夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都会で老いるコストとリスクを学び、都心の郊外に住む私は、溜息を重ねて・・。

2015-10-30 15:53:57 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活の71歳の身であるが、
午後のひととき、パソコンを立ち上げてネットのニュースを見ようと思ったりした。

私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【都会で老いるコストとリスク】と明記されていた。
          

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの一軒屋に住んでいる。
そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。

このような身であり、特にここ数年、都会は地方と比較すると、コストとリスクの難題があると、
と単行本、新書などの本、そして雑誌などで学び、憂いたりしてきた・・。

こうした心情を秘めている私は、クリックした精読してしまった。
『AERA』の編集部が纏(まと)められた記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・長い間まじめに働いたんだから、人生の最後くらい、好きな場所で好きなように暮らしたい。
そんな思いを抱くことさえ、許されないのか。

「介護」「住居」「教育」、都会で暮らすうえで注意しなければならないのがこの3つだ。
いつ親が倒れ、介護生活を強いられるかはわからない。
仮に介護と仕事との両立ができなくなれば、「詰み」だ。

中には住宅ローンに子どもの教育費まで「三重苦」を背負う場合もある。
その上、すべてのコストが都会では高い。
年収1200万円を稼いでいてもホームレスに転落してしまう事例もある。
          

☆介護のために退職するが…

JRの線路下を走る地下道。そこに段ボールでしつらえた、棺桶サイズの"部屋"で横になる。
明日の天気が知りたくて携帯ラジオをつけると、花火大会の情報が流れた。

「その日まで、俺は生きていられるのか」
男性(60歳)は、6年ほど前のホームレス生活を振り返る。
いつも頭に浮かんだのは、血を吐いて倒れ、そのまま息を引き取った仲間や、
電車に飛び込んだ年配の女性の姿……。
何日も食べられないこともあり、体はみるみる痩せていた。

そんな男性も、かつては都内の大手百貨店で食品部門を仕切っていた。
ブランド店との付き合いでオーダーした1着70万円のスーツを着て全国を飛び回り、
新商品を見つけ出す。物産展もすべてを指揮し、年収は1200万円を超えていた。


そんなとき、母を介護していた父にがんが見つかった。

「一度ネクタイを外したら、また着けるのは難しいぞ」
上司にはそう引き留められたが、両親に最後の恩返しがしたくて、
1千万円の退職金と引き換えに仕事を手放した。

45歳のときだった。貯金も2千万円ほどあった。
父の葬式と墓の購入に850万円を使ったが、それ以外に大きな買い物をした記憶はない。

知人の会社に再就職したが、年齢とともに条件が悪くなり、何度も職を変えた。
50歳を過ぎて就いた仕事は、オートレース場の売店でのアルバイト。
しかも給料の遅配や不払いが続き、母が85歳で亡くなるころには貯金も底をつき、
母の遺骨を抱えて路上に出るしかなかった。

親の介護や自身の病気、ケガや事故、会社の経営悪化など、
歯車の一つが狂っただけで、「下流」に転落していく人がいる。
特に地価や物価の高い都心部では、収入を失えば最低限の生活さえままならなくなる。
都会で老いるには、コストとリスクを把握し、それに備える必要があるのだ。
          

☆介護施設は満床、高すぎる住宅費

リスクの一つは、先の男性が転落するきっかけとなった「介護離職」だ。
都会に住む人たちは、生まれ育った田舎に親を残していることも多い。
国は医療費抑制のため、在宅医療や在宅介護を推進し、誰もが病院で親を看取れる時代ではなくなった。
施設に預けたくても、ベッドは満床。さらに都会では料金もかさむ。

ファイナンシャルプランナーの有田美津子さんによると、
有料老人ホームの相場(家賃や食費などの月額)は地方では15万円程度。
東京都内ではそれが25万~30万円ほどに跳ね上がり、23区内ともなると40万円ほどにもなる。

生活困窮者を支援するNPO法人ほっとプラスの代表理事で、
『下流老人』(朝日新書)の著書がある藤田孝典さんは、
都会で老いるもう一つのリスクは圧倒的に高い家賃だと考えている。

「この高水準はスペインのマドリードとアメリカのロサンゼルス、東京ぐらいでしょう。
特に日本は生活困窮者でもなかなか公営住宅に入れず、
普通なら払えないような住宅ローンを払って家を持つという、まれな国です」
          

東京の賃貸価格は全国平均の倍。
マンション購入価格は全国平均より907万円、土地付き注文住宅は1660万円も高くなっている。

住宅ローンを払い終えても、マンションなら管理費のほかに、
年々高くなっていく修繕積立金の負担が必要だ。

一戸建てを購入した場合は自分たちで修繕費を蓄えておく必要があるのだが、
以前、藤田さんが訪れた埼玉県の一戸建て住宅は、ネズミが駆け回り、隙間風が抜ける状態だった。
          

☆築40年、窓ガラスにはダンボール

72歳の女性は夫を介護しながら、月13万円の年金暮らし。
2人の子どもを育てた5LDK、2階建て、
築40年の家は、和室の床が抜け、コンクリートの基礎が見えていた。
割れた窓ガラスには段ボール。

リフォームには2千万円近く必要だと業者に言われたが、夫婦には到底、払えない金額だった。

「資産価値のあるうちに住み替えるべきなのですが、
初期費用を工面できなかったり家族の思い出があったりして、持ち家を手放せない人は多い」(藤田さん)
          

都心で暮らす人々が抱えるもう3つめのリスクは、子どもの教育費だろう。
メーカー営業職の女性(53歳)は、30歳で結婚したが、
仕事に熱中し、長女を産んだのは40歳のとき。

教育費の山場を迎える下の子の大学入学時には、女性が64歳、自営業の夫は65歳になる。
女性は「何が何でもそれまでは働き続けなければ」と覚悟を決めている。

晩産化は老後資金にも影響する。
家計再生コンサルタントで、ファイナンシャルプランナーの横山光昭さんによると、
家族にはお金の貯め期が3度ある。
夫婦2人で子どもがいない期間、子どもが生まれてから低学年までの期間、
そして子どもが独立してから親が定年退職するまでの期間だ。

「特に都会で進む晩産化によって、最後の貯め期がなくなる家族が増えています。
さらに、収入の多い40代の子育ては、余裕があるがゆえに教育費をかけすぎ、老後が苦しくなりがちです」

共働きだと学童保育がなくなる小学校4年生から、
放課後の時間を埋めるために塾や習い事に通わせる家庭が多い。
さらに私立への進学率が高い首都圏では、学費も上がっていく。

都会で老後を過ごしたければ、リスクとコストを知り、
もしもの事態をシミュレーションしておくことが、何よりの予防策になる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

読み終わった私は、冷酷な表現が許されるならば、
都心に住むには、覚悟がいることだ、という思いを深めたりした・・。
          

介護のために退職されホームレス生活で困窮されている男性は、
《・・「一度ネクタイを外したら、また着けるのは難しいぞ」上司にはそう引き留められた・・》
確かに日本はバブルがはじけた頃から、再就職で敗者復活戦は困難な状況となっている。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしで、無念ながら敗退した・・。

そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通った後、
1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられた。
                                  
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、長らくコンピュータを活用した情報畑、そして管理畑、
やがて営業本部に勤めたりしてきた。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職したが、
この最後の5年半は、リストラ烈風の中、はかなくも出向となったりした。

出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。

こうした中で、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされ、
私は幾たびかリストラを何とかくぐり抜けて、定年退職を迎えることができたので、
敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。

私は中途入社だった為か、幾たびかリストラに対しても、
一度退社し、再就職しても、従来より処遇が良い敗者復活戦は、
千人にひとりぐらいと思っていたので、頑張り奮闘できた、と思っている。

昨今、中高年の男性が、親の介護で、やむなく退社するという記事を偶然に読み、
この男性の肝要な収入基盤を失くされ、人生設計が崩壊する過程を知り、
私は涙を浮かべながら、憂いたりしてきた。
          

晩婚に伴う子どもの教育費のリスクは、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより発言権はないが、
《・・メーカー営業職の女性(53歳)は、30歳で結婚したが、
仕事に熱中し、長女を産んだのは40歳のとき。

教育費の山場を迎える下の子の大学入学時には、女性が64歳、自営業の夫は65歳になる。
女性は「何が何でもそれまでは働き続けなければ」と覚悟を決めている。・・》

私が中途入社した1970年〈昭和45年〉の当時、
生命保険会社の方から、人生生涯プラン表を手渡しされた。

確か男性は27歳、女性は23歳で結婚され、その後にお子様ふたりの教育、就職、結婚、
と明記されて、親が55歳前後に孫、そして自身の老後設計、と記載されたりしていた。

確かに人生の家庭内の出来事には、適齢期がある。

今回の記事で、家計再生コンサルタントの横山光昭さんが明言された通り、
《・・家族にはお金の貯め期が3度ある。
夫婦2人で子どもがいない期間、
子どもが生まれてから低学年までの期間、
そして子どもが独立してから親が定年退職するまでの期間だ。・・》
これを逸脱すると、もとよりリスクが高まる、と私は感じたりしている。
          
          
最後に、介護施設は満床、高すぎる住宅費の難題。

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者であるが、
我が家より2時間は要する千葉県の八千代市で独り住まいの生活をされて、早や12年目となっている・・。
       
ここ半年前からは、長女の家内が介護で、家内の母宅で駐在することが多くなっている。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。

私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中はまさかの予期せぬ出来事に遭遇することがあり、
私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。                

そして難題は、私たち夫婦が介護を必要とされる時期である。

今回の記事に於いて、《・・国は医療費抑制のため、在宅医療や在宅介護を推進し、
誰もが病院で親を看取れる時代ではなくなった。
施設に預けたくても、ベッドは満床。さらに都会では料金もかさむ。

ファイナンシャルプランナーの有田美津子さんによると、
有料老人ホームの相場(家賃や食費などの月額)は地方では15万円程度。
東京都内ではそれが25万~30万円ほどに跳ね上がり、23区内ともなると40万円ほどにもなる・・》
と教示され、私も切実な難題である。
          
私たち夫婦のどちらかが、要支援になった時は、
『特別養護老人ホーム(特養)』は、価格面に於いても望ぞましいが、
原則的として要介護2以下の人は、入居は困難である。

そして介護に要する負担金は少なく済むので、 少なくとも52万人の待機者いて、
国からの公費が1人あたり年間180万円程度多くかかるともされ、
財政的に『特別養護老人ホーム(特養)』を増やし続けることは難しい、
と新聞などで読んだりしてきた。
                    

『サービス付き高齢者住宅』に関しては、入居条件は60歳以上であることだけで、
要介護度に関係なく誰でも入れる上に、要介護・要支援認定を受けていれば、
60歳未満でも入居が可能。

そして 館内および部屋はバリアフリーで、日中は館内にケアの専門家の職員が常駐して、
安否確認と生活相談のサービスを提供する。

ただし、サービス付き高齢者住宅は、介護や食事、健康管理などのサポートはセットではなく、
あくまで高齢者向けの賃貸住宅である、と学んだりしてきた。


そして民間の『有料老人ホーム』に関しては、
少なくとも入所一時金は1000万円、そして毎月は最低として利用料金は20万円が要し、
更に手厚い介護を受ければ高額となり、私は溜息を重ねたりしてきた。

その上に昨今、民間の『有料老人ホーム』でも倒産が多くなったと知り、
要介護となった時の身を思い馳せると、住まいの迷子は勘弁してほしい、と思ったりした。
          

このように迷い果てると、私たち夫婦はいつの日にか要支援になった時は、
『サービス付き高齢者住宅』が妥当かしら、と思ったりしている。

同じような世代、似通った要支援が多い身であるので、平素の生活環境、礼儀など、
そして維持管理なども共通認識の礼節もある、と思ったりして、
私の現在の本音となっている。
          

このように私は、都心の近くで老後を過ごしたければ、
覚悟がいることだ、という思いを深めたりしている・・。

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