私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
1944年〈昭和19年)初秋に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
天皇家には何かと敬(うやま)う空気の中で家庭で育った。
そして昭和天皇に関しては、私の40代かばまで『昭和』の時代で過ごしたので、
何かと自己形成、歴史観などで、多大な影響を受けていた。
1988年(昭和63年)晩秋、私はこの頃、音楽業界のあるレコード会社に勤務して15年が過ぎ、
管理部門の情報畑で、4月より実施される『消費税』のシステム対応の開発に追われていた。
こうした中で、昭和天皇が病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれていた・・。
こうした中で、私の勤めていた会社でも、音楽の世界では世界的な有名なロックバンドの『ボン・ジョヴィ』が、
日本のある大手家電メーカーが強力なスポンサーとなり、
年末に日本で公演されることになり、テンカウントダウンを華はなしく実施する予定が、なぜか中止となり、
せっかくのチャンスだったのに、と私なりに落胆をしたりしていた・・。
そして1989年(昭和64年)1月7日の朝、
私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。
この後の私はいつものように出社し、社内の恒例の朝礼の時、
専務取締役の指示で、フロアーを共にした各部署の一同は、
皇居の方面に向かい、黙祷をささげた。
その後の私は、4月から『消費税』の対応策で多忙な身である上、
更に『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、慌しい日々を過ごしていた。
こうしたこともあるが私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989年(昭和64年)1月7日により、
平成元年は1月8日から初まり、早くも本年は平成26年となっている。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年(平成元年)11月9日から東ドイツが
市民に寄る『ベルリンの壁』を実質的に撤去の出来事と重ねてしまう事が多い。
この後、米ソの冷戦構造が終結され、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、
やがて社会が一変したからである。
世界は社会共産経済も消滅し、世界の主要国は自由経済となり、
日本は東ヨーロッバ、アジアの諸国などの経済競争力に巻き込まれて、経済は低下した。
こうした中で、日本に於いては、1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。
そして民間会社の多くは、社員に家族を養う分の給与を支払う余裕もなりなり、
やがて『昭和妻』と称せられた専業主婦の家庭も激減し、
数多くの家庭も共稼ぎ時代となったのは、まぎれなく20年近い実態となっている・・。
このした中で、私たち日本の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと、
そして水をペットボトルなどで購入したことなどを思い馳せたりした・・。
音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってまもなくDVDに変貌し、ここ3年前の頃からはブルー・ディスクも普及している。
そして音楽配信が携帯電話が主流で普及し、昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
こうしたことは国民全体からは、音楽愛好者に限られて実感度は薄いと思われるが、
圧倒的に社会を変貌させたことはパソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995年(平成7年)秋に『ウインドウズ95』が発売され、それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、
大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及し、今やネット通販の隆盛となっている。
もうひとつの変貌は、モバイル情報の発生であり、携帯電話の急激に普及であり、
そして昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は、
1987年(昭和62年)にアメリカで公開された作品であるが、
冷酷で貪欲な投資銀行家が、浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃は大きめのラジカセのような形の携帯電話であり、破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で1億台突破となり、
殆どの日本人が愛用し、ここ数年は高性能のスマートフォンの急速に普及となっている。
私は20世紀の時代は、テレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットとモバイルの代表の携帯電話とスマートフォン、と断言したくなる。
こうした中で、何よりも変貌の実感をさせられたことは、
一部の専門のマスコミ、著名人などから発信できる時代から、
誰でも簡易に発信できる時代となり、こうしたことは文明史上初めてのことである。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多い。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
そして私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
少し前の当時は、喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
或いは飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私がギックリ腰が酷く入院生活を28日過ごした1991年(平成3年)の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒したりしていた。
私は定年退職した2004年〈平成16年〉後は、
多々の理由で年金生活をしているので社会状況に疎(うと)く、
もとより若き諸兄諸姉はご存知であるから、省略する。
こうしたことを思いつくまま馳せたりし、
昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。
そして平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように反応するのかしら、と齢を重ねた70歳の私は限りなく関心がある・・。
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1944年〈昭和19年)初秋に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
天皇家には何かと敬(うやま)う空気の中で家庭で育った。
そして昭和天皇に関しては、私の40代かばまで『昭和』の時代で過ごしたので、
何かと自己形成、歴史観などで、多大な影響を受けていた。
1988年(昭和63年)晩秋、私はこの頃、音楽業界のあるレコード会社に勤務して15年が過ぎ、
管理部門の情報畑で、4月より実施される『消費税』のシステム対応の開発に追われていた。
こうした中で、昭和天皇が病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれていた・・。
こうした中で、私の勤めていた会社でも、音楽の世界では世界的な有名なロックバンドの『ボン・ジョヴィ』が、
日本のある大手家電メーカーが強力なスポンサーとなり、
年末に日本で公演されることになり、テンカウントダウンを華はなしく実施する予定が、なぜか中止となり、
せっかくのチャンスだったのに、と私なりに落胆をしたりしていた・・。
そして1989年(昭和64年)1月7日の朝、
私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。
この後の私はいつものように出社し、社内の恒例の朝礼の時、
専務取締役の指示で、フロアーを共にした各部署の一同は、
皇居の方面に向かい、黙祷をささげた。
その後の私は、4月から『消費税』の対応策で多忙な身である上、
更に『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、慌しい日々を過ごしていた。
こうしたこともあるが私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989年(昭和64年)1月7日により、
平成元年は1月8日から初まり、早くも本年は平成26年となっている。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年(平成元年)11月9日から東ドイツが
市民に寄る『ベルリンの壁』を実質的に撤去の出来事と重ねてしまう事が多い。
この後、米ソの冷戦構造が終結され、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、
やがて社会が一変したからである。
世界は社会共産経済も消滅し、世界の主要国は自由経済となり、
日本は東ヨーロッバ、アジアの諸国などの経済競争力に巻き込まれて、経済は低下した。
こうした中で、日本に於いては、1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。
そして民間会社の多くは、社員に家族を養う分の給与を支払う余裕もなりなり、
やがて『昭和妻』と称せられた専業主婦の家庭も激減し、
数多くの家庭も共稼ぎ時代となったのは、まぎれなく20年近い実態となっている・・。
このした中で、私たち日本の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと、
そして水をペットボトルなどで購入したことなどを思い馳せたりした・・。
音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってまもなくDVDに変貌し、ここ3年前の頃からはブルー・ディスクも普及している。
そして音楽配信が携帯電話が主流で普及し、昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
こうしたことは国民全体からは、音楽愛好者に限られて実感度は薄いと思われるが、
圧倒的に社会を変貌させたことはパソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995年(平成7年)秋に『ウインドウズ95』が発売され、それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、
大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及し、今やネット通販の隆盛となっている。
もうひとつの変貌は、モバイル情報の発生であり、携帯電話の急激に普及であり、
そして昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は、
1987年(昭和62年)にアメリカで公開された作品であるが、
冷酷で貪欲な投資銀行家が、浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃は大きめのラジカセのような形の携帯電話であり、破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で1億台突破となり、
殆どの日本人が愛用し、ここ数年は高性能のスマートフォンの急速に普及となっている。
私は20世紀の時代は、テレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットとモバイルの代表の携帯電話とスマートフォン、と断言したくなる。
こうした中で、何よりも変貌の実感をさせられたことは、
一部の専門のマスコミ、著名人などから発信できる時代から、
誰でも簡易に発信できる時代となり、こうしたことは文明史上初めてのことである。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多い。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
そして私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
少し前の当時は、喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
或いは飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私がギックリ腰が酷く入院生活を28日過ごした1991年(平成3年)の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒したりしていた。
私は定年退職した2004年〈平成16年〉後は、
多々の理由で年金生活をしているので社会状況に疎(うと)く、
もとより若き諸兄諸姉はご存知であるから、省略する。
こうしたことを思いつくまま馳せたりし、
昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。
そして平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように反応するのかしら、と齢を重ねた70歳の私は限りなく関心がある・・。
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