夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私のささやかな人生、『主役』になれたのは、確か一度だけだった、と私は微苦笑して・・。

2023-03-25 08:31:37 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
今朝いつものように家内と共に朝食を頂いた時、
ぼんやりと私たちの来週のスケージュルのことを話し合ったりした。

そして駅前に一緒に買い物に行く日を確認したりした後、
私たち夫婦が結婚した3月30日だったことが思いだされ、
結婚記念日まもなくだよねぇ、と私は家内に言ったりした。

この後、私は庭のテラスに下り立ち、昨日の5月のような25度前後の陽気から、
2月下旬のような寒さの中で小雨となり、花冷えにしては極端だよなぁ・・
天上の気候の神々の采配に、戸惑ったりした・・。

こうした中でも、小庭にある落葉樹が芽吹きを迎え、
幼い数多くの葉を眺めたりした・・。




やがて私はぼんやりと、これまでの人生を思い馳せたりした中で、
『主役』になれたのは、結婚式の後の結婚披露宴だった、

と独り微苦笑したりした・・。

誰しも人生は、生まれてきた誕生日、新たな家庭を築く両家の新郎新婦の祝賀会の結婚、
そしてやむなく亡くなった当人の葬儀が、その御方の人生の三大の出来事と称されてきた。

しかしながら私の場合は、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親はもとより、祖父、父の妹の叔母、そして長兄、次兄のもとで育(はぐく)まれたが、
もとより誕生した時の当人の私の自覚は、数年はなかった・・。

そして今後の天上の神々の采配により、私がこの世と別れた時の後、
葬儀の内容は家族葬を要望しているが、こうした時も命の果てた私には解らない・・。

こうした関係により、つたない私の人生で、
数多くの方から恥ずかしながら『主役』になれたのは、

新郎新婦の両家の結束を固める結婚式であり、
その後の知人、友人、親戚たちから祝賀される結婚披露宴だった、と私は思ったりした・・。


               
私は小、中学時代は劣等生であり、高校時代には始めて授業の楽しさを覚えたりする中、
何とか優等生のグループになったりした。

そしてクラブは写真部に所属して、風景部門で最優秀を頂いたこともあるが、
これはクラブの部員の中で選定された、文化祭のセレモニーのひとこまに
過ぎなかったことである。


或いは35年近くのサラリーマン時代には、わすか一度だけ社長から、社に多大に貢献したと、
表彰式を設けられて、感謝状と共に金一封を頂いたこともある。

しかしながら勤務して、たまたま目立ったことの業務に配属されて、
奮闘した結果のセレモニーである。



こうしたことは『主役』の範疇は、もとより対象外のささやかなイベントであり、
卑屈で何かと劣等感が多い人生を歩んできた私は、
『主役』になれた結婚披露宴の若かった私、新妻のだった家内、知人、友人たち・・
それぞれのしぐさ、言動を思い馳せて微苦笑をしたりした。


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2 コメント

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Unknown (espritmon)
2023-03-25 20:58:58
フォローさせて頂き楽しく拝見させて頂きます。
返信する
貴兄は、シニア世代のお手本・・。 (夢逢人)
2023-03-25 22:00:11
espritmon様。

初めまして・・。

>フォローさせて頂き楽しく拝見させて頂きます。

貴兄のプロフィールを拝見して、
《・・晴れの日は菜園、ゴルフ、旅行で雨の日は行灯づくり、陶芸・・》、
充実された日々を過ごされ、まさにシニア世代のお手本・・、
と瞬時に感じました・・。

私はブログ上で公開した通り、体力の衰えを実感する中、
物忘れも、ときたまある78歳の身です。

こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
返信する

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