私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし2011年(平成23年)の7月下旬のある日、
いつものように午前中のひとときに、駅前のスーパーに向かい買物に行った。
その後はいつものように本屋に立ち寄った時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思い出して、本書を手に取ったのである。

そして解説文を読んだりした・・。
《・・認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業――老後の生活にはさまざまなリスクが潜んでいる。
そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が破綻してしまうことも、
現代の日本社会では少なくない。
高齢者を助けるサービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。
苦しむ高齢者を一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために、何が必要なのか。
豊富な実例とともに考える。・・》
そして私は帰宅後、最優先に読み終えた後は、
長い老後を安らかに生きる為の教科書のひとつだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
本書の中では、《高齢社会の現実》の章に於いては、《高齢化の特徴》、《健康》、《血縁と地縁》、《家計》、
《事例で見る生活破綻》の章に於いては、《判断力の低下》、《健康状態の変化》、《予期せぬ事故・災害》など、
或いは《高齢者特有のリスク》の章に於いては、《生活破綻の実態》、《セルフマネジメント能力の低下》、《人間関係の変化》など、
そして終章の《高齢者の生活破綻を防ぐために》に於いては、多々実例を記載されている。
こうした本書は、齢を重ねた高齢者にとっては、誰しもが避けて通れない切実な難題が明記されている。
私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに今日まで至っている。
医院にお世話になったのは、私たち夫婦はお互いに歯が劣化して、
歯科医院に幾たびか治療を受けてきたぐらいである。
或いは私が2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。
このように年金生活で、生活破綻だけは回避致したく注意してきた・・。

、
本日、台風11号の影響で雨が降ったりしていた午前中の秋の健康診ひととき、
ネットで新潮社の公式サイト【矢来町ぐるり】を見たりしていた中で、
『日本の貧困と格差(前篇) 「年金では生きていけない赤貧の現場」――亀山早苗(ノンフィクション作家).』
という記事を読んだりした。
こうした不遇の赤貧の実例を学んだりした中で、
特に厚生年金受給者でも、或るご家庭は赤貧化を学び、動顛させられた・・。
無断であるが、ノンフィクション作家・亀山早苗(かめやま・さなえ)さんの寄稿文を転記させて頂く。
《・・コツコツと働けば定年後は年金で相応の暮らしが、というのは過去の話だ。
年金は引き下げられ、医療費や介護保険料は上昇。
ひとたび不慮の事態が発生すれば、赤貧状態に突入する。
もはや誰にとっても他人事ではない貧困と格差の現状を、3回にわたり報告する。
(略)
■厚生年金をもらっていても

厚生年金さえもらっていれば生活は安泰なのかといえば、そんなことはない。
人生は「まさか」の連続だ。
都内在住の坂口亮一さん(69歳)=仮名=は、同い年の妻と息子(40歳)の3人暮らし。
長女は結婚して北海道にいる。
高校卒業後、とあるメーカーに就職し、60歳の定年まで無事に勤め上げた。
大手企業ではなかったから給料は高くなかったが、妻もパートで協力、ふたりの子は大学を出してやることができた。
退職金は1000万円ほど。うち500万は自宅のローンの支払いに消えたが、
やりくり上手の妻は800万ほど貯金をしておいてくれた。
そして、坂口さんは定年後も関連会社で、嘱託として働いた。
「60代後半になったら年金も入ることだし、仕事は週に3日くらいにして、
夫婦で旅行をしようと話していたんです」

だが、65歳になり、ようやく年金が入るようになると同時に、妻が倒れた。
心筋梗塞だった。
手術を3回もおこなって一命はとりとめたが、入院、転院を繰り返すことになる。
「妻が入っていた医療保険は給付額1日数千円と少なく、貯金を取り崩していくしかありませんでした。
しかもその頃、結婚していた息子が離婚して、ひとりで出戻ってきたんです」
息子は自宅に帰ってくるや、仕事もやめ、ひきこもるようになった。
坂口さんは妻の看病に忙しく、息子の様子にまで気が回らなかったという。
「そのうち仕事を探すだろう、今は疲れているのだろうからそっとしておこう、と思ったのが間違いでした。
息子は養育費を払うと言いながら、働いてもいないから払えず、
結局、私が払うしかなくなったのです」
妻が蓄えてくれた貯金は、みるみる減っていく。
そのうち、家に置いてあったお金がなくなっているのに気づいた。息子である。
坂口さんは、何度も息子に「仕事を探せ」「具合が悪いなら病院へ行け」と言ったが、
息子はのらくらとしているだけだった。
「妻は今、リハビリ病院にいます。高額療養費制度などを利用していますが、
それでも、あれこれ含めると月に6万円以上かかります。
妻が倒れてからは年金だけの生活で、月に20万円になりません。
息子が払うべき養育費が月に3万円。息子にせびられて1万、2万と渡すこともあります」

小さな声で、坂口さんは話し続けた。
妻が倒れて4年で、彼自身4キロも痩せたという。
食事は自炊しているが、妻の料理とはほど遠い。
安い米を手に入れ、閉店間際のスーパーで安くなった総菜を買う。
60代とは思えないほど皺の多い疲れた表情に胸が痛む。
■相談することもできない
「息子との諍(いさか)いも増えています。
『そろそろ働いたらどうだ』と声をかけると、『仕事を探しに行くから金を貸してほしい』と言う。
『ちゃんと探しているのか』と叱ると、のそっと私の前に立つんです。
今にも殴られそうでね。警察にも相談しましたが、
誰かに危害を加えたわけではないので、いかんともしがたいと……。
こんな息子になってしまったのも、私たちのせいなんだと思います」

預貯金はすでに200万円を切っている。
妻の病気が長引けば、坂口さんの生活が破綻するのは目に見えている状態だ。
「預金通帳を見るたびに心臓がどきどきするほど、不安でたまりません。
妻は私が行かないと食事もとらない。
少し認知症が入ってきているかもしれない、と医者に言われました。
だけど、もう看病だけしてはいられない。
元いた会社にすがりついて、半年前から関連会社で週3日、働かせてもらっています。
月に7万円くらいにはなるのですが、それを知った息子にせびられて困っています」
坂口さんは大きなため息をつくと、「どうしてこんなことになってしまったのか」とつぶやいた。
1000万円を超える貯金があったとしても、夫婦どちらかが大病をすれば、
あっけなくなくなってしまうのが現実なのだ。
しかも、こういったケースでは、まだ生活が完全に破綻していないので、
どこかに相談することさえできない。
坂口さんも、妻が倒れてからは親戚づきあいをほとんどしていないし、
病院の相談窓口に行ったこともないそうだ。
「他人に迷惑をかけたくないから」
今まで社会を支えてきた人たちが、そうやって社会と縁を絶つように孤立していく。
彼の場合、息子のことも頭痛のたねだが、誰にも相談できていない。

厚労省が目安として発表している厚生年金の平均給付額は、約22万7000円。
だが、総務省の調査によれば、高齢者世帯の消費支出の平均は約23万4500円にのぼる。
最低限の消費支出に、年金がついていっていないのだ。
しかも、高齢になれば健康を損ねる確率も高くなるし、オレオレ詐欺にあったり、
投資だと騙されて預貯金を預けてしまうケースも増えていると、(略)
厚生年金だけでは、不慮の事態にはとても対処できない。
河合克義・明治学院大学社会学部教授は、
根本的には、年金制度の水準が低いことが高齢者の貧困を深刻化させていると言う。
「年金額が実質引き下げられていますし、国民健康保険や介護保険など、
払わざるを得ない保険料が、生活をさらに圧迫している。
それを支える家族も、ぎりぎりの生活をしていることが多い。
貧困状態にある高齢者は他者との交流が少なく、生きがいをもっていないケースがよくあります。
人間は、ただ生きるだけではなく、たまには旅行に行ったりコンサートに行ったりするような生活をすべきなんです。
それが憲法に謳われている『健康で文化的な最低限度の生活』のはず。
今は、その権利が崩れ去っていると思います」
高齢者の貧困問題は、まだまだ表層に出てきていない。
しかし、ギリギリの生活に不安を抱えながら、黙って耐えている人が大勢いる。
それは、明日のあなたの姿かもしれないのだ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私は改めて高齢者の貧困を学び、特に厚生年金受給者でも、転記させて頂いたご家庭が、
赤貧化になる実態を知り、動顛させられた・・。
やがて『誰しもが』この人生『予測もつかないまさか』の出来事に遭遇に、悲嘆な実態を学び、
無力な私は、涙を浮かべながら転記したりした・・。
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民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし2011年(平成23年)の7月下旬のある日、
いつものように午前中のひとときに、駅前のスーパーに向かい買物に行った。
その後はいつものように本屋に立ち寄った時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思い出して、本書を手に取ったのである。

そして解説文を読んだりした・・。
《・・認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業――老後の生活にはさまざまなリスクが潜んでいる。
そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が破綻してしまうことも、
現代の日本社会では少なくない。
高齢者を助けるサービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。
苦しむ高齢者を一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために、何が必要なのか。
豊富な実例とともに考える。・・》
そして私は帰宅後、最優先に読み終えた後は、
長い老後を安らかに生きる為の教科書のひとつだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
本書の中では、《高齢社会の現実》の章に於いては、《高齢化の特徴》、《健康》、《血縁と地縁》、《家計》、
《事例で見る生活破綻》の章に於いては、《判断力の低下》、《健康状態の変化》、《予期せぬ事故・災害》など、
或いは《高齢者特有のリスク》の章に於いては、《生活破綻の実態》、《セルフマネジメント能力の低下》、《人間関係の変化》など、
そして終章の《高齢者の生活破綻を防ぐために》に於いては、多々実例を記載されている。
こうした本書は、齢を重ねた高齢者にとっては、誰しもが避けて通れない切実な難題が明記されている。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに今日まで至っている。
医院にお世話になったのは、私たち夫婦はお互いに歯が劣化して、
歯科医院に幾たびか治療を受けてきたぐらいである。
或いは私が2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。
このように年金生活で、生活破綻だけは回避致したく注意してきた・・。

、
本日、台風11号の影響で雨が降ったりしていた午前中の秋の健康診ひととき、
ネットで新潮社の公式サイト【矢来町ぐるり】を見たりしていた中で、
『日本の貧困と格差(前篇) 「年金では生きていけない赤貧の現場」――亀山早苗(ノンフィクション作家).』
という記事を読んだりした。
こうした不遇の赤貧の実例を学んだりした中で、
特に厚生年金受給者でも、或るご家庭は赤貧化を学び、動顛させられた・・。
無断であるが、ノンフィクション作家・亀山早苗(かめやま・さなえ)さんの寄稿文を転記させて頂く。
《・・コツコツと働けば定年後は年金で相応の暮らしが、というのは過去の話だ。
年金は引き下げられ、医療費や介護保険料は上昇。
ひとたび不慮の事態が発生すれば、赤貧状態に突入する。
もはや誰にとっても他人事ではない貧困と格差の現状を、3回にわたり報告する。
(略)
■厚生年金をもらっていても

厚生年金さえもらっていれば生活は安泰なのかといえば、そんなことはない。
人生は「まさか」の連続だ。
都内在住の坂口亮一さん(69歳)=仮名=は、同い年の妻と息子(40歳)の3人暮らし。
長女は結婚して北海道にいる。
高校卒業後、とあるメーカーに就職し、60歳の定年まで無事に勤め上げた。
大手企業ではなかったから給料は高くなかったが、妻もパートで協力、ふたりの子は大学を出してやることができた。
退職金は1000万円ほど。うち500万は自宅のローンの支払いに消えたが、
やりくり上手の妻は800万ほど貯金をしておいてくれた。
そして、坂口さんは定年後も関連会社で、嘱託として働いた。
「60代後半になったら年金も入ることだし、仕事は週に3日くらいにして、
夫婦で旅行をしようと話していたんです」

だが、65歳になり、ようやく年金が入るようになると同時に、妻が倒れた。
心筋梗塞だった。
手術を3回もおこなって一命はとりとめたが、入院、転院を繰り返すことになる。
「妻が入っていた医療保険は給付額1日数千円と少なく、貯金を取り崩していくしかありませんでした。
しかもその頃、結婚していた息子が離婚して、ひとりで出戻ってきたんです」
息子は自宅に帰ってくるや、仕事もやめ、ひきこもるようになった。
坂口さんは妻の看病に忙しく、息子の様子にまで気が回らなかったという。
「そのうち仕事を探すだろう、今は疲れているのだろうからそっとしておこう、と思ったのが間違いでした。
息子は養育費を払うと言いながら、働いてもいないから払えず、
結局、私が払うしかなくなったのです」
妻が蓄えてくれた貯金は、みるみる減っていく。
そのうち、家に置いてあったお金がなくなっているのに気づいた。息子である。
坂口さんは、何度も息子に「仕事を探せ」「具合が悪いなら病院へ行け」と言ったが、
息子はのらくらとしているだけだった。
「妻は今、リハビリ病院にいます。高額療養費制度などを利用していますが、
それでも、あれこれ含めると月に6万円以上かかります。
妻が倒れてからは年金だけの生活で、月に20万円になりません。
息子が払うべき養育費が月に3万円。息子にせびられて1万、2万と渡すこともあります」

小さな声で、坂口さんは話し続けた。
妻が倒れて4年で、彼自身4キロも痩せたという。
食事は自炊しているが、妻の料理とはほど遠い。
安い米を手に入れ、閉店間際のスーパーで安くなった総菜を買う。
60代とは思えないほど皺の多い疲れた表情に胸が痛む。
■相談することもできない
「息子との諍(いさか)いも増えています。
『そろそろ働いたらどうだ』と声をかけると、『仕事を探しに行くから金を貸してほしい』と言う。
『ちゃんと探しているのか』と叱ると、のそっと私の前に立つんです。
今にも殴られそうでね。警察にも相談しましたが、
誰かに危害を加えたわけではないので、いかんともしがたいと……。
こんな息子になってしまったのも、私たちのせいなんだと思います」

預貯金はすでに200万円を切っている。
妻の病気が長引けば、坂口さんの生活が破綻するのは目に見えている状態だ。
「預金通帳を見るたびに心臓がどきどきするほど、不安でたまりません。
妻は私が行かないと食事もとらない。
少し認知症が入ってきているかもしれない、と医者に言われました。
だけど、もう看病だけしてはいられない。
元いた会社にすがりついて、半年前から関連会社で週3日、働かせてもらっています。
月に7万円くらいにはなるのですが、それを知った息子にせびられて困っています」
坂口さんは大きなため息をつくと、「どうしてこんなことになってしまったのか」とつぶやいた。
1000万円を超える貯金があったとしても、夫婦どちらかが大病をすれば、
あっけなくなくなってしまうのが現実なのだ。
しかも、こういったケースでは、まだ生活が完全に破綻していないので、
どこかに相談することさえできない。
坂口さんも、妻が倒れてからは親戚づきあいをほとんどしていないし、
病院の相談窓口に行ったこともないそうだ。
「他人に迷惑をかけたくないから」
今まで社会を支えてきた人たちが、そうやって社会と縁を絶つように孤立していく。
彼の場合、息子のことも頭痛のたねだが、誰にも相談できていない。

厚労省が目安として発表している厚生年金の平均給付額は、約22万7000円。
だが、総務省の調査によれば、高齢者世帯の消費支出の平均は約23万4500円にのぼる。
最低限の消費支出に、年金がついていっていないのだ。
しかも、高齢になれば健康を損ねる確率も高くなるし、オレオレ詐欺にあったり、
投資だと騙されて預貯金を預けてしまうケースも増えていると、(略)
厚生年金だけでは、不慮の事態にはとても対処できない。
河合克義・明治学院大学社会学部教授は、
根本的には、年金制度の水準が低いことが高齢者の貧困を深刻化させていると言う。
「年金額が実質引き下げられていますし、国民健康保険や介護保険など、
払わざるを得ない保険料が、生活をさらに圧迫している。
それを支える家族も、ぎりぎりの生活をしていることが多い。
貧困状態にある高齢者は他者との交流が少なく、生きがいをもっていないケースがよくあります。
人間は、ただ生きるだけではなく、たまには旅行に行ったりコンサートに行ったりするような生活をすべきなんです。
それが憲法に謳われている『健康で文化的な最低限度の生活』のはず。
今は、その権利が崩れ去っていると思います」
高齢者の貧困問題は、まだまだ表層に出てきていない。
しかし、ギリギリの生活に不安を抱えながら、黙って耐えている人が大勢いる。
それは、明日のあなたの姿かもしれないのだ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私は改めて高齢者の貧困を学び、特に厚生年金受給者でも、転記させて頂いたご家庭が、
赤貧化になる実態を知り、動顛させられた・・。
やがて『誰しもが』この人生『予測もつかないまさか』の出来事に遭遇に、悲嘆な実態を学び、
無力な私は、涙を浮かべながら転記したりした・・。
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