私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
まもなく偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
やがて2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することがある。
このような思いの中、私はブログの世界を知って10年半が過ぎて、11年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

今朝、ぼんやりと私がブログの投稿文が、途絶(とだ)える日は、
いつの日にか、と思ったりした・・。
私の希望としては、世界で有名なシンガーソングライターのブライアン・アダムスさんが、
確か死ぬまでロックだ、と発言されたと記憶しているので、
私も真似事をして、この世に別れを告げる寸前まで、ブログの投稿文を日々継続したい、と念願している。
しかしながら予期できることは、やがて私たち夫婦の両親で残された家内の母、
そして私たちの兄妹など死去に伴い、お通夜、告別式などは、
もとより何かと愚図の私でも、多忙となる。
何よりも失墜感で、ゆっくりとブログの投稿文を綴(つづ)っていることは、
出来ないだろう、と思い深めたりした。
そして後日、私のこうした心情をブログの投稿文で発露するだろう、と微苦笑したりした。
或いは家内に先立たれて、深い失墜感で長らく投稿文は、途絶えるだろう。
やがて私は、『おひとりさま』に相応しい小さなマンションに移転したりし、
やはり投稿文は、途絶えるだろう。
このように漠然と思案したが、私が心変わりして、ブログに関心がなくなる、
想定外のこともある。
何よりも恐れていることは、私が認知症となり、うつろな心情で、
ブログって・・何なのょ・・と思い至ることである。

余談であるが、今回このような投稿文になったのは。
家内が独り住まいの家内の母は入院している中、長らく里帰りして孤軍奮闘している中、
我が家で残された私は、独りぼっちの『おひとりさま』になっているので、
このように投稿文なってしまったかしら、と微苦笑している。
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多々の理由で年金生活を始めた。
まもなく偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
やがて2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することがある。
このような思いの中、私はブログの世界を知って10年半が過ぎて、11年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

今朝、ぼんやりと私がブログの投稿文が、途絶(とだ)える日は、
いつの日にか、と思ったりした・・。
私の希望としては、世界で有名なシンガーソングライターのブライアン・アダムスさんが、
確か死ぬまでロックだ、と発言されたと記憶しているので、
私も真似事をして、この世に別れを告げる寸前まで、ブログの投稿文を日々継続したい、と念願している。
しかしながら予期できることは、やがて私たち夫婦の両親で残された家内の母、
そして私たちの兄妹など死去に伴い、お通夜、告別式などは、
もとより何かと愚図の私でも、多忙となる。
何よりも失墜感で、ゆっくりとブログの投稿文を綴(つづ)っていることは、
出来ないだろう、と思い深めたりした。
そして後日、私のこうした心情をブログの投稿文で発露するだろう、と微苦笑したりした。
或いは家内に先立たれて、深い失墜感で長らく投稿文は、途絶えるだろう。
やがて私は、『おひとりさま』に相応しい小さなマンションに移転したりし、
やはり投稿文は、途絶えるだろう。
このように漠然と思案したが、私が心変わりして、ブログに関心がなくなる、
想定外のこともある。
何よりも恐れていることは、私が認知症となり、うつろな心情で、
ブログって・・何なのょ・・と思い至ることである。

余談であるが、今回このような投稿文になったのは。
家内が独り住まいの家内の母は入院している中、長らく里帰りして孤軍奮闘している中、
我が家で残された私は、独りぼっちの『おひとりさま』になっているので、
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