夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

60年前の頃、小学生の私は夏休みに、ラジオ体操した苦い想いで・・。

2015-07-19 08:56:47 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
今朝、テレビのニュースを視聴していたら、
小学生の学童の多くが、一昨日の18日の土曜日から『夏休み』に入った、と遅ればせながら私は知った。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
無念ながら孫もいない上、年金生活をしていると、ともすれば曜日の感覚も薄れ、
微苦笑させられることもある。
               
やがてぼんやりと玄関の軒下に下り立ち、朝涼の残る小庭を眺めたりした。
そして学童が『夏休み』かょ、と思いながら、
私の遠い昔の60年前の頃、小学生時代の『夏休み』は・・と思い馳せたりした。

やがて夏休みの期間は、早朝にラジオ体操をしていたことが、 鮮明に思いだされて、
私は微苦笑させられた・・。


私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男坊であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

やがて私が地元の小学校に入学したのは、1951(昭和26)年の春だった・・。

この当時、夏休みになると、近くのお寺の境内で『ラジオ体操』が行われていた。
集合時間は、忘れてしまったが朝の7時頃だったかしら、と思っている。
          
             1957年〈昭和32年〉の当時は、このように整備されていなく、素朴な境内であった。

お寺の正面にあるお賽銭箱の横の階段に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、数多くの小学生の生徒がそれに習って続いていた。
          

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は学業の通信簿の成績は『5』と『4』の多い優等生であったので、
6年生になると班長に選出されていた。

三男坊の私は、この当時も何かといじけた劣等生で『3』と『2』ばかりの成績であったので、
学期末に通信簿を頂くたびに、担当の先生から、
『お兄さんのふたりは・・優秀なのに・・』
とため息まじりに私に言われたりしていた。

こうした中、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。

このような関係で私が6年生なると、夏の『ラジオ体操』の班長に選ばれる確率は少なかった。


やがて私が年長の6年生なると、班長は私が選任されて、
この年から何故かしら副班長が新設されて、このお寺の住職の娘の同級生が選ばれた。

この夏、6年生の私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)やいたりして、
多くの小学生の一年生から同級生までの出席マークを押したりした。
               

後年になると、私は小学生の夏休みの『ラジオ体操』を夢をみたりする時もあり、
悪夢のようなことが多く、私は目覚めるたびに苦笑したりしている。


この寺院は、私が幼年期には周辺に幼稚園がなかった当時であり、
託児所となっていたので、私は通ったりした。

或いは小学校の入学前、この境内で隅にスクリーンが張られ、夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。

この当時の私の住む地域に於いては、娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。
この映画は、『長崎の鐘』であり、私としては最初に観た作品なので、心の片隅に残っている。

このようなことを思い重ねて、私は微苦笑したが、今朝のひとときであった。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする