館林市の郊外にあるつつじが岡と城沼に隣接して『つつじが岡パークイン』に3泊した朝、
夏の花の蓮(ハス)の花に別れを告げた後、私たち3人はタクシーで駅に向った。
館林駅から東武の特急の『りょうもう16号』に乗れば、
1時間ほどで東武の浅草駅に着く。
緑ゆたかな館林の郊外から一転して、喧騒につつまれた浅草の街を歩くと、
猛暑もさることながら、戸惑ったりした。
私は日除けの帽子を深めに被(かぶ)り、サングラス、
そして扇子を扇(あお)ぎなが歩いた。
家内と昨夜打ち合わせをして、浅草から隅田川を水上バスで下り、
日の出桟橋からはお台場クルーズ称された遊覧船でお台場の海浜公園まで行き、
昼食と散策をすれば、
という案の結論とした。
家内の母はもとより私達夫婦もここ10数年は未知の世界であったので、
急速に変貌したこの周辺の情景を楽しめる、
と考えたまでであった・・。
浅草の船着場で乗船時間まで、売店の近くのベンチに座りながら、
家内達はアイスクリームを食べ、私は地ビールを呑んだりした。
周囲の人々の間から、英語、イタリア語、そして中国語が聴こえたりし、
国際色ゆたかな待合場であった。
遊覧船は隅田川を下ると、吾妻橋、両国橋、墨田川大橋を過ぎる頃から、
幾重の高層マンションが観えたりした。
勝鬨橋は小学生の頃から観たり、浜離宮は数度散策したこともあるので、
少しは懐かしげに観たりしたが、これ以上の感慨はなかった。
日の出桟橋から遊覧船がお台場の海浜公園に向かうと、
苦手なテレビ局が観えた後、レインボー・ブリッジに差し掛かったが、
これが昨今人気のある橋なの、という程度であった。
浅草から隅田川を下ってきたのだが、川の水の汚れが気になり、
風情もなく、私にとっては苦手な景観であった。
お台場の海浜公園の船着場の前に建つ『アクアシティ』の6階で昼食としたが、
店内からの対岸の港区、品川区の街並みの景観だけは魅了させられた。
ただ、高層マンションで常時住む身となれば、
東京の郊外の調布市に住む私の心情としては、
やはり余りにも樹木が少なく、うるおいのない街であった。
帰路の浅草までの隅田川を上(のぼ)る遊覧船で、
昼のひととき、夜景のひとときにお台場からの情景を眺めれば、
私にとっては充分<と余計なことを思ったりした。
帰宅する時、門扉を開けて、階段を上がり、玄関に立つと、
緑ゆたかな樹木の中、玉簾(タマスダレ)の数多くの白い花が出迎えてくれた。
夏の花の蓮(ハス)の花に別れを告げた後、私たち3人はタクシーで駅に向った。
館林駅から東武の特急の『りょうもう16号』に乗れば、
1時間ほどで東武の浅草駅に着く。
緑ゆたかな館林の郊外から一転して、喧騒につつまれた浅草の街を歩くと、
猛暑もさることながら、戸惑ったりした。
私は日除けの帽子を深めに被(かぶ)り、サングラス、
そして扇子を扇(あお)ぎなが歩いた。
家内と昨夜打ち合わせをして、浅草から隅田川を水上バスで下り、
日の出桟橋からはお台場クルーズ称された遊覧船でお台場の海浜公園まで行き、
昼食と散策をすれば、
という案の結論とした。
家内の母はもとより私達夫婦もここ10数年は未知の世界であったので、
急速に変貌したこの周辺の情景を楽しめる、
と考えたまでであった・・。
浅草の船着場で乗船時間まで、売店の近くのベンチに座りながら、
家内達はアイスクリームを食べ、私は地ビールを呑んだりした。
周囲の人々の間から、英語、イタリア語、そして中国語が聴こえたりし、
国際色ゆたかな待合場であった。
遊覧船は隅田川を下ると、吾妻橋、両国橋、墨田川大橋を過ぎる頃から、
幾重の高層マンションが観えたりした。
勝鬨橋は小学生の頃から観たり、浜離宮は数度散策したこともあるので、
少しは懐かしげに観たりしたが、これ以上の感慨はなかった。
日の出桟橋から遊覧船がお台場の海浜公園に向かうと、
苦手なテレビ局が観えた後、レインボー・ブリッジに差し掛かったが、
これが昨今人気のある橋なの、という程度であった。
浅草から隅田川を下ってきたのだが、川の水の汚れが気になり、
風情もなく、私にとっては苦手な景観であった。
お台場の海浜公園の船着場の前に建つ『アクアシティ』の6階で昼食としたが、
店内からの対岸の港区、品川区の街並みの景観だけは魅了させられた。
ただ、高層マンションで常時住む身となれば、
東京の郊外の調布市に住む私の心情としては、
やはり余りにも樹木が少なく、うるおいのない街であった。
帰路の浅草までの隅田川を上(のぼ)る遊覧船で、
昼のひととき、夜景のひとときにお台場からの情景を眺めれば、
私にとっては充分<と余計なことを思ったりした。
帰宅する時、門扉を開けて、階段を上がり、玄関に立つと、
緑ゆたかな樹木の中、玉簾(タマスダレ)の数多くの白い花が出迎えてくれた。