夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が友、パソコンは長き不在となり・・。 《下》

2009-06-18 17:42:59 | 定年後の思い
私はパソコン専門量販店に修理を6月3日に依頼した翌日は、
日中の7時間ばかり玄関庭、主庭の草むしりに専念した。


5日の金曜日は、小雨の降る一日であり、
私は身体も疲れた為、読書の一日となった。

私が中断していた塩野七生・著の『ローマ人の物語 第32巻~第34巻 ~混迷する帝国~』(新潮文庫)を読んだ後、
作家・新田次郎氏の奥様である藤原てい・著の『旅路』(中公文庫)、
そして元総理の小渕恵三氏を描いた佐野眞一・著の『凡宰伝』(文春文庫)、
五冊ばかり文庫本を精読しながら、15時間を過ごしたのである。


6日の土曜日は、午前中は小雨、午後に曇りとなり、
昼下がりから快晴となった。
私は居間で、映画を観ようと思い、ビデオ・DVDを収容している三つのラックより、
映画の作品を選定した。
パソコンのない日常の不安げな心情を反映した為か、
『ザ・ロック』(1996年)、そして『グラディエーター』(2000年)
を観賞した。


7日の日曜日は、初夏のような暑さの中、スーパーを2店ばかり廻り買物を済ませた後、
作務衣の軽装に着替え、居間のソファーに座り、
『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)、そして『アンチャタッブル』(1987年)を観賞した。
いずれもショーン・コネリーが主演しているが、
前日に観た『ザ・ロック』(1996年)のショーン・コネリーの余韻である。
私は男優としては、ロバート・デ・ニーロと共にショーン・コネリーを敬愛しているひとりである。
そしてショーン・コネリーの作品は20数本を観た限りであるが、
この『アンチャタッブル』(1987年)の助演が最も好感している。


8日の日曜日は、深夜のひととき、
WBのテレビ用の作品で『FALL SAFE 未知への飛行』(2002年)
を観賞。
アメリカの核を積載した戦闘機部隊が誤ってソ連の首都に核爆撃するまでの過程を描き、
この間にモスクワまでの飛行への間、アメリカ大統領とソ連首相との電話会議を重ねながらも、
モスクワに核投下の結果、謝罪としてアメリカ大統領は自国の首都ワシントンに、
核を投下させる冷厳なドラマである。

この作品は、CBS放送で放映したのを改めて、再編集したと思われが、
テレビ用の作品としては優作である。


8日の日中は曇り空の一日であったが、
佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)を再読する。
この単行本は、昨年の初夏に於いて読んでいたが、旅行も重なり、
中断しながら読んだので、こうしたパソコンの不在の折、
一心に読む決意で再読したのである。

私はこの作品に関しては、昨年の6月14日に於いて、
【 今、読んで見たい佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』】と題して、
投稿していたが、再掲載をする。

【・・
過日、読売新聞の『新潮社の最新刊』の広告として、
私はひとつの本の広告を見ていた・・。

佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』であり、

炙り出される「負の近現代史」

”従来の甘粕像”をことごとく覆す、
  衝撃の大河ノンフィクション!


と明示されていた。

私は著作者の佐野眞一氏の愛読者のひとりであるが、
近いうちに駅前に出た時に、買い求める一冊であった。

先程、【YOMIURI】のサイトの文化欄を見ていたら、
偶然に著作者の今回の新刊に寄せる思いが、
少し紹介されていた。


http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080604bk01.htm

私は著作者の数々の作品より、人の底知れる情念を学び、
怜悧までに真摯な徹底した取材、
そして行間に温かみのある著作者の主人公への思いを、
いつも感じ取りながら、読んだりしている。

現世に数多くのノンフィクション・ライターは存在しているが、
私の知る限り最も力量のある優れた作家と確信している。
・・】

このような投稿していたが、昼食時を忘れるくらい、
熱中したりした。

夜のひととき、『夢伝説・世界の主役たち ション・コネリー』を視聴する。
この作品はNHK衛星放送で2000年8月27日で放映された番組で、
私は魅了される番組でも収録する癖があるので、
たぶん三回目と思われるが、ション・コネリー自身のしぐさ、メッセージを聴きたく観賞したのである。


9日の火曜日は快晴となり、最寄駅のひとつ喜多見の本屋『BOOKS GORO』に行く。
川沿いの遊歩道を散策したのであったが、
樹木の新緑は深緑に染められ中、下草や草花を眺め、この時節の移ろいを甘受した。

講談社MOOKと称せられた『現代プレミア』という雑誌の中で、
『ノンフィクションと教養』を購入する。
この本を買い求めに本屋に来たのであったが、
この本の置いてある付近に季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』があり、
今回は《 映画が人生を教えてくれた 》と副題が明記されていたので、
心の中で小躍りしながら買い求めたのである。

そして、店内の一角にパソコン系の棚に行き、
ひとつの雑誌を買い求めたのである。
『日経ベストPC+デジタル 2009年夏号』であり、
パソコンを主体に関連デジタル機種を優しく解説してくれる雑誌であり、
私はバソコン環境に混迷した時に、購入する雑誌である。

今回はパソコンが修理中なので、次期に購入する時の基礎資料と思い、
帰宅後、読んだりしたが、いったいどこまで進化するの、
と思いながら、ため息をついたりしたのである。


10日の水曜日は曇り空の中、散髪屋(理髪店)に寄った後、
2店ばかりスーパーで買物をして、帰宅の途中でコンビニで月刊雑誌の『文藝春秋』を買い求めて帰宅。

午後の大半は、昨日の大半の続きとして、
『ノンフィクションと教養』、そして『文藝春秋 SPECIAL ~映画が人生を教えてくれた~』を読んだり、
今月号の『文藝春秋』もあり、楽しげな優先度でもあった。

夜のひととき、ビデオ棚から『ガンジー』(1982年)を取り出して観賞。
そして、深夜の一時過ぎに、ガンジーが存在していた頃のインド史を読む。
歴史学者のA.L.サッチャー著作で、大谷堅志郎・訳に寄る
『燃え続けた20世紀 第二巻~殺戮の世界史~』(詳伝社黄金文庫)であり、
この中の第5章『インドの目覚め』、第15章『流血の印パ分裂』を読み、
改めてガンジーの時代のインド大陸の混迷を教示されたのである。


11日の木曜日は雨の降る朝であったが、午後より快晴となった。
私は買い求めた雑誌を読んだりしていたが、
夜のひととき、ビデオ棚より『壬生義士伝』(2003年)を観賞した後、
プロレスのビデオを取り出したのである。

『決闘! 巌流島 ~究極の格闘技伝説』と題されたアントニオ猪木VSマサ斉藤の戦いのドキュメント・ビデオである。
私は1970年代は、ときおりプロレスのテレビ観戦をしたことがあったが、
その後、私はプロレスを視聴しなくなったが、風の便りとして、
1987年秋にデスマッチとして、この戦いを聞いたりしていた。
後年、この血戦のビデオを知り、購入したのである。
私は齢を重ねても男の子のひとりであるので、3年に一回ぐらいは、観てしまうのである。


12日の金曜日は快晴となり、いつものように買物を終えた後は、
雑誌を読みふけっていたが、
夜のひととき、ビデオ棚より『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)を観賞する。
恥ずかしながら初めて観る映画であったが、期待が大きかった為か、
佳作と感じた程度であった。


13日の土曜日は快晴となり、買物を終えた後は、
書棚から一冊の文庫本を取り出した。
宮崎市定・著の『大唐帝国 ~中国の中世~』(中公文庫)であり、
西暦184年の『黄巾の乱』~三国時代、この後は唐の長き七百年の統治、
そして滅亡まで描いた本書である。
私は中国史はうつろ覚えであるので、少しつづ教示を受けたのである。

夜のひととき、習慣となってしまったが、
ビデオ棚より『ジャイアンツ』(1956年)を観賞する。
この作品は、テキサスの20世紀の初めより、1950年頃までを描いた作品である。
私は中学生の初め、渋谷の二流の映画館に於いて、
満員で立見となったが、ジェームス・ディーンが扮した役柄の男に惚れ込んだのである。

牧童の男は卑屈になったり、ときには横柄となったりし、やがて財を築くが、
いじけた内面があり、最後は破滅になる、
こうした男に魅せられたのである。

この作品も私は3年に一回ぐらいは観賞している。


14日の日曜日は、日中の大半は宮崎市定・著の『大唐帝国 ~中国の中世~』(中公文庫)を読む。
そして、夜はビデオ棚より『追想』(1956年)を観賞する。
イングリット・バークマンが扮するアナスタシアが、
ヘレン・ヘイズが扮した大皇妃との初対面のシーンが観たくて、
私は10数回ぐらいは観賞している。
それにしてもアメリカ映画界は、女優バークマンを復帰させるには、
最適な役柄を提供できる力を秘めた時代でもあった、
といつも感心させられる作品である。


15日の月曜日は、日中の大半はビデオ棚より『ゴットファーザー』(1972年)を観賞した後、
『ゴットファーザー PARTⅡ』(1975年)を観る。


16日の火曜日は、日中の大半はビデオ棚より『ゴットファーザー PARTⅢ』(1991年)を観賞した後、
『プラトーン』(1986年)を観る。


このようパソコンは不在となった14泊15日間となった折、
ふしだらな生活を過ごしてきたのである。

定年後の旅行で最長は、沖縄本島の8泊9日であったが、
それにしても17日の水曜日に修理済みのパソコンを受領した時、
長かったというのは本音である。

何より最初の数日間は、予告もなく突然に投稿せず、
お読み頂いている方たちも、申し訳ない心情であった・・。


パソコンのない日常生活の自身のふるまいを改めて知ったりしたが、
残された人生で私は散文を綴り、自身を高めていくのが本来の生き方なので、
やはり長きにわたり投稿文を綴らないと、確実に筆力は衰える、
と実感して戸惑っている。

                          《終り》



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我が友、パソコンは長き不在となり・・。 《中》

2009-06-18 09:46:52 | 定年後の思い
私はパソコン専門量販店に修理を依頼し、一週間から二週間は要する、
と回答されたので、国内旅行などで自宅不在をしない限り、
毎日5時間前後はパソコンに触れている定年後の日常生活を過ごしているので困惑したのである。

地元の天気情報、読売新聞、日経新聞のサイトのニュースを読んだりし、
興味のあるニュースをビジネス情報誌として名高いダイヤモンド社のサイトを深く読んだりしている。

http://diamond.jp/

このサイトは経済、時事はもとより政治、軍事、社会などの実態、変貌を
その分野で優れた専門家のお方が執筆されているので、
私は多々教示されている。

この後、私は自身のサイトの投稿文を思案し、綴ったりし投稿した後、
私が気になるお方の投稿文を拝読したりしている。
そして、そのお方の日常生活の思い、思考されていることなどを学んでいる。

このような時間を過ごすと、少なくとも5時間前後は要している。

私は買物、散策はほぼ毎日し、読書などで大半の生活をしているが、
パソコンのない机を目の前にぼんやりと椅子に座り、
しばらくして机の引き出し、脇机の書類を整理したりした。


翌日、玄関庭、主庭の草むしりに専念していた時、
私が愛用しているパソコンを購入した時が蘇(よみが)り、微苦笑したのである。
この時の心情は、このサイトの2006年9月29日~30日に於いて、
【 されど、パソコン・・♪ 】と題して投稿しているが、
あえて再掲載をする。

【・・
9月の中旬、パソコンの電源がときたま突然に落ちることがあった。

22日(金)に購入元のパソコン量販店のクリニック科に問い合わせをした後、
修理点検を依頼したが、来宅は26日(火)となった。

このブログをはじめ、パソコンの使用は23日(土)の午後より、一切取り止める事とした。

翌日より、最悪のケースを思って、最新のパソコン状況を確認するために、パソコン量販店に行き、見たりした。

26日(火)に量販店のクリニック科に来宅して貰い、パソコンの実態を調べて貰った結果、
心臓部のキャッシュメモリ、メインメモリの一部でわずかな磨耗があり、部品の交換の話となる。

部品代の概算を訊くと、10万円を超えるので、結局は新製品の購入とした。

ディスクトップ、ノート型は、新調した場合のケースで昨夜まで悩んだが、
安定性と操作性を配慮し、従来通りディスクトップとした。

問題として、壊れかけたパソコンのハードディスクのデータ救済であった。

結果として、強制的に出来うる限り、新機種に移行して貰い、
新機種のパソコンは本日の午前中に自宅に着き、
色々と再設定させるために、先ほどまで時間が掛かったりしている。

操作が覚束ない状態でこのブログを綴りはじめている・・。

私はこのブログを綴り始めたのは、一昨年の11月の下旬からであるが、
旅行などで投稿できない場合は、事前に綴って折、
今回のようにパソコン本体の故障は初めてであった。

何時もお読み頂いているお方には、この間は申し訳なく、しょげていたのが本音である。


私が綴っているパソコンは、昨日到着した富士通のディスクトップである。

ディスプレイは最近流行の20.1型のワイド画面であり、
CPU、メモリ、ハードディスクもある程度最強版となっている。

この一週間前に愛用していた機種は、やはり富士通のディスクトップのタワー型であった。
2001年(平成13年)の秋、定年退職時が2004年(平成16年)秋であったので、
定年後の生活に備えてパソコンを一新した。

この頃の時代は、液晶ディスプレイが普及し始めたであったが、
迷ったりしたが安定性を配慮し、19型のフルフラットCRTとした。
ドライブもCD-R/RWとDVD-RAM/Rの2ドライブ、そしてフロッピー・ディスクも備えたタワー型であったので、
ある程度10年前後は大丈夫かしら、と思ったりしていた。

プリンターも新調し、机、脇机、そして椅子を買い揃え、定年後に備えたりした。

それまで使用していたのは、富士通のノートパソコンを使用していた。
1998年(平成10年)の夏に会社と自宅で使うので購入し、それ相応に使い込んでいたが、
下取りとしてこのノートパソコンを手放した。

昨日、最新の富士通のカタログに、
【本製品には、有寿命部品(LCD、HDD等)が含まれています。
有寿命部品の交換の時期の目安は使用頻度や使用環境等に異なりますが、
一日8時間のご使用で約5年です】
と明示されていたのを読んだりして、苦笑いをしたりした。

何よりWEBの環境がここ10年進化し、ハード、ソフト・メーカーが連動し、飛躍してきたが、
世界の誰が今日の状況を予測できたのが私は問いかけている。

多分、どのお方の予測出来なかった、と思ったりしている。

各分野の専門担当の方達が、時代を先取りしたそれぞれの思考の結晶が、
今日のWEB環境と思ったりしている。

・・】


このように投稿していたが、愛用しているパソコンは3年弱であるが、
液晶画面のLCDは、一日8時間のご使用で約5年です、と思い浮かべ、
少し早いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりしたのである。


                          《つづく》



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