夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この人生、誰しも主役になれるのは結婚披露宴だ、と拙(つたな)い私は微苦笑して・・。

2014-01-28 15:26:12 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

本日の昼食後、私は居間にある本棚から一冊の本を探していたが見つからず、
書庫に行って探し求めたりした。

そして三畳ぐらいの書庫には4つばかりの本棚があるが、この中のひとつの本棚には、写真のアルバムが置いてある。
このアルバムは、私たち夫婦はこれまで人生を歩んできた中、程ほどに写真があり、アルバムに貼っている。
独身時代までは、それぞれのアルバムがあり、この後の結婚生活の中でも10数冊のアルバムがある。

そして本を探すのを断念して、6年ぶりにひとつのアルバムを取りだして、
和室の陽射しの差している所で、見たりした・・。

やがて私たち夫婦の結婚式、そして披露宴の数多くの写真を見たりして、
何かと定年退職するまでの半生は、劣等感や卑屈感を秘めてきた私は、
これまでの人生で『主役』になれたのは、結婚式の後の結婚披露宴だった、と微苦笑したりした。
             

誰しもこの人生は、生まれてきた誕生日、新たな家庭を築く両家の新郎新婦の祝賀会の結婚、
そしてやむなく亡くなった葬儀が、そのお方の人生の三大の出来事と称されてきた。

しかしながら私の場合は、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親、祖父、父の妹の叔母、そして長兄、次兄のもとで育(はぐく)まれたが、
もとより誕生した時は私は自覚がなかった。

そして今後の天上の神々の采配により、私がこの世と別れを告げた時の後、
葬儀の内容は家族葬を要望しているが、こうした時も命の果てた私には解らないのである。

こうした関係により、つたない私の人生で数多くの方たちの中、恥ずかしながら『主役』になれたのは、
新郎新婦の両家の結束を固める結婚式であり、
その後の数多くの知人、友人、親戚たちから祝賀される結婚披露宴だった、と私は思ったりした。
                          
私は小、中学時代は劣等生であり、高校時代には生まれて始めて授業の楽しさを覚えたりする中、
何とか優等生のグループになったりした。
そしてクラブは写真部に所属して、風景部門で最優秀を頂いたこともあるが、
これはクラブの部員の中で選定された、文化祭のセレモニーのひとこまに過ぎなかったのである。

やがて35年近くのサラリーマン時代には、わすか一度だけ社長から、社に多大に貢献したと、
表彰式を設けられて感謝状と共に金一封を頂いたこともあるが、
こうしたことも勤務して、たまたま期待された業務に命ぜられ、重責の中で奮闘したセレモニーである。

こうしたことは『主役』の範疇は、もとより対象外のささやかなイベントであり、
卑屈で何かと劣等感が多い人生を歩んできた私は、
『主役』になれた結婚披露宴の若かった私、新妻のだった家内、知人、友人たち・・
それぞれのしぐさ、言動を思い馳せて微苦笑をしたりした。

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