夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『父の日』、少子高齢化の中で、私は罪人(つみびと)のように感じながらも、多岐に思い馳せて・・。

2020-06-20 14:55:26 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
昨夜、机の脇机の引き出しを整理していたら、
古びた新聞の記事の切り抜き記事があったりした・・。

私は手に取ったら、過ぎし2006年6月15日の読売新聞であり、
【父の日 川柳】の記事であったりした。

何かしら
デパートの新宿タカシマヤが、
父の日を前に一般から募った『父の日 川柳コンテスト』の

入賞作品の発表記事だった。

          

こうした中で
大賞に選ばれたのは、
    アルバムの 父娘の割合 一対九
解説に寄ると、家族内で存在感の薄い父親の現状を嘆いたものでなく、
「写し手」になることが多い父親の娘に対する愛情を表現した作品。

そして入選作品として、

20作品が紹介されているが、私が瞬時に魅了されたのは、下記の3句であった・・。
   父さんの 愚痴をきいている 発泡酒
   父の日も 父は手酌の 背を丸め
   母の日は ホテル父の日は ファミレスで

或いは私がいつの日にか晩年になった時、
   年ごとに 無垢(むく)なこどもに 還る父
このような父親に羨望したりした。

          
      
私の父は、私が小学2年の時の1953年〈昭和28年〉の春に42歳の若さ病死され、
家内の父は、私のサラリーマン定年退職の直前の2004年〈平成16年〉の秋に、
入退院を繰り返してきたが77歳で他界された。

そして私たち夫婦は、無念ながら子供に恵まれなく、
私たち夫婦生活の44年間の中で、最大の誤算となっている。

もとより夫婦であれば子供をさずかり、子供を育てる重責の一面を果たしていないことを思い浮かべ、
ときおり後ろめたさを感じたりする時もある。

このようなことで少子高齢化の中で、罪人(つみびと)のひとり、と思う時もある。

そして私は毎年『父の日』を迎えても、子もなく、もとより孫もいなく、寂しい日となっている。

                              

このような事情で、私としては父親の資格もなく、語る資格もないが、
何かしら父親が存命している、ご愛息(あいそく)・ご愛嬢(あいじょう)に、
秘かにお願いをしたいことがある・・。


子供の立場として、男子たる場合は幾つになっても『母親』を何かと慕(した)い、感謝し、
『父親』は何かと二の次になることが多いと思われる。

特に成人した頃からは、父親が現役で奮闘している場合は、
息子は何かとライバル視する傾向が多く、素直な父と息子の親子の心情のふるまいや会話ができなく、
やがて父が高齢者になり、しぐさが衰えたり、或いは死去されたりする。

そして 初めて父親が家庭を守る為に、孤軍奮闘してきた長年の言動に気付き、
遅ればせながら父の人生航路に感銘を覚えることが多いと思われる。

女の子の場合も『母親』を日頃から何かと纏(まと)いつきながら重視しがちであり、
父親からすれば、自身の愛(いと)しき妻よりも、遥かにご自分の娘がこの世界で一番可愛い、
と私の多くの知人から聞いている。

                    

こうした深情、或いは情念もさることながら、
未成年、成人した子供を問わず、たとえプレゼントする品がなくとも、
『お父さんのお陰で・・』
と何かしら感謝の言葉を父親に労(ねぎら)いの一言を切に願っている。

或いは直筆のメッセージを綴られることを願ったりしている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする