私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
私達夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から日本の各地を四季折々に訪れたりしている。
定年退職後から年金生活を始めたので、現役時代の多忙な身から様変わりし、
ある程度は自在な日程が設定できるので、旅行の宿泊数も増えたりしている。
こうした中でも、北国で雪が舞い降る、とニュースで知ったりすると、
どこか雪のあるところに行こう、と話し合うことも多い。
私たち夫婦は、1976(昭和51)年の春に結婚し、
賃貸マンションで生活を始めて、夏季休暇を中心に、JTBなどの旅行会社に予約して、旅行をしていた。
そして2年後の1978(昭和53)年の春に、
実家の近くに一軒屋を構えたのであるが、住宅ローンの返済に、
我が家の家計から重荷となり、JTBなど低価格の旅行プラン、会社の保養所などで、
5月連休、夏季休暇、秋の旅行を重ねてきた。
そして、この当時も団体観光ツアーのパンフレットを見たりしたが、
確かに旅行費は驚くほど廉(やす)いのであるが、旅行日程に制約があり、
同行の方達と一緒なので何かと息苦しく感じ、
宿泊先の観光ホテルなどでも気詰まりのように思っていた。
私が40代の初めの1986(昭和61)年の新年まもない土曜日の午後、
2月の初旬、山寺と蔵王の樹氷めぐり、そして最上川の船下りした後は越後地方を周遊する。
この間、上ノ山温泉と温海温泉に宿泊する、
という新聞で団体観光ツアーの広告が掲載された広告を見た。
個人旅行としては、真冬の山寺を歩いて参拝したり、蔵王の樹氷の景観を眺め、
その上に最上川の雪の情景を観ながら船下り・・
と私は長らく夢をみたり、思案してきたが、交通の不便な処を雪のある中、
もとより旅費も旅程も要するので、長年にためらってきたのである。
私は西行、そして芭蕉などのみちのくの旅路に思いを馳せたりしていた時で、
この団体観光ツアーに参加しょう、と私は家内に話し、了解を得たりした。
しかし、この当時の私は、遊び着としての防寒服がなく、
そして防寒靴も無かったので、
アウトドアの店に買い求めに行ったが、無念ながら低価格の品しか買えなかった。
このようにして、団体観光バスツアーに参加した。
確か2月の上旬で、2泊3日で旅行の為、初めて金曜日に有給休暇を頂いた。
私は今でも心の片隅に残っているので、思いだすように綴る。
第1章
真冬の薄暗い早朝、東京郊外の八王子駅の近くに、
指定された集合場所に行き、添乗員に確認した後、
私たちは観光バスに乗りこみ、出発した時はドライバーが2名、
バスガイド、そして添乗員、私たちの観光参加メンバーは40名前後であり、
60代のご夫婦が多かった。
そして観光バスは、まもなく冬枯れの東北自動車道を北上し、
白河の関を過ぎた頃、雪の情景はなく、私は落胆した・・。
その後、東北自動車道の高速道路を降り、米沢への一般道を走った。
峠道を抜けると、突然にあたり一面、雪景色となった・・。
右手の斜面は、スキー場で数10人の人達が滑っていた。
やっと雪が観られたという思いから、
南東北をお訪ずれている実感が湧いてきた。
その後、今晩宿泊する上山温泉に着き、
手荷物を置いた後、家内と散策に出かけた。
積雪は60センチ前後で、除雪がされている市道を歩いた。
『上山城』を近くから観たが、心に残らずとぼとぼと歩いた後、古びた館にたどり着いた。
分厚い草葺きの屋根に、雪が30センチ程度あり、
入り口の周辺は、うず高く積雪があった。
『春雨庵』と小さな諸札があった。
私はここが、江戸時代の時、沢庵禅師がこの地に流罪になった処だった、
かと知った。
この沢庵禅師を想い馳せれば、この雪深い地に住まわれて、
どういう思いで過ごされたか、と寒気の漂う茶室、居間を観たりした。
『この季節は大変だと思うが・・
春から夏、秋は過ごしやすいかなぁ・・』
と私は家内に話しかけた。
ホテルに戻った後、指定された部屋に入ると、
『まぁまぁの部屋じゃない・・』
と家内は私に云ったりした。
そして私は大浴場の湯に身を任せていると、小庭園が観え、雪景色となったいた。
私は、思わず拙(つたな)い俳句を呟(つぶや)いたりした・・。
部屋に戻ると、売店で購入した地酒を呑み始めた。
まもなく家内が風呂から上がって来て、
『貴方・・お湯も良かったけれど・・打たせ湯・・良かったわょ・・』
と家内は私に云ったりした。
私たちは、この団体観光ツアーは、同行する人達との気心も心配することなく、
宿泊の部屋も良く、
『これでしたら、このツアー・・許せるわょ・・』
と家内の声を聴き、私は安堵した。
この和風の寛(くつろ)げた宿は、
『ホテル城戸口屋』と館内の案内書に書かれていた。
第2章
朝、目覚めると雪が舞い降りていた・・。
朝食前、ロビーに行ったら、添乗員から、
『蔵王の樹氷めぐり・・山頂付近は吹雪いていて、中止にさせて頂きます・・』
と私たちは告げられた。
そして、『山寺では、ゆっくりとした時間を取りますから・・』
と添乗員は公知していた。
山寺は雪の舞い降りる中、
山全体がぽっかりとした雪の中の景観であった。
山門を入ると、長靴が数多く並べられていた。
2時間半後、先程のバスまでお戻り下さい、
と添乗員さんは大声で伝えていた・・。
ふもとの根本中堂から歩き始めると、
上り坂になり、積雪は30センチ前後あり、家内に大丈夫・・と声をかけながら登った。
途中の簡素な堂塔は、雪の中にちょこんと観えたりしたが、
私は雪を掻き分けて、登るほうに気がとらえられたりしていた・・。
そして雪の無い季節は、石段であるが、
こうして積雪に埋もれた雪の中を山頂の奥の院を目指して登った。
私達夫婦は、先頭を登っていたが、後方に人影もなかった。
そして私たちの観光ツアーの同行者の方達は、
果たしてこの雪の中の登り路・・大丈夫かなぁ、と私は思ったりした。
まもなく、雪の降りしきる中、如法堂が観えた。
息を整えて、下方を見下ろすと、雪が舞い降りる中、
平地の一面が見えて、ゆっくりと列車の走る小さな形が観えた。
私達夫婦は下った折、稲で編んだ素朴な縄が急な坂の処にあり、
中年女性の3人グループの人たちが、この縄を掴(つかま)ったりしながら、登ってきた・・。
そして歓声を上げながら、私達夫婦とすれ違う時、
『奥の院・・まだ、だいぶ先ですか・・』
と訊(き)かれた。
『もう少しですが、気を付けて・・下さい』
と私は云ったりした。
こうして、私たち夫婦はこの後の行程では、この3人のグループの人たちと、
互いに語り合うようになった。
根本中堂に戻ると、50代の上品な軽登山の出(い)で立ちのご夫婦を見かけた。
私たちのツアーとは関係のない人たちで、個人旅行で寄られた様子だった。
昼食をこの付近り旅館で頂いた。
芋煮のような丼に、山芋、里芋、牛蒡、人参、蓮、牛肉が入っていた。
私は、里の作物は、幼年時代は農家であったので、食べ飽きていたが、
家内は、温(あたた)まるわ、と云いながら美味しそうに食べていた・・。
私は冷酒を呑みながら、
先程に見かけたご夫婦のことを想い浮かべた。
あと10年後、私たちはあのような夫婦になれるかしら、と思ったりした。
第3章
私たちの団体観光ツアーのメンバーは、
雪の中の山寺での登り降りのお陰で、お互いにすっかり寛(くつろい)いだ雰囲気となった。
昼食の後、最上川の舟下りの始発の処まで1時間ほどあり、
思いがけない山寺の歩きの疲れと
あたり一面雪景色の中で快晴となり、バスの車内は温室のようになった上、
昼食後の満腹加減もあり、大半の人は眠りについていた。
舟下りは、快晴の中、岸辺の積雪と周辺の景観のうつろいを観ながら、
冷酒を呑んだりした・・。
下船した後、バスに乗り、しばらくすると、
あたり一面急激に吹雪いて、周囲の景色は吹雪で見えなくなった。
以前、庄内地方の方に聴いていたので、
このように快晴の合間でも、突然に吹雪いて、しばらくすると回復すると・・。
バスは地吹雪で10数分ぐらい立ち往生していたが、
徐行しながらゆっくりと走りだした。
鶴岡の名所を観た後、宿泊先の温海温泉に着いた。
翌日、雪が舞い降りる中、新潟近郊の名所を観て、一路東京に向った。
バスの中で、途中で購入した地酒を70歳前後の男性と酌み交わした・・。
この男性は、奥様連れで、私は最上川の舟下りの頃から、好感していた。
旅の終わりでこのご夫婦と別れる時、
『何時か、再び、お逢いしたいですね・・』
と私たちは云ったりした。
このような私たち夫婦は、初めての冬の旅でもあり、
団体観光周遊ツアーに初めて参加した旅でもあった。
私たちは防寒着で身を固めて、指定された集合場所に定時前に着き、バスに乗り込み、
あらかじめ指定された座席に腰を下ろした。
そして私は持参した純米酒を呑みながら、
車窓から東北の冬枯れの情景を眺めた上、
バスガイドの解説を聴いたりして、時折まどろんだりしていた・・。
そして観光地の最寄で降り立って、周遊した後は、再び走行するので、
途切れた時間待ちがないので、
特に冬の寒い時節は、移動は楽であることを実感させられた。
宿泊先の観光ホテルは期待していなかったが、
想像以上に質感が感じられ、好感したりした。
何より魅了されたのは、バスの車内、休憩時間のサービス・エリア、お土産屋のひととき、
そして食事処などで共に参加された人たちと談笑を重ねたり、
年配のご夫婦の会話、しぐさを私達は学んだことである。
そして、年配のご夫婦の方達とさりげない会話をしたりして、
私達は人生の大学の生徒となったりしながら、
私達夫婦も60歳代になった時は、あの方達のような夫婦になれたら、
とツアーの参加のたびに、数多く学んだりしてきた。
私達夫婦は、この冬の旅をして以来、雪恋し、と思いながら、
12月から2月頃の雪の舞い降る時節、
団体観光ツアーの周遊、或いは滞在型などに参加したり、
私たちだけの夫婦の旅を殆ど毎年、雪景色を求めて各地を訪れたりしている。
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私達夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から日本の各地を四季折々に訪れたりしている。
定年退職後から年金生活を始めたので、現役時代の多忙な身から様変わりし、
ある程度は自在な日程が設定できるので、旅行の宿泊数も増えたりしている。
こうした中でも、北国で雪が舞い降る、とニュースで知ったりすると、
どこか雪のあるところに行こう、と話し合うことも多い。
私たち夫婦は、1976(昭和51)年の春に結婚し、
賃貸マンションで生活を始めて、夏季休暇を中心に、JTBなどの旅行会社に予約して、旅行をしていた。
そして2年後の1978(昭和53)年の春に、
実家の近くに一軒屋を構えたのであるが、住宅ローンの返済に、
我が家の家計から重荷となり、JTBなど低価格の旅行プラン、会社の保養所などで、
5月連休、夏季休暇、秋の旅行を重ねてきた。
そして、この当時も団体観光ツアーのパンフレットを見たりしたが、
確かに旅行費は驚くほど廉(やす)いのであるが、旅行日程に制約があり、
同行の方達と一緒なので何かと息苦しく感じ、
宿泊先の観光ホテルなどでも気詰まりのように思っていた。
私が40代の初めの1986(昭和61)年の新年まもない土曜日の午後、
2月の初旬、山寺と蔵王の樹氷めぐり、そして最上川の船下りした後は越後地方を周遊する。
この間、上ノ山温泉と温海温泉に宿泊する、
という新聞で団体観光ツアーの広告が掲載された広告を見た。
個人旅行としては、真冬の山寺を歩いて参拝したり、蔵王の樹氷の景観を眺め、
その上に最上川の雪の情景を観ながら船下り・・
と私は長らく夢をみたり、思案してきたが、交通の不便な処を雪のある中、
もとより旅費も旅程も要するので、長年にためらってきたのである。
私は西行、そして芭蕉などのみちのくの旅路に思いを馳せたりしていた時で、
この団体観光ツアーに参加しょう、と私は家内に話し、了解を得たりした。
しかし、この当時の私は、遊び着としての防寒服がなく、
そして防寒靴も無かったので、
アウトドアの店に買い求めに行ったが、無念ながら低価格の品しか買えなかった。
このようにして、団体観光バスツアーに参加した。
確か2月の上旬で、2泊3日で旅行の為、初めて金曜日に有給休暇を頂いた。
私は今でも心の片隅に残っているので、思いだすように綴る。
第1章
真冬の薄暗い早朝、東京郊外の八王子駅の近くに、
指定された集合場所に行き、添乗員に確認した後、
私たちは観光バスに乗りこみ、出発した時はドライバーが2名、
バスガイド、そして添乗員、私たちの観光参加メンバーは40名前後であり、
60代のご夫婦が多かった。
そして観光バスは、まもなく冬枯れの東北自動車道を北上し、
白河の関を過ぎた頃、雪の情景はなく、私は落胆した・・。
その後、東北自動車道の高速道路を降り、米沢への一般道を走った。
峠道を抜けると、突然にあたり一面、雪景色となった・・。
右手の斜面は、スキー場で数10人の人達が滑っていた。
やっと雪が観られたという思いから、
南東北をお訪ずれている実感が湧いてきた。
その後、今晩宿泊する上山温泉に着き、
手荷物を置いた後、家内と散策に出かけた。
積雪は60センチ前後で、除雪がされている市道を歩いた。
『上山城』を近くから観たが、心に残らずとぼとぼと歩いた後、古びた館にたどり着いた。
分厚い草葺きの屋根に、雪が30センチ程度あり、
入り口の周辺は、うず高く積雪があった。
『春雨庵』と小さな諸札があった。
私はここが、江戸時代の時、沢庵禅師がこの地に流罪になった処だった、
かと知った。
この沢庵禅師を想い馳せれば、この雪深い地に住まわれて、
どういう思いで過ごされたか、と寒気の漂う茶室、居間を観たりした。
『この季節は大変だと思うが・・
春から夏、秋は過ごしやすいかなぁ・・』
と私は家内に話しかけた。
ホテルに戻った後、指定された部屋に入ると、
『まぁまぁの部屋じゃない・・』
と家内は私に云ったりした。
そして私は大浴場の湯に身を任せていると、小庭園が観え、雪景色となったいた。
私は、思わず拙(つたな)い俳句を呟(つぶや)いたりした・・。
部屋に戻ると、売店で購入した地酒を呑み始めた。
まもなく家内が風呂から上がって来て、
『貴方・・お湯も良かったけれど・・打たせ湯・・良かったわょ・・』
と家内は私に云ったりした。
私たちは、この団体観光ツアーは、同行する人達との気心も心配することなく、
宿泊の部屋も良く、
『これでしたら、このツアー・・許せるわょ・・』
と家内の声を聴き、私は安堵した。
この和風の寛(くつろ)げた宿は、
『ホテル城戸口屋』と館内の案内書に書かれていた。
第2章
朝、目覚めると雪が舞い降りていた・・。
朝食前、ロビーに行ったら、添乗員から、
『蔵王の樹氷めぐり・・山頂付近は吹雪いていて、中止にさせて頂きます・・』
と私たちは告げられた。
そして、『山寺では、ゆっくりとした時間を取りますから・・』
と添乗員は公知していた。
山寺は雪の舞い降りる中、
山全体がぽっかりとした雪の中の景観であった。
山門を入ると、長靴が数多く並べられていた。
2時間半後、先程のバスまでお戻り下さい、
と添乗員さんは大声で伝えていた・・。
ふもとの根本中堂から歩き始めると、
上り坂になり、積雪は30センチ前後あり、家内に大丈夫・・と声をかけながら登った。
途中の簡素な堂塔は、雪の中にちょこんと観えたりしたが、
私は雪を掻き分けて、登るほうに気がとらえられたりしていた・・。
そして雪の無い季節は、石段であるが、
こうして積雪に埋もれた雪の中を山頂の奥の院を目指して登った。
私達夫婦は、先頭を登っていたが、後方に人影もなかった。
そして私たちの観光ツアーの同行者の方達は、
果たしてこの雪の中の登り路・・大丈夫かなぁ、と私は思ったりした。
まもなく、雪の降りしきる中、如法堂が観えた。
息を整えて、下方を見下ろすと、雪が舞い降りる中、
平地の一面が見えて、ゆっくりと列車の走る小さな形が観えた。
私達夫婦は下った折、稲で編んだ素朴な縄が急な坂の処にあり、
中年女性の3人グループの人たちが、この縄を掴(つかま)ったりしながら、登ってきた・・。
そして歓声を上げながら、私達夫婦とすれ違う時、
『奥の院・・まだ、だいぶ先ですか・・』
と訊(き)かれた。
『もう少しですが、気を付けて・・下さい』
と私は云ったりした。
こうして、私たち夫婦はこの後の行程では、この3人のグループの人たちと、
互いに語り合うようになった。
根本中堂に戻ると、50代の上品な軽登山の出(い)で立ちのご夫婦を見かけた。
私たちのツアーとは関係のない人たちで、個人旅行で寄られた様子だった。
昼食をこの付近り旅館で頂いた。
芋煮のような丼に、山芋、里芋、牛蒡、人参、蓮、牛肉が入っていた。
私は、里の作物は、幼年時代は農家であったので、食べ飽きていたが、
家内は、温(あたた)まるわ、と云いながら美味しそうに食べていた・・。
私は冷酒を呑みながら、
先程に見かけたご夫婦のことを想い浮かべた。
あと10年後、私たちはあのような夫婦になれるかしら、と思ったりした。
第3章
私たちの団体観光ツアーのメンバーは、
雪の中の山寺での登り降りのお陰で、お互いにすっかり寛(くつろい)いだ雰囲気となった。
昼食の後、最上川の舟下りの始発の処まで1時間ほどあり、
思いがけない山寺の歩きの疲れと
あたり一面雪景色の中で快晴となり、バスの車内は温室のようになった上、
昼食後の満腹加減もあり、大半の人は眠りについていた。
舟下りは、快晴の中、岸辺の積雪と周辺の景観のうつろいを観ながら、
冷酒を呑んだりした・・。
下船した後、バスに乗り、しばらくすると、
あたり一面急激に吹雪いて、周囲の景色は吹雪で見えなくなった。
以前、庄内地方の方に聴いていたので、
このように快晴の合間でも、突然に吹雪いて、しばらくすると回復すると・・。
バスは地吹雪で10数分ぐらい立ち往生していたが、
徐行しながらゆっくりと走りだした。
鶴岡の名所を観た後、宿泊先の温海温泉に着いた。
翌日、雪が舞い降りる中、新潟近郊の名所を観て、一路東京に向った。
バスの中で、途中で購入した地酒を70歳前後の男性と酌み交わした・・。
この男性は、奥様連れで、私は最上川の舟下りの頃から、好感していた。
旅の終わりでこのご夫婦と別れる時、
『何時か、再び、お逢いしたいですね・・』
と私たちは云ったりした。
このような私たち夫婦は、初めての冬の旅でもあり、
団体観光周遊ツアーに初めて参加した旅でもあった。
私たちは防寒着で身を固めて、指定された集合場所に定時前に着き、バスに乗り込み、
あらかじめ指定された座席に腰を下ろした。
そして私は持参した純米酒を呑みながら、
車窓から東北の冬枯れの情景を眺めた上、
バスガイドの解説を聴いたりして、時折まどろんだりしていた・・。
そして観光地の最寄で降り立って、周遊した後は、再び走行するので、
途切れた時間待ちがないので、
特に冬の寒い時節は、移動は楽であることを実感させられた。
宿泊先の観光ホテルは期待していなかったが、
想像以上に質感が感じられ、好感したりした。
何より魅了されたのは、バスの車内、休憩時間のサービス・エリア、お土産屋のひととき、
そして食事処などで共に参加された人たちと談笑を重ねたり、
年配のご夫婦の会話、しぐさを私達は学んだことである。
そして、年配のご夫婦の方達とさりげない会話をしたりして、
私達は人生の大学の生徒となったりしながら、
私達夫婦も60歳代になった時は、あの方達のような夫婦になれたら、
とツアーの参加のたびに、数多く学んだりしてきた。
私達夫婦は、この冬の旅をして以来、雪恋し、と思いながら、
12月から2月頃の雪の舞い降る時節、
団体観光ツアーの周遊、或いは滞在型などに参加したり、
私たちだけの夫婦の旅を殆ど毎年、雪景色を求めて各地を訪れたりしている。
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