先日、東京理科大学葛飾キャンパスにある葛飾区科学教育センター 未来わくわく館に行ったことは書いた。
そこで様々な体験ができるのだが、簡単なものほど記憶に残りやすいのかなと思った。
マジックミラーというのだろうか。
だれもが体験したことのあると思う。
自分を映してみて思った。
こんな時があった・・・
先日、東京理科大学葛飾キャンパスにある葛飾区科学教育センター 未来わくわく館に行ったことは書いた。
そこで様々な体験ができるのだが、簡単なものほど記憶に残りやすいのかなと思った。
マジックミラーというのだろうか。
だれもが体験したことのあると思う。
自分を映してみて思った。
こんな時があった・・・
皆さんが知っている彫刻。
ロダンの「考える人」。
先日、東京理科大学の葛飾キャンパスに行った。
「葛飾区科学教育センター 未来わくわく館」が建物に一部に組み込まれているのだ。
その出入口近くに「考える人」がいた。
友人に言われて初めて気がついたことがある。
考える人
この考える人の右ひじが乗っているのが左ひざだというのだ。
ゆきたんくにとっては初めて知ったことである。
友人曰く、「このねじれが悩みの深さを表していると思うのだけれどなぁ。」
ううむ。
このことに自分は気付いていないかった。
見てすぐに「考える人」だと気づくが、細かい所まで見ていなかったのである。
きっと、こんなことはたくさんあるのだろう。
今日もお休みでのんびり。
友人と食事にはでかけたよ。
そして旨い店を見つけた。
ニューサンティ稔台店 → Map
ネパール人のご夫婦が働いていらっしゃる。
日本語が上手で、所作も日本人に近くて居心地が良い。
さて、食したのは・・・
まずは、サラダとマンゴーラッシー。
このドレッシングが、色ほど味が濃くなくていい。
食べやすい。
マンゴーラッシーも甘味抑え目で丁度良い。
チーズナン。チーズたっぷり、タンパク質たっぷり。
ゆで卵の入ったキーマカレー
旨かった。
理屈はいらない、旨かった。
うん、幸せだな。
そしてこの間(かん)思うこと。
若い時はもっと食べれた。
ようするに腹を空かせていた。
いくら食べても、まだ食える。
そんな感じだったがお金がなかった。
今は、ある程度の余裕がある。
好きなものを好きなだけ食べれるお金はある。
若い時に比べて胃袋の余裕がなくなってきたのだ。
先日旅に出かけた時に友人が言った。
行ける時(足が動く時)に言っておかないとね。
だんだん、それが感じられるようになってきた。
やれる時にやれることを。
よし、旨いものを食うぞ。
以前自分的には相いれない映画の場面があった。
シュワちゃんのトータルリコールだったかな・・・
それに登場したロボット運転手がどうしても受け入れられなかった。
そんな時代が来るのも気持ち悪いなと思っていた。
今?
うん、自然に受け入れていた。
そしてその対象をかわいいとさえ感じている。
お名前も「おたま」。
ねこじゃん。スカイラークグループが取り入れたネコ型ロボットでBellaBoというのだそうだ。
その猫さんがホールで働いている。
配膳の間違いは正確である。
あたかもトータルリコールの運転手さんが告げた行き先通りに運行する姿である。
写真はおたまちゃん。 右に見える手は女房の・・・
働き者は好きな、なまけもののゆきたんく。
時間がが経つと、受け入れる柔軟な心があったと自分を褒めて良いのか・・・
ココフカの旅2023。
昨年末の大男三人組の旅行である。
コロナのせいで、中断をしていたが3年ぶりに復活した。
そう、いろいろなとこへ行ったが、今回は会津へ。
旅程の中にゆきたんくがどうしても入れたかった場所があった。
「会津さざえ堂」である。
ここ、会津を訪れたのは4回目である。
1回目は、女房の知り合いが芦ノ牧温泉ホテルに勤めていた関係で招かれたこと。
2回目は、仕事。
3回目は、仕事仲間でもあり、親しい友人の親の葬儀。
そして今回。
プライベートな旅で我儘が許された初めての機会(笑)である。
1回目もプライベートだが、、、、女房優先ね😢
行きたかったのは「会津さざえ堂」
あとのお二人(先輩だからね。)の目的が白虎隊自刃の跡だったので同じ飯森山にあるからね。
見るからに不思議な建物である。2023.12.27 → Map
会津さざえ堂は寛政8年(1796)に建立された。
「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」が正式の名称だとのこと。
その建物の外観だけではなく、中がお参りできるようになっており一方通行の構造だと聞いていた。
この世界にも珍しい建物はぜひ訪れたいと思っていた。
うん、滑り止めのついたスロープのようだ。(上り)
入口から出口まで、このような通路である。
ゆきたんくはこの滑り止めの木に躓き転びそうになった。
足腰が衰えているのだな・・・
そう、下りにも注意してゆっくりと降りた。
つい6年前(ついと言うか・・・)に徳島県のかずら橋を走って渡った足腰はどこへ行ったんだ・・・
と思いながら、ついに来た未踏の地という感じである。
本当に自分の足で歩けるうちに、まだ行っていない所へ行ってみたい。
この会津さざえ堂が終点ではなく、新しい出発点になったような気がした。
うん、今日は密談。
仕事の話ではあるが、どこででもできるものではない。
かと言って男二人で歌も歌わずに、カラオケボックスにいてもなぁ。
こんな時は千菓進である。
もちろん、谷お客さんがいたら遠慮はするが・・・
集合時刻は松戸駅に19時。
待ち合わせで千菓進に19時10分には行く。
今日が開店日ということは、確認してあったゆきたんくである。
そして千菓進で食事を兼ねたお話を・・・
珍しくのりたん(奥方)には、食事を済ませてくると伝えてある。
場所が千菓進ということで安心している。
そして深くて濃いお話を進める。
いよいよ千菓進も閉店時刻が近づいてきた。
〆のデザートに行く前に会い方のお腹は一杯になってしまったようだ。
では、、、、、
千菓進特製「あったかドリンクしるこほいっぷ」だ。
これならば量的にもお腹に優しいし、寒い時のデザート感満杯である。
一見、ウインナーコーヒーのようだ。
クリームには「しるこサンド」が刺さっている。
そして、このクリームの下には、お汁粉が仕込まれているのだ。
ウインナーコーヒーを飲むようにして、カップの縁とクリームの間からお汁粉を啜る。
「うんめ~」
である。
甘いのとお話で密談・・・
2001年に食べておいしいと記憶に残ったものの一つ。
うん、会津武家屋敷の出口近くにあるお店の「あげまんじゅう」だ。
お店のと言っても、店そのものが「揚げ饅頭屋」さんだったのである。
天満茶屋さんというこのお店。
揚げ饅頭屋さん。2001.09.27 → Map
揚げたてのお饅頭。
何で20年以上前のことを引き出して話を書いているのか・・・
昨年度末のココフカ(ゆきたんくの仲良し大男三人組の旅行ユニット)の旅では、会津に行った。
そして市内の名所を巡った。
もちろん、会津武家屋敷にも行った。
そこで思い出したおまんじゅう。
ここでは正確には「天ぷらまんじゅう」というらしい。
その出口にあるお店は、休業日だった。
武家屋敷内の土産コーナーで購入したのは揚げ饅頭であった。
今日開封。女房とおいしくいただきました。甘いね。
うん、お饅頭が甘くておいしいということ。
渋めのお茶を淹れてもらって食べました。
私たちの夫婦の仲は甘さはないかな(笑)
2001年に食べておいしいと記憶に残ったものの一つ。
うん、会津武家屋敷の出口近くにあるお店の「あげまんじゅう」だ。
お店のと言っても、店そのものが「揚げ饅頭屋」さんだったのである。
天満茶屋さんというこのお店。
揚げ饅頭屋さん。2001.09.27 → Map
揚げたてのお饅頭。
何で20年以上前のことを引き出して話を書いているのか・・・
昨年度末のココフカ(ゆきたんくの仲良し大男三人組の旅行ユニット)の旅では、会津に行った。
そして市内の名所を巡った。
もちろん、会津武家屋敷にも行った。
そこで思い出したおまんじゅう。
ここでは正確には「天ぷらまんじゅう」というらしい。
その出口にあるお店は、休業日だった。
武家屋敷内の土産コーナーで購入したのは揚げ饅頭であった。
今日開封。女房とおいしくいただきました。甘いね。
うん、お饅頭が甘くておいしいということ。
渋めのお茶を淹れてもらって食べました。
私たちの夫婦の仲は甘さはないかな(笑)
初仕事。
とは言っても、準備はすでに始まっていたけれどね。
今日が初営業日と言った方が通じが良いだろうか。
新年を迎え、初営業に向けての準備も万全。
どうにか仕事を終えて、課外の仕事へ。
そう、初千菓進である。
ゆきたんくの隠れ家も気尿から営業なのである。
おいアしいコーヒーを啜りながら過ごす素敵な時間。
千菓進のホット
そしてざっかけないおしゃべりをする楽しい時間。
少しすると向かってくる、女房のお迎え時刻。
ルーティーンのベルトに乗って運ばれるのもなかなか快適だと思いたい。
うん、手に入れたのでね読んでみた。
こういう本。
1936年に出版の本。
今まで見かけたことがなかったが、ネットで出会った。
自分は、自国が良い国だと思いたい人間である。
そんな本をたくさん読みたい。
でもね、人によって考え方は違うからね・・・
近所にできた松屋。
腰の痛みで気分がうかないゆきたんく。
胃袋は元気だ。
駅に女房を送る前に昼飯。
リクエストは松屋。
ネギねぎ牛めしと豚汁。
脚というか、尻というか、腰というか・・・
もう、どこがいたいのやら。
でもね、旨いものはそれらを忘れさせてくれる。
席を立つまでは(泣く)
それにしても、たれ?で和えたネギと刻みネギが牛肉の味に絡んでおいしい。
このタレだけでも飯が食える。
だれが考えたのだろうね。
ゆきたんくの中で、松屋の評価うなぎ上りである。
うん、痛恨の。
うん、文字通り痛い・・・
いや、痺れる・・・
いや、渋い・・・
どんな表現が当てはまるのだろうか。
いままでに経験したことのない感覚。
そう、ゆきたんくは痛みには強い方だが、かつて入院した時に味わった蜂窩織炎の痛みには耐えられなかった。
経験則がなかったこともある。
今回は左臀部だ。
1月4日の夕刻から、なんかおかしいなぁと感じていた。
シップをはったり、筋膜リリースガンを使ったり整体にいったり・・・
今朝整形外科に行き、診断を受けた。
まぁ、一口に言うと加齢によるものだ。
背骨の並びがそれなりにガタがきているということ。
手術は必要ないそうだ。
血流を良くする薬と、神経へのいたわりの薬と・・・
あとは運動をしてくださいとのこと。
今夜からの服薬となるので、まずはお出かけ。
友人からのお誘いで、東京へ。
公開されている「明治丸」を見に行こうということだ。
明治丸。
ここでも若い時の不勉強がたたってしまった。
良く知らなかったのである。
簡単に調べたら、
イギリスはバイオリン造りで有名なグラスゴーの造船所に発注した船舶だ。
天皇の乗るお召船や練習船として使用され、現在は国の重要文化財に指定されている。
ということ。
そう、歴史の証人の一つなのである。
この明治丸の内部公開があるから行こうということだった。
場所はここ。
深い歴史が詰まっている「東京海洋大学」 → Map
日本の明治の発展を支えた超名門校である。
その沿革については時間のある時に調べたいほど興味をそそられた。
さて、最初の話の戻る。
「明治丸」をガイド付きで見ることのできる機会を、臀部の痛みのために逸してしまったことだ。
友人には申し訳なかった・・・
途中から歩くことができなかったからだ。
これからメンテナンスを頑張るゆきたんくである。
偶然ってある。
うん、くだらないことだけどね。
昨年度末、会津へ旅行した。
ゆきたんくの自宅を出て、その自宅に戻るまで・・・
ゆきたんく号(セレナ)の距離計を見た。
あら、ゾロ目。
写真を撮って満足していた。
昨日は越生町へゆきたんく号で出かけた。
走行距離がまたゾロ目なんてことは、そんなにない。
で、なかった。
昼は越生からの帰り道、坂戸のはま寿司で食事をした。
もっと食べたけれどね。
まあ、正月でお腹も疲れているのだろうか。
いつものより少な目の量だった。
で、お会計。
あら、ゾロ目。
また、ゾロ目だがどちらも4桁。
うん、偶然だけれどね。
文武両道ってかっこいいね。
その昔徳川家康が江戸城に入る前に江戸城を築いた人。
城を築く技術、兵の扱い、歌を詠む才能は京の都に知れ渡る。
最期は妬んだ上司に殺されてしまう・・・(諸説の一つ)
このくらいの知識しかなかったが名前は知っていた。
女房の友人の関係で訪れた越生町役場。
前からの女房との約束でこの日は埼玉県の後世に出かけた。
「越生梅林」で有名な所である。
その越生町役場の前に幟があった。
役場入口にあった幟
太田道灌は、ここ越生の山枝庵砦跡で誕生したそうだ。
知っておられる方はいらっしゃったと思うが、ゆきたんくにとっては
「そうだったんだ。」
だった。
こどもの頃の不勉強って悔やむよなぁ。
扇谷上杉家の家宰(筆頭家老)として主家のために懸命に働くものの、思慮の浅い上司に謀殺された悲劇の名将です。
当時も道灌は関東一円で人気が高く、相模にいた上司の扇谷上杉家当主上杉定正がこうした道灌の才能・名声を妬んでの凶行でした。
道灌は最後に「当方滅亡」と言って息絶えますが、「当方」とは自分のことではなく、主家である上杉家のことでした。
この予言通り上杉家は以後衰退の一途を辿り、その間に小田原の北条氏が関東へ進出し、上杉家は越後の長尾景虎に上杉の名前を譲らざるを得なくなったのです。
江戸時代になり、道灌の人気が高まり、「太田道灌雄飛録」という書物がベストセラーになりました。
これは道灌の生き方や最期が、判官贔屓の江戸市民に愛されたからです。言ってみれば道灌はサラリーマンの鑑ですが、最近になって道灌の人気が再び高まっています。
定年退職した団塊の世代が「上司ために働きながら報われることが少なかったサラリーマン生活」を、道灌に重ねて共感を覚えるからではないでしょうか。
関東一円には道灌が関係した神社仏閣が多数あり、道灌に関する逸話や言い伝え,更 には合戦場や城があちこちに残っております。銅像も12体あります。
今日は、年賀状の返事を書いたり、買い物をしたりのんびりと過ごした。
テレビのニュースでは、石川県の地震について詳細が分かってきている。
それについては触れないが、ただただ、震災の犠牲になられた方々のためにご冥福をお祈りしたい。
また、写真の能登町はゆきたんくの勤めている流山市と姉妹都市の関係にある。
これは国道249号線能登町山中の景色。
何かをしようと思う。