私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
今朝いつものように家内と共に朝食を頂いた時、
ぼんやりと私たちの来週のスケージュルのことを話し合ったりした。
そして駅前に一緒に買い物に行く日を確認したりした後、
私たち夫婦が結婚した3月30日だったことが思いだされ、
結婚記念日まもなくだよねぇ、と私は家内に言ったりした。
この後、私は庭のテラスに下り立ち、昨日の5月のような25度前後の陽気から、
2月下旬のような寒さの中で小雨となり、花冷えにしては極端だよなぁ・・
天上の気候の神々の采配に、戸惑ったりした・・。
こうした中でも、小庭にある落葉樹が芽吹きを迎え、
幼い数多くの葉を眺めたりした・・。
やがて私はぼんやりと、これまでの人生を思い馳せたりした中で、
『主役』になれたのは、結婚式の後の結婚披露宴だった、
と独り微苦笑したりした・・。
誰しも人生は、生まれてきた誕生日、新たな家庭を築く両家の新郎新婦の祝賀会の結婚、
そしてやむなく亡くなった当人の葬儀が、その御方の人生の三大の出来事と称されてきた。
しかしながら私の場合は、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
両親はもとより、祖父、父の妹の叔母、そして長兄、次兄のもとで育(はぐく)まれたが、
もとより誕生した時の当人の私の自覚は、数年はなかった・・。
そして今後の天上の神々の采配により、私がこの世と別れた時の後、
葬儀の内容は家族葬を要望しているが、こうした時も命の果てた私には解らない・・。
こうした関係により、つたない私の人生で、
数多くの方から恥ずかしながら『主役』になれたのは、
新郎新婦の両家の結束を固める結婚式であり、
その後の知人、友人、親戚たちから祝賀される結婚披露宴だった、と私は思ったりした・・。
私は小、中学時代は劣等生であり、高校時代には始めて授業の楽しさを覚えたりする中、
何とか優等生のグループになったりした。
そしてクラブは写真部に所属して、風景部門で最優秀を頂いたこともあるが、
これはクラブの部員の中で選定された、文化祭のセレモニーのひとこまに
過ぎなかったことである。
或いは35年近くのサラリーマン時代には、わすか一度だけ社長から、社に多大に貢献したと、
表彰式を設けられて、感謝状と共に金一封を頂いたこともある。
しかしながら勤務して、たまたま目立ったことの業務に配属されて、
奮闘した結果のセレモニーである。
こうしたことは『主役』の範疇は、もとより対象外のささやかなイベントであり、
卑屈で何かと劣等感が多い人生を歩んできた私は、
『主役』になれた結婚披露宴の若かった私、新妻のだった家内、知人、友人たち・・
それぞれのしぐさ、言動を思い馳せて微苦笑をしたりした。
初めまして・・。
>フォローさせて頂き楽しく拝見させて頂きます。
貴兄のプロフィールを拝見して、
《・・晴れの日は菜園、ゴルフ、旅行で雨の日は行灯づくり、陶芸・・》、
充実された日々を過ごされ、まさにシニア世代のお手本・・、
と瞬時に感じました・・。
私はブログ上で公開した通り、体力の衰えを実感する中、
物忘れも、ときたまある78歳の身です。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。