夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

今朝の私は、沖縄に向かって、黙祷を終えて・・。

2009-06-23 07:12:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
今朝、毎年のようなことながら、沖縄の方面に向かって、
手を合わせた後、黙祷をした・・。


こうしたことは、ここ数年綴ったりしているが、
昨年に於いては、【 私は沖縄に向かって、黙祷を終えて・・。】と題し、
このサイトに投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
今朝、私は洗面を終えた後、
沖縄に向かって、黙祷をした・・。

私は齢を重ねた63歳の身であり、
かの大戦の敗戦直後の1年前に東京郊外で生を受けた身であるが、
特に沖縄諸島に対する思いは深いのである。

昨年のこの日には、
『私は沖縄に向かって、黙祷・・。』と題して投稿している。


・・(略)

私は毎年、本日の朝は沖縄に向って、黙祷をしている。

太平洋戦争で、日本の国土である沖縄列島が直接に戦闘地域となり、
軍人の死もさることながら、一般の人々までが戦場の中で多大な犠牲の上、
沖縄戦は事実上集結した日である。
沖縄県は『慰霊の日』として、この日は戦没者追悼式が行われている。

私は昭和19年9月に東京の郊外で生を受けた身で、
沖縄に関して無知な方であるが、
かの戦争で日本の防波堤となり、一般人まで戦禍にまみれ、尊い犠牲の上で、
今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思っているのである。

広島、長崎、そして各地で空襲などで亡くなった方は多いが、
直接にアメリカ軍との激戦地となり、一般の人々が戦禍の中で虐殺される事実に於いて、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
沖縄に向って、黙祷をしている。

尚、敗戦後の日本の平和は、国際の各国の怜悧な国益に基づいて、
悪夢であるが核抑止を背景とした軍事力を根底とした政治・外交・経済で、
何んとか今日を迎えていると思考している。




私は昨年の『沖縄慰霊の日』の後、
私達夫婦は家内と母と10月下旬より沖縄本島を8泊9日で訪れ、
更に思いは深めている。

・・】

このように投稿しているが、
私の沖縄の思考は、昨年のこの日も綴っているので、省略する。



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