夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

台所で皿洗いをしている時、老ボーイの私は、古き歌謡曲を唄い・・。

2015-07-25 13:14:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活11年生の老ボーイの70歳の身であるが、
たまたま家内は家内の母宅に里帰りし、私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

今朝、朝食をいつもように一汁七菜で頂いた後、
休むと台所が汚くなるので、人生は気合だ、と自身を叱咤激励した・・。

そして家内から借りた可愛らしいエプロンを着て、台所で皿洗いを始めた。
食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、それぞれの茶碗、皿などに丁重に擦(こすっ)たりした後、
盛大に水道水で洗い清めたりした・・。

こうした時、どうした心情が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、
かぼそい声で唄っていた。

そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し  君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。

この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼せぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。

そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。
          

家内が居る時の平素は、ときたま私は家の中で、かぼそい声で鼻歌を唄ったりしている。

一週間前の時は、たまたま唄った歌のひとつは、『旅の夜風』であった。

♪花も嵐も 踏み越えて・・《作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・霧島昇&ミス コロムビア》
と心の中で唄ったりして、自身を慰め、そして励ましたりして、ときにはかぼそい声で唄ったりした。

私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め兄妹の五人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。

この当時、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。

家内は私より5歳ばかり下であるが、戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
こうした根底には、生前の家内の父が歌謡曲が好きで、歌に自信を深めていたので、
家の中とか勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。
          
          
時折、こうした歌を私が鼻歌を唄ったりすると、
近くにいた家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。

そして私は鐘ひとつかょ、と苦笑したりしている。

この『旅の夜風』の歌は、昭和13年(1938年)に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは恥ずかしながら10年前であった。
          

私は平素、買物メール老ボーイの責務を果たした後、
独りで自宅付近の3キロ範囲の小公園、遊歩道を散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした時、人影がない時には、♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。

私たち夫婦は、この先いつまでも、ささやかな生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いを重ねたりして、歩く時もある。
          

余談であるが、私はサラリマン時代には、人前で唄うカラオケは苦手で、
おつきあい程度に唄ったりしてきたが、
年金生活をしていると、ときおり鼻歌をかぼそい声で唄ったりしている。

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コメント (2)
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