夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外の住む我が家、昨夕より夏の陣の体制となり、私は微笑み・・。

2015-07-13 11:59:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                       

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
過ぎし日の6月29日より霧雨、小雨が降る日が多く、気温は平年より低く、
梅雨の時節であるが、ときには梅雨の晴れはどうしたのょ、
と私は空を見上げたりして、戸惑ったりしてきた。

やがて7月10日を迎えると、10日ぶりの陽射しの中、午後より快晴となり、
急激に最高気温が28度ぐらいとなった。

一昨日の11日は快晴となり30度となり、今年初めて真夏日かょ、
と私は微苦笑したりした。
          

私は幼年期に農家の児として育てられた為か寒さには強く、暑さに何よりも苦手な身であり、
家内は寒さに弱いが、夏の暑さは30度ぐらいでは平然としている。
こうした風変わりな夫婦なので、困ったなぁ、と少しばかりため息をしたのである。

このような状況であり、家内はクーラーの冷風が苦手であり、
私はクーラーの冷風をこよなく愛するタイプであり、
毎年、夏の初め梅雨の時節は、我が家は『冷たい戦争』となってきた・・。

家内からすれば、女の人は冷え症の方が多く冷風は禁物なのよ、
と天上の神のような声に私には聴こえたので、
これ以来、私なりに多少耐えてきたのが実情となっている。

私が若き40代の当時、サラリーマンで奮闘していた時、
休日の時、テレビで確か主婦連の女性が、
夏のクーラーは程々に倹約して27度を超えたら、体調を配慮してクーラーを、
このような発言をしていた。

我が家は古い温度計しかなかったので、
まもなく私は真夏日の日曜日に渋谷のデパートに出かけて、
西ドイツ(現在・ドイツ)製の堅牢な温度・湿度計を購入したりした。
               
                我が家の居間にあるが、今回は特別に移動して記念写真とした。
そして、この後の暑い日になると、
『XXちゃん・・30度を超えているょ・・
主婦連だって・・体調を配慮してクーラーを・・と言っていたよ』
と私は温度計を指して、家内が見た後、クーラーの冷風をセットするのが、
ここ20年の我が家の習性となってきた。
          


一昨日の11日の午前中のひととき、私は平素の買物専任者のメール老ボーイの身であるので、
この日は歩いて10分ばかりのスーパーで買い物をしたりした。

燦々と陽射しが照らす中、夏の帽子を深くかぶり、半袖のスポーツシャツ、
長ズボンの容姿で颯爽と歩いたりしたが、汗ばみ、ハンドタオルで顔をふいたりした。
そして帰宅後、洗面所で冷たい水で顔を洗ったりした。

家内は窓を開け放ち、掃除をしていた・・。
そして部屋の片隅で、扇風機の羽根が元気よく廻っていたのであった。

『扇風機かょ・・』
と私は心の中で呟(つぶや)き、
やむなく私は団扇(うちわ)を取り出して、扇(あお)いだりした。

やがて昼下がりのひととき、私は奥の和室に簡易ベットを敷いて、
私は扇風機の風を受けながら、横たわりながら本を読んだりし、少し昼寝をしたりした。


昨日の12日の午前中のひととき、私はいつものように平素の買物し、
この日は歩いて8分ばかりのスーパーで買い物をし、帰宅した。

この後、私たち夫婦は昼食代わりの素麺(そうめん)を頂いている時は、
30度を超えていたので、
私は扇風機の風に吹かれて、家内と話したりしていた。

『節電の時世・・数年前、確か政府は28度ぐらいの室温に協力を・・と言っていたよねぇ・・』
と私はエアコンの冷気が苦手な家内に言ったりしたのである。

『そうでしたよねぇ・・』
と家内は微笑みながら私に言った。

『確か・・25年前頃・・主婦連の方たちが、夏のエアコンの最適な温度は、
27度ぐらいが理想的・・と記憶しているが・・』

『あの当時は・・エアコンは冷やすものだと・・
各家庭が寒いぐらいに冷やしていた時代だから・・適温を言ったのよ』
と家内は笑いながら私に言ったのである。

『先ほど、そこにある温度計・・30度を超えていたよ・・
我が家でも、今年初めてのエアコン・・セットしょうか?』

『今頃から・・エアコンのお世話になると、非国民と言われますよ・・』
と家内は私に言ったりした。

『非国民かょ・・XXちゃんも昭和24年生まれなのに・・よく知っているねぇ』
と家内より5歳ばかり齢上の私は苦笑したりした。
          

やがて3時過ぎ、家内は奥の納戸から収納している簾〈すだれ〉を取りだして、
各部屋に掛け始めた・・。

この間、クーラーの自動掃除をセットしたりした。

平年ならば学童が夏休みに入る21日の頃に、私の住む地域は『梅雨明け』となり、
これに順応して、我が家はクーラーの冷気の生活となるのであるが、
高齢者を大切にしましょう、と私は家内に幾たびか言ったりしていたので、
こうした効果が表れたのかしら、と私は微苦笑したりしていた。

そして、冷風を受けた私は、夏の熱い時期はこの世で一番の贈り物だ、
と確信を深めたりした。
          

このような事は、ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
          
            玄関の内部の窓辺、簾〈すだれ〉の上に、黒地の布をして、陽射しの熱さを防いでいる。

この熱い時季は朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾〈すだれ〉にして、風を通したりしている。

そして私は駅前までの片道徒歩20分のスーパーに行ったりした後は、
散策も近回りのコースを歩き廻ったりして、ときには扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
          

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも気合いを入れて、冬の寒さを思い浮かべて、
足早に歩いているのが実情であった。

こうした中でも、34度前後を超えた場合は、やむなく利便性の良い路線バスに乗り、
バスの車内の冷気に甘えて帰宅することもある。

もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車、病院に入院するは、
世の中にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。

そして帰宅後は、洗面所で顔を洗い、エアコンの冷気の中で、衣服を着替えたりしている。

この間、家内は平素の室内の掃除を終えて、
居間のエアコンの冷房を省エネの28度に設定している・・。
やがて居間、玄関の内部、洗面所、トイレ、台所など完全冷房となる。

そして私たち夫婦は、17畳ぐらいの居間で、日中の大半を過ごしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
或いはソファーに座り、本を読んだりし、ときおり庭を眺めたりする時、
ほのかな暗さを通して、樹木、草花が涼しげに見えたりし、微笑んだりしてきた。
              

この簾〈すだれ〉は紐でスルスル上げ下げの調整も出来、
その上に布地も少し左右に開くことが出来るようにしたので、
平安時代の高貴な女性の部屋のように思えて、私は家内に我が家は平安朝だよねぇ、
と時折たわむれた事を言ったりしている。

こうした中、居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして昼下がりのひととき、簡易ベットを敷いて、
私は横たわりながら本を読んだりし、ときには昼寝をしたりしている。

家内はソファーに座り、本を読んだりし、テレビを視聴したり、
日中のひととき、居間の片隅で夏掛けの布団にくるまり昼寝をしたりしている。

やがて夜の8時過ぎには、2階の寝室に冷房のセットをしたりしている。

このような我が家の夏の陣としているが、もとより熱中症で救急車のお世話になることは避けたく、
冷茶、アイスコーヒー、ときにはペットボトルの麦茶、ウーロン茶を飲んだりして、
私たち夫婦は熱い季節を過ごしたりしている。

こうした生活を残暑が残る秋のお彼岸の頃まで、過ごすが我が家の実態となっている。

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