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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログ投稿文、あえて私は『失うものが怖くて』、ときには日本の命題を書く時もあり・・。

2014-06-02 10:12:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら、年金生活をしている・・。

年金生活は何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、こうした中に於いて、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、
毎日投稿してきているが、内容の殆どは幼年期からサラリーノンを定年するまでの想いで、
或いは年金生活の中で、買物とか散策している中での季節の移ろう情景に感じ受け止めたことが多い。

しかしながら日常は新聞、総合月刊誌を読んだり、或いはネットで読んだり、
そしてテレビのニュースなどを視聴していると、日本の難題に無力ながら憂いたりしている。

こうした中のひとつとして、2025年の問題、これから10年先に到来する命題は、
私にとっても切実なことで、ときおり思考させられている。
          

私の昨今の年金生活は、過ぎし5月18日に於いて、
『 私たち夫婦は人生最良の時期かしら、と69歳の私は微笑みながら・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/d/20140518
と題して投稿した通り、何かと敗残者のような半生を歩んできた私として、
安楽な60代の年金生活を過ごしてきたので、悦びながら感謝一心で綴ったりした。

しかしながら10年先の到来する2025年の日本の社会状況などを思考したりすると、
何かと楽観的な私でも、『失うものが怖くて』、ときには日本の命題を書く時もある・・。

一昨日の5月31日に於いて、
『2025年が過ぎた頃の日本、高齢者は安楽死を望む方が多くなる、と妄想して・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/1c3ced0e79c1c9382bb199e809ff218a
と題して投稿したのも、この日本の難題のひとつを綴ったのである・・。
          

私は民間会社に中途入社した25歳の時、少し齢下の団塊世代の多くの人たちと机を並べて、
お互いに業界、会社の中で35年近く苦楽を互いに共有してきたひとりである。
そして私の妹のふたり、そして家内も団塊世代である。

もとより10年先の2025年になれば、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、
誰しもが身体が衰え、不幸にも難病に治療を受けられる人もいる中、
医療費の負担額の増大、要介護(要支援)者の増加、そして認知症高齢者の増加などの医療・介護リスク、
そして年金支給額の減少も予測されている。

こうした思いに思考を深めれば、
やはり楽観視はできなく、この後期高齢者の中には、
この先に暗澹たる思いの果てに安楽死を望む方が激増すると思ったり、
こうした中で国の政府としても財政が逼迫する中、こうした安楽死の激増に対して、
秘かに期待しているのではなかろうか、と思い重ねてしまったりした。

そして国の財政が更に悪化した時、最悪の場合のひとつとして、
たとえば年金支給額を半額にしたり、或いは80歳を過ぎた方には年金支給を打ち切ったり、
安楽死をされた方は、国は社会保障費の増大に防止した貢献として勲章を与える制度ができたり、
と妄想を重ねながら深める時もある。
          

こうしたことは、現在の社会保障制度は、多少の問題はあるが、
世界の主要国の中でも、ここ数10年の日本の高齢者は恵まれている、と私は実感している。

やがて日本は経済が好況するか、或いは抜本的な社会保障制度の改革をしない限り、財政は悪化するので、
10年後の2025年は・・と思案したりする時もある。

このように私は何よりも恐れていることが起こらないように、ときおり思考してしまうのである。

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コメント (2)
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