私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、家内は12月下旬に60歳となるので、
家内の年金振込先の手続きで、銀行に出向いたのである。
私の住む地域の担当者の女性の方が休暇されて、
代わりに女性が出てきて、行内のゆったりとしたカンウター席に通された。
私は要件を伝えると、
『ご主人さま・・以前、担当させて頂きましたXXです。
あの時、ご主人さまの年金関係を説明させて頂き、
今回の奥様の・・』
と女性の方が私に云った。
私は5年少し前に初めての年金関係の手続きで、このお方にお世話になったことを思い出したのである。
『あの時は・・大変にお世話になりました』
と私はこの女性に云った。
『早いものですね・・5年も過ぎましたが、お元気そうで』
とこの女性は微笑みながら私に云った。
この後、私の年季生活の実態を5分ばかり笑いをまじえて、談笑したのである。
私は2006(平成14)年の秋に民間会社を定年退職し、予定通り直ちに年金生活に入った。
私は日常の買物を担当し、ときおり小庭の手入れをしているが、
家内は料理、洗濯、掃除などがもとよりあるので、少しばかり引け目を感じて家内の茶坊主に専念したりした。
家内が目覚めると、コーヒーと牛乳をそれぞれの指定されたマグカップを布団の枕元に置いたり、
日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい淹れたりしている。
私の日常の多くは、買物、散策して季節のうつろいを見たりし、
小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などの読むことが圧倒的に多い。
ときたま本棚の外れにある映画棚のビデオ、DVDを取り出して、居間で観賞したり、
音楽棚からカセット、CD、DVDを取り出して聴くことがある。
テレビに関して、ニュース、天気情報、ときおりドキュメンタリーの番組を視聴する程度であり、
テレビドラマは殆ど見ないのである。
そして、家内との共通趣味の国内旅行は、ときおり出かけたりしている。
こうした年金生活を過ごしながら、
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日々を過ごしてまもない時、
ブログの世界を知り、日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、殆ど毎日投稿してきた・・。
投稿出来ない時、国内旅行に出かけた時かパソコンの買い替え、故障などであり、
少なくとも毎日綴れば、日々の確かな心のうつろう思いが残り、
過ぎ去った後、何かの機会に読み返せば確かに蘇(よみがえ)るので、私は投稿してきた。
このような思いで、先程もこの11月の本日の投稿文を読み返したりした。
昨年の2008年11月13日の朝の9時半過ぎに、
【 東京の郊外は、久々に秋日和に恵まれて・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京郊外の調布市に住む私は、久々に朝の陽射しを受け、
思わず太陽に向かい、感謝、と心の中で呟(つぶや)いていた。
どんよりとした曇り空や小雨、霧雨の日々が続き、12月の上旬のような寒さの日となり、
落葉樹が黄色、朱色に色合いを深める前なのに、どうしてなの、
と私なりに心身共々戸惑っていたのである。
先ほど、地元の天気情報に寄れば、
朝の6時は11度、昼下りは17度前後となり、6日ぶりの秋晴れとなり、
さわやかな日中となります。
そして、夜の6時過ぎも14度前後となり、月を眺めて誉(ほ)めるに最適な夜のひとときとなります。
私は年金生活の5年生であり、このように聴こえたのである。
この後、素足で下駄を履きながら、庭に下り立ち、
花梨(カリン)、柚子(ユズ)の実は、黄色に色合いを深め、
紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は紫色に濃く深めていたのである。
そして、ときおり微風が吹くと、樹木の枝葉が微(かす)かに揺れ、
陽射しも揺らいでいる・・。
素足の足元に風が通り過ぎると、足袋を履く頃だなぁ、と感じたりしたのである。
居間に戻ると、今年の春はいつ頃から、足袋から素足になったのかしら、
と思いながら、私のサイトで検索し、先ほどから読んだりした・・。
【 私が下駄を履く時、素足になり・・♪ 】と題して、
このサイトに3月14日に於いて、投稿しているのを、再掲載する。
【・・
私は年金生活の4年生の身であるが、
自宅に居(い)る時は、殆ど下駄(げた)を履(は)いている。
主庭に下り立つ時、玄関庭の軒下、郵便受け入箱、
ときには駅前までの遊歩道を散策する時も履いたりしている。
私が現役時代の30代のなかば頃、
数多くのサラリーマンと同様な多忙な期間が続いた折、
休日の時、気分転換として、下駄を買い求めたのであった。
平素はビジネス・シューズで長い勤務時間を過ごし、
自宅ではサンダルを履いていたが、
何かしら下駄は心身の波長に心地よく、この時以来愛用している。
晩秋の時節から桃の咲く頃までは、黒の足袋(たび)を穿(は)いて、
この季節以外は、素足で下駄を履いているのである。
東京郊外の調布市は、ここ1週間は桜の咲くような陽気に恵まれたので、
黒足袋を脱いで、素足となった。
私は主庭に下り立ち、春のような陽気につつまれた中、
白梅、しだれ紅梅、そして日本水仙を眺めながら、煙草を喫ったりしている。
ときおり、微風が吹いたりすると、
風の匂いは甘く、そして素足を通り過ぎるが、これなりに心地よいのである。
尚、私の履いている下駄は、会津の高級な特選の桐下駄でなく、
程々の価格の下駄であり、三品を適度に履き分けている。
・・】
私は微笑みながら読み、確かな季節のうつろいに心寄せたりし、
遠い昔の日のようにも感じられ、不思議なひとときを過ごしたのである。
秋日和に恵まれた日中、私はいつものように買物、散策をするが、
秋の陽射しにつつまれた中、何よりのプレゼントかしら、
と足元のウォーキング・シューズがスキップし、心の中は小躍りする心情を
想像すると、
独り微苦笑したりしている。
・・】
この日は、午後5時半過ぎに、
【 時代の変貌を正鵠に語る俳優・津川雅彦氏・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
私は年金生活の5年生で、64歳の身であり、
先ほど、総合月刊雑誌の『文藝春秋』のひとつの記事を読んで、
ここ50年ばかりの時代を正鵠に語る人もいた、と衝撃を受けながらも深く考えさせられたのである・・。
《 追悼 我が友、緒形 拳 最期のことば 》と題され、
俳優・津川雅彦氏が語った記事である。
亡き親友ガタ(緒形 拳)の心友としての愛惜を語り、自身の役者としての軌跡も真摯に見つた発言であったが、
私は何より驚いたのは、ここ50年ばかりの時代の変貌を真摯に冷静に見つめていた、
ということであった。
無断であるが、1部を引用させて頂く。
《・・
ガタは決してうまい俳優ではなかった。
出会った頃から、「顔が悪い」「頭が悪い」「それで下手なら取り柄がない」
などとよくからかった。
でもガタは役柄に入り込むために一生懸命に本気で汗を流し、
ただただ一生懸命ひたすら思いきって直球を投げ続けた。
兄の長門裕之や妻の浅丘雪路に比べて明らかに下手な僕は、
器用な役者へのコンプレックスがあり、正に「下手形の上手」を目指そうと思っていた。
そんなところをガタが見抜き、気が合う一因にもなった。
ガタのような役者はもう絶対に出てこない。
残念ながら、時代も変わる。価値観も変わる。
古いタイプの役者は当然のごとく少なくなる。
僕のような映画出身の役者もほとんど残っていない。
ガタのような新国劇出身者も少ない。
同じ舞台出身でも、今やテントや小劇場の出身者が増え、一番多いのはテレビ出身の役者たちだろう。
役者の出生が違ってくれば、客の好みも変わる、
昔の役者は自然と淘汰される。
今、共演者を本気でぶん殴るガタのような新人が出てきたら、誰も使わないだろう。
ガタの価値観や生き方が肯定される時代だったから、
ガタの本気の芸を受け入れた多くの客がいたからこそ、ガタが存在できた。
40年前フランスに行った時、テレビを観ていたら、
「テレビばかり観ていると日本人やアメリカ人みたいに馬鹿になるよ」
と言われた。
正しくいまの日本人は、大宅壮一も「一億総白痴化」と予言した通りの国民となった。
集中力を持ってドラマを鑑賞できるわけがない茶の間が客を育てる時代だ。
更に戦後の個人主義と唯物主義が人品を卑しくした。
客はタレントに下品、下等を求めて自分を慰め癒す。
・・》
以上、無断であるが、長く引用させて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は最後のたった3行を解かって頂くために、長く引用させて貰ったのである。
私は昭和19年に東京の郊外で生を受け、
小学三年生の頃から、独り映画館に通い、映画を観始めた。
そして大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあった。
25歳になり、ある企業に中途入社できるまで、数多くの映画を観たり、撮影所に出入りしたり、
専門養成所の講師の紹介で一部の新劇の役者と淡い交遊をしたりした。
私は津川雅彦氏とは無知であるが、
少なくとも小学5年生から、ときおり映画で観ていた程度であるので、
俳優・津川雅彦氏を論評する資格はないが、
最初に観た頃は顔立ちも良く、美青年であり、役者の家柄も良く恵まれた人と思っていた程度であった。
その後、30年前頃に偶然に観たテレビドラマで、巧い役者に成長したと実感させられたりしていた。
私はここ20年ばかりは、テレビはニュースとドキメンタリーが殆どである。
娯楽番組は益々低俗化し、ドラマさえ観て良かった感じる作品は余りに少ないのである。
ただ、私は脚本が倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の各4氏であったならば、
学ぶことが多く、視聴している。
このような思いになると、私の住む東京郊外は、
NHK、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京などが視聴できるが、
電波の無駄づかい、と思ったりすることがある。
特に民間テレビ放送の5社があるが、無料視聴できるのが、
日本人に最大の劣化を招いた要因のひとつと確信しているのである。
そしてテレビ局のひどさはもとより、観る人々が垂れ流しのように安住し、
まさに大宅壮一氏の遺された言葉『一億総白痴化』は至言と思っている。
今回、津川雅彦氏の発言を読んだりしたのであるが、
このように真摯に正鵠に明言される方は、
昨今の新聞、雑誌、論評の大手メデイアに於いて、テレビ業界、広告代理店などに遠慮してか、
私の知る限り見当たらなかったのである。
こうしたことからして、津川雅彦氏は少なくとも俳優であるので、
何らかテレビに役者として出演されるか、ゲストとして出演される機会が多いとも思われる中、
あえて明言された勇気を賞賛したいひとりである。
・・】
このように昨年は綴っているが、この後は数年前の思いを掲載する。
《つづく》
a href="http://www.blogmura.com/">
昨日、家内は12月下旬に60歳となるので、
家内の年金振込先の手続きで、銀行に出向いたのである。
私の住む地域の担当者の女性の方が休暇されて、
代わりに女性が出てきて、行内のゆったりとしたカンウター席に通された。
私は要件を伝えると、
『ご主人さま・・以前、担当させて頂きましたXXです。
あの時、ご主人さまの年金関係を説明させて頂き、
今回の奥様の・・』
と女性の方が私に云った。
私は5年少し前に初めての年金関係の手続きで、このお方にお世話になったことを思い出したのである。
『あの時は・・大変にお世話になりました』
と私はこの女性に云った。
『早いものですね・・5年も過ぎましたが、お元気そうで』
とこの女性は微笑みながら私に云った。
この後、私の年季生活の実態を5分ばかり笑いをまじえて、談笑したのである。
私は2006(平成14)年の秋に民間会社を定年退職し、予定通り直ちに年金生活に入った。
私は日常の買物を担当し、ときおり小庭の手入れをしているが、
家内は料理、洗濯、掃除などがもとよりあるので、少しばかり引け目を感じて家内の茶坊主に専念したりした。
家内が目覚めると、コーヒーと牛乳をそれぞれの指定されたマグカップを布団の枕元に置いたり、
日中のひととき、コーヒーを5回ぐらい淹れたりしている。
私の日常の多くは、買物、散策して季節のうつろいを見たりし、
小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などの読むことが圧倒的に多い。
ときたま本棚の外れにある映画棚のビデオ、DVDを取り出して、居間で観賞したり、
音楽棚からカセット、CD、DVDを取り出して聴くことがある。
テレビに関して、ニュース、天気情報、ときおりドキュメンタリーの番組を視聴する程度であり、
テレビドラマは殆ど見ないのである。
そして、家内との共通趣味の国内旅行は、ときおり出かけたりしている。
こうした年金生活を過ごしながら、
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日々を過ごしてまもない時、
ブログの世界を知り、日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、殆ど毎日投稿してきた・・。
投稿出来ない時、国内旅行に出かけた時かパソコンの買い替え、故障などであり、
少なくとも毎日綴れば、日々の確かな心のうつろう思いが残り、
過ぎ去った後、何かの機会に読み返せば確かに蘇(よみがえ)るので、私は投稿してきた。
このような思いで、先程もこの11月の本日の投稿文を読み返したりした。
昨年の2008年11月13日の朝の9時半過ぎに、
【 東京の郊外は、久々に秋日和に恵まれて・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京郊外の調布市に住む私は、久々に朝の陽射しを受け、
思わず太陽に向かい、感謝、と心の中で呟(つぶや)いていた。
どんよりとした曇り空や小雨、霧雨の日々が続き、12月の上旬のような寒さの日となり、
落葉樹が黄色、朱色に色合いを深める前なのに、どうしてなの、
と私なりに心身共々戸惑っていたのである。
先ほど、地元の天気情報に寄れば、
朝の6時は11度、昼下りは17度前後となり、6日ぶりの秋晴れとなり、
さわやかな日中となります。
そして、夜の6時過ぎも14度前後となり、月を眺めて誉(ほ)めるに最適な夜のひとときとなります。
私は年金生活の5年生であり、このように聴こえたのである。
この後、素足で下駄を履きながら、庭に下り立ち、
花梨(カリン)、柚子(ユズ)の実は、黄色に色合いを深め、
紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は紫色に濃く深めていたのである。
そして、ときおり微風が吹くと、樹木の枝葉が微(かす)かに揺れ、
陽射しも揺らいでいる・・。
素足の足元に風が通り過ぎると、足袋を履く頃だなぁ、と感じたりしたのである。
居間に戻ると、今年の春はいつ頃から、足袋から素足になったのかしら、
と思いながら、私のサイトで検索し、先ほどから読んだりした・・。
【 私が下駄を履く時、素足になり・・♪ 】と題して、
このサイトに3月14日に於いて、投稿しているのを、再掲載する。
【・・
私は年金生活の4年生の身であるが、
自宅に居(い)る時は、殆ど下駄(げた)を履(は)いている。
主庭に下り立つ時、玄関庭の軒下、郵便受け入箱、
ときには駅前までの遊歩道を散策する時も履いたりしている。
私が現役時代の30代のなかば頃、
数多くのサラリーマンと同様な多忙な期間が続いた折、
休日の時、気分転換として、下駄を買い求めたのであった。
平素はビジネス・シューズで長い勤務時間を過ごし、
自宅ではサンダルを履いていたが、
何かしら下駄は心身の波長に心地よく、この時以来愛用している。
晩秋の時節から桃の咲く頃までは、黒の足袋(たび)を穿(は)いて、
この季節以外は、素足で下駄を履いているのである。
東京郊外の調布市は、ここ1週間は桜の咲くような陽気に恵まれたので、
黒足袋を脱いで、素足となった。
私は主庭に下り立ち、春のような陽気につつまれた中、
白梅、しだれ紅梅、そして日本水仙を眺めながら、煙草を喫ったりしている。
ときおり、微風が吹いたりすると、
風の匂いは甘く、そして素足を通り過ぎるが、これなりに心地よいのである。
尚、私の履いている下駄は、会津の高級な特選の桐下駄でなく、
程々の価格の下駄であり、三品を適度に履き分けている。
・・】
私は微笑みながら読み、確かな季節のうつろいに心寄せたりし、
遠い昔の日のようにも感じられ、不思議なひとときを過ごしたのである。
秋日和に恵まれた日中、私はいつものように買物、散策をするが、
秋の陽射しにつつまれた中、何よりのプレゼントかしら、
と足元のウォーキング・シューズがスキップし、心の中は小躍りする心情を
想像すると、
独り微苦笑したりしている。
・・】
この日は、午後5時半過ぎに、
【 時代の変貌を正鵠に語る俳優・津川雅彦氏・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
私は年金生活の5年生で、64歳の身であり、
先ほど、総合月刊雑誌の『文藝春秋』のひとつの記事を読んで、
ここ50年ばかりの時代を正鵠に語る人もいた、と衝撃を受けながらも深く考えさせられたのである・・。
《 追悼 我が友、緒形 拳 最期のことば 》と題され、
俳優・津川雅彦氏が語った記事である。
亡き親友ガタ(緒形 拳)の心友としての愛惜を語り、自身の役者としての軌跡も真摯に見つた発言であったが、
私は何より驚いたのは、ここ50年ばかりの時代の変貌を真摯に冷静に見つめていた、
ということであった。
無断であるが、1部を引用させて頂く。
《・・
ガタは決してうまい俳優ではなかった。
出会った頃から、「顔が悪い」「頭が悪い」「それで下手なら取り柄がない」
などとよくからかった。
でもガタは役柄に入り込むために一生懸命に本気で汗を流し、
ただただ一生懸命ひたすら思いきって直球を投げ続けた。
兄の長門裕之や妻の浅丘雪路に比べて明らかに下手な僕は、
器用な役者へのコンプレックスがあり、正に「下手形の上手」を目指そうと思っていた。
そんなところをガタが見抜き、気が合う一因にもなった。
ガタのような役者はもう絶対に出てこない。
残念ながら、時代も変わる。価値観も変わる。
古いタイプの役者は当然のごとく少なくなる。
僕のような映画出身の役者もほとんど残っていない。
ガタのような新国劇出身者も少ない。
同じ舞台出身でも、今やテントや小劇場の出身者が増え、一番多いのはテレビ出身の役者たちだろう。
役者の出生が違ってくれば、客の好みも変わる、
昔の役者は自然と淘汰される。
今、共演者を本気でぶん殴るガタのような新人が出てきたら、誰も使わないだろう。
ガタの価値観や生き方が肯定される時代だったから、
ガタの本気の芸を受け入れた多くの客がいたからこそ、ガタが存在できた。
40年前フランスに行った時、テレビを観ていたら、
「テレビばかり観ていると日本人やアメリカ人みたいに馬鹿になるよ」
と言われた。
正しくいまの日本人は、大宅壮一も「一億総白痴化」と予言した通りの国民となった。
集中力を持ってドラマを鑑賞できるわけがない茶の間が客を育てる時代だ。
更に戦後の個人主義と唯物主義が人品を卑しくした。
客はタレントに下品、下等を求めて自分を慰め癒す。
・・》
以上、無断であるが、長く引用させて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は最後のたった3行を解かって頂くために、長く引用させて貰ったのである。
私は昭和19年に東京の郊外で生を受け、
小学三年生の頃から、独り映画館に通い、映画を観始めた。
そして大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあった。
25歳になり、ある企業に中途入社できるまで、数多くの映画を観たり、撮影所に出入りしたり、
専門養成所の講師の紹介で一部の新劇の役者と淡い交遊をしたりした。
私は津川雅彦氏とは無知であるが、
少なくとも小学5年生から、ときおり映画で観ていた程度であるので、
俳優・津川雅彦氏を論評する資格はないが、
最初に観た頃は顔立ちも良く、美青年であり、役者の家柄も良く恵まれた人と思っていた程度であった。
その後、30年前頃に偶然に観たテレビドラマで、巧い役者に成長したと実感させられたりしていた。
私はここ20年ばかりは、テレビはニュースとドキメンタリーが殆どである。
娯楽番組は益々低俗化し、ドラマさえ観て良かった感じる作品は余りに少ないのである。
ただ、私は脚本が倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の各4氏であったならば、
学ぶことが多く、視聴している。
このような思いになると、私の住む東京郊外は、
NHK、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京などが視聴できるが、
電波の無駄づかい、と思ったりすることがある。
特に民間テレビ放送の5社があるが、無料視聴できるのが、
日本人に最大の劣化を招いた要因のひとつと確信しているのである。
そしてテレビ局のひどさはもとより、観る人々が垂れ流しのように安住し、
まさに大宅壮一氏の遺された言葉『一億総白痴化』は至言と思っている。
今回、津川雅彦氏の発言を読んだりしたのであるが、
このように真摯に正鵠に明言される方は、
昨今の新聞、雑誌、論評の大手メデイアに於いて、テレビ業界、広告代理店などに遠慮してか、
私の知る限り見当たらなかったのである。
こうしたことからして、津川雅彦氏は少なくとも俳優であるので、
何らかテレビに役者として出演されるか、ゲストとして出演される機会が多いとも思われる中、
あえて明言された勇気を賞賛したいひとりである。
・・】
このように昨年は綴っているが、この後は数年前の思いを掲載する。
《つづく》
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