夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

お正月も三が日過ぎると、昨年の年末の出来事も遠くに感じられて・・。

2014-01-04 09:55:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝5時過ぎに目覚めて、ぼんやりとカレンダーを見ると、
新年も4日を迎えたのかょ、と思ったりした・・。

そして昨年の年末の出来事も、遥か遠い出来事のように感じられた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私の父は私が小学2年の時に病死し、母は1998年(平成10年)1月に死去され、
私は53歳の時であった。

家内の父は私が定年退職する2004年〈平成16年〉の秋の直前に病死され、
このような状況なので我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、早や9年が過ぎている・・。
          
               
家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市(旧・高田市)に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
そして83歳となっている今としては、
身体は衰えても心は溌剌として元気である、と私は感じたりしている。

このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に6泊7日前後で5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。

こうした中で年末年始は、独り住まいになっている家内の母を我が家に来てもらい、
私たち夫婦と共に年末年始を共に過ごすのが、ここ9年の恒例行事のようになっている。
          

我が家の御節(おせち)料理は、私の母の生前の時よりも簡略化して、
私たち3人がそれぞれの好みの御節料理の単品の伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、
昆布巻など駅前、最寄りのスーパーで買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

このようなことはクリスマスの少し前の頃から、家内が孤軍奮闘して、
大掃除、家内の母を迎える準備、そして買物だけは家内のお供、荷物持ちで私も参戦している。
そして私は小庭の手入れをした後、掃き清めるだけて、ときおり家内の緊急依頼で、
買物のメールボーイとなっている。
このような出来事も我が家の年末の恒例となっている。

そして昨年の年末に近い29日の夕方に家内の母が来宅し、
私たち夫婦と3人で年末を過ごし、新年を迎え、3日の午前中に帰宅した。
          
我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。

家内の母は私より14歳の齢上の83歳であるが、2年前に膝(ひざ)が悪化して、
歩く時は杖(つえ)に頼っているので、座ることは苦手となっている。

こうした関係で、炬燵に入り時は、家内の用意した少し高い椅子に座って、
掛ける毛布をして、足を炬燵の中に入れているので、高座となっている。
こうした状態は、私たち夫婦からして仰ぎみるような情態となり、
家内の母は、まるでお公家さんの奥方ように見える時もある。

こうした生活の中で、家内は料理、掃除、洗濯に孤軍奮闘し、
家内の母は食事は上げ膳据え膳、疲れたら奥の部屋でお昼寝となり、
せめて私は相変わらず茶坊主と料理のお運び役に徹し、楽な身分であった。

そして居間の炬燵に入り、食事をしたり、談笑したりすることが多かったが、
ある日、家内の母が、
『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように家内に言ったりした。

私は69歳で今年の9月には古希と称される70歳となり、
家内は私より5歳齢下の65歳を迎えるので、
これを聞いた私は困り果てて、勘弁してょ、と思いながら笑ってごまかしたりした。

もとより家内の母が百歳になる事は、私は86歳、家内も81歳の高齢者となる。
          
私などは定年退職の60歳を迎えた時、
これからの10年間は何とか五体満足で、その後は余生である、と日頃から公言している。

煙草も喫い、時折お酒も呑む私は、身勝手な日常を過ごしているので、
75歳以上は想像がつかない未知の世界と思っている。

家内から言うわせれば、
『貴方は・・皮肉ぽく・・憎まれ口を言っていますので・・長生きできますよ・・
私の方が・・平均寿命まで無理と思うの・・』
と私に年に数回ぐらい言ってたりしている。

このようなことを私たち夫婦は、家内の母が百歳まで生きられたら、
老々介護以前に、私たちのどちらかは片割れになるか、或いは夫婦ふたりとも死後の世界、
と思ったりしたのである。

人それぞれ永(なが)らえるのは、こればかりは天上の神々の采配による、
と私は確信しているが・・。
          

昨日の早朝、家内の母が予定通り帰宅することになり、昨年と同様に家内が引率した。
家内は旅行ケースを曳(ひ)き、事前に用意した母への贈り物、食べ物など入れ、
家内の母は杖を牽い、寄り添うように歩いて行った。

私は門扉で見送ったが、あと何年ぐらいこのような幸福な状態が過ごせるか、
これも天上の神々の采配に寄る、と思いを深めたりした。

そして家内は長女で、妹、弟はいるが、何かと家内の母は家内に安堵の情愛で、
頼り切っているような状況で、私はときおり微苦笑したりする時もある。

やがて家内は、家内の母を引率して家内の母宅まで行き、
そして簡略な掃除、衣服などを整え、食事の準備をした後、我が家に帰宅したのは夕方の4時過ぎであった。
          

今朝、ぼんやりと我が家の年末年始を思い馳せたりしたが、
過ぎ去った昨年の年末の出来事は、遥か遠い出来事のように感じられている。

そして平常の生活に戻った我が家は、
私たち夫婦は朝食を頂きながら、これからの1月の予定事項を話し合ったりした。

私は母の命日の集いに伴い、私の妹ふたりと共にお墓参り、そして食事処で、
母に守られてお互いの健康を祝して、談笑したりしている恒例行事・・。

そして雪舞い降り温泉地で4泊5日の旅路・・
これ以外の1月予定は空白なので、私たち夫婦は笑ったりしたが、
日々の日常生活こそ肝要である、と私は心の中で思ったりした。

こうしたありふれた年金生活を過ごしているが、齢を重ねるたびに時が早く過ぎ去ってしまい、
年末の出来事もあったよねぇ、と微苦笑したりしている。

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