伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

あれは、口に合った。

2017-05-31 23:35:48 | マイグルメ

グデッグ・サガン。

屋台の店である。

コンクリートの上にシートを敷いて、胡坐をかいて食べる。

それが最高なメニュー。

場所はジャワ。

前回の投稿で登場したジョグジャカルタだ。

ボロブドゥール遺跡を見て、大感動を覚えた都市ジョグジャカルタの夕食はなんじゃろか。

期待に胸を膨らませているゆきたんくである。

義兄が「〇〇君、屋台に行こう。」

というので、「屋台?」と思いながら、「はーい。」と返事をしたゆきたんく。

宿泊しているハイアット・リージェンシーから車に乗って25分。

ジョクジャ(ジョグジャカルタの愛称)の中心部に向かっていることは分かる。

着いた。



ここでいただくのか。


と思っていたら、建物の中ででも食事ができる。

建物内に案内されたら、ご対面である。

この時、ゆきたんく一家で、ゆきたんくと長男のおーちゃんだけが来ていた。

女房ののりたんがいたら大変なことになっていた。

そのご対面した方がこれである。



絵ではありません、本物です。ヤ・モ・リ様登場


 インドネシア在住の義兄とインドネシア人の義姉と子ども達は平気。

長男のおーちゃんも平気。

ゆきたんくも、平気。

平和じゃな。

そこでいただいたのがナシ・グドゥッ。



何皿かいただいたうちの一皿。ジャックフルーツと鶏肉とサンバル(辛味)


鶏肉と卵。ミスリムの国である。豚肉は出ない。


甘かったーっ、ココナッツジュース


これらのいろいろ煮たやつをご飯にぶっかける。 → Map(Gudeg Sagan)


 カレーの話になるが、「ハウスカレー」には辛さが1~10まである。

その中で最高の辛さ10が、「ハウスジャワカレー辛口」である。

インドネシアに来て、ジャワ島の食事はさぞ辛いのかと思っていた。

逆の甘口であった。

どうしても辛いのが欲しい人は、サンバルというチリソースの一種をつける。

いや、あれは旨かったなあ。

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すんでに思い出した・・・

2017-05-30 23:34:02 | 言いたんく

そう、ゆきたんくは旅行が好きである。

そして予習不足なために今まで悔しい思いをたくさんしてきた。

あと少し、あそこを曲がればあの史跡があったのに・・・

なんてことがたくさんあったのだ。

近くならば再訪は簡単だ。

しかし、遠ければ遠いほど、時間も費用もかかる。

そんな中で予習をしていたことの思い出だ。

インドネシアのジャワ島中部にジョグジャカルタという都市がある。

そこには大乗仏教の大遺跡「ボロブドゥール」がある。

上から見ると曼荼羅の模様になっている遺跡だ。

そこには、元々の仏塔であった上に増築された歴史がある。

その元々の仏塔の基壇を「隠れた基壇」と言い、それは見たいと思っていたゆきたんくである。

義兄の計らいで、日本語のできるガイドさんをつけていただいた。

一つ一つ丁寧に解説していただいた。

ただ、日本の「金閣寺は素晴らしい。全部金でできている。ボロブドゥールは安山岩ですね。」というのを繰り返した。

自国の宝物を誇りにしてほしかった。

小1時間の間、案内してもらい、仏塔に続いていた階段(元の位置)まできた。

これで終りだ。

あっ、「隠れた基壇」を忘れていた。

慌てて、話して連れて行ってもらった。



隠れた基壇。ここを覆っている石材がどけてある。


隠れた基壇の中で有名な悪因悪果を説いた「邪悪な顔」のレリーフ。


カウィ文字で「邪悪な顔」と刻まれたブロック。


 ここに行ったのが2007年12月。

もう10年も経とうとしているのだ。

この時に思い出して良かったと思っている。

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妙に心が落ち着いた

2017-05-28 23:27:38 | 言いたんく

自然体になれる時ってそうないと自分では思っている。

何をするのにも力が入ってしまう不器用な男、それがゆきたんくである。

始終力を入れて戦闘態勢になっているのは、線が細い証拠である。

そんなゆきたんくが自然体になれる場所があった。

気が付いたら力が抜けていた。

それがベルンカステルクースである。

ドイツの田舎町である。

先日プレステインという街について、おもちゃの小箱のようなと書いた。

ここもそういう所だ。

マルクト広場の可愛さときたら他の追従を許さないだろう。

ヨーロッパならではの木組みの建物がとても素敵だ。



マルクト広場。1辺が20mないスクエア。 → Map


 そのマルクト広場から北西に100mも離れていない場所がAm Alten Schulhofだ。

英訳するとAt the Old Schoolyard、和訳で古い学校の校庭だ。

散策をする前にトイレを借りに寄ったのだが、妙にそこが落ち着いた。

年に何階も感じることのないリラックスした時間だった。

その時にのりたんが写真を撮ってくれていた。

お気に入りの一枚で、iPhoneの待ち受けにしているくらいだ。


 

 


Am Alten Schulhof → Map


 この写真を見ると、余分な力を抜くことができる。

ゆきたんくにとって魔法の写真である。

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もう一回行きたいな。

2017-05-27 23:24:15 | 言いたんく

やっぱり中途半端はいけない。

ちょっとしたことで訪問しなければならなかった場所がある。

それはプレステインという。

旅行で人員が増えその分の宿が取れなかった。

大急ぎで探したホテルがあったのがプレステインだ。

ゆきたんくはマイクオールドフィールド氏のスタジオだったキングトンにあるザ・ビーコンという私宅に泊まることになっていた。

さてプレステインに話を戻そう。

題が「もう一回行きたいな」なのは、この場所が素敵だと思ったから。

最初訪れたのは夜で、周囲の様子が何も見えなかった。

ザ・ビーコンで朝を迎え、食事後プレステインのラドノシャー・アームズ・ホテルに迎えに行く。

素適なおもちゃの小箱みたいな街だった。



街の真ん中を通るスコトルトン・ストリートで一番大きな交差点にあるメゾディスト・チャーチ → Map


ザ・ラドノシャー・アームズ・ホテル。ここには一回泊まってみたい。 → Map


 帰国後にプレステインの写真をほとんど撮っていなかったことに気づいた。

素適な街の様子は頭の中に残っているのだ。

その景色に今一度会いたいのである。

それだけのお話・・・

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とうとう

2017-05-26 23:22:55 | 言いたんく

とうとう検索で予約ができなくなっていることが分かった。

何の話かって?

先日の投稿でマイク・オールドフィールド氏の軌跡を辿った日にお世話になったホテルである。

オーナーの金髪のおばあさんは、築200年の建物と言っていた。

またレディングに行った時には、そこに泊まろうと思っていた。

ベル・ビューハウスホテルである。

グーグルマップでは予約検索のボタンを押せる。

しかし出てくるのは

「No availability found. Please try another date.」である。

翻訳すると「空き状況が見つかりません。 別の日付をお試しください。」

これがずっと続いているのである。



2014.08.13早朝のベルビューハウスホテル → Map


 オーナーのおばあさんは70歳は超えていただろう。

もう廃業してしまったのだろうか。

するとレディングでのランドマークを2つ失ったことになる。

寂しい限りである。

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どうなったかな

2017-05-25 23:23:41 | 言いたんく

学校のことである。

ゆきたんくのフィバリットアーティストでマイク・オールドフィールド氏が幼少の頃に通った学校のことである。

場所はレディングの西の、ワードル・アヴェニューである。

閉校したことを知っていたので、残っている校舎を見に行った。

2014年8月13日のことである。



取り壊しが進んでいた。 → Map


 きっとあと1週間もすれば、跡形もなくなっていたのだろう。

タイミングとしては最後のチャンスをものにできたのかもしれない。

当時はそう思って満足したゆきたんくであった。

それから3年近く経っている。

今はどうなっているのかと思い、グーグルマップで覗いてみた。

地図上ではまだ建物は残っている。

ストリートビューでもその姿を見ることができる。


 


ハイランド・ジュニア・スクール


 今はどうなっているのだろうか。

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わかったけれど・・・

2017-05-24 23:54:54 | 言いたんく

2007年2月10日。

ゆきたんくは戦跡仲間と茨城県の阿見・美浦に向かっていた。

途中で隊長が「これは」という物件があったので車を降り、見に行った。



陸平研究所 この建物は戦跡か・・・ → Map


 いろいろと調べたが、分からない。

最近ふと思い出し、調べてみる。

ネットも10年前と比べると、検索で調べられるものがほとんどだ。

「陸平研究所」という看板が見える。

見た当時は、ここで軍関係の実験が行われていたのかと思っていた。

最近分かったことだ。

ここは村内の遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ建物で、美浦村文化財センターの前身だったもの。

「陸平研究所」の名前の由来は、陸平貝塚などの発掘に参加する多くの学生や研究者が集まり、熱心に調査研究がおこわれたからだという。

そして「陸平研究所」という看板が掲げられたのだということ。

美浦には何回も足を運んでいるが、この建物を見たのはこの1回限りでもう壊されたと思っていた。

グーグルマップで見たら現存していることが分かった。

そして「陸平研究所」の看板もそのままである。

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招き猫。

2017-05-23 23:56:30 | 言いたんく

商売繁盛のアイテムと言ってよいのか。

「招き猫」のことである。

そのルーツは何か。

東京の豪徳寺である。

江戸時代にに彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった時のこと。

豪徳寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。

すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。

とする説(wiki)が一番有名だとか。

この彦根藩主と猫から彦根城築城400年記念マスコット「ひこにゃん」が生まれたという。

さて、群馬県安中市の江月山海雲寺。



祠の招き猫、狛犬の代わりに招き猫。 → Map


 海雲寺は全国でも珍しい「招き猫」を奉る寺として知られる。

この招き猫は発祥とされる東京の豪徳寺で、海雲寺の先代が修業した縁で分身を奉るようになったという。

東京出身のゆきたんくは、それを群馬で知ることになったのである。

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そんな・・・

2017-05-22 23:42:53 | 言いたんく

誰もが知っている場所。

避暑地として有名な場所。

それが、自分が行ったという記憶がない場所。

軽井沢である。

その軽井沢での出来事を夢に見る。

2回見たのである。

夏には混んでて入れないという有名店だ。 


 


ミカド珈琲軽井沢旧道店 → Map


 そして食べたのがこれ。

実際にこの店で食べたのが、これのみだから他のが出て来ないのかもしれない。



モカソフト。 店でいただくと杏がついてくる。


 ただ、毎回一緒に行く人が違うのだ。

それも知らない人。

その知らない人と、昔からの知り合いのように何か話ながら道を歩き、自然にこの喫茶店に入っていく。

何かの前触れなのだろうか・・・

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お姉さんの力

2017-05-21 23:51:32 | 言いたんく

びっくりしたことを思い出した。

 ホーチミン市のベンタン市場でのことである。

冷やかしで歩いていた。



綺麗に積むものだねぇ。 → Map 


 すると「オニイサン、オニイサン。」

日本語である。

「オニイサン、シャツ。」

俺はシャツじゃねぇと思いながら無視しようとした。

そしたら手をつかんで店に連れて行かれた。

「オニイサン、シャツ。」

「いらないよ。」

日本語で返す。

「サイズないだろ。」

そうしたら

「オオキイノアルヨ。」

 「えっ」

しょうがないので店舗までいった。

どうみても一番大きいのは2Lだった。

ここで自分のサイズを言わない方が良いと気づいたけれど後の祭りである。

「4Lね。」

ないだろうと思って言ってしまったのである。

店の奥の扉を開いて、シャツを運ぶお姉さん。

4Lでも5Lでもありそう。

「じゃぁね。」

その途端、手首をすごい力で握り離さない。

ゆきたんくは若い頃ハンマー投げをやっていた。

力は普通の成人男子よりもある。

それなのにお姉さんに負けそうだ。

目の前のお姉さんは確かに女性である。

男性が化けているようには見えない。

しかし、信じられない力である。

振りほどいてその場を去った。

しかし、あの力は何だったのだろうか。

未だに謎である。

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ついに・・・

2017-05-20 23:29:38 | 言いたんく

まず見ていただきたい。



こ、これは・・・


 場所はヴェトナムのトイソン島で一休みしているところだ。

日本でいう養蜂場みたいな場所で蜂蜜の販売をしていた。

一休みを兼ねて、蜂蜜入りドリンクを飲んでいた時に撮られた1枚である。

ゆきたんくの口元に不吉なものが写っていると思っている。

その後、自分のホームページでもこの写真は使わなかった。

このような形の落ち葉が偶然落ちて来て写真に入ったのか。

ゆきたんくは実は、何かの燻製を食べていて、その端が口からはみ出したのか。

いや、燻製は食べていない・・・

なんだか分からない。

何か爬虫類の祟りなのか・・・

まあ、隠しておいても仕方ないから出してみた。

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なんだよなぁ。

2017-05-19 23:43:44 | 言いたんく

インドネシアの独立記念塔モナスが完成したのが1975年。

その前年に何があったか。

「マラリ事件」という1974年1月15日にジャカルタで起こった「反日・反政府暴動」があった。

同年1月14日の田中首相(当時)のインドネシア訪問に際し、日本製乗用車の焼打ち、有力合弁企業トヨタ・アストラ社やスネン市場および華人系商店などへの放火、略奪が行われたという。

軍は17日には「暴動」を鎮圧したが、死者11名、重軽傷者137名、逮捕者775名を数えたことが公式に発表された。

 

ゆきたんくはインドネシアは親日の国とばかり思っていた。

そう、少なくとも終戦後からはずっとそうだと思っていた。

実際にインドネシアにいった時も、善い人ばかりだった。


 


ゆきたんくと長男のおーちゃん 2007.12.31 ジャカルタ


 ふりかえり

 事件以前、インドネシア在住の日本人たちはやや傲慢なものが、より礼儀正しく、慎重な態度を取るようになった。

 事件後のインドネシア側は、スハルト氏が自身の大統領としての地位を守るため強行に政策を変更し、自身の地位を脅かし、ましてや実権を奪う可能性がある部下を排除した。

 しかし、外国投資や国産自動車製造計画における基本的な政策に変化は見られなかった。

 日本側は東南アジア諸国に対する外交政策をただちに変更した。

 これには当然インドネシアも含まれ、両国の文化交流が推進された。

 日本におけるインドネシア地域研究は第2次世界大戦以後ないがしろにされてきたが、マラリ事件以降には進歩がみられるようになった。

 そして、日本企業もインドネシア進出前に現地に関する十分な知識を持つべきとされた。

                                                                       出展「インドネシア人の本音

相手を良く思うにしても、そう思えない状況であるにしても、異国の歴史や文化は勉強しておくものだ。

なにか、海外旅行が怖くなってきたな。

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これも残念だった。

2017-05-18 23:04:24 | 言いたんく

日本人というのは、あるがままというのにこだわる。

わび・さびというのかね。

自分も良い歳をして、十分に分かっている訳ではない。

でもね、何故かオリジナルという感覚に惹かれるんだ。

さだ氏が中国で映画「長江」の撮影中の出来事について書いていた。

宿泊した場所の近くに、ひなびた感じの寺院があったそうだ。

明後日辺り、撮らせてもらう約束をしてその場所に行ったら、なんと金ぴかに塗り直されていたという。

さあ、先日の「刀削麺」の話はオリンピックの前年に北京を訪れた時のもの。


 


天壇 → Map


 工事中で入場できなかった。

どこかを修理していた訳ではなく、塗装の塗り直しである。

日本でも、日光にある陽明門の塗り直しもあったが、これは定期的なもの。

オリンピックに合わせてという発想はない。

結局見れない施設がいくつかあったのが不満である。

また進んで行くこともないな・・・

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やっぱり見たかった。

2017-05-17 23:54:37 | 言いたんく

ゆきたんくの初めての北京。

様々な世界遺産を目にすることができた。

それなのに、1つの事にこだわる性格が心に影を落としている。

大げさな書き方だが、自分でもどうかと思う・・・

それはここで起こった。


 
順潮龍大酒楼 → Map 


 とても大きな料理屋さんである。

中に通され、こんな大きな所でと思ったところ、小部屋に案内された。

嫌な予感はした。

この旅の食事の中で一番楽しみにしていたのは、ここで食べる山西料理の「刀削麺(たおしゃんめん)」であった。

そう、ぐつぐつお湯が煮えたぎっている中に、麺帯から金属のへらを使って切り出した麺を飛ばすやつだ。

それを見たかった。

小さな部屋は入り口の他は壁になっている。

きっとパフォーマンスは見ることはできないだろう。

 

予想通りであった。

見ることができたのは味だけだった。

この旅の中で一番旨かった料理だけに残念である。

そのことが未だに心に引っかかっている、小さな男。

それがゆきたんくである。



北京の旅で一番旨かった「刀削麺」


 

 

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夜景。

2017-05-16 23:42:04 | 

今までいろいろな夜景を見てきた。

お気に入りの夜景を紹介しよう。

これだ。



義兄の自宅窓からの景色。


 遠くに高層ビル郡、手前にはオレンジ色したプレアデス星団のような照明がある。

高層ビル群はジャカルタの中心部に林立している。

年々その数も増えているという。



どういうわけか、親子ビルがある。夫婦と子供だろうか、3つが1セットのようなのがいくつかある。


義兄のアパートに近い、朝4時にコーランが流れる地域。


 異なったものが2つ合わさっても綺麗なものは綺麗なのだ。

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