徳富蘆花の著作の【みみずのたはこと】に於いては、
千歳村・粕谷で田園生活の『美的百姓』をめざし過ごされている時、
日常のさりげない色彩について綴られている。
詩のそれぞれの色合いを綴られ、
かって敬愛するトルストイを訪ねた時、ロシアの大地、
或いは復路のシベリア鉄道の車窓の情景、
そして結びとして、深い思いを重ねながら千歳村・粕谷で観られた情景を綴られている。
毎回のことであるが、私が転記させて頂いている出典は、従来通り『青空文庫』によるが、
『青空文庫』の底本は岩波書店の岩波文庫の徳富蘆花・著の【みみずのたはこと】からである。
注)原文に対し、あえて改行を多くした。
【・・
碧色の花
色彩の中で何色(なにいろ)を好むか、と人に問われ、
色彩について極めて多情な彼(かれ)は答に迷うた。
吾墓の色にす可き鼠色(ねずみいろ)、
外套に欲しい冬の杉の色、
十四五の少年を思わす落葉松の若緑(わかみどり)、
春雨を十分に吸うた紫(むらさき)がかった土の黒、
乙女の頬(ほお)に匂(にお)う桜色、
枇杷バナナの暖かい黄、
檸檬(れもん)月見草(つきみそう)の冷たい黄、
銀色の翅(つばさ)を閃かして飛魚の飛ぶ熱帯(ねったい)の海のサッファイヤ、
ある時は其面に紅葉を泛(うか)べ
或時は底深く日影金糸を垂(た)るゝ山川の明るい淵(ふち)の練(ね)った様な緑玉(エメラルド)、
盛り上り揺(ゆ)り下ぐる岩蔭の波の下(した)に咲く海アネモネの褪紅(たいこう)、
緋天鵞絨(ひびろうど)を欺く緋薔薇(ひばら)緋芥子(ひげし)の緋紅、
北風吹きまくる霜枯の野の狐色(きつねいろ)、
春の伶人(れいじん)の鶯が着る鶯茶、
平和な家庭の鳥に属する鳩羽鼠(はとはねずみ)、
高山の夕にも亦やんごとない僧(そう)の衣にもある水晶にも宿(やど)る紫、
波の花にも初秋の空の雲にも山の雪野の霜にも
大理石にも樺(かば)の膚(はだ)にも極北の熊の衣にもなるさま/″\の白(しろ)、
数え立つれば際限(きり)は無い。
色と云う色、皆(みな)好きである。
然しながら必其一を択(えら)まねばならぬとなれば、
彼は種として碧色を、度(ど)として濃碧(のうへき)を択ぼうと思う。
碧色――三尺の春の野川の面(おも)に宿るあるか無きかの浅碧(あさみどり)から、
深山の谿(たに)に黙(もだ)す日蔭の淵の紺碧(こんぺき)に到るまで、
あらゆる階級の碧色――其碧色の中でも殊(こと)に鮮(あざ)やかに煮え返える様な濃碧は、
彼を震いつかす程の力を有(も)って居る。
高山植物の花については、彼は呶々(どど)する資格が無い。
園の花、野の花、普通の山の花の中で、碧色のものは可なりある。
西洋草花にはロベリヤ、チヨノドクサの美しい碧色がある。
春竜胆(はるりんどう)、勿忘草(わすれなぐさ)の瑠璃草も可憐な花である。
紫陽花(あじさい)、ある種の渓(あやめ)、花菖蒲にも、不純ながら碧色を見れば見られる。
秋には竜胆(りんどう)がある。
牧師の着物を被た或詩人は、嘗(かつ)て彼の村に遊びに来て、
路に竜胆の花を摘(つ)み、熟々(つくづく)見て、青空の一片が落っこちたのだなあ、と趣味ある言を吐いた。
露の乾(ひ)ぬ間(ま)の朝顔は、云う迄もなく碧色を要素とする。
それから夏の草花には矢車草がある。
舶来種のまだ我(わが)邦土には何処やら居馴染(いなじ)まぬ花だが、
はらりとした形も、深い空色も、涼しげな夏の花である。
これは園内に見るよりも Corn flower と名にもある通り外国の小麦畑の黄(き)ばんだ小麦まじりに咲いたのが好い。
七年前の六月三十日、朝早く露西亜の中部スチエキノ停車場から百姓の馬車に乗って
トルストイ翁(おう)のヤスナヤ、ポリヤナに赴(おもむ)く時、
朝露にぬれそぼった小麦畑を通ると、
苅入近い麦まじりに空色の此花が此処にも其処にも咲いて居る。
睡眠不足の旅の疲れと、トルストイ翁に今会いに行く昂奮とで熱病患者の様であった彼の眼にも、
花の空色は不思議に深い安息(いこい)を与えた。
夏には更に千鳥草(ちどりそう)の花がある。
千鳥草、又の名は飛燕草。
葉は人参の葉の其れに似て、花は千鳥か燕か鳥の飛ぶ様な状(さま)をして居る。
園養(えんよう)のものには、白、桃色、また桃色に紫の縞(しま)のもあるが、
野生の其(そ)れは濃碧色(のうへきしょく)に限られて居る様だ。
濃碧が褪(うつろ)えば、菫色(すみれいろ)になり、紫になる。
千鳥草と云えば、直ぐチタの高原が眼に浮ぶ。
其れは明治三十九年露西亜の帰途(かえり)だった。
七月下旬、莫斯科(もすくわ)を立って、イルクツクで東清鉄道の客車に乗換え、
莫斯科を立って十日目にチタを過ぎた。
故国を去って唯四ヶ月、然しウラルを東に越すと急に汽車がまどろかしくなる。
イルクツクで乗換えた汽車の中に支那人のボオイが居たのが嬉しかった。
イルクツクから一駅毎に支那人を多く見た。
チタでは殊(こと)に支那人が多く、満洲近い気もち十分(じゅうぶん)であった。
バイカル湖から一路上って来た汽車は、チタから少し下りになった。
下り坂の速力早く、好い気もちになって窓から覗(のぞ)いて居ると、
空にはあらぬ地の上の濃い碧色(へきしょく)がさっと眼に映(うつ)った。
野生千鳥草の花である。
彼は頭を突出して見まわした。
鉄路の左右、人気も無い荒寥(こうりょう)を極めた山坡に、見る眼も染むばかり濃碧(のうへき)の其花が、
今を盛りに咲き誇ったり、やゝ老いて紫(むらさき)がかったり、まだ蕾(つぼ)んだり、
何万何千数え切れぬ其花が汽車を迎えては送り、送りては迎えした。
窓に凭(もた)れた彼は、気も遠くなる程其色に酔うたのであった。
然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優(ま)した美しい碧色を知らぬ。
つゆ草、又の名はつき草、螢草(ほたるぐさ)、鴨跖草(おうせきそう)なぞ云って、草姿(そうし)は見るに足らず、
唯二弁より成る花は、全き花と云うよりも、
いたずら子に(むし)られたあまりの花の断片か、
小さな小さな碧色の蝶(ちょう)の唯(ただ)かりそめに草にとまったかとも思われる。
寿命も短くて、本当に露の間である。
然も金粉を浮べた花蕊(かずい)の黄(き)に映発(えいはつ)して
惜気もなく咲き出でた花の透(す)き徹(とお)る様な鮮(あざ)やかな純碧色は、
何ものも比(くら)ぶべきものがないかと思うまでに美しい。
つゆ草を花と思うは誤りである。
花では無い、あれは色に出た露の精(せい)である。
姿脆(もろ)く命短く色美しい其面影は、人の地に見る刹那(せつな)の天の消息でなければならぬ。
里のはずれ、耳無地蔵の足下などに、
さま/″\の他の無名草(ななしぐさ)醜草(しこぐさ)まじり朝露を浴びて眼がさむる様(よう)に咲いたつゆ草の花を見れば、
竜胆(りんどう)を讃(ほ)めた詩人の言を此にも仮(か)りて、
青空の気(こうき)滴(したた)り落ちて露となり露色に出てこゝに青空を地に甦(よみがえ)らせるつゆ草よ、
地に咲く天の花よと讃(たた)えずには居られぬ。
「ガリラヤ人よ、何ぞ天を仰いで立つや。」
吾等は兎角青空ばかり眺めて、足もとに咲くつゆ草をつい知らぬ間(ま)に蹂(ふ)みにじる。
碧色の草花として、つゆ草は粋(すい)である。
・・】
こうように徳冨蘆花氏は、深い思いで日常生活を深めている。
日本の大地は、春夏秋冬と四季折々に移ろう情景は、
それぞれの人が幼児期、未成年、そして成人、やがて老年となるまでの生活を過ごされる中、
幾重かのさりげない情景に思いでも重ねて、
誰しもその人なりの色合いを心のなかで秘めている。
私も四季折々うつろう情景に限りなく心を寄せて過ごしたりしているので、
このサイトでも数多くを綴ったりしている。
こうした中で、明確な色彩について投稿したひとつで、
【 確かな伝統美を感じる『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』・・。 】と題し、
本年の4月9日に投稿しているが、今回、あえて再掲載をする。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
古惚けた一軒屋に家内と2人だけで日々を過ごしている。
陽春に恵まれた日中、主庭のテラスに下り立ち,
常緑樹の新芽、落葉樹の芽吹き、幼葉などを眺めながら、
煙草を喫ったりし、季節のうつろいに深く心をよせたりしている。
私は読書も好きであるので、居間のソファに座りながら、
その日の心情に応じた本を開いたりしている・・。
昨日、昼下がりのひととき、一冊の本を本棚から抜き取った。
『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』(朝日新聞社)という本であるが、
私が本屋で昭和62(1987)年晩秋の頃、
偶然に目にとまり、数ページ捲(めく)ったりして、瞬時に魅了され本であった。
巻頭詩として、『色の息遣い』と題されて、
詩人の谷川俊太郎氏が、『色』、『白』、『黒』、『赤』、『青』、『黄』、
『緑』、『茶』と詩を寄せられ、
写真家の山崎博氏がこの詩に託(たく)した思いの写真が掲載されている。
そして、詩人の大岡信氏が、『詩歌にみる日本の色』と題されて、
古来からの昨今までの歌人、俳人の詠まれた句に心を託して、
綴られている。
本題の『色の歳時記』としては、
春には抽象水墨画家・篠田桃紅、随筆家・岡部伊都子、造形作家・多田美波、
夏には英文学者・外山滋比古、随筆家・白州正子、女優・村松英子、
秋には俳人・金子兜太、歌人・前 登志夫、歌人・馬場あき子、
冬には詩人・吉原幸子、作家・高橋 治、作家・丸山健二、
各氏が『私の好きな色』の命題のもとで、随筆が投稿されている。
そして、これらの随筆の横には、季節感あふれる美麗な情景の写真が
幾重にも掲載されている。
或いは『日本の伝統色』と題し
伝統色名解説として福田邦夫、素材にあらわれた日本の色の解説される岡村吉右衛門、
この両氏に寄る日本古来からの色合い、色彩の詳細な区分けはもとより、
江戸時代の染見本帳、狂言の衣装、江戸末期の朱塗りの薬箪笥、
縄文時代の壺、黒塗りに朱色の蒔絵をほどこした室町期の酒器、
江戸時代のいなせな火消しの装束など、ほぼ余すことなく百点前後に及び、
紹介されているのである。
『色の文化史』に於いては、
京都国立博物館・切畑 健氏が、歴史を彩る色として、
奈良時代以降から江戸時代を正倉院御物の三彩磁鉢、
西本願寺の雁の間の襖絵として名高い金碧障壁画など十二点を掲載しながら、
具現的に解説されている。
この後は、『色彩の百科』と題され、暮らしに役立てたい色彩の知識、としたの中で、
女子美術大学助教授・近江源太郎氏が『色のイメージと意味』として、
『赤』、『ピンク』、『オレンジ』、『茶』、『黄』、『緑』、『青』、『紫』などを、
現代の人々の心情に重ねながら、さりげなく特色を綴られている。
『配色の基礎知識』としては、日本色彩研究所・企画管理室部長の福田邦夫氏により、
《配色の形式は文化によってきまる》、
《情に棹(さお)させば流される》
などと明示しながら綴られれば、私は思わず微笑みながら読んでしまう。
最後の特集として、『和菓子』、『和紙』、『組紐』、『染』、『織』が提示されて、
掲載された写真を見ながら、解説文を読んだりすると、
それぞれのほのかな匂いも感じられるようである。
そして最後のページに『誕生色』と題されたページが、
さりげなく掲載されて折、私は読みながら、思わず襟を正してしまう。
北越の染めと織物の街・十日町の織物工業共同組合が、
情緒豊かな日本の伝統色を参考にとして、十二ヶ月の色を選定していたのである。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
【・・
『誕生色』と命名して現代の暮らしに相応しい《きもの》づくりを行っている。
『誕生石』にもあやかって興味深い試みである。
1月
おもいくれない『想紅』
初春の寒椿の深い紅。
雪の中で強く咲き誇っている姿に華やぎ。
2月
こいまちつぼみ『恋待蕾』
浅い春に土を割る蕗のとう。
若芽のソフトな黄緑が春を告げる。
3月
ゆめよいざくら『夢宵桜』
春のおぼろ、山桜の可憐な色。
桜、それは心躍る春の盛りを彩る。
4月
はなまいこえだ『花舞小枝』
春風に揺れる花を支える小枝。
土筆(つくし)もまた息吹いている。
5月
はつこいあざみ『初恋薊』
風薫る季節の薊の深い紫。
5月の野には菖蒲も咲き、目をなごます。
六月
あこがれかずら『憧葛』
さみだれが葛を濡らして輝く緑。
蓬、青梅・・緑たちの競演がいま。
7月
さきそめこふじ『咲初小藤』
夏近し、紫露草のうすい紫。
きらきらと夏の光の中で、緑の中で。
8月
ゆめみひるがお『夢見昼顔』
夏の涼しさに朝顔、昼顔。
庭に野に夏には欠かせない風物の彩り。
9月
こいじいざよい『恋路十六夜』
月冴えるころ朝露に身を洗う山葡萄の深い紺。
十六夜の色にも似て。
10月
おもわれしおん『想紫苑』
風立ちて、目もあやに秋の七草。
野に咲き乱れる桔梗と紫苑の色。
11月
こいそめもみじ『恋染紅葉』
秋の野の残り陽に照る紅葉の赤。
心にしみ入るぬくもりのかたち。
12月
わすれなすみれ『勿忘菫』
淡雪のほのかな思い。
菫が咲き、小雪が舞う季(とき)の色。やすらぎの感覚。
・・】
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。
私はこうした美しい言葉、綴りに接すると、
その季節に思いを馳せながら、その地の風土を想い、
心にひびき、香り、そして匂いまで伝わったくる。
日本風土の古来からの人々の営みの積み重ねの日常生活から、
さりげなくただよってくる色あいの結晶は、
まぎれない日本文化のそれぞれの伝統美でもある。
この本は、昭和58(1983)年に発刊されているので、
稀なほど優れた執筆陣でありながら、
現在は無念ながら故人となられた人が多いのである。
こうした遺(のこ)された随筆などを、改めて読んだりすると、
日本風土と文化に限りなく愛惜されているので、
日本文化を愛する人たちへの遺書のひとつかしら、
とも思ったりしている。
・・】
このように私なりに綴っている。
《つづく》
a href="http://www.blogmura.com/">
千歳村・粕谷で田園生活の『美的百姓』をめざし過ごされている時、
日常のさりげない色彩について綴られている。
詩のそれぞれの色合いを綴られ、
かって敬愛するトルストイを訪ねた時、ロシアの大地、
或いは復路のシベリア鉄道の車窓の情景、
そして結びとして、深い思いを重ねながら千歳村・粕谷で観られた情景を綴られている。
毎回のことであるが、私が転記させて頂いている出典は、従来通り『青空文庫』によるが、
『青空文庫』の底本は岩波書店の岩波文庫の徳富蘆花・著の【みみずのたはこと】からである。
注)原文に対し、あえて改行を多くした。
【・・
碧色の花
色彩の中で何色(なにいろ)を好むか、と人に問われ、
色彩について極めて多情な彼(かれ)は答に迷うた。
吾墓の色にす可き鼠色(ねずみいろ)、
外套に欲しい冬の杉の色、
十四五の少年を思わす落葉松の若緑(わかみどり)、
春雨を十分に吸うた紫(むらさき)がかった土の黒、
乙女の頬(ほお)に匂(にお)う桜色、
枇杷バナナの暖かい黄、
檸檬(れもん)月見草(つきみそう)の冷たい黄、
銀色の翅(つばさ)を閃かして飛魚の飛ぶ熱帯(ねったい)の海のサッファイヤ、
ある時は其面に紅葉を泛(うか)べ
或時は底深く日影金糸を垂(た)るゝ山川の明るい淵(ふち)の練(ね)った様な緑玉(エメラルド)、
盛り上り揺(ゆ)り下ぐる岩蔭の波の下(した)に咲く海アネモネの褪紅(たいこう)、
緋天鵞絨(ひびろうど)を欺く緋薔薇(ひばら)緋芥子(ひげし)の緋紅、
北風吹きまくる霜枯の野の狐色(きつねいろ)、
春の伶人(れいじん)の鶯が着る鶯茶、
平和な家庭の鳥に属する鳩羽鼠(はとはねずみ)、
高山の夕にも亦やんごとない僧(そう)の衣にもある水晶にも宿(やど)る紫、
波の花にも初秋の空の雲にも山の雪野の霜にも
大理石にも樺(かば)の膚(はだ)にも極北の熊の衣にもなるさま/″\の白(しろ)、
数え立つれば際限(きり)は無い。
色と云う色、皆(みな)好きである。
然しながら必其一を択(えら)まねばならぬとなれば、
彼は種として碧色を、度(ど)として濃碧(のうへき)を択ぼうと思う。
碧色――三尺の春の野川の面(おも)に宿るあるか無きかの浅碧(あさみどり)から、
深山の谿(たに)に黙(もだ)す日蔭の淵の紺碧(こんぺき)に到るまで、
あらゆる階級の碧色――其碧色の中でも殊(こと)に鮮(あざ)やかに煮え返える様な濃碧は、
彼を震いつかす程の力を有(も)って居る。
高山植物の花については、彼は呶々(どど)する資格が無い。
園の花、野の花、普通の山の花の中で、碧色のものは可なりある。
西洋草花にはロベリヤ、チヨノドクサの美しい碧色がある。
春竜胆(はるりんどう)、勿忘草(わすれなぐさ)の瑠璃草も可憐な花である。
紫陽花(あじさい)、ある種の渓(あやめ)、花菖蒲にも、不純ながら碧色を見れば見られる。
秋には竜胆(りんどう)がある。
牧師の着物を被た或詩人は、嘗(かつ)て彼の村に遊びに来て、
路に竜胆の花を摘(つ)み、熟々(つくづく)見て、青空の一片が落っこちたのだなあ、と趣味ある言を吐いた。
露の乾(ひ)ぬ間(ま)の朝顔は、云う迄もなく碧色を要素とする。
それから夏の草花には矢車草がある。
舶来種のまだ我(わが)邦土には何処やら居馴染(いなじ)まぬ花だが、
はらりとした形も、深い空色も、涼しげな夏の花である。
これは園内に見るよりも Corn flower と名にもある通り外国の小麦畑の黄(き)ばんだ小麦まじりに咲いたのが好い。
七年前の六月三十日、朝早く露西亜の中部スチエキノ停車場から百姓の馬車に乗って
トルストイ翁(おう)のヤスナヤ、ポリヤナに赴(おもむ)く時、
朝露にぬれそぼった小麦畑を通ると、
苅入近い麦まじりに空色の此花が此処にも其処にも咲いて居る。
睡眠不足の旅の疲れと、トルストイ翁に今会いに行く昂奮とで熱病患者の様であった彼の眼にも、
花の空色は不思議に深い安息(いこい)を与えた。
夏には更に千鳥草(ちどりそう)の花がある。
千鳥草、又の名は飛燕草。
葉は人参の葉の其れに似て、花は千鳥か燕か鳥の飛ぶ様な状(さま)をして居る。
園養(えんよう)のものには、白、桃色、また桃色に紫の縞(しま)のもあるが、
野生の其(そ)れは濃碧色(のうへきしょく)に限られて居る様だ。
濃碧が褪(うつろ)えば、菫色(すみれいろ)になり、紫になる。
千鳥草と云えば、直ぐチタの高原が眼に浮ぶ。
其れは明治三十九年露西亜の帰途(かえり)だった。
七月下旬、莫斯科(もすくわ)を立って、イルクツクで東清鉄道の客車に乗換え、
莫斯科を立って十日目にチタを過ぎた。
故国を去って唯四ヶ月、然しウラルを東に越すと急に汽車がまどろかしくなる。
イルクツクで乗換えた汽車の中に支那人のボオイが居たのが嬉しかった。
イルクツクから一駅毎に支那人を多く見た。
チタでは殊(こと)に支那人が多く、満洲近い気もち十分(じゅうぶん)であった。
バイカル湖から一路上って来た汽車は、チタから少し下りになった。
下り坂の速力早く、好い気もちになって窓から覗(のぞ)いて居ると、
空にはあらぬ地の上の濃い碧色(へきしょく)がさっと眼に映(うつ)った。
野生千鳥草の花である。
彼は頭を突出して見まわした。
鉄路の左右、人気も無い荒寥(こうりょう)を極めた山坡に、見る眼も染むばかり濃碧(のうへき)の其花が、
今を盛りに咲き誇ったり、やゝ老いて紫(むらさき)がかったり、まだ蕾(つぼ)んだり、
何万何千数え切れぬ其花が汽車を迎えては送り、送りては迎えした。
窓に凭(もた)れた彼は、気も遠くなる程其色に酔うたのであった。
然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優(ま)した美しい碧色を知らぬ。
つゆ草、又の名はつき草、螢草(ほたるぐさ)、鴨跖草(おうせきそう)なぞ云って、草姿(そうし)は見るに足らず、
唯二弁より成る花は、全き花と云うよりも、
いたずら子に(むし)られたあまりの花の断片か、
小さな小さな碧色の蝶(ちょう)の唯(ただ)かりそめに草にとまったかとも思われる。
寿命も短くて、本当に露の間である。
然も金粉を浮べた花蕊(かずい)の黄(き)に映発(えいはつ)して
惜気もなく咲き出でた花の透(す)き徹(とお)る様な鮮(あざ)やかな純碧色は、
何ものも比(くら)ぶべきものがないかと思うまでに美しい。
つゆ草を花と思うは誤りである。
花では無い、あれは色に出た露の精(せい)である。
姿脆(もろ)く命短く色美しい其面影は、人の地に見る刹那(せつな)の天の消息でなければならぬ。
里のはずれ、耳無地蔵の足下などに、
さま/″\の他の無名草(ななしぐさ)醜草(しこぐさ)まじり朝露を浴びて眼がさむる様(よう)に咲いたつゆ草の花を見れば、
竜胆(りんどう)を讃(ほ)めた詩人の言を此にも仮(か)りて、
青空の気(こうき)滴(したた)り落ちて露となり露色に出てこゝに青空を地に甦(よみがえ)らせるつゆ草よ、
地に咲く天の花よと讃(たた)えずには居られぬ。
「ガリラヤ人よ、何ぞ天を仰いで立つや。」
吾等は兎角青空ばかり眺めて、足もとに咲くつゆ草をつい知らぬ間(ま)に蹂(ふ)みにじる。
碧色の草花として、つゆ草は粋(すい)である。
・・】
こうように徳冨蘆花氏は、深い思いで日常生活を深めている。
日本の大地は、春夏秋冬と四季折々に移ろう情景は、
それぞれの人が幼児期、未成年、そして成人、やがて老年となるまでの生活を過ごされる中、
幾重かのさりげない情景に思いでも重ねて、
誰しもその人なりの色合いを心のなかで秘めている。
私も四季折々うつろう情景に限りなく心を寄せて過ごしたりしているので、
このサイトでも数多くを綴ったりしている。
こうした中で、明確な色彩について投稿したひとつで、
【 確かな伝統美を感じる『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』・・。 】と題し、
本年の4月9日に投稿しているが、今回、あえて再掲載をする。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
古惚けた一軒屋に家内と2人だけで日々を過ごしている。
陽春に恵まれた日中、主庭のテラスに下り立ち,
常緑樹の新芽、落葉樹の芽吹き、幼葉などを眺めながら、
煙草を喫ったりし、季節のうつろいに深く心をよせたりしている。
私は読書も好きであるので、居間のソファに座りながら、
その日の心情に応じた本を開いたりしている・・。
昨日、昼下がりのひととき、一冊の本を本棚から抜き取った。
『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』(朝日新聞社)という本であるが、
私が本屋で昭和62(1987)年晩秋の頃、
偶然に目にとまり、数ページ捲(めく)ったりして、瞬時に魅了され本であった。
巻頭詩として、『色の息遣い』と題されて、
詩人の谷川俊太郎氏が、『色』、『白』、『黒』、『赤』、『青』、『黄』、
『緑』、『茶』と詩を寄せられ、
写真家の山崎博氏がこの詩に託(たく)した思いの写真が掲載されている。
そして、詩人の大岡信氏が、『詩歌にみる日本の色』と題されて、
古来からの昨今までの歌人、俳人の詠まれた句に心を託して、
綴られている。
本題の『色の歳時記』としては、
春には抽象水墨画家・篠田桃紅、随筆家・岡部伊都子、造形作家・多田美波、
夏には英文学者・外山滋比古、随筆家・白州正子、女優・村松英子、
秋には俳人・金子兜太、歌人・前 登志夫、歌人・馬場あき子、
冬には詩人・吉原幸子、作家・高橋 治、作家・丸山健二、
各氏が『私の好きな色』の命題のもとで、随筆が投稿されている。
そして、これらの随筆の横には、季節感あふれる美麗な情景の写真が
幾重にも掲載されている。
或いは『日本の伝統色』と題し
伝統色名解説として福田邦夫、素材にあらわれた日本の色の解説される岡村吉右衛門、
この両氏に寄る日本古来からの色合い、色彩の詳細な区分けはもとより、
江戸時代の染見本帳、狂言の衣装、江戸末期の朱塗りの薬箪笥、
縄文時代の壺、黒塗りに朱色の蒔絵をほどこした室町期の酒器、
江戸時代のいなせな火消しの装束など、ほぼ余すことなく百点前後に及び、
紹介されているのである。
『色の文化史』に於いては、
京都国立博物館・切畑 健氏が、歴史を彩る色として、
奈良時代以降から江戸時代を正倉院御物の三彩磁鉢、
西本願寺の雁の間の襖絵として名高い金碧障壁画など十二点を掲載しながら、
具現的に解説されている。
この後は、『色彩の百科』と題され、暮らしに役立てたい色彩の知識、としたの中で、
女子美術大学助教授・近江源太郎氏が『色のイメージと意味』として、
『赤』、『ピンク』、『オレンジ』、『茶』、『黄』、『緑』、『青』、『紫』などを、
現代の人々の心情に重ねながら、さりげなく特色を綴られている。
『配色の基礎知識』としては、日本色彩研究所・企画管理室部長の福田邦夫氏により、
《配色の形式は文化によってきまる》、
《情に棹(さお)させば流される》
などと明示しながら綴られれば、私は思わず微笑みながら読んでしまう。
最後の特集として、『和菓子』、『和紙』、『組紐』、『染』、『織』が提示されて、
掲載された写真を見ながら、解説文を読んだりすると、
それぞれのほのかな匂いも感じられるようである。
そして最後のページに『誕生色』と題されたページが、
さりげなく掲載されて折、私は読みながら、思わず襟を正してしまう。
北越の染めと織物の街・十日町の織物工業共同組合が、
情緒豊かな日本の伝統色を参考にとして、十二ヶ月の色を選定していたのである。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
【・・
『誕生色』と命名して現代の暮らしに相応しい《きもの》づくりを行っている。
『誕生石』にもあやかって興味深い試みである。
1月
おもいくれない『想紅』
初春の寒椿の深い紅。
雪の中で強く咲き誇っている姿に華やぎ。
2月
こいまちつぼみ『恋待蕾』
浅い春に土を割る蕗のとう。
若芽のソフトな黄緑が春を告げる。
3月
ゆめよいざくら『夢宵桜』
春のおぼろ、山桜の可憐な色。
桜、それは心躍る春の盛りを彩る。
4月
はなまいこえだ『花舞小枝』
春風に揺れる花を支える小枝。
土筆(つくし)もまた息吹いている。
5月
はつこいあざみ『初恋薊』
風薫る季節の薊の深い紫。
5月の野には菖蒲も咲き、目をなごます。
六月
あこがれかずら『憧葛』
さみだれが葛を濡らして輝く緑。
蓬、青梅・・緑たちの競演がいま。
7月
さきそめこふじ『咲初小藤』
夏近し、紫露草のうすい紫。
きらきらと夏の光の中で、緑の中で。
8月
ゆめみひるがお『夢見昼顔』
夏の涼しさに朝顔、昼顔。
庭に野に夏には欠かせない風物の彩り。
9月
こいじいざよい『恋路十六夜』
月冴えるころ朝露に身を洗う山葡萄の深い紺。
十六夜の色にも似て。
10月
おもわれしおん『想紫苑』
風立ちて、目もあやに秋の七草。
野に咲き乱れる桔梗と紫苑の色。
11月
こいそめもみじ『恋染紅葉』
秋の野の残り陽に照る紅葉の赤。
心にしみ入るぬくもりのかたち。
12月
わすれなすみれ『勿忘菫』
淡雪のほのかな思い。
菫が咲き、小雪が舞う季(とき)の色。やすらぎの感覚。
・・】
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。
私はこうした美しい言葉、綴りに接すると、
その季節に思いを馳せながら、その地の風土を想い、
心にひびき、香り、そして匂いまで伝わったくる。
日本風土の古来からの人々の営みの積み重ねの日常生活から、
さりげなくただよってくる色あいの結晶は、
まぎれない日本文化のそれぞれの伝統美でもある。
この本は、昭和58(1983)年に発刊されているので、
稀なほど優れた執筆陣でありながら、
現在は無念ながら故人となられた人が多いのである。
こうした遺(のこ)された随筆などを、改めて読んだりすると、
日本風土と文化に限りなく愛惜されているので、
日本文化を愛する人たちへの遺書のひとつかしら、
とも思ったりしている。
・・】
このように私なりに綴っている。
《つづく》
a href="http://www.blogmura.com/">