昨夕、音楽関連のランキング情報と知られている【オリコン】のサイトで、
5月下旬に突然亡くなわれたポップス・グループのZARDの坂井泉水の追悼盤のアルバムの二枚が、
ランキングの1位、2位となったのを知った。
そして、先程配達された読売新聞の夕刊で、
この件に関して、トップ記事となって折、私は微笑みながら、苦笑もし、読んだりしたのである・・。
私はこの方については、旧サイトで綴っているので、
改めて掲載する。
『ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪』 投稿日:2007.5.29.
私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップス・グループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。
私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。
平成5年(1993年)の晩春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。
これより少し前の時代として、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。
私は素人なりに、ZARDの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。
この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。
結果としは、私は50歳前後で『負けないで』を愛聴し、
出向時代の初め頃、ベスト盤を購入した時は、豪華なジャケットを眺めながら、
あの時代は業界も幸福な時代だった、
と懐かしげに自分の姿を思い浮かべたりした。
そして定年退職後の3年生の今でも、
ときおりアルバムの5枚を聴いたりしている・・。
今回、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心から冥福を祈ったりした。
彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信しているが、
少なくとも私は、幾つになっても時折聴くと思っている。
【注) 私が綴った原文より、補筆した】
5月下旬に突然亡くなわれたポップス・グループのZARDの坂井泉水の追悼盤のアルバムの二枚が、
ランキングの1位、2位となったのを知った。
そして、先程配達された読売新聞の夕刊で、
この件に関して、トップ記事となって折、私は微笑みながら、苦笑もし、読んだりしたのである・・。
私はこの方については、旧サイトで綴っているので、
改めて掲載する。
『ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪』 投稿日:2007.5.29.
私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップス・グループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。
私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。
平成5年(1993年)の晩春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。
これより少し前の時代として、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。
私は素人なりに、ZARDの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。
この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。
結果としは、私は50歳前後で『負けないで』を愛聴し、
出向時代の初め頃、ベスト盤を購入した時は、豪華なジャケットを眺めながら、
あの時代は業界も幸福な時代だった、
と懐かしげに自分の姿を思い浮かべたりした。
そして定年退職後の3年生の今でも、
ときおりアルバムの5枚を聴いたりしている・・。
今回、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心から冥福を祈ったりした。
彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信しているが、
少なくとも私は、幾つになっても時折聴くと思っている。
【注) 私が綴った原文より、補筆した】