夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この年始の三が日、私の昼食は、温かいご飯に大根(ダイコン)下(お)ろし・・。

2014-01-02 13:26:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり、
私が定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に家内の父が死去し、
家内の母は独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰っている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったのでたった2人だけの家庭となり、
家内の母が来宅し、この時節の年末年始を共に三人で過ごすのが恒例となっている。

私の母が亡くなる1998年〈平成16年〉の生前までは、
家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。
ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、昨今の我が家は、
それぞれ三人が食べたい単品を買い求めたり、家内は少しばかり料理をしたりしている。

こうした中、最寄駅の成城、仙川、最寄のスーパーに買い求めたり、或いはここ数年は通信販売の盛況で、
我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の29日の夕食の時からは、
家内、家内の母はビール、私はビールか弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
御節料理のそれぞれ単品を食べたりして、談笑しながら頂いている。
          

こうした生活をして新年を迎え、昨日、そして本日の私の昼食は、
大根(ダイコン)を下(お)ろして、お醤油をかけて、温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

このような私の昼食を見ていて、 家内たちは最初の頃は呆れ果てていた・・。
『あなたは・・幼年期に農家の児として育ったかしら・』
と家内は苦笑したりしていた。

『こうした食べ物は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら言ったりして、早や9年が過ぎている。

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年の初めの元旦、東京の郊外は3月のような陽気に恵まれて・・。

2014-01-02 11:34:37 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の元旦の朝6時過ぎ目覚めると、隣に寝ていた家内も目覚めたらしく、
私は布団の上に正座をして、
『おめでとうございます・・本年もよろしくお願い致します!』
と私は家内に向った言ったりした。

そして家内は布団の中で、『こちらこそ・・お互いに元気よく過ごしましょうねぇ・・』
と応(こた)えたりした。

やがて朝のお雑煮の前に、私はお屠蘇〔とそ〕の苦手なので純米酒の冷酒を呑みながら、
家内はビールを呑み、談笑したりした。
         
こうした中で年末年始の間に同居している家内の母は、高齢者の84歳の身であるので、
ゆっくりと2時間遅れで頂くのが、ここ9年の年末年始の恒例となっている。

この後、私たち夫婦はお雑煮を頂いたりした。
長方形の角餅にダイコン、ニンジン、ネギ、里芋などの農作物に、鶏肉を加えた醤油味で、
私の幼年期は農家の児として育てられ、このようなお雑煮となっている。


やがて9時半過ぎに、門扉に近い郵便受け入れた箱を見ると、
早くも年賀状が配達されて、この後一時間ばかり私は頂いた方の顔立ち、しぐさを思い重ねて読んだりした。
そして私が年賀状を送付していない方が3名いて、
私はこのお方への年賀状を認(したた)めて、この後に近くの郵便ポストに向かった。

大通り路線バスも走る道路を歩き始めたが、もとより年末年始の休暇の最中で、
自動車も少なく、歩道も人影も少なく、空は澄み切った青空で、
厚手のスポーツシャツだけを着ていた私でも、寒さを感じることなく何かしら暖かさを感じたのである。

そして郵便ポストに投函した後、付近に流れる野川の遊歩道を散策した・・。
          
歩きながら少し汗ばんたりし、風も甘く、春のような陽気を感じたりした。
          
やがて橋のひとつを渡りながら、足を止め、しばらく眺めたりした。
          
この野川の両岸は遊歩道があり、この川の近い川端には小路があり、散策する方も多く、
ときには幼稚園の先生に引率された園児たちを私は幾たびか見かけて、微笑んだりしてきた。

その後、私はこの小路より川辺に近寄り、水の流れを視たりした。
                   

私は民間会社の中小業に35年近く勤め2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

そしてゴールデン・イヤーズと称される心身溌剌を実感できる60代の時代を、
つたない私でも、我が人生として最も充実した期間と深めたりしている。

しかしながら本年の9月を迎えると、古希(こき)と称せられる70歳となり、
何かしら未知の70代入門に、早いじゃないの、と今からでも戸惑ったりしている。

そして過ぎ去った60歳からの日々に愛惜を感じたりしている・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭で、
大病することなく、お互いの趣味を尊重して過ごしている。

そして期待した以上に年金生活の日々を享受しているが、
今後は体力も衰え、やがていつの日にか天上の神々の采配に寄り、片割れとなる・・。

このような思いを水面に受ける陽差しを視たり、水が下方に流れるのを眺めたりすると、
《・・ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。》
『方丈記』の一節を重ねてたりした。

私は読書が好きで、ここ55年ばかり乱読してきた中、
平安時代末期から鎌倉時代にかけて歌人・随筆家である鴨長明(かもの・ちょうめい)の作品のひとつの『方丈記』であり、
私は読むたびに敬愛を深めている作品だったので、何かと思考する時に教示されている。

こうしたことで思い重ねたりすると、そうですよねぇ、と改めて実感を深めたりした。

やがて帰路に向かい、トボトボと自宅に向かった。

そして夕方のテレビのニュース番組の中、東京は3月のような陽気に恵まれました、
と報じていた。

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