夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

元旦そうそう、恥ずかしながら救急車に私はお世話になり、思いがけないことが避けがたく・・。

2019-01-02 11:59:37 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。


こうした中で、我が家の年末年始に関しては、
私の母が亡くなる1998年(平成16年)の生前までは、
家内が奮闘して、世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
素材の購入から料理までを一週間ぐらい要して、ふたセットを作ったりしていた。

そして独り住まいの私の母に、大晦日(おおみそか)の31日に私は届けた後、
家内の両親を我が家に迎えて、大晦日の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をした後、
宿泊して頂き、
翌日の元旦に家内の両親は帰宅されたりした。

この翌日の2日には、私は三男坊の身であり、私の実家で私の長兄宅で、
私の母を中核に、私の兄妹、親戚一同で、華やかに『新年会』を行ってきた。

こうした行事が、私の母が亡くなるまで20数年続いたりした。

この後は、私の長兄宅での『新年会』は消滅し、
家内の両親を我が家に迎えて、『お年取り』をした後、共に新年を迎えることも消え去り、
私たち夫婦は年末年始の5年間は、国内の冬の旅路を重ねてきた。

やがて私が定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に家内の父が死去し、
家内の母は独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て貰っている。

そして私たち夫婦は、この時節の年末年始を共に3人で過ごすのが、
ここ14年間となってきた。

そして本年は、介護・要となってしまった家内の母は、我が家に来るのも難儀となり、
私たち夫婦は15年ぶりに、ふたりだけの年末年始となるが、
家内は新年早々の2日より、家内の母宅に介護で行く予定となっていた。

                         

こうした中、
大晦日の『お年取り』を、
私たち夫婦は料理を食べながら、私は濃いウィスキー水割り、家内はワインを呑みながら、
15年ぶりに、ふたりだけの談笑したりした。

やがて10時過ぎに私は眠くなり、二階にある寝室に行き、布団にもぐりながら本を読んでいるうちに、
眠りこけた・・。

深夜の未明に私は目覚めて、まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

過日の10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて5時過ぎに、私は痛みが半減してきたので、バソコンで
『心臓の痛み・・』と検索した。

まもなく『 急に胸が痛くなり続いています。心臓や肺の病気でしょうか? 』と題された
『社団法人 日本呼吸学会 』のホームページが明示された。

《・・胸部には、肺、胸膜、心臓、骨、神経、筋肉、一部の消化器臓器が存在し、
様々な原因が考えらます。

痛みの原因がなにかを推測するためには、
(1)どのような痛みか(刺すような痛みか、鈍い痛みか、圧迫されるような痛みか、締め付けられるような痛みか)、
(2)どこが痛いか(左胸部か、前胸部か、背部か、首や肩に放散するか、局所的か、いつも同じところか)、
(3)どのくらい持続するか(瞬間的か、数分か、数時間からそれ以上か)、
(4)どのような時に痛むか(動いた時か、安静時か、体位を変えた時か、呼吸との関連があるか、食事との関係があるか)、
(5)ほかに症状があるか(呼吸困難、発熱、冷汗、吐き気、嘔吐など)を知る必要があります。

これらの点が原因を推測するうえで重要なポイントになるので、
説明できるようにしておくことが大事です。(略)

心臓と肺の病気は、胸痛を伴う頻度が高く、緊急性を有することが考えられます。
症状が耐え難く、持続している場合は、直ちに救急病院を受診するようにしてください。

症状が比較的軽い場合は、内科、とくに呼吸器内科または循環器内科に受診することが望ましいでしょう。(略)・・》

ここまで読み終わった後、狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は何かと大変だ、と思い、
救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。

            

やがて、先導された救急部隊の自動車に乗車した女性から、
『今、XX
さん宅に向かっていますが、痛みに関しての病状の経過をお知らせ下さい・・』
このような問い合わせが電話があり、私は2時頃より耐えがたい痛みがあり、
今は半減していますが・・詳細状況を伝えたりした。

やがて我が家に救急車と先導された救急部隊の自動車が到着したのは、元旦の6時過ぎであった。

そして私は、救急車に同乗された男性から、心電検査など丁重に検査を受けた後、
病院で詳細検査を受ける為、私たちの希望を配慮して、行先の病院を救急部隊の2名が問合せをして下さった。

結果として、世田谷区の東名自動車道の入口に近い瀬田地区にある大きな病院に、
先導された救急部隊の自動車、そして私たち夫婦が同乗した救急車が向かった・・。

私は救急車の車内でタンカーに乗せられながら、元旦そうそう救急車にお世話になるのかょ、
と失墜しながら、ときおりサイレンの音色を聴いたりした。

やがて指定された大きな病院に到着した後、緊急治療室にタンカーに乗せられて運ばれ、
ベットに移された後、心臓に関する詳細検査を受けたりした。

結果として、午後の2時頃から耐えがたい痛みを100とすると、10ぐらいに沈静化した為か、
受診時には異常な状態がなく、ある一面、私はやがて安堵したりした。

            

やがて男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて薬剤コーナーで、『ニトロペン錠』などを頂いた後、
病院前よりタクシーに乗車したのは、9時半過ぎであった。

そしてタクシーの車内で、元旦そうそう救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、
まさかの出来事だったょ・・と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。

まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3日を過ごすこととなり、
私たちは初めて静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・と家内から言われたりした。

やがて私たちは高齢者夫婦であり、何かとプラス思考の私でも、
これからの晩秋期は、どちらかが思いがけないことが避けがたく、
幾たびも何らかの形で遭遇かしら、と思ったりしている。

コメント (4)
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