年が明けたと思ったら、もう2月も終わりだ。
汗ばむほど暖かい日があったと思ったら、寒さが戻って来たこのところ。
明日からは3月だ。
この地上の様々なものが目を覚ます時が来た。
ゆきたんくの職場の片隅でも、物は言わないがその姿で「春が来た。」と教えてくれるものたちもいる。
写真の桜がそうだ。
冬の寒い間につぼみを膨らませて、いつ咲くかと準備をしていた。
そして1年に1度のこの時を迎えたのだ。
職場の庭でこんなのを見れるのは嬉しい。
年が明けたと思ったら、もう2月も終わりだ。
汗ばむほど暖かい日があったと思ったら、寒さが戻って来たこのところ。
明日からは3月だ。
この地上の様々なものが目を覚ます時が来た。
ゆきたんくの職場の片隅でも、物は言わないがその姿で「春が来た。」と教えてくれるものたちもいる。
写真の桜がそうだ。
冬の寒い間につぼみを膨らませて、いつ咲くかと準備をしていた。
そして1年に1度のこの時を迎えたのだ。
職場の庭でこんなのを見れるのは嬉しい。
ゆきたんくははくはつの家系である。
そう、いずれはロマンスグレーに・・・・・ならないのである。
はくはつは普通は白髪と書く。
ゆきたんくは薄情の薄に、髪で薄髪(はくはつ)の家系なのだ。
高校時代に陸上競技を始まるまでは肩まで髪の毛が伸びていたことがある。
現在は、自分で電動バリカンを操って刈る坊主にしている。
そう、しょうがないと思っていたのだ。
今年職場を人事異動で変わり、隣の席にいらっしゃる大先輩のご主人の話を聞いた。
先 輩 「何で坊主にしているの?」
ゆきたんく 「髪が薄いので目立たないようにですよ。」
先 輩 「えっ、あんた薄いの?」
ゆきたんく「ええ、薄髪の家系なんでね。薄い髪と書いて白髪」
先 輩「おもしろいこと言うね。そう、あんた悩んでいるんならさ、かんきろうっていいよ。」
ゆきたんく「はい?」
先 輩「柑気桜(かんきろう)。これは利くよ。」
ゆきたんく「へぇー」
先 輩「うちの旦那がさ、60過ぎてから始めてね、生えてきたんだよ。」
先 輩「額から一筋垂れたやつがあって、その液が通ったところだけ眉毛が長くなってきたのよ。」
ゆきたんく「それは興味深いですねぇ。」
そして、実際に使ってみたら、髪にコシが出てきたのだ。
太さも増してきたようだ。
若い時までとは言わないが、ごく年齢にあっただけ濃くなればと思っている。
効き目あるよー。
いやあ、久しぶりに食べてムフフなものがある。
本日女房が浅草に出かけると言うので、土産をリクエストした。
浅草は雷門近くにある舟和のいもようかんだ。
舟和のいもようかんです。
サツマイモのような色のデザート
口当たりなめらかなデザート
程よい甘さが後を引くデザート
よくこんなものを考えたものである。
でも美味しいからいいか・・・。
「自由と規律」
ゆきたんくの書庫にある本が、いろいろと入れ替わっていても、老名主のようにずっといた本がこれだ。
ゆきたんくがいた、都立で唯一の全日制全寮制高等学校の秋川高等学校の入学許可が出た後、入学式までに1200文字の作文が課題で出された。
それが、この「自由と規律」を読んでの感想文だ。
本を読むだけでも苦痛の男が、さらに1200文字という書いたこともない文字数の作文をするのだから、とんでもないことだった。
今再び手にとってみた。じっくりと読むためには時間が必要なので、目次を見て、当時どんなことを読み取れたのかを思い出した。
…イギリスの国民性は、伝統を重んじること。…
と感じたことを覚えている。
ウェストミンスターの国会議事堂(ウエストミンスター橋の方にビッグ・ベンがある。)に代表されるような伝統的な建物が沢山健在している。
イギリスの教育は、それを反映したものだということだ。
言い換えれば、教育は普遍的なものだということだ。
新しいものを取り入れる必要性と、普遍的なものが同居しているのがバランスのとれた教育ということだ。
そしてそれを徹底されるためには全寮制がいいということだ。
高校時代に別に大したことはしていなかったゆきたんくであるが、その時身につけたものは、現在の生活・仕事に見事に反映している。内容が高尚とか稚拙とかは別にして軸がぶれないと思っている。それは高校時代に身につけたものだと断言できる。
1冊の老名主によって、少しずつ思い出の地層を発掘している。
何か発見したら、また記そうと思う。
いやいやぁ、ウィルスバスター2009はいいねぇ。
動きは軽いし、ウィルスの処理もしっかりとやってくれる。
ただね、もっと早く導入すればよかったというお話。
「トロイの木馬」という、セキュリティの脅威になるのがある。
カテゴリはウィルスだったり、違ったりする。
そう、大切なファイルを消去したり、外部へもらしたりする機能を持っているのだ。
ところでゆきたんくの戦跡ファイルのうち2つが行方不明なのだ。
一つは2007年11月に訪れた、旧平沼橋駅の写真、もう一つは同年8月の市川緑の市民フォーラムに参加し、市内の戦跡を回った時の写真が入っているフォルダが丸ごとないのだ。
果たしてトロイにやられたのかどうかは定かではない。
2008年1月8日に突如、CP(前使っていたやつ)が故障した。
その日の朝まではしっかりと働いていたのに、夜スイッチを押したら起動しない。
セーフモードでも起動しない。
これでは仕事にならないということで、すぐに新しいのを購入した。それが現座い使っているやつだ。
そして大切なファイルはバックアップをとってあった。
サイトのファイルはサーバーからダウンロードした。
旧平沼橋駅のと市川市のは、そのCPのハードディスクには入っているはずだ。
きっとサーバーにはアップしてなかったので、現在のPCにダウンロードした時にはそのデータが入らなかったのだと思いたい。
前のPCのデータだけでも取り出せないだろうか。
そうすればはっきりするのだ。
2003年のイギリス旅行、そう、以前に書いた「ほっておいた1672枚」のリンク作業が終了した。まだ、グーグルマップに、記事の場所をつなぐ作業が残っているがとりあえずは一段落といったところか。
写真を整理しているうちに、様々なことを思い出すが、「住みたい」と思った場所があるので、紹介しておく。
場所はウェールズ南東部のパンディという場所にあるB&B(ベッド アンド ブレックファスト…一泊の宿と翌朝の朝食がつく)パンディ・インに泊ったとである。
のどかなウェールズ
見るからのにのどかな感じのパンディの風景に長時間ドライブの疲れが飛んだことも覚えている。
一枚目の写真が、B&Bのパンディだ。我々一行はこの写真の建物の隣にあるブラックマウンテン・ロッジに貸切状態で泊った。12人は宿泊できるだろう大きな建物に4人で泊ったのだから贅沢この上ない。
ブラックマウンテン・ロッジだ。
翌朝は、待ちに待ったイングリッシュブレイクファストだ。もっともこの皿の中には血でできたソーセージが入っていないので本物とはちょっと違う。
かなりのボリュームだ。
これにシリアル、トースト、大きなカップのミルクティー
腹いっぱいになったのだ。
写真を整理しながら、当時のことを思い出していた。とても楽しい作業だった。
ゆきたんくが戦争遺跡に興味を持って4年目を迎える。
そしてこの4年の間に知ったことは、戦争遺跡はどんどんとその姿を消しているということだ。戦争遺跡は個人的には平和教育には欠かせないものと考える。
また、戦争についての話をできる方が少なくなってきていることから、少し急ぎ足で戦争遺跡の調査を進めている。とはいっても専門的な知識は持ち合わせていないので、知己を頼りに取材を進めている。
「千葉県の戦争遺跡を歩く」という本を手に入れて、国府台の辺りの昔の絵地図を見ていると、里見公園から江戸川に向かってT字路の角に「陸軍の大井戸」という表記があった。
早速行ってみたが、古い家屋があり、その外側に塀が建っているので確認することができなかった。
大井戸のある辺りの風景(2006.10/14)
とんと分からないままでいたが、2007.08/26に市川の戦跡を歩くというフォーラムがあったので参加した。その時に里見公園から、上写真の川沿いの道に出てこの編の前に来た。なんと塀が崩されていて、大井戸に家屋が乗ったような形で円形の部分が見えたのである。(その時の写真データが見つからないので後ほど・・・)
そして解説の方が、「これが、陸軍の大井戸です。」と言われていた。やっと見ることができた。その廃屋の乗った井戸は、この道を通るたびに見ていたが代わり映えはしなかった。
丁度一週間前、知人宅からの帰り、この道を通った時、大井戸がむき出しになっているのを見た。車には友人を乗せていたので止まることなくその場を去ったが気になって仕方がなかった。
そして今日の夕刻に時間が出来たので行ってみた。
愕然とした。なんと「工事中」の表示があり、ロープが張ってあったのだ。
こうなると重機で壊してしまわれる可能性が強い。
その姿を現した大井戸(2009.02.22)
なんとか保存するとは言っても、この大井戸の並びも整地され始めている。
きっと道幅を拡張するのだろう。この井戸は邪魔である。
なんとか移動して保存できればいいのだろうが、そのようなスペースは無い。
近くに里見公園があるが、ここにあった大きな防空壕も埋め戻されて影も形もない。
大井戸を、掘り出して運ぶのも一苦労である。
このまま消えていく戦争遺跡の一つになってしまうのだろうか・・・。
大正時代の様子を書いた絵にあったのだから100年以上前の構築物だろう。
あぁ、どうなるのだろうか・・・。
自分自身はヨーロッパへの旅行はイギリスのみだが、ヨーロッパ他国について知人の話を聞いたり、写真を見せてもらったりすると気がつくことがある。
街中の建物施設、道路、街灯、街路樹などが、見事なコーディネーションを見せているのだ。そう、人間関係で言えば、突飛な奴がいないのだ。
ロンドンで言えば、バッキンガム、ヴィクトリアのホテル街、シティ付近のビジネス街などは、その地域の色を見せている。
日本では古都京都にそれを感じることができるだろう。広い通りにには新しい建物が増えているので昔の景観を期待できないものもある。わりかし古い通りなどには当時のの空気を感じることができる。
東山の「哲学の道」から南禅寺を経て、三条通りにぶつかるまでの通り。
清水寺の参道につながる通り。
メジャーではない処でもコーディネーションは生きている。
そうそう、人通りが多いと気がつかないが、早朝の散歩で通った先斗町(ぽんとちょう)は小さな店の造りが綺麗な和音を奏でていたように思う。
先斗町通りの入り口(出口?)だ。
ここに№のつく路地(ろじ)がたくさん交差する。
そしてロンドンにもポントチョウ通りはあるのだ。
それがポント・ストリート。ゆきたんくが気に入った景観を持つ場所だ。煉瓦の色が映える通りである。
ポント・ストリートの表示
レンガ色の建物。
同じ造り、同じ高さの見事なコーディネーション
異国を旅しているのに、日本のことを考えるなんて、ゆきたんくも偉いねぇ。
そして、この国のコーディネーションはどうなるのでしょうか。
普段なじみのあるものについては、その全てを知ったつもりでいることが多いのではないだろうか。ゆきたんくの第二の故郷とも言って良い茨城県稲敷郡。ここで私の父は生まれた。現在は鬼籍に入ってしまっているが、父から受け継いだ田でできた米を、ゆきたんく一家で食べている。
その米の生育に欠かせない水は利根川の支流からきているという。
ゆきたんくが初めて大きな川を見たのも利根川だった。
父の生まれた家から1.1kmほどで利根川だ。
その川幅は300mほどだ。子供心に海の向こうにまた町があるような感覚を持ったものだ。もっとも海と川との違いもわからず、漠然と海のほうが大きいのだと思っていたころのことだ。
それが仕事の取材で、渡良瀬遊水地(谷中湖)に行った帰りに利根大堰をみた時に、びっくりしたのだ。
利根大堰を流れているのは利根川ということは知っていた。
そして利根大堰の上は橋になっているので、車で渡っていたのだがその時の感覚が、「これは大きな川だ。なんという川かなぁ?」なんて反応だったのだ。
常識的に考えれば、利根川にかかっている橋(武蔵大橋)で堰も兼ねている利根大堰という予備知識から、目に入ってきた大きな川は利根川と理解されねばならない。
しかし、自分の知っている利根川と、まったく別人のような表情を見せられた時に、「…なんという川かなぁ?」となってしまったのだ。
利根大堰付近の川幅600mに翻弄されてしまったのだ。
橋の長さは700mを超えている。
武蔵大橋の埼玉県側には魚道観察室があり、魚の成育の様子や、水の流れなどを見ることができる。
魚道観察室の窓の一つ
利根大堰
ともあれ、物事だけではなく、人も知っているつもりで知らないことがたくさんあるのではないかと思わされた。うん、真理だと思う。
昨日の投稿には、友人から「黄砂です。」の書き込みをもらった。
なるほど、言われてみればそうだなぁ。と思いながらも花粉症の心配をしているゆきたんくである。
冬と言えば空気が澄んでいると思いたいのである。それが昼間渋滞による車の排気ガスの溜まり場であったとしてもだ。
友人の付き合いで銀座にいった時のことだ。
所用を済ます数分の間、ゆきたんくは銀座の中をドライブした。
写真にあるように、電飾が効いていて通りに花を添える。
一方、電飾がなくても、ライトアップという方法でビルの外観を美術品に変えているところもある。
このようなはっきりとした景色もゆきたんくは好きである。
銀座高島屋だな
2月は寒くて空気が澄んでいると思っていた。
高い位置(本当は苦手だが)から関東の山々や富士山が綺麗に見えると思っていた。
それがなんだぁ・・・
テレビでは花粉症到来のニュースが流れている。
我が家でも女房に、今年初めての症状が出て病院送りだ。
遠くを見ても、写真にあるとおり、空の大部分を覆っている雲と山が同じ色に見えて面白くない。
見方によっては面白い写真だが、くっきりとした景色を望んでいるのだから期待はずれもよい所だ。
花粉症?
いつから、この名前が市民権を得たのか。
罹患していない自分にとっては、その時期を知る由もない。
ちょっと調べてみたら、1960年代にプタクサによる花粉症の報告がなされているという。しかし、1976年、1979年、1982年にスギ花粉の大飛散があり、患者も急増したことから、「花粉症」という名前が一般化したという。
うーん、不思議な天気だ。
先日、イギリスのヴィクトリアの投稿をした。
そう、夜は照明がそんなにないという話だ。
比較して日本は明るすぎるということだ。
夜の世界地図というのを見ると、それぞれの国の一部が光って見える。
それは大都市の辺りが光っているのだ。
しかし、日本は、大げさに言うと日本地図の形のまま光っているような状況だ。
もちろん人里離れた、無人の地もあるにはある。
しかし、光り方が他の国と比べると異様に明るい。
父の田舎(茨城県稲敷郡)で祖父の家に1ヶ月泊まったことがある。
ゆきたんくが小学校2年生の時のことだ。
その当時、祖父は事情があって一人暮らしをしていた。
電灯はない、水道もない、冷蔵庫もない、そして扇風機もなかった。
暑い時には、団扇で扇ぎ、喉が渇けばカメから汲んだ水を飲んだ。
ゆきたんくがカレーが好きだというので、カレーの調理済みの缶詰を沢山買ってくれた。ガスは使えるので、湯煎で温めたカレーを羽釜で炊いたご飯にかけて食べた。
祖父が何の仕事をしていたかは分からない。
朝7時に自転車に乗って出かけ、昼の3時には帰ってくる。
その間ゆきたんくは、従兄弟の家に出かけ、従兄弟とその友達と遊んだ。
よそ者ではあったが従兄弟のおかげで仲間はずれにされずに済んだ。
そして、祖父が従兄弟の家に来る。息子(親父の兄)の家だ。
そこで風呂をいただき、街灯もない道を2人で祖父の家に向かう。
1kmくらいの距離だろうか・・・。
家では、祖父が懐中電灯を点し、蚊帳をつるしている。
ベープなんてものはなかった時代だ。
その中に布団を敷いて寝るのだ。
蚊帳の外では、蚊が飛んでうるさかったり、他の虫が家の壁に当たる音が聞こえたりしてなかなか寝付けない。真っ暗闇ではあるのだが、目が慣れてくると時計の蛍光塗料の文字盤が目に入り、余計寝れなくなる。
多少の明るさ、多少の音があった方が落ち着く感じがするのはなぜだろうか。
時を経て、仕事で長野県は白樺の宿舎に泊まることになった。
宿舎の管理人と話をしながら、楽しく食事をいただき、風呂を済ますと翌日の仕事に備えて寝る。
寝る前に星を見ようと思った。
あの祖父の家への帰り道に見た星が見れるのではないかと・・・。
その日は曇りだったようだ。しょうがないのでゆきたんくの愛車の写真を撮った。
宿舎の電気でかろうじて照らされているゆきたんく号
雲っていることに気づかず、宿舎の電気が消えた後ならば星が見えるのではないかと思って外に出たが見えなかった。その時にフラッシュを焚いて取ったのがこの写真だ。
真っ暗闇でございます。
フラッシュを焚かなければ、真っ黒な写真になったということだ。
そして翌朝に撮ったので最初の写真だ。
こんな時でないと電気の恩恵に気づくことができない愚かなゆきたんくであった。
やあ、3年振り・・・。
ゆきたんくがこの世の中で一番好きな桜が開花した。
まだ満開ではないが、この3年間花を見ることができなかった(実は昨年は、葉半分、桜半分の状態で見ている)流山市の千草稲荷に咲く桜を見ることができた。
まぁ、昨年4月から仕事の場所が変わり、毎日この千草稲荷の前を通るのだから漏れの心配は無かったのだ。
3日前から、咲きそうな気配は感じていたのだが、一昨日、昨日と所用があって桜を見ることはかなわなかった。
しかし、一昨日の土曜日は素晴らしく暖かい日で24度以上を記録したのである。
所用が終わり、帰宅してからも気にはなっていた。
そして今日、朝の出勤時に開花しているのを目にしたのだ。
急いで車を止め、桜の撮影に入った。
残念ながら、空模様は曇りだ。
青空をバックに撮ったら、どれだけ綺麗なことか・・・。
しかし、逆光になるのも癪にさわり、フラッシュを焚いて撮った。
それが一枚目の写真だ。
流山のイトーヨーカドーの横にある小さな千草稲荷
これは、デニーズの駐車場から赤城神社方面を臨んだものだ。
お稲荷様正面からの構図
手前に鳥居に結んであるロープが見える
立派な鳥居である。
さて、この桜については「満開レポート」もする予定です。乞うご期待。
先だって、拙サイト、「幸たんく」の写真の整理やリンクについて見直しをしてることを載せた。2003年のイギリス旅行だ。
その写真の中には、使えない(使えなかった)ものがあった。
レタッチソフトの「ヒストグラムの調整」をいじっていたら、写真の明るいところを暗く、反対に暗いところを明るくできることが分かった。
必要以上にいじってしまえば、不自然さが際立って使えなくなってしまうこともある。
幸い、コンピューターは作業をいくつか前に戻せるので、まず失敗はない。
ブレている写真は基本的には使わないが、撮った写真以外にはないようなものについては「アンシャープマスク」をかけてみる。それでもどうにもならないものは捨てる以外にはない。
そう、ロンドンではヴィクトリアのイブリーハウスホテルに4泊した。夕食は近くのバーで食べたが、1食だけは米が食べたくて、ヴィクトリア駅ビルのファスト・フードでとった。しかし、長粒種でパラパラしていたので期待はずれではあった。
その帰り道のことだ。夏のヨーロッパは夜の8過ぎまでは明るい。もちろんイギリスもヨーロッパだから明るかった。毎日明るいうちに家の中に入り、暗い中を屋外では過ごさなかったのだ。
ただ、その日はホテルから随分と歩いて駅ビルまで行ったので時間がかかった。行きの時間と、食事の時間。そしてスーパーマーケットで買い物。帰り道は暗かったのだ。
今日のブログには写真を3枚載せる。そのどれもが、載せてある写真よりはよっぽど暗いことをお断りしておく。
街灯が少ないよねぇ。
道がオレンジ色に照らされて、明るい夜道に見えると思う。
これは今回のサイト見直しで写真をいじったためで、実際には使えないような代物であった。
うーん、怖い。イブリーストリートだ。
写真は、駅ビルのある通りから、1本ずれただけの通りだ。
街灯が少ないだけでなく、1本1本の街灯が暗いのだ。
少し距離があると、先が見えない所もある。
よく考えると、地元の人たちにはいつものことなのでなんの違和感もないだろう。
では、自分が感じた違和感とは・・・。
そう、日本との比較である。
日本の夜は随分と明るいということになる。
そして、その明るさは営業している店舗のものが多いということだ。
例えば24時間営業のコンビニエンスは一日中明るいのだ。
日本では地球温暖化を防ごうとして、自動車のことがあげられているが店舗や家庭の電気が馬鹿にならないほど消費されていると思う。
ゆきたんくが子供のころは、自分の家の店が閉まるころには、周囲も暗かったことを思い出す。晴れていても、雲っていても夜の空の色は闇のように黒かった。
いまでは、曇りの日には繁華街のネオンが雲に跳ね返って、それが町を照らしているように思うことさえある。
旅というのは、当たり前の非常識に気がつかせてくれることもあるのだと思う。
今日は午前中に東京の知り合いの仕事のお手伝いをしました。
えらいぞ、ゆきたんく。
そうねえらかったのです、体がね。
今日はとても暖かな日でありました。
暖かいというよりも暑い感じがしました。
まぁ、仕事が一段落したのでお食事になりました。
梅も満開でした。
知り合いの家から近い、葛西臨海公園のレストランへ直行。
しかし、人出の多いこと駐車場入り口には車が並んでおりなかなか進みません。
水仙まつりのアーチ
やっと車を停め、レストランへ・・・。
「お食事は、もう終わってしまったんですけれど・・・」
店員さんの一言で、外にある軽食喫茶に。
暑い暑いとは言ったものの、血の巡りが良くなると体全体が気持ち良くなってくる。
暑いかき揚げうどんをすすり、コーヒーブレイクをすれば気分もリラックスだ。
てな訳で、海岸を見に行ったり、水仙祭り中ということで水仙を見に行ったりしました。
海岸へ・・・
大道芸人、がんばっております
人だかりの一角が有り、そこには大道芸人がパフォーマンスを繰り広げていました。咲いているところには、日本一には1m足りないという大観覧車が満員のお客様を乗せてゆったりと回転しておりました。
大観覧車