第二章 『大露天風呂』、そして街並み湯処
17日の朝9時過ぎに、私たちは『蔵王中央ロープウェイ』の路線の山の中腹の付近にある『大露天風呂』を目指して、
宿泊しているホテルを出た。
そして数多くある温泉地の街並み中、急な坂道を30分ぐらい上ると、何とか『大露天風呂』の看板が見え、
私たちは微苦笑したりした。

この後、5分ばかり坂道をあがると、『大露天風呂』の門が観えて、
やっと着いた、というのが私の本音でもあった・・。

この『大露天風呂』は、蔵王の数多い湯処の中でも、突出して紹介されて、
パンフレットなどでは優先的に掲載されていたので、私たちは必須項目と思い訪れたのである。

もとより露天風呂であり、写真は厳禁と明示されていたので、パンフレットを撮らせて頂いた。
川沿いに源泉が湧きだし処を数多くの岩で湯船を造ったと思われ、
周囲の森の樹木も萌黄色、黄緑色、そして深緑の多彩な葉色の中、
源泉の湯色に身をあずけると、野趣満点である。
私の入った男性風呂は、ひとりの40代の男性がいるだけで、
私は話しかけたりした・・。
そして山形市内にお住まいの人で、自動車で来られ、
平素でも入浴される方が多いので、たまたま今回は幸運である、と教えて頂いた。
やがて談笑の中、私たち夫婦が街の中から坂道を上がってきた、と知ると、
よくぞあの急な坂道を、驚いた表情をされていた・・。
この後、私は15分ばかり湯に浸かり、休息処で家内を待ったりした。
そして私たちは名残りほしく、この『大露天風呂』に辞した。
やがて30分ばかり坂道を下り、街並みを歩いたりした。
この街中でも、共同浴場の『上湯』、『下湯』などの小奇麗な建物もあり、
足湯も少なくとも2か所は見かけたりした。
この後、家内は川底から湧き出る『川原湯』に入浴したりし、
街中で見かけた『稲花餅』に、幼年期に農家の児として育った私は、家内を誘い入店して頂いたりした。


この後、私たちが宿泊している近くに、『鴫(しぎ)の谷地沼』と明記された処に、
散策を兼ねて行ったが、想像したより遥かに魅了された。
《つづく》
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17日の朝9時過ぎに、私たちは『蔵王中央ロープウェイ』の路線の山の中腹の付近にある『大露天風呂』を目指して、
宿泊しているホテルを出た。
そして数多くある温泉地の街並み中、急な坂道を30分ぐらい上ると、何とか『大露天風呂』の看板が見え、
私たちは微苦笑したりした。

この後、5分ばかり坂道をあがると、『大露天風呂』の門が観えて、
やっと着いた、というのが私の本音でもあった・・。

この『大露天風呂』は、蔵王の数多い湯処の中でも、突出して紹介されて、
パンフレットなどでは優先的に掲載されていたので、私たちは必須項目と思い訪れたのである。

もとより露天風呂であり、写真は厳禁と明示されていたので、パンフレットを撮らせて頂いた。
川沿いに源泉が湧きだし処を数多くの岩で湯船を造ったと思われ、
周囲の森の樹木も萌黄色、黄緑色、そして深緑の多彩な葉色の中、
源泉の湯色に身をあずけると、野趣満点である。
私の入った男性風呂は、ひとりの40代の男性がいるだけで、
私は話しかけたりした・・。
そして山形市内にお住まいの人で、自動車で来られ、
平素でも入浴される方が多いので、たまたま今回は幸運である、と教えて頂いた。
やがて談笑の中、私たち夫婦が街の中から坂道を上がってきた、と知ると、
よくぞあの急な坂道を、驚いた表情をされていた・・。
この後、私は15分ばかり湯に浸かり、休息処で家内を待ったりした。
そして私たちは名残りほしく、この『大露天風呂』に辞した。
やがて30分ばかり坂道を下り、街並みを歩いたりした。
この街中でも、共同浴場の『上湯』、『下湯』などの小奇麗な建物もあり、
足湯も少なくとも2か所は見かけたりした。
この後、家内は川底から湧き出る『川原湯』に入浴したりし、
街中で見かけた『稲花餅』に、幼年期に農家の児として育った私は、家内を誘い入店して頂いたりした。


この後、私たちが宿泊している近くに、『鴫(しぎ)の谷地沼』と明記された処に、
散策を兼ねて行ったが、想像したより遥かに魅了された。
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