東京郊外の調布市は、早朝の5時はマイナス1度ぐらいの日の出前の薄暗い朝を迎えたが、
7時前に日の出となり、30分過ぎると我家の主庭、居間はまばゆい朝の陽射しを受けている。
昼下りは7度前後の冬晴れに恵まれ、夜の6時過ぎは3度前後が予測され、
平年より少し寒いかしら、と感じたりしている。
そして私は居間の片隅に掲げているカレンダーを見つめると、
『小寒(しょうかん)』と明示され、思わず微苦笑をしたりした。
もとより小寒(しょうかん)は、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、寒中見舞いを小寒から出し始める、と亡き母から教えたりしてきた。
やがて 1月20日頃には『大寒(だいかん)』を迎えて、一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。
そして小寒から大寒までの15日間と大寒から立春までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。
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私は年金生活の69歳の身であるが、
私の住む東京郊外の調布市の片隅みで、世田谷区と狛江市に隣接した地域に於いては、
この時節は冬晴れの日々に恵まれていることが多い。
こうした中で、自宅の近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道を、
たとえ5度前後であっても寒さを感じることなく、澄み切った空気の中を歩くことが多い。
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川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。
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或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
昼過ぎの暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、
と定年退職後から深め過ごしてきた・・。
ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。
そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
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私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、
しばらく見つめたりすることが多い・・。
そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。
このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
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この時節、私の住む地域は、寒さを増しても、
庭の黒土の上にうっすらと霜となり、ところどころ霜柱も見られる。
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もある。
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私の幼年の当時は、この時節に30センチ前後の積雪が数回降ったりしていた・・。
1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。
ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。
家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。
そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。
小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。
私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。
下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。
このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。
その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。
やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
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こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
このように私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであるが、
なぜかしら東京郊外の田舎者の私は、冬の時節になると北に旅をしてしまうのである。
尚、豪雪地域にお住いの人は、日常の生活に於いては多事苦難は少し解っているつもりであり、
江戸後期の商人、随筆家として、鈴木牧之が遺(のこ)された『北越雪譜』、
磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)を読んだりしてきたが、
あくまで旅人として、みゆき舞い降る圧倒的な情景、積雪の山里、街並みに魅了されているひとりの思いからである。
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7時前に日の出となり、30分過ぎると我家の主庭、居間はまばゆい朝の陽射しを受けている。
昼下りは7度前後の冬晴れに恵まれ、夜の6時過ぎは3度前後が予測され、
平年より少し寒いかしら、と感じたりしている。
そして私は居間の片隅に掲げているカレンダーを見つめると、
『小寒(しょうかん)』と明示され、思わず微苦笑をしたりした。
もとより小寒(しょうかん)は、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、寒中見舞いを小寒から出し始める、と亡き母から教えたりしてきた。
やがて 1月20日頃には『大寒(だいかん)』を迎えて、一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。
そして小寒から大寒までの15日間と大寒から立春までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。
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私は年金生活の69歳の身であるが、
私の住む東京郊外の調布市の片隅みで、世田谷区と狛江市に隣接した地域に於いては、
この時節は冬晴れの日々に恵まれていることが多い。
こうした中で、自宅の近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道を、
たとえ5度前後であっても寒さを感じることなく、澄み切った空気の中を歩くことが多い。
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川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。
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或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
昼過ぎの暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、
と定年退職後から深め過ごしてきた・・。
ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。
そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
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私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、
しばらく見つめたりすることが多い・・。
そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。
このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
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この時節、私の住む地域は、寒さを増しても、
庭の黒土の上にうっすらと霜となり、ところどころ霜柱も見られる。
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もある。
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私の幼年の当時は、この時節に30センチ前後の積雪が数回降ったりしていた・・。
1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。
ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。
家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。
そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。
小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。
私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。
下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。
このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。
その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。
やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
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こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
このように私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであるが、
なぜかしら東京郊外の田舎者の私は、冬の時節になると北に旅をしてしまうのである。
尚、豪雪地域にお住いの人は、日常の生活に於いては多事苦難は少し解っているつもりであり、
江戸後期の商人、随筆家として、鈴木牧之が遺(のこ)された『北越雪譜』、
磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)を読んだりしてきたが、
あくまで旅人として、みゆき舞い降る圧倒的な情景、積雪の山里、街並みに魅了されているひとりの思いからである。
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