私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の69歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、家内は実家に過ぎし5月25日から昨日の6月4日まで10泊11日間で行って、
昨夕の4時過ぎに帰宅した。
私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
千葉県の八千代市で、 一戸建ての独り住まいの生活をされている。
独り住まいの家内の母は、身の廻りのことが出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、暖冷房器具、衣服、庭の手入れをなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、程ほど長期に滞在し、孤軍奮闘を重ねている。
この間、家内は家内の母の宅で奮戦し、私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となり、
万一、私を残して家内に先立たれた場合、『おひとりさま』となっしまうので、
特別演習かしらと思いながら過ごしてきた。
そして何かと愚図な私は、気まぐれに食事、掃除、洗濯をしてきたが、
簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素の日常生活から落第生だ、と苦笑したりしてきた。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような果てだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、
その直後から年金生活をし、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。
私は今年の9月の誕生日を迎えねと古希と称される70歳となり、
家内は12月になると65歳の高齢者入門の身となる。
そして私は定年後から年金生活をしてきたが、何かしら現役サラリーマン時代の緊張感が無くなり、
時折ぼんやりとしながら、確か65歳の高齢者になった頃から、体力の衰えを実感している。
我が家は年金生活を始めた時、我が家は無念ながら金庫がないので、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。
或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。
ときおり小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。
こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。
初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。
そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
私は頼りない助手となって、取り付けたりしている。
このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。
私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家は築後36年の古びた一戸建てであるが、
この間、何か火災、戸締りの不備などで、最悪の場合、もう一度新たに新築するようなことがあったならば、
老後の貯金は大幅に減少し、もとより残された老後の生活も変更が余儀なくされるので、
何かと小心者の私は、もとより困苦する・・。
こうした心情からして、戸締りなどは主(あるじ)の責務として私は、
毎夜9時前後には、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
こうした時の多くは、この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。
こうした後に
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマンの長き時代に於いては、ご苦労さまでした、
と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
ここ6年前の頃から、 どうしてなのょ、と私は不思議に思ったりした。
そして思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
今朝、どんよりとして曇り空となり、いつものように家内は洗濯する衣類を洗濯機にセットしていた・・。
私の住む地域は、午後から小雨が予測されているので、家内は小庭の一面にある外干しの干し竿(ざお)に、
盛大に干したりした。
やがて9時過ぎに、霧雨が降りだし、小庭が見える居間にいた私は瞬時に気付き、
『XXちゃん・・雨が降ってきた・・』
と私は叫ぶように大声で、台所にいる家内に伝えたりした。
そして家内は洗濯物を干し竿(ざお)から引き下げて、途中で私は受け取り、
一時待避として2階の洋間に、室内干しとした。
こうしたことを2回ばかりした後、家内は洋間の室内干しの優先順位を決めながら整備した後、
この中の一部を乾燥機にセットしたりした。
このように我が家は年金生活をしている中、
齢ばかり重ねた私たち夫婦は、ふたりで一人前かしら、と私は苦笑したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、家内は実家に過ぎし5月25日から昨日の6月4日まで10泊11日間で行って、
昨夕の4時過ぎに帰宅した。
私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
千葉県の八千代市で、 一戸建ての独り住まいの生活をされている。
独り住まいの家内の母は、身の廻りのことが出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、暖冷房器具、衣服、庭の手入れをなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、程ほど長期に滞在し、孤軍奮闘を重ねている。
この間、家内は家内の母の宅で奮戦し、私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となり、
万一、私を残して家内に先立たれた場合、『おひとりさま』となっしまうので、
特別演習かしらと思いながら過ごしてきた。
そして何かと愚図な私は、気まぐれに食事、掃除、洗濯をしてきたが、
簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素の日常生活から落第生だ、と苦笑したりしてきた。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような果てだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、
その直後から年金生活をし、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。
私は今年の9月の誕生日を迎えねと古希と称される70歳となり、
家内は12月になると65歳の高齢者入門の身となる。
そして私は定年後から年金生活をしてきたが、何かしら現役サラリーマン時代の緊張感が無くなり、
時折ぼんやりとしながら、確か65歳の高齢者になった頃から、体力の衰えを実感している。
我が家は年金生活を始めた時、我が家は無念ながら金庫がないので、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。
或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。
ときおり小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。
こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。
初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。
そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
私は頼りない助手となって、取り付けたりしている。
このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。
私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家は築後36年の古びた一戸建てであるが、
この間、何か火災、戸締りの不備などで、最悪の場合、もう一度新たに新築するようなことがあったならば、
老後の貯金は大幅に減少し、もとより残された老後の生活も変更が余儀なくされるので、
何かと小心者の私は、もとより困苦する・・。
こうした心情からして、戸締りなどは主(あるじ)の責務として私は、
毎夜9時前後には、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
こうした時の多くは、この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。
こうした後に
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマンの長き時代に於いては、ご苦労さまでした、
と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
ここ6年前の頃から、 どうしてなのょ、と私は不思議に思ったりした。
そして思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
今朝、どんよりとして曇り空となり、いつものように家内は洗濯する衣類を洗濯機にセットしていた・・。
私の住む地域は、午後から小雨が予測されているので、家内は小庭の一面にある外干しの干し竿(ざお)に、
盛大に干したりした。
やがて9時過ぎに、霧雨が降りだし、小庭が見える居間にいた私は瞬時に気付き、
『XXちゃん・・雨が降ってきた・・』
と私は叫ぶように大声で、台所にいる家内に伝えたりした。
そして家内は洗濯物を干し竿(ざお)から引き下げて、途中で私は受け取り、
一時待避として2階の洋間に、室内干しとした。
こうしたことを2回ばかりした後、家内は洋間の室内干しの優先順位を決めながら整備した後、
この中の一部を乾燥機にセットしたりした。
このように我が家は年金生活をしている中、
齢ばかり重ねた私たち夫婦は、ふたりで一人前かしら、と私は苦笑したりしている。
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