夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

猛吹雪「ホワイトアウト」で家見えず 自宅数10センチ手前で凍死、私は学びながら涙を浮かべて・・。

2019-01-19 16:24:48 | ささやかな古稀からの思い

昼下がり、ネットでニュースを見ようと、バソコンを立ち上げて、
私は【YAHOO! JAPAN】を設定しているので、

トップ画面には、トピックスのニュースが表示されている。

こうした中に、『 吹雪で見えず?  自宅手前で凍死 』と見出しがあり、
私は動顛しながら記事を読んでしまった・・。

この記事は毎日新聞の記事のひとつであり、真貝恒平・記者が綴られた記事であり、
『 猛吹雪「ホワイトアウト」で家見えず 自宅数十センチ手前で凍死 北海道当別町 』と題して、
毎日新聞の公式サイトが2019年1月18日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
17日午後10時25分ごろ、北海道当別町茂平沢の無職、
古市栄治さん(66歳)の自宅玄関の数十センチ手前で、古市さんが倒れているのを警察官が見つけた。

古市さんは搬送先の病院で死亡が確認され、死因は低体温症による凍死だった。

現場付近は当時、吹雪で視界が遮られる「ホワイトアウト」で、
古市さんは玄関前にたどりつきながら、力尽きたとみられる。
そばには玄関の鍵が落ちていた。


当別町は札幌市の北側にあり、札幌管区気象台によると、
当時の当別町内の気温は不明だが、隣接する石狩市は氷点下11.2度にまで冷え込んでいた。


道警札幌北署によると、古市さんから17日午後4時20分ごろ、
「車が雪山に突っ込んだ」と110番があった。

「自力で脱出できる」とも語ったが、その後、連絡が途絶えた。

署員が捜したところ、午後10時過ぎ、自宅から約120メートルの路上で、雪山に突っ込んだ車を発見。
自宅に向かい、古市さんを見つけた。


古市さんは1人暮らし。
運転中にホワイトアウトで視界が利かず、雪山に数回突っ込んだ後、
車を置いて、徒歩で自宅に向かっていたとみられる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                            

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつで、
私が70歳の頃までは、冬の北海道を幾たびも訪れて、宿泊地より周辺を歩き廻ったりしてきた。


過ぎし2015年2月中旬、私たち夫婦はサロマ湖の東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に3連泊した朝、
次の宿泊地の網走湖の湖畔にある観光ホテル『網走湖荘』に向かう準備を終えた。

そして朝食前に館内にある売店で、大きな旅行ケースを宅配便で自宅に送付する為に手続きをしたりした。

次の網走までは、私たちがこのサロマ湖まで来た『エクスプレスバス』を活用すれば、
『サロマ湖鶴雅リゾート』13時45分・発に乗車し、やがて網走の『おーろらターミナル』14時35分・着で、
わずか50分たらず近い道のりである。

しかしながら私たちは早めに網走に行って、網走湖の湖畔にある『網走湖荘』の付近で、
冬のイベントのひとつの『あったか網走』で、熱気球などに乗って体験したい為に、
当初よりコースを改定していた。

『サロマ湖鶴雅リゾート』よりホテルの送迎車でJRの『北見』駅まで行き、
その後は10時45分・発の各駅列車で『網走』駅に11時46分・着、
そして駅前より網走湖荘』まで路線バスで行く、予定を立てていた。


やがて8時半過ぎにチェックアウトをして、お世話になったホテルに別れを告げた。
       


そしてホテルのご厚意の送迎車に私たち夫婦は乗車し、たまたま同乗したは若き20代のご夫婦であった。
湖畔は粉雪(こなゆき)が降り続け、ときおり風も伴い視界も悪くなった・・。

まもなく9時にホテルを出発し、同乗した若きご夫婦と談笑する中、
北見市にお住まいで、平素は自動車を利用しているが、このような暴風雪は怖くて・・
と若き男性は私たちに言ったりした。

       

送迎車を運転して下さる方は、50代年配の男性で、大半は除雪されていた道路を疾走してくれたが、
路肩に除雪された粉雪がうず高く小山となり、この除雪された粉雪は風が吹くと舞い上がり、
前方の道路の視界を遮(さえぎ)ったりする。

或いは付近の平地の積雪している粉雪も、風で舞い上がり、道路の視界を遮(さえぎ)ったりしている。

私は運転して下さる方は、『暴風雪のようで、運転するも大変ですね』
と言ったりした。

『このような悪天候は慣れていますが・・怖いは道路に人が突然に出てくることです・・視界ゼロに近いですから』
と運転して下さる方は、私に言ったりした。

私たち夫婦は北海道の冬の旅路は幾たびもしてきたが、このような長く視界ゼロのような状況は、
初めて経験した。

やがて運転して下さる方の技量で、予定通り10時にJRの『北見』駅前に到着した。
そしてそれぞれお互いに、お気を付けて・・と別れを告げたりした。

この後は、石北本線の各駅列車は全面運休、そして『特急オホーツク』列車だけが運行となったが、
大幅に遅延したりした。

この後の旅程も
暴風雪に翻弄された私たち夫婦だったりした。

            

この間、オーホック海に面した各地域で、ここ10数年でも、
過酷な暴風雪で多くの御方が亡くなわれたことを学んだりしてきた。


このような心情を秘めている私は、今回の地元の男性が、
《・・古市さんは1人暮らし。
運転中にホワイトアウトで視界が利かず、自宅から約120メートルの路上で、雪山に数回突っ込んだ後、
車を置いて、徒歩で自宅に向かって・・玄関前にたどりつきながら、力尽きたとみられる。
そばには・・玄関の鍵が落ちていた。
・・》

私はこうした状況を読みながら、涙を浮かべたりした・・。

コメント
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