私は先ほど、ぼんやりとNHKのテレビニュースを視聴していたら、
本日より、年賀はがき販売開始となりました、
と若き女性キャスターが微笑みを浮かべて報じられ、どこかの郵便局の情景が映し出されていた・・。
私は早くも新年の年賀はがきが販売開始されたかょ、と微苦笑したりした。
そして一昨日、郵便局に小用で行った時、
40代と思える麗(うるわ)しき女性局員さんより、一通のチラシを手渡しされた。
この年賀はがきの案内を取り出して見たが、
販売期間は、2015年10月29日(木)~2016年1月8日(金)、
と明記されていたが、私は販売開始日は忘れしまっていた。
しかしながら年賀はがきを毎年買い求めるのは、12月10日前後であるので、
まだ日数は充分あるねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
☆これ以降の写真は、昨年の12月初旬、我が家の周辺の情景☆
私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
私の住む地域は、元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしている。
一番苦笑するのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
或いは
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を読ませて頂きながら、少し落胆したりしてきた。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、何か創意工夫が必要である、
と思ったりしているひとりである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠(なま)けていたので、
今でも毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、羨望するだけとなっている。
或いは『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目であり、
たとえば林檎(リンゴ)の描いても、リンゴ、と明記しないと、
どのように解釈されるか解らないので、不安さを増すばかりなので、もとより避けている。
そしてデジカメで、その人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが無念ながら技量に乏しく、断念している。
やむなく私なり散文で綴り、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案したりしてきた。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分け、
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、私なりに工夫した文面を作成してきた。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、何かと小心者の私でも、粗末にできない習性となっている。
こうした思いを秘めた私は、今年の新年に頂いた年賀状と晩秋に頂いた喪中はがきを取りだして、
改めて読んだりしていると、お住まいの地を思い浮かべたり、
その人の顔立ち、言葉づかい、しぐさを思い馳せたりする・・。
そして、あの人は・・お元気に過ごされているかしら、と以前にお逢いして言葉を交わした時を
思い重ねたりすることが多い・・。
私は年賀状の葉書は、インクジェット紙を長らく愛用しているが、
ご主人を亡くされた未亡人と称されるご婦人、お世話になっている女性には、
温かみのあるインクジェット紙の桃色を選定して、毎年投函したりしている。
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本日より、年賀はがき販売開始となりました、
と若き女性キャスターが微笑みを浮かべて報じられ、どこかの郵便局の情景が映し出されていた・・。
私は早くも新年の年賀はがきが販売開始されたかょ、と微苦笑したりした。
そして一昨日、郵便局に小用で行った時、
40代と思える麗(うるわ)しき女性局員さんより、一通のチラシを手渡しされた。
この年賀はがきの案内を取り出して見たが、
販売期間は、2015年10月29日(木)~2016年1月8日(金)、
と明記されていたが、私は販売開始日は忘れしまっていた。
しかしながら年賀はがきを毎年買い求めるのは、12月10日前後であるので、
まだ日数は充分あるねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
☆これ以降の写真は、昨年の12月初旬、我が家の周辺の情景☆
私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
私の住む地域は、元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしている。
一番苦笑するのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
或いは
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を読ませて頂きながら、少し落胆したりしてきた。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、何か創意工夫が必要である、
と思ったりしているひとりである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠(なま)けていたので、
今でも毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、羨望するだけとなっている。
或いは『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目であり、
たとえば林檎(リンゴ)の描いても、リンゴ、と明記しないと、
どのように解釈されるか解らないので、不安さを増すばかりなので、もとより避けている。
そしてデジカメで、その人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが無念ながら技量に乏しく、断念している。
やむなく私なり散文で綴り、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案したりしてきた。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分け、
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、私なりに工夫した文面を作成してきた。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、何かと小心者の私でも、粗末にできない習性となっている。
こうした思いを秘めた私は、今年の新年に頂いた年賀状と晩秋に頂いた喪中はがきを取りだして、
改めて読んだりしていると、お住まいの地を思い浮かべたり、
その人の顔立ち、言葉づかい、しぐさを思い馳せたりする・・。
そして、あの人は・・お元気に過ごされているかしら、と以前にお逢いして言葉を交わした時を
思い重ねたりすることが多い・・。
私は年賀状の葉書は、インクジェット紙を長らく愛用しているが、
ご主人を亡くされた未亡人と称されるご婦人、お世話になっている女性には、
温かみのあるインクジェット紙の桃色を選定して、毎年投函したりしている。
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