夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

何かと愚図の私でも、ときおり『おひとりさま』の生活が出来てきた原動力は・・。

2015-07-07 12:25:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の老ボーイの身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後37年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
          

そしてサラリーマンの現役時代に於いては、もとより我が家の収入の責務は私であるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身として、洗濯、掃除、料理、買物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官のように責任を果たしてきた。

そして年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、乱したくないので、
決意して実行してきたことがある。
                
具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買物の担当を引き受け、買物メール老ボーイとなり、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後も独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
                                  
私の日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある・・。

こうした間、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主の真似事をしている。

こうした中で、ときたま小庭を手入れをしたり、気の許せる悪友と居酒屋で談笑をしながら呑んだり、
或いは家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
                            

こうした中で私たち夫婦は、10日に一度ぐらい駅前に出かけたりして、日常の雑貨品などを買い求めたり、
年に数回はデパートに行ったりしているが、
このような時の私は、家内のボディガードそして荷物持ちのお供のような状態となっている。

こうしたありふれた私たち夫婦の年金生活に於いて、
ご近所の方の奥様たちから、仲良しねぇ、と社交辞令のような言葉を頂いたりしている。

私たち夫婦は39年ばかり寝食を共にした結婚生活の中で、
お互いの欠点に目をつぶり、そして特に定年後の年金生活になると、お互いの趣味を尊重し、
それぞれの時間を『ひとりを愉しむ』時を過ごすことが多くなっている。

こうした私の根底として、こうした生活がいつまでも続けば良い、と思ったりしているが、
いずれのどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
強く思いの趣味を持てば、残された方は失墜感が少なくなると思え、
その後の『おひとりさま』の生活は少しでも心がやすらぐ、と思ったりしている。
         

このような年金生活を10年半ばかり過ごしてきた中、
年に4回ぐらい家内は、独り住まいの家内の母宅に行っている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ10年の恒例となっている。
                             
このような時は、家内は家内の母宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は我が家に取り残こされて『おひとりさま』の独りぼっちの生活となる。
そして何かと愚図の私でも、季刊誌のように『おひとりさま』の生活を、ここ10年半ばかり過ごしてきた。
          

年金生活を始めた2004年(平成16年)の当初の頃に、
敬愛している作家の曽野綾子さんの随筆を読んだりしていた・・。

私は遅ればせながら曽野綾子さん・著作の『近ごろ好きな言葉 ~夜明けの新聞の匂い』(新潮文庫)を読み、
多々教示を受けたが、この中のひとつに定年後の男性の生活者としての在り方について、
明記されていたので、私は微苦笑させられながら、読んだひとりである。

本書の初出は、総合月刊雑誌の『新潮45』で、この内容は『暗がりの夫族』と題された一部であり、
掲載されたのは、1995年(平成7年)8月6日である。

《・・(略)・・私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。
私は毎年恒例になっているイスラエル旅行にでかけたが、
その年は大学の同級生の一人がボランティアに来てくれた。

旅の途中で、彼女は、今、真剣に夫に家事をしこもうと思っている、と言った。
もうこの年になると、どちらが先にどうなるかわからない。
死なないまでも、長期入院ということになったら、家に残った方が、一人で生活しなければならない。

彼女の家ではまず子供たちが、お父さんにエプロンを贈った。
長いこと社長業をしていたような人で、台所に入ったらどういうことになるか想像がつかない。
優しい子供たちは、何とかそれをユーモラスな出発として励ますことができないかと考えたようだった。

私は彼女の賢明さに打たれた。
もういいの悪いのという選択をしている時間がない。
明日にも、夫婦は一人で生きて行く必要が生じるかもしれない。
配偶者が入院したらその日から、或いは死亡したらその夜から、誰がご飯を作るのだ。
          

息子や娘たちは皆忙しい年齢である。
離れて住んでいるケースの方が多いだろう。
嫁にご飯を作りに来いなどと呼びつけられると思ったら、それは大変な時代錯誤というものだ。
(略)
私たちの世代の夫族の中で、どれほど生活者として無能な人がいるか、
長い間、私たちはそれこそ笑いの種にして来たのである。

妻がでかけようとすると「何時に帰る?」と聞く。
愛しているから、妻が誰と会うのか、どこへ行くのが心配なのではない。
心配の種は「俺の夕飯はどうなるのだ」ということだけだ。

大学を出ている癖に、夕飯を作る能力も、出前を取る才覚もないから、
奥さんが少し遅れて帰ってみると、電気もつけない薄暗がりの中でじっと座っている。

と言って皆笑うのである。
これはどうしても侮蔑の笑いてしかない。

暗がりの夫族の中には、東京大学の出身者、ことに法学部の卒業生も多かったので、
私たちは自分たちの出身校が秀才校でもないのを棚に挙げて、改めて幼稚な優越感を覚えることにした。
(略)
どうして秀才の夫たちは、ああも能がないのか。
今どきは、炊いたご飯そのものだって、「大盛りですか、普通ですか」という感じで
マーケットで売っているではないか。

デパートや商店街のおかず売り場で、適当に焼魚と野菜の煮ものでも買えば、
それほど栄養が偏(かたよ)るということもなくて済むのに、それができないのである。

昭和初年代の夫族の中に、おかずも自分の靴下も買ったことのない人は結構いるのは、
彼の母の責任だろうかそれとも妻の責任だろうか。

台所に入っても、お湯の沸かし方一つ手順がわからないからうろうろしている。
薬罐(やかん)がどこにあるかも知らないのだ。
洗濯機のボタンを押したこともないし、炊飯器の目盛りの読み方など、わかるわけもないから、
ご飯ぐらい炊けるでしょう、などと言われると、恐怖で不機嫌になる。
(略)
しかし彼らが、人間としたら、生存の資格に欠けていることには間違いがないのである。
つまり自分はご飯の心配もしなくて生きることが当然と思うのは、
実はとんでもない不遜な男かもしれない。

それは「お前作る人、俺は食べる立場」みたいな男女の性差別を容認し、
自分はそういう仕事をしなくて当然の、もっと高級な人間だと思い上がっている証拠なのだ、
と私もこのごろ悪意に解釈することにした。・・》
注)329ページ~332ページから抜粋。原文にあえて改行を多くした。
          

本書は曽野綾子さんの定年後の男性の生活者としての命題のひとつのテーマであるが、
この作品は1995年(平成7年)8月に公表され、
《 私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。・・》
と綴られて、私たちの世代より15歳前後、ご年配の人たちとなる。

曽野綾子さんご自身は、聖心女子大学を1954年〈昭和29年〉に卒業された方であるが、
あの当時に女子大学を通うことができたのは、若き女性のほんの一部であり、
クラスの同級生の多くは、中央官庁、大企業のエリート、そして中小業の会社を創業された成功者、
或いは老舗の商店などに嫁がれた方が多いと思われる。

こうした嫁ぎ先のご主人が、第一線を退かれて、関係先の要職を務めて、第二の人生を歩み、家庭人となった現状・・。
このようの中で、一部の人は現役時代の栄誉も、食事のことで困惑する状況を的確に表現されているが、
私たちの世代、そして私のような中小業で奮闘した身となれば、苦笑してしまう。

しかし、私の場合も、『おひとりさま』になる日々もあるので、
単純に笑ってばかりは、いられない時もある。

これ以降、私は何かと『夫族の中で、生活者として無能な人がいて・・』と銘言を学び、
家内が里帰りした時、『おひとりさま』となった私は、叱咤激励されながら原動力となり、
過ごしてきた。
          

或いは過ぎし7年前に知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

そして私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に、
心痛な思いで深く学んだりした。
          

今回、家内は家内の母が大腸の検査を受けることとなり、6月29日より3泊4日で行っているが、
その後、家内の母が入院となり、付き添う為に、我が家に帰宅てきるのは、9日の予定となった。

昨日、私は家内と電話連絡で聞いたりした後、
10泊11日となり、家内も何かと疲れ果ててしまうかしら、と思ったりした。

そして私は『おひとりさま』の生活、いままでで一番長い期間だねぇ、
と心の中で呟(つぶや)きながら微苦笑したりした。

尚、私の『おひとりさま』の独りぼっち生活の最新の状況は、
6月30日に於いて、【ときには『おひとりさま』の独りぼっちの生活、何かと愚図の私は・・。】
と題して投稿している。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/e54caf24d2abe6758d421554956bef39

つたない私が手抜きながら奮戦している日々であり、お読み頂きご笑話して下されば幸いです。


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