夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

女性のための老子の名言を知り、老ボーイの私でも、確かにそうですよねぇ、と微笑み・・。

2015-09-15 11:42:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの身であるが、
昨夜のひととき、私が愛読しているPHP研究所の基幹サイトのひとつの
【PHP Online 衆知 】を見たりしていた。

そしてこの中で、【女性のための老子<4>「素をあらわにし、樸を抱く」】と見出しを見て、
どういうことなのょ・・と幼年期から女性に何かと憧憬してきている私は、
恥ずかしながら好奇心が瞬時にあふれて、こっそりとクリックしてしまった・・。

やがて記事を読み終わった後、つたない半生を歩んできた私は、
確かにそうですよねぇ、と微笑んだりした。

この記事の原文は、『PHPスペシャル』2015年9月号に掲載された記事のひとつで、
連載されている『女性のための老子』を道家<道>学院の早島妙聴(​はやしま・みょうちょう)副学長が寄稿され、
ネットに2015年07月12日に公開して下さった文であり、無断ながら転載して頂く。
          

《・・素をあらわにし、樸〈ぼく〉を抱〈いだ〉く
     ===>ありのままに素朴なのがいい

☆あなたらしく生きる

さあ今回も、女子の柔軟さこそすばらしいと説いた人類の名著『老子』の言葉から、
人生が幸せに楽しくなる生き方の秘訣つをお話ししたいと思います。

今月は老子第19章、「素をあらわにし、樸を抱く」です。
本当に住みやすい世の中とは、簡単に言えば、
すべてのものが、その個性を大切にし、ありのままに暮らしているような世の中だと教えているのです。

私たち女子も、それぞれ気の強い人、優しい人、まじめな人など、個性はさまざまですが、
その個性を生かして自分らしい人生を生きるのが、幸せになる秘訣なのです。

同僚のK子さんは、頭も良く、美人でスポーツ万能、もうとても私なんか比較にならない、
なんてちょっと気弱になっているあなたは、ぜひいっしょに考えてみましょう。

他人との比較に、大切なあなたの人生の時を浪費しないで、自分らしく、ありのままに生きることです。


☆比較をやめよう

私たちは学校に入ってからずっと、容姿や、成績や、人気など、
人との比較によって、自分の価値を計ってきたのかもしれません。

ですが、老子はそんな考え方を否定し、自分らしくありのままが最も良いと言っているのです。

樸〈ぼく〉を抱く、の樸は原木のことで、それぞれの木の持つ本来の姿が大切なのです。

頭も良い、美人のKさんと同じになる必要はないばかりでなく、
あなたには、あなたらしいあなたにしかない魅力が必ずあるのです。
おしゃれも、仕事も、趣味も、本当に楽しいと思えるものを選ぶことです。

さあ、人との比較で落ち込んでいた時間を、今日から自分磨きに使いましょう。
そして、あなたがすなおに、自分を活かして頑張っている時、それが最もあなたの輝いている時だ
ということを忘れないでくださいね。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は読み終わった後、古代中国の哲学者であり道教創案の中心人物の老子(ろうし)は、
やはり男女問わず、若き人もシニアの方でも、この一節を見ても、共通される教訓と感じたりした。

人は誰しも、それぞれ生を受けた環境も違い、その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、誰ひとり同じ人生航路を歩んできた人はいない。

その上、人それぞれ思考、信条、性格なども違うし、この広い世界で同じ人はいなく、
男性グループのSMAPの唄った『世界に一つだけの花』のような存在なのである。
                   

私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に大学を中退して、
アルバイト、契約社員をしたりして映画・文學青年の真似事を奮戦したりしたが、
やがてあえなく敗退した。

そして、やむなくサラリーマンに転身し、何とか大企業に中途入社する為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校に一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、
この後、知人のご尽力もあり、この当時としては、ある大手の音響・映像メーカーの会社に、
何とか中途入社できたのは1970年(昭和45年)の春であった。

そして音楽事業本部に配属されて数ヶ月した頃、
この中のひとつの大きなレーベルがレコード会社と新設され、
私も新たな外資系のレコード会社に転籍の辞令を受けたりした。

もとよりレコード会社の多くは中小業であり、時代の景気に翻弄されたりし、
幾たびの障害レースのようなリストラを何とかくぐり抜け、
情報畑、管理畑などに勤めたりした。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職したが、
この最後の5年半は、リストラ烈風の中、はかなくも出向となったりした。

出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。

そしてリストラ烈風が加速される中、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされ、
私は何とか定年退職を出向先で迎え、敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、
一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などで、38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、
私は遥かに遠い存在である。
          

そして私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
第二の人生は身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。
          
                                            
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
        
2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
                

そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
                                               
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すことは天敵と思いながら、
平素の買物専任者を自主宣言したのであった。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、
『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

こうした中で、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきたので、
糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、ひたすら歩くことが多くなっている。
                                                          
     
この後の大半は、居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。

新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】などに縋(すが)り、
多々教示されている。

ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
                     

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
                                      

こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。
現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

                          
年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
                                      

こうした60代の中で、多くの退職された方たちも同様と思われるが、
過ぎ去る年の会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、孫の世話で・・自身の病院の治療、或いは親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっているのが、
私の周囲には多くなっている。
   
こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                 

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、昨年の9月に古稀と称せられる70歳になり、
家内も12月に高齢者入門の65歳となり、お互いに介護保険を支払う無職高齢世帯となった。
       

いつの日にか私たち夫婦は、片割れとなり、残された方は『おひとりさま』となるが、
果たして・・と年に数回は思案したりしている。

しかしながら私は何とか60代を大病もせず卒業できたが、
不幸にも知人の病死、大病で入退院している友人を思い重ねれば、涙を浮かべたりしてきた。
          

私はゴールデン・イヤーズと称される60代を昨年の9月に卒業して、
私としてのこれまでの10年は、我が人生として最も安楽な期間を享受できたりしてきた。

そして70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
       
こうした中で、私は母の遺伝を受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人と話し合ったりすることが多い。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして悲嘆の出来事に遭遇しても、やがて落胆してばかりでは解決にならないので、
プラス思考に転じて、これまで過ごしたりしてきた。
                               
    
私たち夫婦は、この先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、いずれ片割れになる・・。
このような思いを重ねたりして、歩く時もある。

そして今回の老子の名言、《あなたらしく生きる》、そして《比較をやめよう》は、
確かにそうですよねぇ、と人生の哀歓を少し知っている私は、微笑んだれしている。

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