夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

何かと『独り遊び』が好きな私、団塊世代の多くは『ひとりぼっち』と学び、共感して・・。

2014-07-13 14:47:47 | 定年後の思い

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後した。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

サラリーマンの現役時代の私は、もとより我が家の収入の責務があるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身で、洗濯、掃除、料理、買い物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官の責任を果たしてきた。

定年後の私は、年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、
乱したくないので、決意して実行してきた。

具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、独りで買物をしたりし、
その前後、独りで散策などをしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
          

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、
いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなるので、互いの趣味の時は大切にしている。
          

日常は私は、毎日のように独りで最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパーに行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
何かしら私は根がケチなせいか、路線バスに乗るのことなく、ひたすら歩いたりしている。
その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

こうした中、定年後の年金生活を始めて、予期できなかったことがある。

小学生の4年の頃から映画に熱愛し、独りで映画館に通ったりし映画少年の私は、
やがて大学を中退し、映画青年の真似事をした体験のある私は、
映画の作品のDVDに興味が薄らいだのである、

或いは音楽の作品のCD、DVDにしても、私の感性が衰えてきたのか、
世の中の作品自体が劣化した為か解らないが、
年金生活の10年近くなった今日まで、映画作品は5作品、
音楽のアルバムは9作品ぐらい買い求めてきた程度である。

やむなく居間にある映画棚から、映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴く程度となった。

しかし本だけは相変わらず本屋に寄ったりして、単行本、新書本、文庫本などを買い求めたりし、
魅了された本に出逢えなかった時、ときおり古本屋まで行ったりしている。
          

或いは会社の時代にめぐり逢えた先輩、同僚などの交流が薄らいだこともある。

殆どの方は年金生活をされて、ご自身の趣味を楽しまれながら、
ご自身の子供の家庭、そしてお孫さんがいて、愛おしく思いながら日々過ごしている、
と年賀状に認(したた)められている。

たまたま私が勤めてきた音楽業界は、1998年〈平成10年〉に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から各レコード会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
そして私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の音楽商品を取り扱う物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。

私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
          

この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

このように私は中小業のサラリーマンの身として、年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
程ほどの年収、退職金であり、金融資産は程ほどとなり、
何かと半生史は自慢史が多い中、つたない私はもとより対象外となっている。
          

定年した後、年金生活を始めて、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする。

翌年の2005年(平成17年)の初秋、昼下がりに残暑の余韻のような少し熱い30度前後の快晴の中、
私はテラスに下り立ち、主庭に群生させた純白色の玉すだれ〈タマスダレ〉を見たり、
可憐なピンク色した花が咲く秋海棠〈シュウカイドウ〉を眺めたりしていた。
いずれも我が小庭で、晩夏から初秋の時節を彩〈いろど〉ってくれる花でもある。

そして眩(まばゆ)い陽射しを見たりし、
小庭の片隅にある金木犀〈キンモクセイ〉の樹にたわわな莟〈つぼみ〉がなっているかしら、
と見たりしたが、今年は平年より遅れている、と少しばかり落胆したりした。

毎年、10月の初旬になると、枝先の周辺にたわわな実が付け、
橙黄色の小花が咲くと、時節の到来を毎年教えられてきた。
          

そして私は少し離れた所からでも、微(かす)かな匂いが漂う金木犀(キンモクセイ)の芳香は好きであるが、
盛りを過ぎる頃、樹の周辺に橙黄色の小花が黒土の上に落ち、
彩〈いろど〉る情景に幼年期の頃から魅了されている。

このように思っている私は、いつ頃に咲くのかしら、と思ったりしていると、
主庭の樹木と樹木の間を20前後の蜻蛉(とんぼ)が舞っていた。

そして群れをなして悠然と舞っているが、ひとつの蜻蛉だけは群れから勝手に離れて、
自在に舞っているので、私に似ているのかしら、と私は思わず微苦笑したりした。

蜻蛉の群れは3分ぐらい舞った後、青い空に向かい、
そして独りぼっちの蜻蛉も群れに遅れながらも、何処に去って行った。
          

年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚の死去に接し、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりした。

私は現役サラリーマンの55歳の頃から、 定年退職の60歳から10年間だけ五体満足に生かしてくれれば、
70歳以降の人生は余生である、と公言し、先輩の一部の方から険悪されたりしてきたが、
この根底は、長らく勤めた方のささやかな勲章として、
せめて退職後の10年は、ご自身の安息な時を過ごせるように、と念願したりしていたのである。
          

こうした中で、丸2年を迎えようとした2006年〈平成18年〉8月下旬、
山口文憲(やまぐち・ふみのり)・著作の『団塊ひとりぼっち』(文春新書)を読んだりした。

私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に、
大学を中退し、アルバイトとか契約社員をしながら映画・文学青年の真似事をし、あえなく敗退し、
やむなくある企業に何とか中途入社できたのは、
1970年〈昭和45年〉の4月で、満25歳の時だった。

この時代、定期採用で新入社した人達は、団塊の世代の人々であった。
そして私はやがて本社に配属されて、団塊の世代の人々と机を並べることが多く、
この業界の荒波の多い時代の苦楽を共にし、何かと友人には団塊の世代の人々が多かった、

やがて2007年〈平成19年〉の頃から、団塊の世代の多くは定年を迎えるに際し、
数多くの団塊の世代について出版されていた・・。

こうした中で、山口文憲・著作の『団塊ひとりぼっち』からは、多々教示され、
団塊世代の多くは、これからの時期も《ひとりぼっち》と学んだりした。
私は中途入社の身であったので、彼ら同期で何かと励まし合いながらも時代を過ごしてきたのを、
羨ましく感じたりしてきたので、私は衝撃を受けたのである。

そして私は定年後の年金生活は、何かと『ひとり遊び』の読書、本屋に寄ったり、散策などが多いので、
彼ら団塊世代も《ひとりぼっち》かょ、と微苦笑したりし、今日に至っている。
          

本日の午前中のひととき、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
偶然に『“孤独力”を身に付け、より豊かな人生を歩む』と見出しされた記事があり、
幼年期から何かと『独り遊び』が好きな私は、どういう内容かしら、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊SPA! 』の青山由佳さんが取材されて、綴られた記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・独身、離婚、孤独死への不安。
漠然とした闇を一切感じさせず、「ぼっちライフ」を謳歌している中年たちがいる。
なぜ孤独でも楽しく過ごせるのか? 中年を迎えたときに、隣に誰もおらずとも寂寥感にとらわれずにすむ方法を模索した。

◆“孤独力”を身に付け、より豊かな人生を歩む

老後のためのライフラインづくりが必要な一方、
精神科医の水島広子氏は「他者に振り回されないためにも、孤独力が重要」と語る。

「孤独力とは、人の目を気にするのではなく、自分の置かれている環境に感謝したり楽しむということ。
『友達がいない』『食事をする相手がいない』と引き算の発想をするのではなく、
今できることに感謝するのです。

群れを好む人は、誰と時間を過ごすかよりも、『人と一緒にいる』ことだけで満足してしまいがち。
誰かいないと何もできないので、“自由度”も格段に低い。
上質な時間を過ごし人生をより豊かにするためにも、単独で動く習慣は大切です」
          

また、他者の目を気にするのは、40代後半からのバブル世代に多く見られる傾向だという。

「バブル期は、ぼっちというだけで人間性が否定されるほど、みんな他人の目を気にしている時代でした。
でも今こそ、その価値観を捨て、本当に自分がやりたいこと、
共に過ごしたい人や環境などを他者に振り回されずに選択すべき。
孤独力こそ人間としての基本力に繋がるのです」

他人の評価で価値を決めず、自分で考え行動する。
孤独力は対人関係の質の向上にも繋がるのだ。・・》

このような記事であったが、何かと『独り遊び』が好きな私は、
そうですよねぇ、と微苦笑しながら、同意したりしている。

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