ナガサキ原爆の爆心地から一番近いところにあった山里小学校。
原爆投下時は児童は登校してはいなかった。
しかし、学校があるのは学区である。
その学区も原爆の猛威のため、旧山里国民学校の在籍児童の82%は亡くなってしまった。
また、この学校敷地ない斜面には20もの防空壕か掘られていたが、原爆爆発の瞬間に壕に飛び込んだ教職員3人以外は被爆して即死か数日後に亡くなっている。
なんという惨いことだろうか。
旧山里国民学校。防空壕脇の解説板から。
現在の山里小学校。
整備された防空壕。
左下に写っているカメラマンはゆきたんくである。
見事(誰も言ってくれないが)な逆三角形を維持しているアラカンの男である。
しかし、横から見ると正三角形になる不思議な体型である。
健康に留意しながら、産業遺産や戦争遺跡の取材を続けていきたい。