第6章 この後の『竜飛崎』を散策すれば
5月28日の朝、24日に東京から旅立って以来、晴れ渡った朝を迎えた。
雨時々曇りの日が続き、走り梅雨の時節であっても、
勘弁して欲しい、というのが本音であった。
海上の彼方の北海道が明確に観え、私達は微笑んだりした。
9時過ぎに宿泊している観光ホテルを出て、
国道でありながら歩道で階段の道を下り、海岸に近い道路に下り立ち、
歩道を歩き、波除のテトラポットにカモメが群れていた。
この後、作家・太宰治、版画家・棟方志功のゆかりの宿として名高い『龍飛館』に向った。
この館は、龍飛岬観光案内所でもあり、
下記のようなブログで龍飛岬だよりも掲載されている。
http://ameblo.jp/tappikankou/
☆龍飛岬観光案内所 龍飛岬だより ☆
私は今回の旅の前に、太宰治・著の『津軽』を45年ぶりに読み返したりし、
この方への思いは強いが,
館内を拝見すると、この地の『昭和30年代の写真』を見たり、
この地の情景を撮られた映画・テレビドラマの作品に関わった『俳優の部屋』で、
あの作品もこの龍飛岬だったのか、と観賞した作品に思いを馳せたりした。
私が館内で何よりも感銘を受けたのは、
画家・高野元高氏が描かれた『北の浜』であった。
私は絵の世界はまったく判らないが、私なりの感覚として魅せられたのである。
海岸沿いの岩をノミなどの荒い削りで、トンネルを通し、
このトンネルの先は海岸に波のしぶきがかかるような道、
そして彼方に人家がある過酷な厳冬の情景であった・・。
私には、この地を表現された数多くの創作者がいるが、
このたった一枚の絵こそ、まぎれない渾身の作品として、受け止めたのである。
この後、岬に連なっている帯島を観たりし、
ふたたび階段の国道の歩道を上り、灯台を観ながら、
展望台の周辺を2時間ばかり散策した。
そして宿泊の観光ホテルに戻った。
http://www.hoteltappi.co.jp/
☆『ホテル竜飛』 ホームページ ☆
このホームページに掲載されている通り、
海岸沿いの国道から切立った崖の80メートルぐらい上の台地にあるので、
館内のロービー、大浴場、そして私達の部屋からも、
洋上の彼方に北海道が観え、岬に連なった帯島も観られる景観の良いホテルであった。
このような所を3泊した後、
青森市に戻るので、ホテルのマイクロバスで宿泊者の方と共に送迎と予定していたが、
女将のご好意で、女将の乗用車で運転者付きで青森駅まで戻ることとなった。
私達は運転者の話し言葉に好感を抱き、談笑を重ねたりした。
そして青森駅の前で下車し、いくばくかの礼金を手渡した。
第7章 八甲田に抱かれた『酸ヶ湯』温泉は・・。
5月30日の10時過ぎに青森駅の前、
午後の1時に『酸ヶ湯』の送迎バスを待つ間、新町の商店街を歩き、
家内は和菓子、私は本屋に寄り、二冊の本を買い求めたり、
コーヒー・ショップで軽食を頂いたりした。
この後、『酸ヶ湯』の送迎バスに乗車し、青森の街を後にすると、
八甲田の山並みが観えた。
もとより八甲田は、八つの山の連峰で所々の山すその沢では、
残雪が多く、厳しい冬の時節を思い馳せれば了解できた。
『酸ヶ湯』の温泉宿までは、1時間15分ぐらいの乗車時間であった。
http://www.sukayu.jp/
☆『酸ヶ湯』 ホームページ ☆
このホームページに紹介されているように、
八甲田に抱かれた標高925メートルにある『いで湯』の温泉宿であり、
快晴のまばゆい昼下がりの中、食事処で、
そば粉100%と称される酸ヶ湯そばを頂いたが、素朴ながら、
確かな深い味わいであった。
この後、フロントで『酸ヶ湯周辺散策図』を頂き、
私達は地獄沼、賽の河原、木の細長いベンチに座れば温まる『まんじゅうふかし』、
そして東北大の付属植物園の雑木林を散策した。
そして宿泊先の館内で入り、
古き300年からの今日まで修理、補強、或いは増築などが実感させられ、
『旅館部』50室、『湯治部』80室の部屋に分離されていた。
いずれも部屋にはトイレもなく、『旅館部』だけは部屋食となっていた。
家内は狭い部屋で布団埃りする中、部屋食を険悪し、
『湯治部』を選定し、食事処で夕食、朝食を頂く方法としたが、
湯治部の指定された部屋に入ったが、余りにも素朴過ぎたのが本音であった。
やむえず私は、総ヒバ造りの大浴場の『ヒバ千人風呂』、
この後は『玉の湯』に入浴した後、休憩室と喫煙室に行ったりしていた。
そして休憩室には、写真や詩、俳句、短歌などが掲げられ、
この中のひとつに私は魅せられたのである。
みちのくの
吹雪く
湯船に
心安ぐ
還暦の旅
大和の旅人
このように記憶しているが、達筆な筆づかいで書かれていた。
私は歌も詠めず、習字も怠り、こうした人の前では、
思わず降参します、と心の中で反復したりしていた。
食事処は夕食、朝食とも山菜中心であり、まぎれなく美味であった。
都心の食事処で山菜を料理される方、この食事処で勉強しなさい、
と思いながら、私は頂いた。
その上、食事処の担当される30代から40代の方たちが、
綺麗な顔立ち、本来のしぐさを備え、都心より遥かに青森の方は美人が多いと感じたのである。
このことはフロント、周辺の方たちは20歳前後の女性が多い中でも感じたことであり、
はつらつとしたしぐさで、笑顔をたたえて、小奇麗な顔立ちであった。
そして私は恥ずかしながら、食事処、フロントなどで見かけた限りの女性が黒髪で、
見惚(みと)れたりした。
このような思いで、翌日の5月31日は、次の宿泊地の『蔦(つた)温泉』に向ったのである。
余談ながら、家内は黒髪で、昨今60歳となっているので、
ところにより白髪が目立つので、ときおり黒く染めたりしている。
第8章 ブナ林に囲まれた『蔦(つた)温泉』は・・。
5月31日の10時過ぎに『酸ヶ湯』からは、十和田湖方面の路線バスに乗車し、
芽吹き、新緑、そして若葉がそれぞれの落葉樹により異なるが、
みずみずしいたわわな葉は陽射しを受けてきらめいたりする中、
バスでわずか30分足らずで、『蔦温泉』に到着した。
この広いブナを中心とした中で、たった一軒の宿である。
http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
☆『蔦温泉旅館』ホームページ☆
このホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。
この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前に歩き出した・・。
整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。
私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。
ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。
この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。
このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。
そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。
このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。
私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。
私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。
第9章 『蔦温泉旅館』の館内は・・。
私達はブナ林をゆったりと散策した後、
蔦温泉旅館の食事処の昼食とした。
私は少し汗ばんだので、ビールを呑みながら、
冷たい稲庭うどん、セットされたおいなりさんを頂いた。
私達が昼食を終る頃、
お部屋の用意ができました、と館内の仲居さんから連絡を受けた。
http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
☆『蔦温泉旅館』ホームページ☆
この後、館内を歩くたびに、私は驚かれされた。
この本館は天井、柱は周辺の森から切り出された材木がふんだんに取り入れ、
エンジュの長押、トチの樹のコブを生かした装飾の数々・・
一部は築後100年近いもあり、書院造りの床の間も豪壮で、
そして別館へのは本館から60段の優美な存在感のある階段は圧巻であった。
私達の宿泊した部屋は、20数年前の建てられた西館で近代的な造りであったが、
窓辺からのブナの森が隣接していたので、
早朝、朝、昼下がり、夕暮れの陽射しのうつろいが、樹木の枝葉を照らす輝き、
見飽きることのない光景であった。
そして、夜には満天の星空が観られた、格別に景観の良く、
私達は幾度も、その時々に見惚(みと)れたりしたのである。
私は浴室に行った時、仰天させられた。
2泊している間、男女別の『泉響の湯』、そして男女交代制の『久安の湯』に、
何度も通った・・。
しかし最初に入った時、観光ホテルなどにある洗い場の湯の蛇口、シャワーもなく、
私はどうして、と驚ろいた。
そしてボデー・ソープのみがあり、困ったなあ、というのが本音であった。
やむえず私は、掛け湯の90センチ正方形の湯船から湯桶で幾度もかけ、
ボデー・ソープをタオルにたらして、身体にこすった後、
掛け湯から湯桶で幾度もかけたり、
髪毛にボデー・ソープをたらして、髪の毛をこすり、
そして身も心も清めようと掛け湯から湯桶で幾度もかけたりしたのであった。
部屋に戻った後、ヘアー・シャンプが備品としてあったので、
私は苦笑した。
肝要の湯舟であるが、ホームページにある言葉をお借りすれば、
《・・
蔦温泉のお風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、
ぶなを使用した湯船の底板から湧き出す、
手が加えられていない「生の湯」をお楽しみいただけます。
「湯がこなれている」「こなれていない」という表現をしますが、
湯が空気に触れた度合いを言葉で表現したものです。
こなれていない温泉は刺激があり最初熱く感じます。
蔦温泉の「生の湯」というのも「こなれていない」湯のことであり、
当然最初は熱く感じます。
しかし二度三度と入るにつれ、やさしい湯であることが実感できるはずです。
・・》
このように解説されているが
湯船の底板はブナの感触を楽しみ、鈍(にぶ)児の私は最初からやさしい湯と感じ、
ヒバ材をふんだんに使用され、天井も遥か三階のような高さを見上げたり、
10分ぐらい浸かっていると、身も心も温まる湯であった。
夕食は苦手な部屋食であったが、
山菜のタラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、フキノトウなど、
素材を生かし、創意工夫のある料理である。
そして朝食も含め、何気ない素材でも、料理された方の良心が感じられる数々で、
都心の少しばかり高級な食事処より遥かに素朴で上品な味であった。
この旅館は、建物の背景にブナ林があり、
遊歩道も整備され、身近にブナ林を散策でき、芽吹き、新緑、若葉の春の情景、
夏はたわわな葉で涼しく、
錦繍の時節には、黄色、朱色などに染まり、そして落葉、
そして落葉樹は舞い降る雪となり、静寂な冬眠のような情景、
いずれの季節も、多くの方たちに魅了させる稀な立地かしら、
と私なりに思ったりしている。
そして数多くある観光ホテルより、館内の建物、人も、
素朴さと品格のある圧倒的な存在さである。
尚、余談ながら館内で見かけた仲居さんの3名は、
私が見た限りは、日本広しといえども有数な美人であり、
都心で際立った美人といわれる方より、遥かに凌駕していることを付記しておく。
最終章 旅の終わりは、東北新幹線『はやて』
6月2日
旅行の最終日、蔦温泉の『蔦温泉旅館』で快晴の朝に恵まれ、
私達は8時半過ぎにチエック・アウトし、
少しばかり親しくなった仲居さんに、
『雪のある冬の情景を観に・・また来たいです』
と家内は微笑みながら云ったりした。
旅館前のバス停で9時過ぎの青森駅行きの路線バスに乗り、
八甲田山の山峰を眺めながら、青森駅に10時45分に到着した。
そして、青森駅11時40分発の特急『つがる』に待ち時間があったので、
コーヒー・ショップでサンドイッチをコーヒーを飲みながら、頂いた。
八戸駅に下車したのは、12時40分過ぎで、
家内の要望であるウミネコを観る為に、鮫駅に行き、
ウミネコの名所である蕪島に寄った後、ふたたび八戸駅に戻った。
この後、八戸駅発の新幹線『はやて30号』は、
午後6時57分であり、待ち時間が2時間ばかりあったので、
駅前の付近のビルのレストランで夕食した。
そして、私はビールを呑みながら、
『長いような旅行であったが・・こうして終わりを迎える・・
あっというまに・・過ぎたね・・』
と私は家内に云ったりした。
家内は旅の初めの頃からの旅程を思い浮かべながら、
私に微笑しながら話した。
5月24日に東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
『リゾートしらかみ』に乗り換えて北上し、ウェスパ椿山駅で下車した後、
日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の新館に3泊した。
この後は、『リゾートしらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊したが、
旅立って4日間ばかりは、雨時々曇りとなり、お互いに苦笑を重ねた。
その後の5日間は快晴に恵まれた状況であった。
竜飛温泉の『ホテル竜飛』の後は、青森駅に戻り、
駅前よりバスで70分ぐらい乗った先の山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊した後、
蔦温泉の『蔦温泉旅館』の西館に2泊した。
そして青森駅に戻った後、特急『つがる』で八戸駅で下車した後は、
近くにある鮫駅に移動して、蕪(カブ)島でウミネコを観て、八戸駅に戻り、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に帰京する9泊10日間の旅行となった。
こうして振り返ると、どの宿泊先の宿は、
甲乙つけがたい思いであり、その地にそれぞれ思いで深い日々を過ごした。
このようなことを私達は、微笑みながら話したりした。
八戸駅で『はやて』に予定通り乗車し、
車内の席で家内は、
『雪降る頃に・・もう一度・・このようなコースで来たいわ・・』
と私に呟(つふや)いたりしていた。
私は冬の雪の舞い降る情景は魅了されるひとりであるが、
北東北の冬の時節、風雪の厳しいさなか、果たして交通機関は・・
と思いながらも、
『もう一度、来たいね』
と私は家内に応えた。
《終わり》
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5月28日の朝、24日に東京から旅立って以来、晴れ渡った朝を迎えた。
雨時々曇りの日が続き、走り梅雨の時節であっても、
勘弁して欲しい、というのが本音であった。
海上の彼方の北海道が明確に観え、私達は微笑んだりした。
9時過ぎに宿泊している観光ホテルを出て、
国道でありながら歩道で階段の道を下り、海岸に近い道路に下り立ち、
歩道を歩き、波除のテトラポットにカモメが群れていた。
この後、作家・太宰治、版画家・棟方志功のゆかりの宿として名高い『龍飛館』に向った。
この館は、龍飛岬観光案内所でもあり、
下記のようなブログで龍飛岬だよりも掲載されている。
http://ameblo.jp/tappikankou/
☆龍飛岬観光案内所 龍飛岬だより ☆
私は今回の旅の前に、太宰治・著の『津軽』を45年ぶりに読み返したりし、
この方への思いは強いが,
館内を拝見すると、この地の『昭和30年代の写真』を見たり、
この地の情景を撮られた映画・テレビドラマの作品に関わった『俳優の部屋』で、
あの作品もこの龍飛岬だったのか、と観賞した作品に思いを馳せたりした。
私が館内で何よりも感銘を受けたのは、
画家・高野元高氏が描かれた『北の浜』であった。
私は絵の世界はまったく判らないが、私なりの感覚として魅せられたのである。
海岸沿いの岩をノミなどの荒い削りで、トンネルを通し、
このトンネルの先は海岸に波のしぶきがかかるような道、
そして彼方に人家がある過酷な厳冬の情景であった・・。
私には、この地を表現された数多くの創作者がいるが、
このたった一枚の絵こそ、まぎれない渾身の作品として、受け止めたのである。
この後、岬に連なっている帯島を観たりし、
ふたたび階段の国道の歩道を上り、灯台を観ながら、
展望台の周辺を2時間ばかり散策した。
そして宿泊の観光ホテルに戻った。
http://www.hoteltappi.co.jp/
☆『ホテル竜飛』 ホームページ ☆
このホームページに掲載されている通り、
海岸沿いの国道から切立った崖の80メートルぐらい上の台地にあるので、
館内のロービー、大浴場、そして私達の部屋からも、
洋上の彼方に北海道が観え、岬に連なった帯島も観られる景観の良いホテルであった。
このような所を3泊した後、
青森市に戻るので、ホテルのマイクロバスで宿泊者の方と共に送迎と予定していたが、
女将のご好意で、女将の乗用車で運転者付きで青森駅まで戻ることとなった。
私達は運転者の話し言葉に好感を抱き、談笑を重ねたりした。
そして青森駅の前で下車し、いくばくかの礼金を手渡した。
第7章 八甲田に抱かれた『酸ヶ湯』温泉は・・。
5月30日の10時過ぎに青森駅の前、
午後の1時に『酸ヶ湯』の送迎バスを待つ間、新町の商店街を歩き、
家内は和菓子、私は本屋に寄り、二冊の本を買い求めたり、
コーヒー・ショップで軽食を頂いたりした。
この後、『酸ヶ湯』の送迎バスに乗車し、青森の街を後にすると、
八甲田の山並みが観えた。
もとより八甲田は、八つの山の連峰で所々の山すその沢では、
残雪が多く、厳しい冬の時節を思い馳せれば了解できた。
『酸ヶ湯』の温泉宿までは、1時間15分ぐらいの乗車時間であった。
http://www.sukayu.jp/
☆『酸ヶ湯』 ホームページ ☆
このホームページに紹介されているように、
八甲田に抱かれた標高925メートルにある『いで湯』の温泉宿であり、
快晴のまばゆい昼下がりの中、食事処で、
そば粉100%と称される酸ヶ湯そばを頂いたが、素朴ながら、
確かな深い味わいであった。
この後、フロントで『酸ヶ湯周辺散策図』を頂き、
私達は地獄沼、賽の河原、木の細長いベンチに座れば温まる『まんじゅうふかし』、
そして東北大の付属植物園の雑木林を散策した。
そして宿泊先の館内で入り、
古き300年からの今日まで修理、補強、或いは増築などが実感させられ、
『旅館部』50室、『湯治部』80室の部屋に分離されていた。
いずれも部屋にはトイレもなく、『旅館部』だけは部屋食となっていた。
家内は狭い部屋で布団埃りする中、部屋食を険悪し、
『湯治部』を選定し、食事処で夕食、朝食を頂く方法としたが、
湯治部の指定された部屋に入ったが、余りにも素朴過ぎたのが本音であった。
やむえず私は、総ヒバ造りの大浴場の『ヒバ千人風呂』、
この後は『玉の湯』に入浴した後、休憩室と喫煙室に行ったりしていた。
そして休憩室には、写真や詩、俳句、短歌などが掲げられ、
この中のひとつに私は魅せられたのである。
みちのくの
吹雪く
湯船に
心安ぐ
還暦の旅
大和の旅人
このように記憶しているが、達筆な筆づかいで書かれていた。
私は歌も詠めず、習字も怠り、こうした人の前では、
思わず降参します、と心の中で反復したりしていた。
食事処は夕食、朝食とも山菜中心であり、まぎれなく美味であった。
都心の食事処で山菜を料理される方、この食事処で勉強しなさい、
と思いながら、私は頂いた。
その上、食事処の担当される30代から40代の方たちが、
綺麗な顔立ち、本来のしぐさを備え、都心より遥かに青森の方は美人が多いと感じたのである。
このことはフロント、周辺の方たちは20歳前後の女性が多い中でも感じたことであり、
はつらつとしたしぐさで、笑顔をたたえて、小奇麗な顔立ちであった。
そして私は恥ずかしながら、食事処、フロントなどで見かけた限りの女性が黒髪で、
見惚(みと)れたりした。
このような思いで、翌日の5月31日は、次の宿泊地の『蔦(つた)温泉』に向ったのである。
余談ながら、家内は黒髪で、昨今60歳となっているので、
ところにより白髪が目立つので、ときおり黒く染めたりしている。
第8章 ブナ林に囲まれた『蔦(つた)温泉』は・・。
5月31日の10時過ぎに『酸ヶ湯』からは、十和田湖方面の路線バスに乗車し、
芽吹き、新緑、そして若葉がそれぞれの落葉樹により異なるが、
みずみずしいたわわな葉は陽射しを受けてきらめいたりする中、
バスでわずか30分足らずで、『蔦温泉』に到着した。
この広いブナを中心とした中で、たった一軒の宿である。
http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
☆『蔦温泉旅館』ホームページ☆
このホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。
この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前に歩き出した・・。
整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。
私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。
ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。
この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。
このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。
そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。
このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。
私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。
私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。
第9章 『蔦温泉旅館』の館内は・・。
私達はブナ林をゆったりと散策した後、
蔦温泉旅館の食事処の昼食とした。
私は少し汗ばんだので、ビールを呑みながら、
冷たい稲庭うどん、セットされたおいなりさんを頂いた。
私達が昼食を終る頃、
お部屋の用意ができました、と館内の仲居さんから連絡を受けた。
http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
☆『蔦温泉旅館』ホームページ☆
この後、館内を歩くたびに、私は驚かれされた。
この本館は天井、柱は周辺の森から切り出された材木がふんだんに取り入れ、
エンジュの長押、トチの樹のコブを生かした装飾の数々・・
一部は築後100年近いもあり、書院造りの床の間も豪壮で、
そして別館へのは本館から60段の優美な存在感のある階段は圧巻であった。
私達の宿泊した部屋は、20数年前の建てられた西館で近代的な造りであったが、
窓辺からのブナの森が隣接していたので、
早朝、朝、昼下がり、夕暮れの陽射しのうつろいが、樹木の枝葉を照らす輝き、
見飽きることのない光景であった。
そして、夜には満天の星空が観られた、格別に景観の良く、
私達は幾度も、その時々に見惚(みと)れたりしたのである。
私は浴室に行った時、仰天させられた。
2泊している間、男女別の『泉響の湯』、そして男女交代制の『久安の湯』に、
何度も通った・・。
しかし最初に入った時、観光ホテルなどにある洗い場の湯の蛇口、シャワーもなく、
私はどうして、と驚ろいた。
そしてボデー・ソープのみがあり、困ったなあ、というのが本音であった。
やむえず私は、掛け湯の90センチ正方形の湯船から湯桶で幾度もかけ、
ボデー・ソープをタオルにたらして、身体にこすった後、
掛け湯から湯桶で幾度もかけたり、
髪毛にボデー・ソープをたらして、髪の毛をこすり、
そして身も心も清めようと掛け湯から湯桶で幾度もかけたりしたのであった。
部屋に戻った後、ヘアー・シャンプが備品としてあったので、
私は苦笑した。
肝要の湯舟であるが、ホームページにある言葉をお借りすれば、
《・・
蔦温泉のお風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、
ぶなを使用した湯船の底板から湧き出す、
手が加えられていない「生の湯」をお楽しみいただけます。
「湯がこなれている」「こなれていない」という表現をしますが、
湯が空気に触れた度合いを言葉で表現したものです。
こなれていない温泉は刺激があり最初熱く感じます。
蔦温泉の「生の湯」というのも「こなれていない」湯のことであり、
当然最初は熱く感じます。
しかし二度三度と入るにつれ、やさしい湯であることが実感できるはずです。
・・》
このように解説されているが
湯船の底板はブナの感触を楽しみ、鈍(にぶ)児の私は最初からやさしい湯と感じ、
ヒバ材をふんだんに使用され、天井も遥か三階のような高さを見上げたり、
10分ぐらい浸かっていると、身も心も温まる湯であった。
夕食は苦手な部屋食であったが、
山菜のタラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、フキノトウなど、
素材を生かし、創意工夫のある料理である。
そして朝食も含め、何気ない素材でも、料理された方の良心が感じられる数々で、
都心の少しばかり高級な食事処より遥かに素朴で上品な味であった。
この旅館は、建物の背景にブナ林があり、
遊歩道も整備され、身近にブナ林を散策でき、芽吹き、新緑、若葉の春の情景、
夏はたわわな葉で涼しく、
錦繍の時節には、黄色、朱色などに染まり、そして落葉、
そして落葉樹は舞い降る雪となり、静寂な冬眠のような情景、
いずれの季節も、多くの方たちに魅了させる稀な立地かしら、
と私なりに思ったりしている。
そして数多くある観光ホテルより、館内の建物、人も、
素朴さと品格のある圧倒的な存在さである。
尚、余談ながら館内で見かけた仲居さんの3名は、
私が見た限りは、日本広しといえども有数な美人であり、
都心で際立った美人といわれる方より、遥かに凌駕していることを付記しておく。
最終章 旅の終わりは、東北新幹線『はやて』
6月2日
旅行の最終日、蔦温泉の『蔦温泉旅館』で快晴の朝に恵まれ、
私達は8時半過ぎにチエック・アウトし、
少しばかり親しくなった仲居さんに、
『雪のある冬の情景を観に・・また来たいです』
と家内は微笑みながら云ったりした。
旅館前のバス停で9時過ぎの青森駅行きの路線バスに乗り、
八甲田山の山峰を眺めながら、青森駅に10時45分に到着した。
そして、青森駅11時40分発の特急『つがる』に待ち時間があったので、
コーヒー・ショップでサンドイッチをコーヒーを飲みながら、頂いた。
八戸駅に下車したのは、12時40分過ぎで、
家内の要望であるウミネコを観る為に、鮫駅に行き、
ウミネコの名所である蕪島に寄った後、ふたたび八戸駅に戻った。
この後、八戸駅発の新幹線『はやて30号』は、
午後6時57分であり、待ち時間が2時間ばかりあったので、
駅前の付近のビルのレストランで夕食した。
そして、私はビールを呑みながら、
『長いような旅行であったが・・こうして終わりを迎える・・
あっというまに・・過ぎたね・・』
と私は家内に云ったりした。
家内は旅の初めの頃からの旅程を思い浮かべながら、
私に微笑しながら話した。
5月24日に東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
『リゾートしらかみ』に乗り換えて北上し、ウェスパ椿山駅で下車した後、
日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の新館に3泊した。
この後は、『リゾートしらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊したが、
旅立って4日間ばかりは、雨時々曇りとなり、お互いに苦笑を重ねた。
その後の5日間は快晴に恵まれた状況であった。
竜飛温泉の『ホテル竜飛』の後は、青森駅に戻り、
駅前よりバスで70分ぐらい乗った先の山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊した後、
蔦温泉の『蔦温泉旅館』の西館に2泊した。
そして青森駅に戻った後、特急『つがる』で八戸駅で下車した後は、
近くにある鮫駅に移動して、蕪(カブ)島でウミネコを観て、八戸駅に戻り、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に帰京する9泊10日間の旅行となった。
こうして振り返ると、どの宿泊先の宿は、
甲乙つけがたい思いであり、その地にそれぞれ思いで深い日々を過ごした。
このようなことを私達は、微笑みながら話したりした。
八戸駅で『はやて』に予定通り乗車し、
車内の席で家内は、
『雪降る頃に・・もう一度・・このようなコースで来たいわ・・』
と私に呟(つふや)いたりしていた。
私は冬の雪の舞い降る情景は魅了されるひとりであるが、
北東北の冬の時節、風雪の厳しいさなか、果たして交通機関は・・
と思いながらも、
『もう一度、来たいね』
と私は家内に応えた。
《終わり》
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