夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

家内に先立たれ『おひとりさま』になった時、果たして愚図(ぐず)の私は・・。

2012-12-09 15:21:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の高齢者4年生の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であるが、
家内は過ぎし12月1日より独り住まいとなっている家内の母宅に8泊9日で行っている。

私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の2004〈平成16〉年の秋の直前に主人に死去され、
独り住まいの生活をされて、早くも8年が過ぎている・・。

家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市(旧・高田市)に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
そして83歳となっている今としては、
身体は衰えても心は溌剌として元気である、と私は感じたりしている。

このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に6泊7日前後で5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。

家内の母は昨年の12月から足腰が衰え、病院の指導で杖(つえ)を使い歩いたりしてきた。
そして介護保険の行政サービスのアドバイスで、
家の中でベット、お風呂場、トイレ、小庭の出入り口などに、手摺(す)りを設置したり、
これから不要と思われる日常の備品、洋服など大幅に処分したりしてきた。

今回も年末年始に備えて、家内は家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。


平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良しねぇ、と好評を頂いている私たちでも、
いずれは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
今回たまたま『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。

平素の私は、煙草を喫う愛煙者のひとりで、スポーツは無縁で、
根がケチな性格なのか、駅前までの路線バスなどは乗らず、ひたすら歩き廻ったり、
遊歩道、公園などを散策するぐらいである。、

そして、お酒大好きだった呑兵衛の私は、一昨年の晩秋に何とか卒業して、
冠婚葬祭、国内旅行以外は週に一度ぐらいは自宅で呑むぐらいとなっているが、
このような齢ばかり重ねぐうだらな生活をしている私は、
私としては家内より早くあの世に行く、と私は50代の初めの頃から確信を深めてきた。

しかしながら、こればかりは天上の神々の采配にゆだねられているし、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
一年に何回かは、家内に先立だれた場合のことを考えたりしている。

私は家内と日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、
とお互いに確認し合っている。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困ると思ったりしている。


今回、たまたま『おひとりさま』となっているが、
朝一番に行うことは、台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
これに対応して、指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、最優先として一合ばかりのお米を洗い電気炊飯器に5分後にセットした。
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶を飲んだりした。
朝食は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』としている。

私は単細胞のひとりなので、白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
そしてコブの佃煮、ラッキョ、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
不変のように食べたりしてきた。

昼食は煎茶、インスタント・コーヒーを飲みながら、レーズンロールのパンを3つばかり食べたり、
或いは菓子パンを食べたりしてきた。

夕食はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
煎茶を飲みながら食べたりしてきたが、
なぜかしら独りだと寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ウィスキーのオンザロックを呑んだり、テレビのニュースを視聴したりした。
そして二晩だけ、音楽を聴きながらワインを呑んだりした。

洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機をオール自動セットに頼り、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、8時過ぎが多かった。

このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素日常生活から落第生となっている。

そして作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言に、
私は叱咤激励されながら、小・中学生の時は劣等生であった私は、
やはり年金生活の劣等生かしら、と苦笑を重ねてきた。


現在の古ぼけた一軒家の生活は、あと10年ぐらい私たちは五体満足で生かしてもらいたい、と思ったりした。
この時は私は78歳となり、家内は72歳となる。
或いは果たしていつの日か解らないが、私は痴呆症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
苦楽が伴なうので住めないだろう、と私は改めて感じたりした。
やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、
都立の大きな公園が隣接した場所で、小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画作品のビデオテープ、DVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

昨今、新聞の折り込み広告で、マンションの売却のひとつに、
私がこよなく散策している公園、遊歩道に隣接地帯のマンションのひとつが掲載されていた。
広い敷地の中で、数多く樹木もあり、広場もゆったりとして10数棟が8年前頃に建てられた。
この中は殆ど広い3LDが多い中、小さい中古分譲があった。
                 

一階の15畳と8畳の二部屋に、テラスと小庭6畳ぐらい有り、もとより台所、バス、トイレ付であった。
私は『おひとりさま』になった時は、こうしたスペースが最適かしら、と思案させられたりした・・。

15畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のテラス前に小庭には、今の小庭にある定年退職した時の記念樹をたった一本だけ移植し、
                      
そしてテラス越にマンション敷地内の大きな樹木が観える・・。
                          
そして食事もこのテーブルを使い、四季折々の落葉樹の情景を眺める。

8畳はベットの下には収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
このように思い馳せたりした。

そして付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
             
                                                
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、
どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。

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2 コメント

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夢逢人さんにはその説を打破していただきたいです。(笑) (masamikeitas)
2012-12-09 17:35:15
夢逢人さん、こんばんわ。

僭越ですが、もし天上の神々の采配で、夢逢人さんがひとり残されてしまわれても、夢逢人さんがお元気でしたら、孤独から脱却できると思いますよ!(笑)

>やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下>さる方たちと、
>やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

夢逢人さんはどなたともお話しできる方ですし、旅、文学、音楽、映画に精通されています。
夢逢人さんのような男性は、中高年の女性がほっときませんよ!(笑)

>《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際>しない男は阿呆になる・・》
>と人生の哲学のような名言は、
> どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

阿呆にならないようにおおいに女性と交際し、人生を楽しんでください!
夢逢人さんがいきいきとされていることを、奥様も望んでいらっしゃると思います。
奥様を先に亡くされた男性は寿命が短くなるという説が一般的ですが、夢逢人さんにはその説を打破していただきたいです。(笑)

返信する
私は小心者ですので、うろたえると思い・・。 (夢逢人)
2012-12-09 19:31:48
masamikeitasさま。

迅速なコメントを頂き、驚きながら感謝致しています。

>奥様を先に亡くされた男性は寿命が短くなるという説が一般的ですが、
>夢逢人さんにはその説を打破していただきたいです。(笑)

私は小心者ですので、家内に先立だたれた場合、うろたえると思ったしています。

私はたまたま読書好きで、垣添忠生さんの『妻を看取る日』を読んだ時、
このブログに綴ったことがありました。

私が垣添忠生(かきぞえ・だだお)氏を初めて知ったのは、
確か購読している読売新聞で2008〈平成20〉年の11月に寄稿された『がん経験者 特別視しない社会へ』であり、
その後は総合月刊誌に寄稿された文で、氏の奥様が亡くなわれた状況を学んだ。

氏は医師として精進され、やがて2002〈平成14〉年に国立がんセンターの総長に栄進された方で、
その後に2007〈平成19〉年に退職されて、名誉総長になられたお方と知った。

この間、そして国立がんセンターの総長を2007〈平成19〉年3月に退職され、
その年の年末に名誉総長の身でありながら、末期がんの奥様をせめて年末年始ぐらいは自宅で過ごし、
氏は切実な思いで看病されたが、大晦日の日に亡くなり、
新年にうつろな心情で過ごした心情が綴られていたのに、私は感銘の余り涙を浮かべたりした・・。

その後、私は確か2009〈平成21〉年12月の頃、
本屋で氏の著作の『妻を看取る日』(新潮社)の単行本を見かけたが、
概要内容は知っているつもりであったので、買い求めることはしなかった。

一昨日の7月1日、私たち夫婦は駅前で買い物に行った時、
私は本屋に寄り、文庫本のコーナーでこの作品にめぐり逢えた。

『妻を看取る日』(新潮文庫)と題された副題には、
《国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録》と明記されていた。

そして何よりも真摯に微苦笑させられたのは、本の帯に、
《 夫に読ませたい本 No.1 
   「自分が先に死ぬ」そう思いこんでいる男たちの
    目を覚ますために 》
と明記していた。

私は遅ればせながら本書を読み、氏の生い立ち、少年期、学生時代、そして医師の助士の苦闘、
やがて奥様となられるお方の出逢い、その後の結婚生活を初めて知った。

そして2006(平成18)年の春に、奥様のがんが見つかり、
その後、幾たびかの治療を得て、やがて末期がんとなり、2007〈平成19〉年の年末に、
名誉総長の身でありながら、末期がんの奥様をせめて年末年始ぐらいは自宅で過ごし、
氏は切実な思いで看病される状況が克明に綴られている。

そして大晦日の日に亡くなり、その後の喪失の中で失墜感を綴られ、
私は涙を浮かべながら読んだりした。
やがて再生していく状況も克明に綴られ、おひとりさまとなった生活を明記されている。

本書は、男性が愛(いと)しき妻といずれ片割れとなり、
おひとりさまとなる前に、心の準備としての心構え、
その後のおひとりさまの日常生活の確かな人生の晩期の教科書のひとつ、
と私は感銘させられながら確信を深めている。


このように投稿文の一部ですが、これほどの医学に歴任された方でも、このような言動になられてしまうのか、
と考えさせました。

一週間前の頃、川本三郎(かわもと・さぶろう)氏の『いまも、君を想う』(新潮文庫)を読んだりしました。
氏は文学、映画の評論、エッセイを書かれる方で、たまたま私と同世代、
その上にお子様がいなかったので、特に私は切実に思考させられました。
奥様の病状、やがて亡くなわれ、その後のおひとりさまになった日常の思い・・

このような私の心情でしたので、今回の私の投稿文となった次第です。

私はブログランキングの『ブログ村』に於いて、
小説系の『随筆』からシニア系の『60歳代』に重点を40日前の頃に移行し、
シニアの人の中で、おひとりさまになられた方たちの日常生活を精読し、多々学んだりしています。

喪失感の中で、生活されている思いに圧倒的に感動したり、感銘さえ覚えています。
こうした方から私は学び、たかがブログされどブログの世界を実感しています。

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