夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京五輪主題歌、嵐、桑田佳祐でも、なぜ苦戦しているのか、高齢者の私でも学び、やがて微苦笑して・・。

2021-08-07 13:15:43 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 嵐、桑田佳祐でも・・なぜ、東京五輪主題歌は苦戦しているのか 』、
と見出し記事を見たりした・・。

私は音楽業界のあるレコード会社を35年近くと勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活をして、早や16年半が過ぎている76歳の身である。

こうした中で、現役時代は音楽の制作に直接かかわらない管理畑、営業畑であったが、
私なりに奮戦し、こうした影響の為が、未だに年金生活の無力な身ながら、
最近のヒット曲・・関心があるので、記事を読んでしまった・・。

この記事は、ときおり愛読している公式サイトの【 オトナンサー 】に於いて、
コラムニストで、テレビ解説者の木村隆志さんが寄稿された記事で、
8月7日に配信されていた。

無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・史上最多のメダルラッシュに日本中が沸いた東京五輪が、
8月8日の閉会式で幕を閉じます。



☆サビの歌詞が人々に響いていない?

☆民放5局の足並みはそろわなかった 

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、コラムニストで、テレビ解説者の木村隆志さんの寄稿文に導かれて、
多々教示されたりした。

確かに2004年のアテネ・オリンピックの時は、ゆずさんの『栄光の架橋』の歌は、
日本代表のそれぞれの選手の大活躍などに伴い、相乗効果でヒット曲となったりした。

私は定年退職時の直前時期であったが、カラオケも苦手な私であったが、
ときおり小声で、『栄光の架橋』の歌をかぼそい声で唄ったりしていた。

2012年のロンドン・オリンピックの時は、いきものがかりさんの『風が吹いている』の歌であり、
この当時の私は、幾たびも聴きながら、好感したりしていた。

この時の心情は、この私のサイトに於いて、2016年11月14日に、

NHKの朝ドラ主題歌、老ボーイの私でも、年金生活の中、何かと励まされることが多く・・。
と投稿している。

この中で、いきものがかりさんに関して、再掲載する。



2014年11月初旬、私は確か一週間の前の夕暮れ時、ラジオを聴いていたら、
偶然に私の好きな『YELL(エール)』の曲が流れ始め、吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声が聴こえた・・。

この『YELL(エール)』など数多くの名曲を創られたのは、『いきものがかり』というバンドであり、
水野良樹(みずの・よしき)さんと山下穂尊(やました・ほたか)さん、そして同級生の妹・吉岡聖恵ちゃんによる
三人構成のスリーピース・バンドである。
              
私が遅ればせながら、偶然にボーカリストの吉岡聖恵ちゃんの唄声に初めて魅せられたのは、
2004年(平成16年)秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
やがて2008年〈平成20年〉の初秋、私たち夫婦は家内の母を誘い3人で
富山市の郊外にある呉羽山に5泊6日の温泉滞在旅行に、観光バスで行く途中であった・・。

日本海の近くにある高速道路のあるサービス・エリアに休息となり、バスから下り立った時、
お土産売り場の外れのスピーカーから、
何かと好きな徳永英明(とくなが・ひであき)さんの歌に続いて、未知の歌声が流れてきたのである。

♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ・・
ぼんやりと聴いていたが、のびのびとした爽(さわ)やかな唄声に、瞬時に魅了されたのである・・。

                       

偶然にこの曲を知り、たまたまその唄声に魅了され、
やがて後日、水野良樹さんと山下穂尊さん、そして同級生の妹・吉岡聖恵ちゃんによるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、『帰りたくなったよ』という曲名を知ったりした。

その後の私は『花は桜 君は美し』、『SAKURA』、『うるわしきひと』等も知り、
ときおり聴いたりしていた。

そして、彼らが無名時代に夢に向かって路上ライブを長年した後、
メジャー・デビューして3年過ぎ、各地のライブ・コンサートは賞賛を受けている、
と後日にNHKのBS2で『いきものがかり ライブ』を視聴して、改めて知ったりした。

私は偶然に、遅ればせながら彼等の音楽を知り得たのであるが、
何かとすれ違うことの多い人生の中で、
この当時の私は63歳の身であったが、夢中にさせてくれたことに感謝をしたりした。

私は彼らが夢に向かって、無名な時に路上ライブを長年し、
何より詞と曲の良さ、そして聖恵ちゃんの特有な伸びのある唄声で、多くのファンを獲得された、と思ったりした。

                       

確か2009年(平成21年)9月下旬に私が高齢者入門の65歳になった時、
ラジオから『YELL(エール)』の曲が流れ始め、私は聴いたりしていると、
私の高齢者入門の門出を励ますように感じたりした・・。

しかしながら後日に、第76回NHK全国学校音楽コンクール・中学校の部の課題曲『YELL(エール)』と知り、
そして水野良樹さんが作詞と作曲を担当されたと学んだりした。
何かと多感で不安を秘めた中学生や高校生に、人生の途上を励ます歌だろうと解釈したが、
高齢者の私だって、大いに励まされるょ、と独り微笑んだりした。

               

過ぎし2012年7月の初め頃、私は居間で新聞、本を読んだりしている時、
家内はテレビを視聴したりしていると、
テレビから吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声が聴こえる時が多くなったりした。

その後に気付いたのであるが、第30回夏季オリンピックがイギリスのロンドンで7月27日から開催され、
NHK放送テーマソングとして、いきものがかりの『風が吹いている』が選定されて、
このグループの女性ボーカルの吉岡聖恵ちゃんが唄っていた、と解ったりした。

そして今日まで、我が家は何かとのNHKテレビ放送を視聴することが多く、
オリンピック開催中に伴い、少なくとも一日に数回は、
吉岡聖恵ちゃんの『風が吹いている』の唄声を聴いたりし、
齢ばかり重ねた高齢者の私でも、励まされるような心情となったりしてきた。

                      

或いは2010〈平成22〉年の5月頃、いつものように私は朝の7時より、
NHKの総合ニュース『おはよう日本』を殆ど視聴していた。

そして家内は、洗濯、掃除に追われているが、
私は家内の茶坊主でコーヒーを淹れたりするくらいで、ぼんやりとニュースだけは見ることが多かった。

そして8時半過ぎまでは、テレビを点(つ)けて、ときおり家内が見るのが、
我が家の習性のようになっていた。

こうした時に、いつものように見ていたのであるが、
『特集 いきものがかり』と表示されながら、彼ら三人がインタビューを受けたり、
ライブのシーンがあったりして、体力の衰えた私でも、思わず微笑を浮かべたりした・・。
       
この少し前の4月の初めの頃だったか、私は居間でパソコンを8時過ぎに開いていたら、
♪ありがとうって伝えたくて・・とテレビから流れて、
私は『聖恵(きよえ)ちゃんの唄声だ・・』と思わずテレビの番組を見たりした。

そしてNHKの連続テレビ小説の『ゲゲゲの女房』の主題歌で、
いきものがかりの『ありがとう』の歌だ、と少し判りかけたのである。

そして彼らの吉岡聖恵ちゃんの唄声に魅せられている私は、
肝要のテレビ小説の『ゲゲゲの女房』内容よりも、殆ど吉岡聖恵ちゃんの唄声を聴き、励まされた・・。


               

余談であるが、私は現役サラリーマンの時代は、あるレコード会社に長らく勤めた身であるが、
彼ら『いきものがかり』の専属契約先のレコード会社とは関係がないが、
良き音楽作品とアーティストに私が魅了された場合は、齢を重ねても絶賛する性格なので、綴った次第である。



このように「いきものがかり」に関して綴っていた・・。

今回の東京五輪に関しては、ときおり私はテレビで視聴しているが、
オリンピックの主題歌は・・と思いながら、強い印象は残らなかった・・。

ただ何度か、桑田佳祐さんの『SMILE~晴れ渡る空のように~』の唄声を、
テレビで偶然に聴いたりした・・。

やはり今回の東京五輪は、新コロナウィルスの烈風下、
開催に日本国民でさえ、賛否両論でしてきた・・。

このような根底があるので、国民の多くが熱気につつまれて、
♪栄光に満ちた孤独なHERO  夢追う人達の歌
口づさんで、愛唱されづらいだろう・・と私は感じ深めたりしている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 広島に向かって、77歳にな... | トップ | ワクチンを接種した高齢者の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ささやかな古稀からの思い」カテゴリの最新記事