私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見たりすると『10日』と解り、
今年も残すところ20日ばかりとなり、齢を重ねるたびに過ぎ去り日々が余りにも早いと感じたりした・・。
そして陽射しの受けた庭の落葉樹は、晩秋の暖かさが平年よりも続いたので、
モミジなどの朱紅色、白梅〈ハクバイ〉、花梨〈カリン〉、
そして名も知らない私の定年退職の記念樹などが朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景が、
名残りのように半分ぐらい枝に残っている。
一週間前のどんよりとして曇り空の中、撮った2葉である
このモミジと私の定年退職の記念樹を朝食後にながめていたら、
音なく散り、周囲の地表に朱紅色、淡き黄色を彩(いろど)っている・・。
この後の10時過ぎに、私は煎茶、家内はコーヒーを飲みながら、
今年もあと20日ばかりとなったので、私たちは年末までのスケージュールを確認し合ったりした。
定年後の12月の毎年の私の習(なら)わしは、
年賀状を差し出す方の選定、文案の創作、投函することだし、
そして年末に向けて庭の手入れをした後は掃き清め、
或いは御節料理に準じたの材料を家内からの緊急要請で、私の買物に行く回数が増えるぐらいとなっている。
あとは独り住まいの家内の母に年末の28日にに来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月3日まで共に過ごすぐらいが、恒例となったりしている。
しかし、今年は16日の日曜日に、東京都の都知事選、そして衆議院選も急遽定義され、
私は有権者の責務として、清き一票を投票する。
しかしながら、私たち夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、特に冬の季節の旅に魅了され、
この12月16日過ぎに3泊4日で雪が舞い降り情景を観る小旅行を予約済みであったので、
やむなく生まれて初めて『期日前投票』で対処しょうと決意している。
お歳暮に関しては、私のサラリーマンの現役時代に於いて、
何かとお世話になった方に長年、定例のように訪問したりしてきたが、
既に私が退職後まもなくして死去されたので、我が家は私の実家に挨拶に訪れるだけとなっている。
その上、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭となり、
今や年金生活なので、私は安楽に過ごせている。
昼前に、年賀状のことを少し考えたりした。
私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、落胆したりしている。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、何か創意工夫が必要である、と思ったりしているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、今でも毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目であり、
たとえば林檎(リンゴ)の描いても、リンゴ、と明記しないと、
どのように解釈されるか解らないので不安さを増すばかりなので、もとより避けている。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念している。
やむなく私なり散文で綴り、独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分け、
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にできない習性となっている。
先ほど、年賀状の一覧表を改めてチェックしたり、
喪中の挨拶を頂いた方にこれまでの交遊を思い浮かべたりした後、
初めて年賀状の発信枚数が決まったりした。
余談であるが、年賀状の葉書は、インクジェットを使用し、
平成25年は、うぐいす色と学んだりしている。
そしてご主人を亡くされたご婦人、お世話になっている女性には、温かみのある桃色の葉書を毎年投函している。
このようなことを、とりとめなく思ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ
今朝ぼんやりとカレンダーを見たりすると『10日』と解り、
今年も残すところ20日ばかりとなり、齢を重ねるたびに過ぎ去り日々が余りにも早いと感じたりした・・。
そして陽射しの受けた庭の落葉樹は、晩秋の暖かさが平年よりも続いたので、
モミジなどの朱紅色、白梅〈ハクバイ〉、花梨〈カリン〉、
そして名も知らない私の定年退職の記念樹などが朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景が、
名残りのように半分ぐらい枝に残っている。
一週間前のどんよりとして曇り空の中、撮った2葉である
このモミジと私の定年退職の記念樹を朝食後にながめていたら、
音なく散り、周囲の地表に朱紅色、淡き黄色を彩(いろど)っている・・。
この後の10時過ぎに、私は煎茶、家内はコーヒーを飲みながら、
今年もあと20日ばかりとなったので、私たちは年末までのスケージュールを確認し合ったりした。
定年後の12月の毎年の私の習(なら)わしは、
年賀状を差し出す方の選定、文案の創作、投函することだし、
そして年末に向けて庭の手入れをした後は掃き清め、
或いは御節料理に準じたの材料を家内からの緊急要請で、私の買物に行く回数が増えるぐらいとなっている。
あとは独り住まいの家内の母に年末の28日にに来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月3日まで共に過ごすぐらいが、恒例となったりしている。
しかし、今年は16日の日曜日に、東京都の都知事選、そして衆議院選も急遽定義され、
私は有権者の責務として、清き一票を投票する。
しかしながら、私たち夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、特に冬の季節の旅に魅了され、
この12月16日過ぎに3泊4日で雪が舞い降り情景を観る小旅行を予約済みであったので、
やむなく生まれて初めて『期日前投票』で対処しょうと決意している。
お歳暮に関しては、私のサラリーマンの現役時代に於いて、
何かとお世話になった方に長年、定例のように訪問したりしてきたが、
既に私が退職後まもなくして死去されたので、我が家は私の実家に挨拶に訪れるだけとなっている。
その上、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭となり、
今や年金生活なので、私は安楽に過ごせている。
昼前に、年賀状のことを少し考えたりした。
私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、落胆したりしている。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、何か創意工夫が必要である、と思ったりしているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、今でも毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目であり、
たとえば林檎(リンゴ)の描いても、リンゴ、と明記しないと、
どのように解釈されるか解らないので不安さを増すばかりなので、もとより避けている。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念している。
やむなく私なり散文で綴り、独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分け、
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にできない習性となっている。
先ほど、年賀状の一覧表を改めてチェックしたり、
喪中の挨拶を頂いた方にこれまでの交遊を思い浮かべたりした後、
初めて年賀状の発信枚数が決まったりした。
余談であるが、年賀状の葉書は、インクジェットを使用し、
平成25年は、うぐいす色と学んだりしている。
そしてご主人を亡くされたご婦人、お世話になっている女性には、温かみのある桃色の葉書を毎年投函している。
このようなことを、とりとめなく思ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ
>夢逢人さんが言われるように定例型の挨拶文だけの年賀状をかっての友人から頂くと、
>来年度からは出すのを止めようと思ってしまいます。
>残念ながら年賀状の付き合いだけの方が多いので、
>少しでも近況報告、またはご家族などの写真が載っていますとうれしくなります。
そうですよねぇ・・やはり近況をお互いに記載するのが、
お互いに安堵したりすると確信します(笑)
>>そしてご主人を亡くされたご婦人、お世話になっている女性には、温かみのある桃色の葉書を毎年投函している。
>ここまでの気配りはしていませんでした。
>夢逢人さんの気配りには感服しました。
私は中小業の会社に勤めていたので、同じ仕事をするなら明るく楽しくふるまう、
このようなことが和の結晶となる、と信じて職場を務めてきました。
特に出向時代は、物流センターの職場で、
若手の20代の男性が10名前後、女性は20代~50代前半まで100名前後、
いずれもパート、一部は契約社員でした、
こうした中で私はセンター長の下で、4名の正社員と共に運営してきましたので、
いかに効率良く、明るく業務して頂く為に、色々と鍛えられましたので、
葉書の色あい程度は初級編です(笑)
>そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
夢逢人さんが言われるように定例型の挨拶文だけの年賀状をかっての友人から頂くと、来年度からは出すのを止めようと思ってしまいます。
残念ながら年賀状の付き合いだけの方が多いので、少しでも近況報告、またはご家族などの写真が載っていますとうれしくなります。
私は孫にも馬鹿にされるほど字がへたなんですが、近況は書くようにしています。(笑)
>そしてご主人を亡くされたご婦人、お世話になっている女性には、温かみのある桃色の葉書を毎年投函している。
ここまでの気配りはしていませんでした。
夢逢人さんの気配りには感服しました。