夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

函館の冬は風花慕情 最終章 旅の終わりは、風花の中の雪路の五稜郭公園・・。

2014-01-20 15:34:47 | 
      最終章 旅の終わりは、風花の中の雪路の五稜郭公園・・。

私たち夫婦は市電の『函館駅前』駅から乗車した後、『五稜郭公園前』駅で下車し、
10分ばかり歩き、五稜郭タワーが聳える地に着いた。
そして教科書のように五稜郭タワーの最上階の展望フロアーに於いて、
東西南北を見渡すことのできる光景を視たりした・・。
          
そして見下ろせば五稜郭も観えたが、私は何かしら満足できずにいた。
          

こうした心情の根底には、タワーのような高台の展望から眺めるのが好きになれず、
同じ高台であったならば、たとえば東京の郊外に600メートル足らず高尾山の山頂近くから、
彼方の郊外の街並み、そして新宿の都心を眺めるのは好感でき、
何かしら足元が地べたに着いていないと、落ち着く困惑することが多いのである。

やがて私は家内に、あの地上は確か公園になっているので、散策しょう、
と誘ったりした・・。


そして館内の2階で昼食をした後、私たち夫婦は雪の小道を歩きだした・・。
          
やがて箱館奉行所らしき建物を眺めたりして、記念写真として撮ったりした。
          

そして奥に進むと風もない青空の中、予告もなく花びらのような雪が舞いながら落ちてくる風花(かざはな)に、
私は魅了されて心を寄せたりした・・。
                     
もとより風花は、周辺に観える山で降っている雪が、ときより強く風が吹くと、
私は市街のはずれの路、海辺の路、そして街の片隅を歩いたり、
青空の中、白き雪が花びらのように見え、舞いながらはかなく消える情景である。
          
そして函館は小山に囲まれ、坂が多く風光明媚の地であり、
その上に晴天に恵まれることも多く、この時節の函館は、私は風花の街、と命名したりした。
          

こうした情景に私は圧倒的に魅せられて、10枚ぐらいの写真を撮ったりした。
          
私は幼年期は東京郊外の農家の児として育ち、遥か60年前の頃は、この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。、
1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。

私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。

          

その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
          
こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
          
このような心情を秘めてきた私は、愛惜感が増して、こうした雪路を歩くのが好きで、
今回の旅路も多くの観光客が訪れる名所よりも、素朴な景観のある所を歩くことに魅せられている。

やがて五稜郭公園に別れを告げて、『北洋資料館』に立ち寄った後、
路線バスで函館空港を目指した・・。

そしてこの時節の函館は、風花の街、と私なりに思いを深めたりした。

                              《終わり》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ

           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館の冬は風花慕情 第5章 函館駅の周辺を彷徨(さまよ)い・・。

2014-01-20 08:35:51 | 
      第5章 函館駅の周辺を彷徨(さまよ)い・・。

1月17日の旅路の最終日を迎え、函館空港・午後7時35分発の羽田空港行きの航空便であったので、
日中は函館駅前の周辺を観よう、と4日ばかり滞在した湯の川温泉の『啄木亭』を辞して、
私たち夫婦は市電の路面電車の『湯の川温泉』駅より『函館駅前』駅を目指して乗車した・・。

13日に冬の函館を初めて訪れたが、羽田空港・発の函館便が、一時は危ぶまれたが、
何とか予定通りに着陸してくれた後、空港ビル内の食事処で昼食をし、
          
小雪舞う中、タクシーを利用して『啄木浪漫館』を訪れた後、隣接した大森海岸の海辺を視たりした。
          

          
そして待機して頂いたタクシーで、宿泊する湯の川温泉の『啄木亭』に入館した。

14日は函館山の「裏側」にある絶景の海岸と知られている『穴澗海岸(あなま・かいがん)』を訪ねる為に、
9時半過ぎに『啄木亭』を出て、市電の『湯の川温泉』駅に向かう雪道で、
家内の登山靴に付けたゴム製の滑り止めが切れてしまったので、『函館どつく前』駅の途中の『十字街』駅で下車して、
ホームセンターの『イエローグロブ豊川店』で、金属製スバイク6個つきのゴム製滑り止めを買い求めたりした。

こうしたことは私は積雪の中を歩く中で予期される事態であり、私は旅立つ前に調べていたので、
たまたま役立ち、ついでに私も予備用に購入した。

そして家内は歩きだすと、雪道歩きやすいわ、と云ったりしたので、
私は安堵しながら微笑んだりした。

やがて市電に乗車し、『函館どつく前』駅で下車した後、丘にある『外人墓地』までの長い坂道を歩きだした。
そして『外人墓地』の近くになると、展望が開けて、海辺、海上が見え、対岸の半島が観えたりした。
                    、
この後、『外人墓地』に隣接した雪道を歩き、やがて10分ばかり歩くと、『穴澗海岸』が観えて、
対岸の光景を私は撮ったりした。
          
そして10分ぐらい歩いた先は、閉鎖されていた。
          
やむなく引き返して、函館出身のロックグループのGLAY(グレイ)のひとりが信愛している『カフェテリア モーリエ』に、
私たち夫婦は立ち寄ったりした。
          

そして私たち夫婦は、店内からの眺められる景観に好感し、昼食も兼ねて、一時間ばかり過ごした。
          

やがて『はこだて冬フェスティバル』の中心街の八幡坂、教会をひたすら歩き廻り、
          
そして『函館市文學館』に立ち寄ったり、赤レンガのある地も歩いていた時、青空から急激に小雪降り、
私たち夫婦は退散しょうと、最寄の市電駅より乗車して帰館した。

15日を迎えると、私たちが宿泊している湯の川温泉の『啄木亭』より、
10分ぐらい南下すれば海辺が観られので、歩き廻ったりした。
          
そして遥か彼方に函館山が聳え、この先端は立待岬と判明し、待ち焦がれて情景に、
心を寄せたりしていた・・。
          

16日は何処にも出かけない完全休養日とし、たまたま風も伴う小雪が舞い、
          
窓辺の近くの椅子に座りながら、
午前中のひととき異例であるが、雪見酒としたりした。


このようなことを市電に乗車している中で、思い馳せたりしたが、
旅先の時は余りにも早く過ぎてしまった、と微笑んだりした。

やがて市電の『函館駅前』駅で私たち夫婦は下車し、『函館朝市』に行った。
何かしら家内が旅立つ前に、イカを釣れる簡易な処がありので、
家内は意欲満々であったが、無念ながら不漁の為に閉店であった。
          
この館内は、所々にテープルと椅子が設置されていて、出店となっている魚、貝、そして鮨(すし)等、
食事処であった。

私は焼いてもらった大きなツブ貝をビールを呑みながら頂いたりし、
家内は焼いたカキを食べたりした後、その後にマグロの握り寿司を頂きながら絶賛したりした。

その後、JR『函館駅』ビル内に本屋があったので、私は立ち寄り、
家内は土産店に寄ったりした。

私たちは今回の旅路で、函館山から観られる夜景、『はこだて冬フェスティバル』のイルミネーションの夜景など、
興味がなく対象外としていたので、
これからの視る午後の時間は・・どこに訪れようか、とお互いに思案し、
やむなく『五稜郭』でも行こう、と話し合ったりした。

そしてJR『函館駅』ビルを後にして、歩きだした。
           
                              《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする