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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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日本テレビの長寿番組『はじめてのおつかい』が海外で話題になった真の理由、77歳の私は学び、微笑みを重ねて・・。

2022-04-23 15:18:46 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 東洋経済オンライン 】を見ている中、
《・・
 
Netflixで3月31日から世界配信が始まった日本テレビの長寿番組「はじめてのおつかい」が
海外でバズっている(写真:日本テレビ)

 
Netflix、Amazon プライム・ビデオ、Huluなど、
気づけば世の中にあふれているネット動画配信サービス。

時流に乗って利用してみたいけれど、「何を見たらいいかわからない」、
「配信のオリジナル番組は、本当に面白いの?」という読者も多いのではないでしょうか。

本記事では、そんな迷える読者のために、
テレビ業界に詳しい長谷川朋子氏が「今見るべきネット動画」とその魅力を解説します。



☆日本の長寿番組がSNS上で超話題

長寿番組「はじめてのおつかい」が突如、海外でバズっています。

「海外で大きな反響を呼んでいる」と、Netflix公式アカウントが4月12日にツイートし、
その事実を明らかにしました。

なぜ、ここにきて国境を越えて、話題を呼んでいるのでしょうか。
その背景は、日本テレビのビジネス戦略から読み解くことができます。

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「はじめてのおつかい」は、生まれて初めて「おつかい」に出かける幼児の姿に密着した
日本テレビのドキュメントバラエティーとして、国内では、よく知られた番組です。

3歳ぐらいになると自我が芽生え始め、小さな子どもでも、徐々にひとりでできることは増えるものの、
親の代わりに、ひたすらに役割を果たそうとするその様子は、あまりにも健気で純粋。

途中、転んで泣いたり、忘れて遊んだり、
時に変装したカメラマンに気づきそうになったりと、ありのままの先の読めない内容も飽きません。


いつの時代でも通じる普遍性を持ち、長年、愛されている番組でもあります。
初回放送は1991年に遡り、当時、日本テレビ系列で放送されていた
情報番組「追跡」のワンコーナーから始まった企画でした。

この番組終了後、1994年から「はじめてのおつかい」の番組タイトルで単発番組の放送が続けられ、
現在は、夏と新春の時期の特番として定着しています。



☆海外用のタイトルは『Old Enough』

そして、この春から番組史上最大規模となる世界展開が加わりました。
2022年3月31日からNetflixを通じて、
過去の放送から「おつかい」場面を集めた計20話の世界同時配信が190か国以上で始まったところ。

2億人以上のNetflixユーザーに届けられています。
Netflixの棚に加わった海外用のタイトルは「Old Enough」です。

日本語にすると「もう大きいもん」といったニュアンスでしょうか。
日本テレビの海外事業部が敢えて直訳せず「短くて世界で通じるキャッチーさ」にこだわって考えたものです。

海外版タイトルは「Old Enough」。
日本テレビの海外事業部が「短くて世界で通じるキャッチーさ」にこだわって付けた(写真:日本テレビ)


その狙いもあってか、予想以上の反応を受けています。
初動の段階から、ツイッターやTikTokなどSNS上で、
「愛くるしい」、「一気見した」といった番組の感想を投稿する数が増え、
欧米の大手海外メディアやセレブも、積極的にその現象を取り上げ始めています。

番組の中身のみならず、日本の番組作りの独自性や
子育て論にまで発展しているほど話題になっています。

では、なぜ配信直後から「はじめてのおつかい」が、海外で話題になっているのかというと、
要因は大きく分けて2つあると分析しています。

配信全盛期であることが影響し、
“日本らしさ”が、最大の売りになっていることが理由の1つ目です。


“日本らしさ”は、子どもの「おつかい」に集約されています。
日本の特に昭和の時代は、子どもの「おつかい」はお手伝いの一種であり、
身に覚えがある方も多いでしょう。

今の時代は、住む場所によっては危険性を伴うものへと変化していますが、
番組では、地域が見守ることで成立する「日本の古き良き慣習」として紹介され続けています。

その味付けとして、北海道・函館や福島・喜多方、東京・月島、宮崎・日南などを舞台に、
日本の原風景や食、伝統がさりげなく伝えられています。
それが総じて“日本らしさ”として映るわけです。

過去の放送から「おつかい」シーンを集めた全20話。
途中、忘れて遊んだりする幼児の愛くるしい姿に海外の視聴者も夢中になっている(写真:日本テレビ)


ただし、以前は、多種多様な文化や習慣が色濃く反映された番組は、
“異質なもの”と捉えられがち。
海外流通するためには、手の込んだアレンジが求められました。

配信時代に入ると、それが“独自性”へと変換され、海外流通されやすくなっています。
さらにSNSを通じて、議論に発展していく傾向が高くなっています。

実際に「はじめてのおつかい」を巡って、
日本独自の背景を持った「おつかい」文化に関心が向けられています。


☆子どもごとに10分〜20分の尺

また欧米のスタンダードに合わせて、番組を大きく作り変えることが
必須ではなくなってもいます。

Netflixで配信されている「はじめてのおつかい」は、
過去の映像が十分に活かされています。

日本の放送版との明らかな違いは、
世界の多くの視聴者が慣れ親しむリアリティーショーのスタイルに合わせて、
スタジオトーク部分をカットし、1話の尺を主役の子どもごとに10分~20分の見やすい長さに
再編集している点のみ。

あとはB.B.クイーンズが歌うあのオープニングソングから始まり、
日本語のいつものナレーションが流れ、日本独特の色とりどりのテロップもそのままです。
英語をはじめとする31言語の字幕付きで提供されています。


「はじめてのおつかい」が海外でバズった要因の2つ目は、
その背景にビジネス戦略が組み立てられていたことに尽きます。

そもそも日本テレビにとって、「はじめてのおつかい」の海外展開の真の目的は、
当然ながら収益化にあるはずです。

この番組の海外展開は、今回が初めてというわけではありませんが、
世界最大規模の配信プラットフォームNetflixを通じて、さらに認知度が拡大し、
世界中でリメイク化の機運が高まっていることを、日本テレビ海外事業部も認めています。

一方、Netflixは、ドラマや映画のみならず、リアリティーショー番組の多様性にも
力を入れる方針を進めています。

日本で長年にわたり人気を誇り、撮影方法からコンセプトまで
独自性のある「はじめてのおつかい」は、理にかなうコンテンツであると思われます。

つまり、日本テレビとNetflixの双方が合致した戦略なくして、
結果として、バズを生むことができなかった、と解釈できます。

「日本の古き良き慣習」が独自性として映る時代。
それが海外でバズを生み出した要因の1つにある(写真:日本テレビ)


すでに「はじめてのおつかい」の海外リメイク化は、進められています。
海外における子ども向け番組の需要は、日本以上に高く、
ファミリー層にも受けが良い「はじめてのおつかい」は、海外で年々契約数を増やしているところです。

2007年にイタリアで現地版が制作・放送されたのを皮切りに、
2009年にイギリス、2011年にベトナム、2013年に中国、
2019年にシンガポールで、現地版が制作・放送される実績を作っています。

ベトナムでは、シーズン6まで続く人気ぶりで、
シンガポールでも、シーズン3の制作が決定し、ヒットしていることがわかります。


☆「¥マネーの虎」の成功例

日本テレビ制作のバラエティー番組が、海外で成功している事例は他にもあります。
「¥マネーの虎」が、その代表例に当たります。

海外リメイクの展開国は45を超え、世界的にも世界ヒット番組として、
認識されています。

日本国内では、放送終了している番組ですが、
アメリカの4大ネットワークのABCやイギリスの公共放送BBCなどで、
今もなお放送が続いています。

これは要するに長期的なリターンが、実現していることを表しています。
事実、「¥マネーの虎」単体の海外売上は年々増加し、
累計で数10億円の収益を生み出しています。

日本テレビに、とって今回の「はじめてのおつかい」の海外でのバズは、
収益化の本番を意味するものでもあるのです。・・ 》


今回、コラムニストの長谷川 朋子さんの寄稿文より、

日本テレビの長寿番組の『はじめてのおつかい』が海外で話題になった真の理由、
多々教示されたりして、微笑んだりした・・。


この後、私は煎茶を飲みながら、私の幼年期に初めて買物をしたことなどを思い馳せたりした・・。



私は1944年(昭和19年)の秋、農家の三男坊として生を受け、

祖父と父が健在だった頃までは、私が今住んでいる近くで農家をしていた。

こうした中、私が地元の小学校に1951年〈昭和26年〉の春に入学した当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、 程ほど広い田畑を耕していた。
そして所有している田んぼの中に小さな川が流れ、湧き水もあり、 竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに蔵、納戸小屋が二つばかりあり、 
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、
幼年の私でも感じたりしていた。

もとより農家は、跡継ぎとなる長兄、この当時は幼児は病死することもあるが、

万一の場合は次兄もいるので、
私は勝手に期待されない児として、いじけたりすることがあった。

しかし祖父は不憫と思ったのが、自身の名前の一部を私の名前に命名した、
と後年に父の妹の叔母から、教えられたりした。



私が地元の小学校に入学したのは、1951年(昭和26)年の春であり、
それ以前は周辺にも幼稚園もなく、やっと託児所ができた頃であった。

託児所と称されても、寺院の片隅の大部屋を借用して、幼児を預かる程度の施設が実態であり、
お遊戯をしたり、挨拶を学んだり、ときには幻燈機で何かしらの観たりしていた。

幻燈機は若い方には不明と思われるが、

現代風に表現すればモノクロ(白黒)の画面で、ときには総天然色のカラーもあったが、
静止画面のスライド・ショーと理解して欲しい。

私も実家で、祖父の指示の下で、大きな部屋に、ご近所の家族を招き、
『母をたずねて三千里』などの劇画を観たりした。

総天然色のカラー作品で、私はこの『母をたずねて三千里』に、
確かなストリーの
意味合いも理解できなくとも、
なぜかしら感動し、
涙を浮かべて観たりしたのが、5歳の頃であった。



こうしたある日、私は祖父から空の一升瓶を渡され、
『XXに行って・・大丈夫かなぁ・・』
と雑木林の拓いた村道で徒歩10分ぐらいの道のりを歩いた。

私が向った先は、酒屋でそれぞれの日本酒の四斗樽が壁一面に並び、
お菓子、佃煮などが並べられている不思議な店であった。

この当時は、駅の周辺は商店街があったが、実家は駅までは15分の道のりであり、
この店しかなかったのである。

私は空の一升瓶を割らないように大切に抱えて、
人気のない村道を歩き、この店に行った。

そして60歳ぐらいの店主に、私は空の一升瓶を少し振り、
『これ・・お願いします』
と言ったりした。

店主は明るい表情を見せながら、壁面に置いてある四斗樽のひとつに、
栓を開けて、枡を満たし、その後は一升瓶に移したりした。

この当時は、周囲の農家の殆どは、冠婚葬祭で一升瓶を数本贈答したり、
年末年始とか行事に限り、
何本かの一升瓶を購入していたが、

平素はこのような日本酒の量(はか)り売りの時代であった。

この後、私は祖父から預かったお金を渡し、
店主から満たされた一升瓶を受け取ろうとした時、
お煎餅(せんべい)を3枚を渡された・・。

『おじさ~ん・・ありがとう・・ごさいます』
と私は店主に云いながら、重くなった一升瓶を受け取った。

そして私は今宵の晩酌する祖父と父の表情を思い浮かべて、
薄暗くなった村道を歩いた。

そして右側のポケットに、お煎餅(せんべい)を3枚があり、
『この煎餅(せんべい)、美味(おい)しそう・・』
と思いながら、家路に急いだ・・。



やがて私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。


後年、祖父と酒屋の店主は旧知で、もとより昵懇の仲であったので、
何かといじけることが多かった私を不憫に感じた祖父の思いだった、
と祖父が亡くなったある時、私は叔母から教えられたりした。

昨今、私はスーパーで買物をしている時、丸い大きく厚い『草加せんべえ』を見かけたりすると、
ときおり幼年期に酒屋さんから頂いた煎餅(せんべい)に思いを重ねることもある。

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