私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
こうした中、過ぎし35年近くのサラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
15年近く過ごしてきた年金生活は、予測した以上に安楽な生活を享受している。
しかしながら、誰しも高齢者になれば、いつの日か自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
何かと単細胞の私でも、漠然としながらも思案する時がある。

私の父は、肝臓を悪化して、町の医師に来宅して頂き、自宅治療をしていたが、
まもなく私が小学2年生の時に、42歳の若さで病死した。
こうした時、私は兄妹の5人の中、母は大黒柱を失い生活が困窮して、
やがてモルタル造りのアバートを経営して、実家から別居していた。
やがて私が20代の終わりの頃の結婚前に、母と一時同居していた時、
遠い親戚の裕福の女性の御方が、身体を壊して、高級な介護施設に入居されていたが、
たまたま母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と私は母より教えられた。
『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』 と母は私に言った。
母は寝たきりになった時の自身の身を想定し、実家である私の兄の宅などで、
下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。
そして容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分たちの漠然としながらも、死生観は一致していたりした。
こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看病し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように状況で、介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、とこの当時の私は思ったりした。
やがて母は私が50代の初め、婦人系のガンで、都内の病院で幾たびも入退院された後、
私が53歳の時、母は78歳で亡くなった。
しかし母が懸念した下半身の世話をなることがなかったので、私なりに安堵したことは確かであった。

私は年金生活を始めて、3年過ぎた頃から、
いつの日にか認知症、脳梗塞など、そして寝たきりになる前に、
ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしていた・・。
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、ペットポドルの煎茶を飲みながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、 といった状況を願ったりした・・。

しかしながら、この5年を過ぎた頃、私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。
がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。
現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。

そして『急性心筋梗塞』の場合は、
《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、 “熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”
と口にしていた。 ・・
手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》
このような『急性心筋梗塞』のことを学び、
何かと小心者の私は怯(おび)えながら、 勘弁してほしい、と思ったりしてきた。
このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。

この後、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。
こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。
家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。
このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

こうした中、人が人としての尊厳を保ちながら亡くなる『尊厳死』を知ったりした。
《・・医学が進歩したことで、かつては助からなかった多くの命が、救われるようになりました。
しかし、一方で、不治で末期となっても、何らかの治療措置を行うべきとされ、
負担の大きな医療行為を受けることに苦しんでいる患者もいるのです。
そのような患者が自分の現状を受け入れて延命処置を断り、
自然経過の死に臨んで亡くなる方法を尊厳死と言います。
不治で末期とは、治療による回復をまったく見込むことができず、
死への進行が止められない状態のことです。
ひとつの判断が大切な命を絶つことに直接つながるため、
尊厳死は患者本人の健全な判断が重要となります。
延命処置を行わない尊厳死を選ぶことで、病気が進行し、
体に痛みやけだるさを感じるようになったり、
病気への強い不安を感じたりしてしまうケースは少なくありません。
このようなことから、尊厳死を選択する際には、
患者の肉体的・精神的負担を少しでも和らげるための緩和医療を施されることが一般的です。
緩和医療とは、延命処置をしないで死を迎えるにあたり、
病気による痛みや疲労感・倦怠感などの苦痛を取り除くことを目的とした医療を言います。
苦痛を軽減し、最期まで生きがいや生きる活力を持ちながら、
人間として自分らしい生活を送り最期のときを迎えるためにも、
尊厳死と緩和医療は切っても切れない関係とされているのです。
また、緩和医療は科学的な裏付けをもった医療であり、患者の症状を改善させるだけではなく、
患者を支える家族を支援することも目的となっています。・・》
こうしたことを厳粛に私たち夫婦は学んだりしてきた・・。
そして新型コロナウィルスで不用不急の外出自粛の今年の春、
私たち夫婦は『終活』をしている中、葬儀、墓地などに関しながら、
終末期の『尊厳死』の手続きをしたりした。
こうした中、尊厳死についての活動を行う団体に「尊厳死協会」があり、
尊厳死の定義やリビング・ウィルなどの普及啓発を目的として設立された団体と知っりした。
《・・日本尊厳死協会では、延命治療を続けないことを希望する患者の「リビング・ウィル」を登録管理し、
不治で末期の状態となったときを想定して、事前に患者の尊厳死の意思を明確に残しておくための書類で、
あらかじめ、終末期医療に対する希望を書き残した医師らへの指示書を用意しておく、と学んだりした。
そして日本尊厳死協会では、リビング・ウィルとして尊厳死宣告書を発行し、
尊厳死宣告書は、自分が不治の病で末期の状態となってしまったときに、
終末期の医療について患者自身の意思表示をするための書類です。
尊厳死宣告書には、「リビング・ウィル-終末期医療における事前指示書」と、
その補完として「私の希望表明書」が提供されています。
本人の希望表明とは、たとえば、回復不能な植物状態が継続するような状態となったときには
延命処置を止めてほしいといった内容です。
また、苦痛を和らげるような措置については、
できる限り受けたいといったような希望を表明することもあります。
本人が記載した原本と併せて、原本証明付きのコピーも2枚送付されるため、
いざというときに備えて家族などに預けておくことも可能です。
決断のときに、どのような医療を受けたいか、医療を受けることを望まないかを自分で決めることは、
憲法に保障された基本的人権のもとである自己決定権です。
また、最期のときまで自分らしく生きるための過ごし方を選択することは、
患者自身の存在を尊重することにもつながります。・・》