私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
新年の1月4日より心臓の悪化に伴い、循環器専門の病院に8泊9日の入院し、
1月12日の午前中に退院し、我が家に帰還した。
我が家は、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
今回、退院した帰宅後は、何かとぼんやりと過ごしたりしている。
やはり私は、年金生活を15年目を過ごす中で、心臓の悪化に動揺したり、
まして入院して、応急治療を受けたことに失墜感を感じたりした。
私は40代のなかばに、ギックリ腰を悪化して、整形外科の病院に、28泊29日の入院体験があるが、
この時の退院後の真情は、年齢差を配慮しても、余りにも差異を感じたりした。
もとより心臓の悪化は、死に至ったり、病状の結果、日常生活に制約される場合もあり、
私なりに恐れていたことも確かにあったりした。
やがて退院まぎわになると、何かしら思考回路が、明晰に感じ伝わらないのである・・。
今回の入退院の変化は、運動もできず、病院食事のカロリー制約もあり、もとよりお酒も呑めないので、
体重が3キロ減少し、体力の衰えも実感している。
そして入院を機に、タバコを禁煙宣言して、今日に至っている。
私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっていた・・。
やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないので、
遅ればせながら禁煙している。
このような反動として、何かしら思考回路が、脳裏から舞い降りてくるのが、
途絶えてしまうように、ときおり感じている。
私は若き20歳前後、映画、文学青年の真似事をしている時、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。
こうした習性が50年以上続き、禁煙した今は、
言葉とか文章が以前のように舞い降りてこなくなり、戸惑ったりしている。
そして私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりした。
本日、体力も衰えているし、思考回路の修復は程々の期間を要するので、
早春の花をたずねて、都立の神代植物園に行ったりした。
私は年金生活14年の中で、都立の神代植物園は月に2回ぐらい訪ね、
季節の移ろいを享受してきたが、今回の入院前後の真情は予測した以上に差異があり、
戸惑ったりしている。
こうした根底には、以前は死を意識したこともなかったが、
今回より死を心の片隅に、意識し始めたことである・・。
そして園内を3時間ばかり歩いたりしたが、やはり入院期間の運動不足があり、
体力の衰えを実感したりした。
今回もいつものようにデジカメで撮ったりしたが、うつろな思いで散策して、
我が家に帰宅したのは、午後2時すぎであった・・。
やがて、こうしたブログの投稿文を書いているが、まとまった文章にならず、
困ったなぁ、と独り微苦笑をしたりしている。