私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
昨日、二回目の買物に出掛けて、帰路は川沿いの遊歩道を歩いた。
落葉樹が多く桜並木のような遊歩道であり、
紅色、朱紅色、朱色、黄色に深く染められた錦繍の情景であり、
たわわな葉は路上や周辺に落ち葉となっていが、三分ぐらいは枝に残り、
昼下がりの陽射しを受けていた・・。
そして空は青く澄み切って、秋日和の余情のような暖かさに恵まれて、
川べりは、ところどころ群生した薄(ススキ)の白い穂が、
陽射しを燦燦と受け、川面は鴨(かも)らが、たわむれるように遊泳していた。
遠方を眺めると、深く黄色いに染められた公孫樹(イチヨウ)の大木が観えて、
のどかな情景となっていた。
このような時、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。
まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。
そして、このグループから少し離れて、独りで歩いている小学生の男の子を見て、
私は苦笑したりした。
この後、自宅近くの道路の歩道を歩いていた時、
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。
私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。
過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。
30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。
私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。
私は高齢者の2年生で、66歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである・・。
私の農家の三男坊として生を受け、小学3年生の頃は、父が春先に病死し、
まもなく祖父も亡くなり、農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。
可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は、独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。
そして心の中で、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・美空ひばり 】
私はラジオから聴こえてきたのを覚えて、この歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・
【 『私は街の子』 作詞・藤浦 洸、作曲・上原げんと、唄・美空ひばり 】
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは、少なくとも55年以上の歳月が過ぎて、
社会は大きく変貌し、私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしていたのである。
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落葉樹が多く桜並木のような遊歩道であり、
紅色、朱紅色、朱色、黄色に深く染められた錦繍の情景であり、
たわわな葉は路上や周辺に落ち葉となっていが、三分ぐらいは枝に残り、
昼下がりの陽射しを受けていた・・。
そして空は青く澄み切って、秋日和の余情のような暖かさに恵まれて、
川べりは、ところどころ群生した薄(ススキ)の白い穂が、
陽射しを燦燦と受け、川面は鴨(かも)らが、たわむれるように遊泳していた。
遠方を眺めると、深く黄色いに染められた公孫樹(イチヨウ)の大木が観えて、
のどかな情景となっていた。
このような時、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。
まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。
そして、このグループから少し離れて、独りで歩いている小学生の男の子を見て、
私は苦笑したりした。
この後、自宅近くの道路の歩道を歩いていた時、
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。
私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。
過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。
30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。
私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。
私は高齢者の2年生で、66歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである・・。
私の農家の三男坊として生を受け、小学3年生の頃は、父が春先に病死し、
まもなく祖父も亡くなり、農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。
可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は、独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。
そして心の中で、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・美空ひばり 】
私はラジオから聴こえてきたのを覚えて、この歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・
【 『私は街の子』 作詞・藤浦 洸、作曲・上原げんと、唄・美空ひばり 】
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは、少なくとも55年以上の歳月が過ぎて、
社会は大きく変貌し、私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしていたのである。
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