ70mの紀念堂。中国・北京の天壇に似ている。


中正紀念堂の正門、高さ30mである。


この辺りは結婚写真撮影のメッカだそうだ。

今回の旅では出会うことはなかったが、新しい家族の幸せを築く場所になっているのならば言うことはない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ222…台湾・金行?

2014-06-27 23:00:40 | 

 中正紀念堂の観光が終わり、次は腹ごしらえである。

友人S氏がかつて行ったことのある食堂でおいしいところがあるという。

好公道の店に行くため東門駅で降りる。

すると目に飛び込んできたのが




金行の文字が目に飛び込んできた。


 台湾では銀行のことを金行というのかと帰国までは信じて疑わなかった。

台湾では銀行のことを金行というのかと帰国して調べるまでそう思っていた。

「銀行」という言葉はもともと中国で使われていたという説もある。「金行」でないのは、その当時、銀貨のほうが多く流通していたからだそうだ。

金・銀がつくところで東京の銀座は日本を代表するおしゃれでにぎやかな街。

それにあやかって全国に「○○銀座」がある。

銀座というのは銀貨の鋳造所のことで、江戸時代、そこに銀座があったことからついた地名だ。

もちろん、金貨を鋳造する金座もあった。

さて、金座の長を代々務めた後藤家の屋敷、現在そこには日本銀行の本店がある。

ということで調べた。
「全興五金行」という金物屋の会社だという。



ちゃんとありました、台湾銀行・・・
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ221…台北MTR

2014-06-26 23:02:37 | 

今回の台北の旅で大変便利だと思ったのはMTRだ。

MTRはMass Rapid Transit の略で、香港のMass Transit Railwayと少し違う。

まあ、都市鉄道のことである。

駅間の距離が短く、様々な線があるのでガイドブックに載っている場所へはアクセスが簡単である。

とは言っても、台北のMTRが整備されたのは1996年以降だという。

ある意味、良いタイミングで台北の旅をすることができたと思って良いだろう。

このMTRは時刻表がない。

時刻通りに列車が駅に発着しないと乗降客に迷惑をかけるという理由だそうだ。

ただ、3~5分ごとに列車が来るので困ることはない。

ある意味便利な考え方でもある。



MTR北投(べイトゥ)駅…淡水線にて 車両も近代的である。



台北駅は地下鉄になっている。 淡水線、板南線


 行先と頭の中に入った地図がシンクロすれば、まず間違うことはない。

ただ、このMTRの地下鉄部分の入り口が自分の趣味に合わないのは仕方がないか・・・



MTR信義線(2013年12月開通)、新蘆線(2013年9月開通)の東門(トンメン)駅入り口

龍の口のようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ220…台湾・台北、龍山寺

2014-06-25 23:25:39 | 

台北最古の仏教寺院が龍山寺である。



とても落ち着いた雰囲気の龍山寺前殿


 清代の1738年に創建されて約270年が経つ。

台湾の信仰は、神仏混淆である。

主に祀られているのは観音菩薩であるが、道教の媽祖、関帝などの文武諸神も祀られているという。

細かいことにこだわらずに何でも祀る台湾の宗教観が表れているというが、日本人の宗教観もそれ近いものがあるのでは思う。



線香の煙が漂う、向こうには周囲の高い建物がみえる。


 この雰囲気、前にどこかでと思った。

そう、澳門(マカオ)の媽祖廟(マッコミウ)だ。

阿媽を祀ってある。

渦巻き線香こそないが、このような色彩といい、よく似ている。

そう、祀られているものの一つに媽祖(まそ)があると書いたが、別名は阿媽(アーマ)である。



マカオの媽祖廟(マッコミウ) 2002.03.26


比べてみると龍山寺の方が極彩色が冴えている。

台風や、地震、第二次大戦末期の米国の襲撃などで大きな被害を受けた。

そのつど修復されているというが、1920年に福建省(龍山寺は福建省にある普江県安梅の龍山寺を分霊したもの)から20数人の名匠を招いて造らせたものが現在の姿に近いという。

スリに用心が必要だったというが、幸いゆきたんくに近づいてくる者はいなかったので良かった。

今回の台湾の旅は盛りだくさんなので一つ一つにかける時間は短い。

次回行く機会があったら、少しゆっくりと回ってみようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ219…台湾・万華

2014-06-24 23:04:42 | 

今年初めて台湾に行った。

台北観光が中心だった。

そこで一番のお気に入りが万華である。

日本読みでバンカというのだろうか。

あちらの読み方ではワンホアである。

泊まったホテルが台北駅の近くなので、MTRでのアクセスが便利であった。



万華の街並み


 何が一番のお気に入りなのかというと、飽きない風景なのである。

ここに来るために乗ったMTRの龍山寺駅ができたために、再開発が進められ古い町並みが失われていく傾向にあるという。



龍山寺駅を出ると龍山商場と呼ばれる屋根付き広場がある。


 この屋根付き広場には、商人が日本でいう行商の方が持ち運ぶような荷物を置いて商売の準備をしている。

上写真は龍山商場の中央である。

屋根の外に出て左に向かうと万華の通りにでる。

屋台が多く立ち並び、胃袋をくすぐられる。

ここが台北発祥の地だという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このごろ・・・

2014-06-23 23:37:06 | 戦争遺跡

時間がなくて、戦争遺跡調査に出かけていない。

ゆきたんくの戦争遺跡調査は、主に上物である。

上物というのは、地上にあるものだ。

かつての軍舎、掩体壕(飛行機格納庫)、弾薬庫、訓練施設、境界標柱などである。

ゆきたんくの住んでいる松戸駅東口には相模台という高台がある。

現在は、聖徳大学、相模台小学校、松戸第一中学校、松戸中央公園、イトーヨーカドー、千葉地方検察庁、千葉地方裁判所、松戸拘置所・・・

実にたくさんの施設が相模台にはあるが、ここは昔は松戸工兵学校であった。

松戸中央公園入口には、その時の門柱や歩哨楼が残されている。


 


松戸中央公園入口(松戸工兵学校門柱)


 松戸工兵学校と民間の土地との境界に建てられているのが境界標柱だ。

この旧工兵学校周囲で今のところ17本見つけたゆきたんくであるが、その中で一番状態の良いものがこれだ。






陸軍境界標柱 


 陸軍境界標柱はたいてい御影石で造られている。

そして「陸軍」、「陸軍用地」、「陸軍省」などの文字が彫られている。

先に見つけた17本のうち5本はコンクリートでできていた。

余談だが、海軍の標柱はコンクリート製が多い。

さて、このごろ戦跡調査に出かけていないと書き出した。

自分にとって、新しい物件に触れることや今までであった遺構の状態を確認していないのである。

16本の標柱のうちの1本が、崩れかけている。

戦争についての史跡の保存が消極的であること。

それは現在生きている日本人のほとんどが近代史についてしっかりと学んでいないことが原因ではないか。

前に「負の世界遺産」という文を書いたが、「平安京」、「平城京」のような歴史的建築物のように保護されなくてならないものではないだろうか。

現在、大学等の建物として使われている旧軍舎などは残るだろうが、境界標柱は小さい遺構である。

最後に、崩れかけている標柱の写真を載せよう。



松戸駅東口の通り沿いで見つけた標柱 


 特に保護しなければ、これに足を乗せる人がいてもおかしくないところにある。

右側が崩れている。

一つ上の写真と比べると状態は雲泥の差である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そんな・・・

2014-06-22 23:16:21 | 言いたんく

昨日、世界遺産に登録された「富岡製糸場」にある繭の乾燥場が2月に降った雪のために半壊したという。

ゆきたんくは7月に富岡製糸場に行き、実際に自分の目で確かめてみようと思う。

以下に、今まで少ないが撮りためた「乾燥場」の写真をアップする。


 

 


以上、ゆきたんくの手持ちの「乾燥場」の写真全部である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産登録おめでとう!

2014-06-21 23:51:39 | 言いたんく

群馬県富岡市にある富岡製糸場が世界遺産に登録された。

本当に嬉しいことである。

施設がしっかりと保存されることだけでなく、ここで働いていた工女たちの歴史も残ることになるからだ。


 

 


入り口 


 


東繭倉庫


 


繰糸場






座繰り



乾燥場


 2011年5月7日に訪問した時の写真を載せた。

今回は多くは語らない方が良いだろう。

直接見た方が説得力があるからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30周年おめでとう。

2014-06-20 23:25:51 | 言いたんく

ゆきたんくがまだ果たせていなことはたくさんある。

その中の一つに、ヴァージン・アトランティックに乗ることがある。

ゆきたんくのフィバリット・アーティスト、マイク・オールドフィールド氏とは切っても切れない縁があるからだ。

かつて存在したヴァージンレコードの第一号契約アーティストとしてリリースしたチューブラーベルズ。

これが大ヒットした。

ただ一人のミュージシャンのヒットでは経営が軌道に乗ることもない。

パンクロックのセックスピストルズが大ヒットして経営難を救った。


 


数多くの無名アーティストがセッションをした旧ヴァージン・マナー・スタジオ 2003.08.09撮影

オックスフォードシャー、シップトン・オン・チャーウェル


その後、業績を伸ばしグループとして発展していく。

その中の一つがヴァージン・アトランティックだ。

今日で就航30周年を迎えた。→ ホームページ

おめでとうとともに、ますますの発展を祈りたい



これに乗りたいのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふと

2014-06-19 23:33:29 | 言いたんく

自宅コンピュータの前で居眠り・・・

居眠りから覚めて首が痛い。

そんなに長い時間ではないが、誰かと話をしていたように思う。

誰だろう、あの顔。

何か懐かしい。

もう10年くらい会っていない人。

そう、この人(人と言っては失礼だ)



上野のお山にいらっしゃる「上野大佛」様である。2005.07.23撮影


 わけ合って顔だけなのだが、この顔だと上品に見える。

かつて胴体が存在していた時の写真を見たことがあるが、そんなに・・・

上野大佛は1631年に建立。しかし1647年の地震、1841年の火災、1855年の地震などの災難に見舞われ、首や顔などの部分が破損、その都度修復が行われた。

しかし、1923(大正12)年の関東大震災で4度目の崩壊。その後は、改修されることなく寛永寺で管理されていた。そして、1972(昭和47)年に残存した顔だけが元の場所に戻ったのだそうだ。



かつての上野大佛様

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読み応えの600円…⑬写真が語る「負の世界遺産」1(足尾銅山)追記 その2

2014-06-18 23:57:30 | 言いたんく

足尾銅山というと田中正造氏のことがすぐに連想される。

衆議院議員まで務めた人が、最後は赤貧洗うが如しの生活をした。

財産は鉱毒反対運動にすべて使ったとのことだ。

亡くなった時には無一文だったという。

亡くなった田中氏の骨は鉱毒被害を受けた6か所に分骨されている。

そのうちの一つが群馬県館林市の雲竜寺だ。



雲竜寺本堂


公害闘争の先駆者となった田中正造氏が闘争の拠点としたのがこの雲竜寺だ。

半生を鉱毒事件に捧げた田中氏が没したとも言われている寺である。(支援者・庭田清四郎宅で亡くなった記述もある。)


 

 


正造氏の墓


墓の横にあり、正造氏が祀られている救現堂

  


 正造氏が中心となって鉱毒被害を国に提訴したのが1890年代。

もうすでに120年が過ぎた2011年に発生した東北地方太平洋沖地震が過去を浮彫りにする。

渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されたのだ。

21世紀となった現在でも影響が残っている。

正造氏の魂が救われるのはいつの日だろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読み応えの600円…⑫写真が語る「負の世界遺産」1(足尾銅山)追記

2014-06-17 23:15:42 | 言いたんく

「負の世界遺産」日本編1は足尾銅山の鉱毒被害について書いた。

そのレスにお友達の伊謄(いとう)さんがコメントをつけて下さった。

かれこれ1か月になるので、そろそろアンサーソングを歌わないと失礼だ。

いつものように下手な文だが、歌わせていただく。

「地元住民が苦しめられた→被害は地元だけではなく下流域(谷中村など)にも大きく広がったわけですから、これも追記したほうがいいかもしれませんね。」

というのが頂いたコメントである。

そのコメの中にある谷中村の現在の姿(もう少し北に広い。)がこれである。(グーグルアースより)



谷中湖。別名は渡良瀬遊水地。旧谷中村の一部である。


ハート型をしている。

そして谷中湖に立っている看板や、照明の飾りもハートの形をしている。



何か愛らしい



注意書きの看板も愛らしいハート型…背景に谷中湖。


 これだけを見ていると素敵な場所に思えてしまう。

そしてその谷中湖では、 



ウィンドサーフィンを楽しむ人がたくさんいる。平和な休日である。


 これらの写真は2007年6月17日に撮った写真だ(栃木県藤岡町)。

この写真から約100年前の1906年7月にここにあった谷中村は廃村になった。

足尾銅山の鉱毒の被害は渡良瀬川流域に村々に広がっていたが、国はその鉱毒水を下流の村の一つである谷中村に流すことを決めたからだ。

ここに住んでいた住人は田中正造と反対運動をした。

強制的とも言える状況の中で、土地の買収がなされた。

谷中村民は、栃木県藤岡町・野木町・小山市・南那須町・群馬県板倉町、埼玉県北川辺町・茨城県古河市などへ移転した。

自分が悪いわけではないのに、故郷を追われた人たちが100年前までこの地で生活をしていたのである。

谷中村のことを中心にしてこの辺りの歴史について触れることは大切だと思うのだが。

一番上の写真のハートの凹んだ辺りにマークがあると思う。

そこに史跡「旧谷中村遺跡」がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新。

2014-06-16 23:55:45 | 言いたんく

さて、自動車運転免許の更新である。

初めてのゴールド免許とお別れの日がきた。

3回の違反である。




1回目、ココフカの旅北海道函館にて・・・


 胸をワクワクさせて「赤レンガ倉庫」に向かっていた時である。

後ろからミニパトが「前の車止まりなさい。」

上写真の標識を見落としたのである。

左右に大きな矢印が出ている。

右矢印の少し左側に上に伸びている道があって、矢印がついていない。

つまり、ここは行けませんよと。

もっとはっきりと大きくしてくれないとというゆきたんくの言い分は通るはずがないから黙って反省した。



外環道三郷西付近


 日曜日朝の外環を気持ちよく走っていた。

 所用で出ているので遅刻をするわけにはいかない。

 左車線に車が詰まっている。

 それらを追い越して、左車線に早く入りたい。

 後ろからも車が迫っている。

 そして左車線に入ったのが上写真の辺り。

 その途端に、「前の車止まりなさい。」

 ルームミラーを見ると、先ほどまで普通の乗用車に見えたスカイラインの屋根が赤く光っている。

 警察の車だったのね。

 何か、追い越し車線でずっと走っていてはいけない法律だと。

 勉強し直そうと思ったゆきたんくである。



三回目は新宿御苑近く


 次男のつっくんの演劇を見に車で急いだ。

 普段は電車で行くのだが、仕事の都合で車で行くことに。

 そう、駐車場に困ったのである。

 新宿御苑には早く着いたのだが、駐車場探しに手間取った。

 そんな時、右車線側に駐車場が見えた。

 上写真の交差点を右折して駐車場まであと30m。

「前の車止まりなさい。」と後ろに白バイが・・・

「この時間帯は、あの交差点は右折禁止なんです。」

ということで3年間のブルー免許に。

気持ちもブルーである。

しかし、今夏の旅行に向けて取った、国際免許がゆきたんくの気持ちを慰めたくれたのである。



これで3回目。イギリスのモーターウェイを突っ走るのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957