私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
1960年(昭和35年に春に高校に入学した時に、
遅ればせながら突然に読書に目覚めて、年金生活の今でも読書が第一趣味となっている。
小説、随筆、ノンフェクション、近代史などの本、そして月刊総合雑誌などが圧倒的に多いが、
ときには映画、音楽の専門誌も買い求めたりすることもあり、つたないなりに乱読をしたりしている。
こうした本は、殆どが駅前の本屋とか街中の本屋で買い求めたり、
或いは古本屋で偶然に魅せられて購入してきた本である。
しかしながら私は民家、美術など3万円を超える豪華な本だけは、
やむえず図書館で年に一度ぐらい拝見するぐらいで、
通常の本に関しては、若き頃はたとえ一食抜いて、お金をためて購入し、読んだりしてきた・・。
こうして50数年ばかり過ごしているが、具体的に購入する時は、
新聞、総合月刊誌の出版社の広告を見たり、
本屋、古本屋の陳列棚で偶然に見かけたりして買い求めたりしている。
一番に困るのは、ある日、突然に魅せられた作品を読み、
この著作者の過去の作品を読みたい場合は、
ここ10数年、本の流通の速度が余りにも速く、駅前の本屋などの店内在庫は
皆無となっていることもある。
少なくとも25年の頃であったならば、
本屋で注文して、二週間過ぎた頃に手に入れる風潮であったりしたが、
ここ5年前の頃、アマゾンなどのネットで本を買い求める人たちがいると知り、
遅ればせながら或る作家を検索したら、驚いたりし、昨今は加速化して整備されている。
そして大半の刊行された本が羅列し表示されていて、
本屋の新刊本、旧刊本、そして古本屋でも中々見かけることの出来ない本もあり、
まぎれなくアマゾンなどのネット販売元は、本の集約センターかしら、
と思いながら、その作家の出荷できる本の一覧表を見ていたのである。
これだったならば、もとより本屋で取り寄せの注文で2週間も待たず、
或いは古本屋で探し求める必要はない、と感じたりした。
ここ10数年、世の中は通販商品は、ネットで購入する隆盛の時代となり、
こうした中で本も同様な形態となり、私は時代の流れかしら、と思いながら過ごしてきた・・。
しかしながら駅前とか商店街の本屋で、
偶然に見かけ購入してきた心の高揚感が失われることもあるので、
私はネット購入に、無力ながら抵抗している。
こうした根底ひとつとして、ネット購入が更に加速すれば、
街中の本屋が消え去り、街の文化のひとつが消滅する、と確信を深めたりしてきた。
私の住む地域の最寄駅ひとつでも、学園街で15年前に5店あった本屋も、
今や2店だけとなっている。
或いは旅先の5万人有する地方の街中に、本屋が見当たらず、
私は唖然とした体験をしたりした。
その上、ここ5年前の頃から、電子書籍が盛んな話題となっているが、
少なくとも文藝作品に関しては、本は手に取り活字を読み、
著作者に伝えたいことを受け止めながら、行間から著作者の思いを馳せ深める、
こうした習性が50年ばかりとなっているので、私には論外である。
このように時代遅れ私は、平素住む街にある本屋は文化のひとつと思い、
読書好きな私は閉店されるが怖くて、ときおり本屋に寄り、数冊ぐらい買い求めるが、
定年後の10年近く習慣病となっている。
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1960年(昭和35年に春に高校に入学した時に、
遅ればせながら突然に読書に目覚めて、年金生活の今でも読書が第一趣味となっている。
小説、随筆、ノンフェクション、近代史などの本、そして月刊総合雑誌などが圧倒的に多いが、
ときには映画、音楽の専門誌も買い求めたりすることもあり、つたないなりに乱読をしたりしている。
こうした本は、殆どが駅前の本屋とか街中の本屋で買い求めたり、
或いは古本屋で偶然に魅せられて購入してきた本である。
しかしながら私は民家、美術など3万円を超える豪華な本だけは、
やむえず図書館で年に一度ぐらい拝見するぐらいで、
通常の本に関しては、若き頃はたとえ一食抜いて、お金をためて購入し、読んだりしてきた・・。
こうして50数年ばかり過ごしているが、具体的に購入する時は、
新聞、総合月刊誌の出版社の広告を見たり、
本屋、古本屋の陳列棚で偶然に見かけたりして買い求めたりしている。
一番に困るのは、ある日、突然に魅せられた作品を読み、
この著作者の過去の作品を読みたい場合は、
ここ10数年、本の流通の速度が余りにも速く、駅前の本屋などの店内在庫は
皆無となっていることもある。
少なくとも25年の頃であったならば、
本屋で注文して、二週間過ぎた頃に手に入れる風潮であったりしたが、
ここ5年前の頃、アマゾンなどのネットで本を買い求める人たちがいると知り、
遅ればせながら或る作家を検索したら、驚いたりし、昨今は加速化して整備されている。
そして大半の刊行された本が羅列し表示されていて、
本屋の新刊本、旧刊本、そして古本屋でも中々見かけることの出来ない本もあり、
まぎれなくアマゾンなどのネット販売元は、本の集約センターかしら、
と思いながら、その作家の出荷できる本の一覧表を見ていたのである。
これだったならば、もとより本屋で取り寄せの注文で2週間も待たず、
或いは古本屋で探し求める必要はない、と感じたりした。
ここ10数年、世の中は通販商品は、ネットで購入する隆盛の時代となり、
こうした中で本も同様な形態となり、私は時代の流れかしら、と思いながら過ごしてきた・・。
しかしながら駅前とか商店街の本屋で、
偶然に見かけ購入してきた心の高揚感が失われることもあるので、
私はネット購入に、無力ながら抵抗している。
こうした根底ひとつとして、ネット購入が更に加速すれば、
街中の本屋が消え去り、街の文化のひとつが消滅する、と確信を深めたりしてきた。
私の住む地域の最寄駅ひとつでも、学園街で15年前に5店あった本屋も、
今や2店だけとなっている。
或いは旅先の5万人有する地方の街中に、本屋が見当たらず、
私は唖然とした体験をしたりした。
その上、ここ5年前の頃から、電子書籍が盛んな話題となっているが、
少なくとも文藝作品に関しては、本は手に取り活字を読み、
著作者に伝えたいことを受け止めながら、行間から著作者の思いを馳せ深める、
こうした習性が50年ばかりとなっているので、私には論外である。
このように時代遅れ私は、平素住む街にある本屋は文化のひとつと思い、
読書好きな私は閉店されるが怖くて、ときおり本屋に寄り、数冊ぐらい買い求めるが、
定年後の10年近く習慣病となっている。
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