洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の6時半過ぎであった。
私は1944年(昭和19年)9月に都心の郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年(昭和20年)8月15日に敗戦となった。
そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
8月6日のこの日の午前8時15分に、
対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされたことは学んできた。
このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。
本日は、76 目の原爆の日を迎えた。
この後、恒例となっている広島市にある平和記念公園では、
午前8時から市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われる。
私は沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』、
そして15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして54年となっている・・。
そして、かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。
このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
この日は広島の空に向い、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。
第2次世界大戦中、アメリカのルーズベルト大統領はドイツに原爆開発で先んじられることを恐れ、
やがて1942年8月に軍部主導によりマンハッタン計画発足させた。
そしてルーズベルト大統領が死去後、選出されたトルーマン大統領は原爆開発のマンハッタン計画の実態を知らされ、
動顛したが、やがて日本を降伏させる『ポッタム宣言』をイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相と
協議する中、1945年7月16日 ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験に成功を知った。
そしてアメリカは、大戦後の状況を圧倒的な優位を確保する為に、特にソ連を意識して、
核兵器の威力を誇示させて、8月6日に 広島に原子爆弾投下、9日に長崎に原子爆弾投下した、
と私は思いを深めている。
この後は周知の通り、戦後は東西冷戦体制の中で、核開発競争は激化し、
アメリカに続き、ソ連、イギリス、フランス、中国の各国が原爆実験に成功させて、
核兵器は世界へ拡散する時代に邁進した。
こうした核兵器開発競争は、もとより地球を破壊し人類を滅亡させるにはあり余るほど、
核兵器の製造・備蓄、そして核実験による地球環境の破壊、
更に核実験場周辺に多数の被曝者を生み出してしまった。
やがて1998年5月、インド、パキスタンが相ついで核実験を行ったことにより、
世界は核兵器保有国がさらに増えていくこともあり得る危険な局面を迎えている。
このように世界の主要国は、核の威力を背景とした軍事力と経済力などで、
したたかな外交が実施され、
それぞれの国は、国益を配慮した政治が行われている現実がある。
そして核兵器廃絶と多く方から念願されても、不条理な世界となっている・・。
このように高齢者の無力な私は、ただ8月6日の朝には、
西の空の果てに有る広島市に向かって、哀悼の意を表して、ただ黙祷を重ねてきたりした・・。
この後、私の住む調布市より、私の住む高台にある拡声器より、
『 本日は広島の原爆の日です・・
まもなく8時15分になりますが、投下された時刻に、
亡くなわれた多くの御方に、哀悼の意を表して、黙祷をしましょう・・
黙祷・・ 』
と報じられて、私たち夫婦は家の中であったが、お互いに襟を正して、黙祷をしたりした。
やがて1時間を過ぎた頃、私はヤフージャパンが配信されたニュースを見たりして、
『 きょう広島原爆の日 投下から76年 核禁条約発効の年 』
と題された見出しがあった。
この記事は【 朝日新聞デジタル 】が8月6日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・きょう広島原爆の日 投下から76年 核禁条約発効の年
広島への原爆投下から6日で76年を迎える。
広島市中区の平和記念公園では、平和記念式典が開かれる。
あらゆる核兵器の開発、実験、生産、保有、使用を許さず、
核で威嚇することも禁じる初めての国際条約「核兵器禁止条約」が1月に
発効して初めて迎える「原爆の日」。
長年、核兵器廃絶を訴えてきた被爆者たちの活動が、一定の実を結ぶ一方で、
被爆者の平均年齢は84歳に近づき、高齢化はいっそう進んでいる。
式典は午前8時から、昨年に続いて新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
参加者を制限して開かれる。
広島市の松井一実市長は、式典で読み上げる平和宣言で、
被爆者の思いを受け止めて条約に参加するよう日本政府に求めるとともに、
核を持つ国と持たない国との「橋渡し役」となるよう訴える。
被爆から3年後に広島を訪れたヘレン・ケラー氏の言葉を引用し、
市民の力の結集が政策転換を促すと呼びかける。
菅義偉首相は、昨年の就任以来、初めての参列となる。
核兵器を保有する米英ロ仏、インド、パキスタン、イスラエルを含む86カ国が参列予定。
中でも核禁条約を批准している55の国・地域のうち、
ニュージーランドやジャマイカなど20カ国の駐日大使らが参列を予定している。
米国の「核の傘」に頼る日本政府や核保有国は、条約に参加していない。
直前の7月29日には、原爆投下後の「黒い雨」をめぐり、
原告84人全員を被爆者と認めた広島高裁判決が確定した。
原告以外で同じ状況にあった人たちを救済する枠組み作りが今後の焦点となる。
その一方で、被爆者健康手帳を持つ人は12万7755人と、
前年より8927人減った(3月末)。
平均年齢は83・94歳。
式典では、この1年に死亡が確認された広島の被爆者ら
4800人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉納される。
死没者の総数は計32万8929人となる。
(岡田将平)・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
このような朝日新聞デジタルが報じた実態を多々学び、
無力ながら学んだりしている・・。