夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

どんと焼き、私の幼年期の心の宝物のひとつとなり・・。

2014-01-12 07:33:01 | 定年後の思い
私は一昨日の10日、駅前のスーパーで買い物を終えた後、
帰宅に向かう途中で、偶然に『どんと焼き』14日実施、と明記された案内の立て看板を見かけた。

『どんと焼き』かょ、と私は思わず心の中で呟(つぶや)きながら、
見惚(みと)れてたりした・・。

《 糟嶺神社どんど焼き
期 日:2014年1月14日(火)
開 演:10:00  終了:11:00
参加費・料金: 無料  
会 場: 糟嶺神社
主 催: 糟嶺神社 》

確かこのように明示されていたと記憶しているが、『どんと焼き』の時節が到来したか、
と私は遠い60数年前の頃を思い馳せたりした・・。
          

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
遥か遠い昔の60数年前の昭和26年(1951年)の前後に於いて、
私の今住んでいる近くに生家があり、祖父と父が健在だった頃、
農業を営(いとな)んで、程々の広さの田畑を耕し、雑木林もある農家であった・・。

お正月の三が日が終わると、七草がゆ、鏡開き、そして『どんと焼き』をしていた。

この当時、旧家ではその家なりに工夫して、『どんと焼き』を行っていた。

私の生実家に於いては、田畑の外れに青竹を10数本ぐらい建てかけ主柱として、
稲の藁(わら)で覆(おお)いながら高い塔のように7メートル前後に作り上げた後、
旧年で使用していた注連縄(しめなわ)、御札(おふだ)、
新年に彩(いろど)った輪飾りなどを清めた後、燃やしたりした。
そのまじかで、枝葉に幾つも付けた団子をこの燃え上がる火で焼いたりしていた。

夕暮れで暗くなった頃に、点火されて、燃え盛り炎、はじける音、
そして燃え盛る炎と共に火花がはじけて、暗くなった中を明るく照らし、
祖父と父から少し離れて、長兄、次兄と共に私は眺めたりしながら、心の中で歓声を上げたりしていた。

そして枝葉につけた数多いの団子も食べたりしたが、
この枝葉は宅地の外れにあった雑木林の大きな樹木から採っていたのであるが、
何の樹木から採ったのかは・・想いだせないでいる。


この数年後、父は病死し、そして祖父も亡くなり、
男手の大黒柱を失った実家は没落しはじめ、『どんと焼き』をする余裕もなく、
取りやめたのである。

そして、まもなく実家の周辺も住宅街に変貌し、
私が小学校を卒業する昭和32年(1957年)の年頃になると、
どの旧家でも『どんと焼き』をすることなく、
最寄の神社などに注連縄(しめなわ)、御札(おふだ)、輪飾りなどを持ち寄って、
神社の境内で共同の『どんと焼き』となったりした。
          
         ☆昨年の12月下旬・たまたま《 糟嶺神社 》撮った☆

私は、その家なりの『どんと焼き』に愛惜を深めた為か、
神社でそれぞれの家が持ち寄った『どんと焼き』には興味がなく、
これ以来、私が幼年期に体験した実家の『どんと焼き』が心の宝物と思い、
今日に至っている。

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