夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活15年の我が家、私たち夫婦はふたりで一人前かしら、と微苦笑を重ね、やがて・・。

2018-12-19 15:01:02 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。

私は民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や15年目となっている。

              

過ぎし年、年金生活を始める前、私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸14年を過ごしてきた。
  
                     

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は専業主婦の延長戦のように料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。


平素の私は、
何かとプラス思考の上、母の遺伝を純粋に受けたらしく、男の癖におしゃべりとなり、
血液型はB型となっている。

家内はA型の性格を忠実に受けたらしく、洗濯、掃除、料理など徹底的にしてくれるので、
死語となってしまった昭和妻の役割をして、専業主婦の鑑(かがみ)のような人となっている。

私たち夫婦で欠けていることは、無念ながら子供に恵まれなかったことぐらいかしら、と私は思ったりしている。
 
                     


このように我が家は、私たち夫婦はふたりで一人前かしら、と微苦笑する時もある。
        
こうした風変わりなカップルの夫婦であり、
過ぎし日に、私はおとぎ話の桃太郎の一部を思いを重ねることもあったりした。

《・・山里にお爺さんとお婆さんが仲よく住んでおりました。
まことに情ぶかい正直ものでありましたから、村人からも慕われておりましたが
淋しい事に子供がありませんので、お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行って一生懸命働きながら・・》

我が家の午前中は、私は平素の買物専任者、家内は家の中の料理、掃除、洗濯などをしているので、
何かと単細胞の私は《・・お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行って・・》を想い重ねて、
独り微苦笑する時もある。

              

しかしながら、ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をする時もある。

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で88歳の身となっている。

過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や15年になっている・・。            
     
これ以来、長女の家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の大掃除、支度などで、6泊7日前後で行ったりしてきた。
            
やがて家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、整形外科に通院して、
こうした中で、担当医師から杖(つえ)を使うように勧められて、
これ以来、家内の母は杖(つえ)を頼りに、買い物などをして過ごしてきた。
  
こうした後、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
5年前の頃から少し遠い大学病院で検査、そして入院したりして、
骨粗しょう症と筋力低下、と診断されたりした。

この後、退院後の検査をした後、リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

まもなく家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
        
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、
家内は独り住まいの家内の母宅に5泊6日前後で行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごし、早や15年となっている・・。

              

こうした中、私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

こうした体験をしてきた私は、ときおり
『おひとりさま』の生活をしている中、
いつの日にか、まさかの出来事で、私を残して、家内があの世に旅立たれることも、
思い馳せることもある。

この時の思いは、このサイトで投稿してきたので、今回は省略する。

何にはともあれ、年金生活15年生の私は、たとえ私たち夫婦はふたりで一人前であっても、
ささやかな生活が継続できれば良い、と思いながら微笑んだりしている。
       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする