私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。
やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。
そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節、日本の各地を旅行をすることが、多かったりしてきた。
私たちの旅路、定年後まもなく自動車の免許書の更新を中止した私は、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。
或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。
いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。
今回、私たち夫婦は沖縄本島の中部地域にある名護のあるリゾートホテルに、
家内の要望により、明日の10月21日より4連泊の旅路をする。
私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れた。
この50代の時は、私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。
いずれもジャル・ストリーズの企画した宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。
この時に石垣島に連泊した時、石垣島の島内を周遊したり、
西表島に船で訪れて、仲間川のマングロープの中を小舟で遡ったり、その後はカンビレーの滝まで散策したりした。
その後は隣接した由布島、そして竹富島などの八重山諸島を周遊したりしたが、
カメラを持参していなかったので、心の片隅に残っているだけである。
やがて私は定年退職後、三年過ぎた2007年〈平成19年〉10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母の《 死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい 》願いを叶える為に、
那覇市内にあるビジネスホテル風の『アパホテル』に連泊して、『ひめゆり塔』、『平和祈念公園』など訪れたりした。
そして中部地域の観光に利便性がある名護市の郊外にあるリゾート・ホテルを家内が選定して、
かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテル『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』に6連泊滞在して、
周辺の風光明媚な光景を遊学したりした。
この後、2013年1月、旅行通販会社の大手のクラブツーリズムに於いて、
フリープランのひとつとして、石垣島フリープラン5・10・14日間が掲載されて、
《 離島桟橋まで徒歩3分の大浴場付きホテルに連泊 》と見出しがあり、
私たち夫婦は、石垣島の島内をゆっくり周遊するのも良いかしら、と思い申し込んだりした。
そして市内の中心街にあるビシネス風の『ホテルグランビュー 石垣』に2月7日より9連泊して、
本島の名所、周辺の新城島(あらぐすじま)、小浜島、竹富島などを遊学した。
この新城島(あらぐすじま)は、バラスと称されるサンゴの欠片だけで出来た白い島であり、
住民は近くの島に移動されて、この島に残されたお墓に、
かっての住民はお墓参りの時に訪れるぐらいの無人島になった、
と案内して下さった御方から、私たちは聞いたりした。
こうした状況を私たち夫婦は学び、たまたま観光客は私たち夫婦だけて、
島内散策と白い浜にたわむれたりした。
この後、沖縄本島のサンセットビーチとして名高い北谷(ちゃたん)町にあるリゾートホテルに
昨年の1月12日より9泊10日で滞在旅行をした。
何かしら県内最高層の23階建ての『ザ・ビーチタワー沖縄』であり、すぐ目の前がサンセットビーチ、
客室から眺望が良く、隣接地には華やかな『アメリカン・ビレッジ(村)』、そしてスーパーの『イオン』もあり、
何かと利便性に優れた地域であった。
こうした中、利便性の良い路線バスを利用して、周辺の観光地を訪れたりした。
そして今年の4月に、中部地域にある本部(もとぶ)のリゾートホテルに
4月5日より6泊7日で滞在旅行をした。
この旅路に関しては、後日記載する。
今回の旅路は、私は波打ち際を散策したり、朝夕の海上のうつろう情景、この間に読書をしたりして、
家内は日頃の家内の母の介護の疲れを癒す為、
私たち夫婦はゆったりと過ごす予定としている。
尚、今年の4月に、中部地域にある本部(もとぶ)のリゾートホテル滞在記、明日より掲載。
☆コメント欄、一時閉鎖と致します。
先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見たりした中で、
『 アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない 』と題された見出しを見てしまった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに幸運にも、入院する大病には遭遇せずに今日に至っている。
こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は、
帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
歩き廻り、幼年期に農家の児だった為か、山川草木を愛(め)でながら、季節のうつろいを享受している。
こうした根底のひとつとして、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
そして過ぎし医学ネットで『認知症にならないための脳の7つの習慣』に於いて、
散歩をする、新聞を声を出して読む、料理をする、社会と交わる、電車やバスに乗る、
毎日日記をつける、恋をする、などの七か条を学んだりしてきた。
しかしながら不運にも、どちらかが認知症になってしまったら、私たち夫婦は家内とふたりだけの家庭であり、
いずれにしても介護する方は、あなたは誰なの・・このような表情で応対されると、気力が萎えてしまう、
と思いめぐらす時もある。
このような深情を秘めている私は、
標題の《・・アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない・・》、
どのような状況なのですか・・と真摯に思いながら、こっそりと読んでしまった・・。
この記事は、『女性セブン』の2018年10月25日号に掲載された記事のひとつであり、
『女性セブン』の編集部の女性が体験してきたことも発露され、
関連のネットの【 NEWSポストセブン 】に2018年10月15日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・アルツハイマー型認知症 元来の性格や人間性は変わらない
親が認知症になると、本人だけでなく家族の困惑も大きい。
もの忘れや生活上の失敗など、目に見える変化はどうしても気になるし、
接し方に戸惑ってイライラが募り、思わず声を荒らげてしまうこともある。
悲しく切なく、親とはいえ、遠い存在に思えてしまうのも、正直な気持ちだ。
50代。同年代の間でも“親が認知症に”という人が多い。
そう遠くない将来には、当事者になる可能性もある。
だからこそもっと身近なこととして知りたい。
認知症診療の第一人者、東京慈恵会医科大学教授の繁田雅弘さんに、
日本人にいちばん多いアルツハイマー型認知症について聞いた。
◆昔のイメージから大きく変わってきた認知症
「認知症というと、いまだに“何もわからなくなる”というイメージが根強いのでしょうか?
認知症の理解が、そこを出発点にすることが、そもそも間違っているんですよ」と、繁田さんは言う。
記者の母(83歳)は、78歳時の認知症診断当時も、大混乱していた。
人生最大のストレスともいわれる配偶者(父)の急死が重なったこともあるが、
それまで見たことのない表情、言動、そして認知症の典型的なもの忘れ、妄想が次々に現れ、
私自身も混乱し、とても意思の疎通はできなかった。
母は、もう私の知る母ではない。
まさに“何もわからない異人”に思えた。
「確かに昔は、認知症になると、“もうどうしようもない”、“本人はどうせわからない”といった認識で、
閉じ込めるような医療だった時代もありました。
でもここ30年くらいの間に、認知症に関する研究が急速に進み、いろいろなことがわかってきたのです。
【アルツハイマー型認知症には、進行ステージが】
まず、アルツハイマー型認知症は、人格が変化する病気ではありません。
脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。
大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません」
そしてアルツハイマー型認知症の場合は、
かなり進行してからも、理解力や判断力は維持されることが多いという。
「たとえば映画や音楽鑑賞、読書など、鑑賞したことの記憶は、失われるかもしれませんが、
その瞬間、瞬間を理解し、楽しむことはできます。
高度の認知症で、言葉を失ったように見える人でも、
こちらからたくさん話しかけ続けていると、
ふと表情が変わったり笑みを浮かべたりすることもある。
決して“わからなくなって”はいないのです」
何より驚かされるのは、認知症研究が進む今、一人ひとりの認知症の進行が、
緩やかになる傾向にあるのだという。
「10年前と比べれば、スピードは半分、
20~30年前の3分の1ほどになったと言ってもいい。
認知症になっても、軽度や中等度でいる時期が2倍、3倍と延びているので、
早い段階から医療が介入すれば、高度まで進行する人は、減ってきています。
少しの支援や介助で、普通の生活やひとり暮らしもできる軽度のままで、
天寿をまっとうする人が多くなっています」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、今回の『アルツハイマー型認知症には、進行ステージが7段階】の状況がある
ことを真摯に学んだりした・・。
こうした中、特に《・・脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。
大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません・・》
こうしたことを学び、いつの日にか私が認知症に遭遇した時に、
困苦しながらも、救いとして多少なりとも安堵感を感じる思いになったりした・・。
私は4年前の70歳を過ぎた頃から、記憶が劣化している、と気付き、
独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることを幾たびか体験している。
今回学んだ『 アルツハイマー型認知症の進行ステージ7段階 』を再確認すれば、
【2】の『正常老化』の❝物の置忘れ、物忘れが起きる❞に該当するかしら、と微苦笑してしまった。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
このように私は、何かとプラス思考の単細胞の身なので、もしかしたら認知症に遭遇せずに、
いつの日にか、あの世に旅立つことができるかしら、と微笑む時もある。
先程、愛読しているネットの『ダイヤモンド・オンライン』を見ている中で、
『 健康寿命を延ばす「10の方法」
生活習慣と食事、運動がカギ! 』と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。
しかしながら何かと単細胞で、思い込みの激しい私は、
思い違いがあったら大変だ、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、『週刊ダイヤモンド』編集部の大坪稚子さんが纏(まと)められた記事であり、
関連の『ダイヤモンド・オンライン』の中のひとつ『アンチエイジング・老化防止』に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・同年代でも若々しい人もいれば、老け込んで見える人もいる。
その差はどこからくるのか。健康で長生きする秘訣を探った。
つまり、活性酸素の無毒化・除去ができれば、老化を防げるということになる。
特効薬はないが、日常的にできる対策の一つが抗酸化作用のある成分、食品を取ることである。
特に重要な成分が3つある。
まずビタミンE。脂肪の酸化を食い止める効果がある
(ただし、脂溶性ビタミンのため、必要以上に取ると体内に蓄積されてしまい、注意が必要だ)。
2つ目が、ビタミンC。活性酸素を消し去る力がある。
3つ目に、コエンザイムQ10。
ミトコンドリアの膜に含まれる補酵素で、抗酸化力が強く、ビタミンEの抗酸化作用を助けることが知られている。
「植物や動物は紫外線から身を守るために、抗酸化物質を蓄えている。
抗酸化力の強い食べ物をしっかり取ることをお勧めしたい」と白澤氏は言う。
表のように、βカロテンが豊富なニンジン、ビタミンCが豊富なブロッコリー、リコピンが豊富なトマト、
アスタキサンチンの豊富なサケの切り身など、抗酸化力の強い食品はいろいろある。
「食材を購入するときには、色の濃いものや、過酷な自然環境で育ったものを選ぶとよい」(白澤氏)。
前述の長寿遺伝子発見者のガレンチ氏の食事は、野菜中心で、ブロッコリーを積極的に取っているそうだ。
ブロッコリーには、ビタミンのほかに、発ガン物質の活性化を抑えるイソチオシアネートや
インスリンを助けるクロムなどさまざまな有効成分がある。
1ページ目の表の(3)に挙げた「ベジフル7」は、
厚生労働省が掲げる「1日に野菜5皿、果物2皿」を目安にしている。
重量でいえば、野菜350グラム、果物200グラム。
参考までにニンジン1本100グラム、リンゴ1個250グラムである。
(5)に「お酒を飲むなら赤ワイン」と書いたが、
これは脂っこいものを食べているのに、心臓病が少ないというフレンチパラドックスのことだけではない。
ハーバード大学のシンクレア博士は、赤ワインに含まれる
ポリフェノールの一種、レスベラトロールが長寿遺伝子に直接働きかけ、
酵母菌の寿命を延ばしたという研究を発表している。
もっとも、アルコールの取り過ぎは、問題。
米国のガン研究財団は「ガン予防の15ヵ条」で、男性は1日2杯以下、女性は1杯以下に
(1杯はビールで250ミリリットル、ワインで100ミリリットル)と定めている。
☆運動は定期的に継続的に行なうこと
長寿遺伝子を活性化させるために、食事と並んで重要なのが運動だ。
運動は定期的に、継続的に行なうことが重要だ。
「脂肪に含まれるアディポネクチンというホルモンは、血管修復や脂肪燃焼作用があるが、
太った脂肪細胞からは、分泌されなくなってしまう。
つまり、脂肪細胞を太らせないようにしなければならず、生涯にわたって運動する必要がある」(白澤氏)
興味深いことに、運動は何歳から始めても、遅過ぎることはないという。
たとえば水泳。体力や泳力は年齢とともに低下していくが、
「練習によって開発される能力は、高齢になっても向上することが専門家のあいだで確認されている」(白澤氏)。
長寿遺伝子を働かせ、健康寿命を延ばす――。
これは、食事と運動、そして前向きな生き方にかかっている。
自ら働きかけないと、長寿遺伝子は静かに眠ったままである。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、食事に関して具体的に学び、多々教示された。
私は、健康上の問題で日常生活が制限されずに、行動できる健康寿命は、
男性72.14歳、女性74.79歳と学んできた。
そして平均寿命と健康寿命との差は、男性8.84 年、女性12.35 年
(厚生労働省平成30年「健康日本21推進専門員会」資料)、と公表されている。
そして悩ましい亡くなるまでの日常生活に制限されるこの期間、
それぞれ多くの御方が自助努力をされ、何とか人に頼よる介護・要の期間を無縁に向かって、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。
その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。
現状、年金事務所の実務から言えば、年金手帳にこれと言った機能も役割もありません。
あえて言えば、基礎年金番号を確認するくらいです。
また、年金事務所としては年金手帳に何らかの記録を書き込むことはありません。
また、勤務先の担当者が記録らしきものを書き込んでいても、そのまま正式な記録として見做すことはありません。
☆年金手帳の記載は公式のものとみなされません
「消えた年金記録問題」が起きた当時はもちろん、
今現在でも「年金手帳にある記載を正式な記録として認めろ」
とクレームをつける人が年金事務所に来ることがあります。
が、勤務先担当者の誤解や知識不足のために、間違った記載をしているケースが多いです。
☆年金加入記録は年金機構が把握するものが全て
個人の年金加入記録は年金機構が把握しているものが全てです。
そのため、記録に間違いがないか、毎年、ねんきん定期便で確認を取っているわけです。
繰り返しになりますが、年金手帳の記載は公式のものとは認められません。
☆失くしても、大丈夫
年金手帳には写真貼付がありませんから、
本人確認の公的文書としては、普通自動車免許証、パスポート、マイナンバーカードより劣ります。
仮に年金手帳を失くしても、年金事務所に行けば、3分もかからずに再発行してもらえます。
☆年金手帳は不要?
「じゃ、年金手帳なんか要らないじゃないか」という当然の疑問が出てきます。
確かにその通りで、公務員(共済年金加入者)に年金手帳はありませんでした。
共済年金と厚生年金が統合された後も交付されていません。
☆厚生年金にも手帳はなかった
国民年金、厚生年金がそれぞれ別の制度であった当初、国民年金手帳、厚生年金被保険者証が別々に存在していました。
が、後に年金手帳にまとめられました。
当時の色がオレンジです。
☆ブルーの年金手帳は基礎年金番号成立以後
厚生年金、共済年金の1階部分が制度共通の基礎年金(国民年金)となった後、
つまり、基礎年金番号の成立以後に交付された年金手帳がブルーです。
☆年金手帳も基礎年金番号も消え去るのみ
年金手帳の変遷は、まさしく年金制度改正の歴史を反映しています。
現状、年金記録は基礎年金番号で一元管理されています。
今後は、年金加入記録がマイナンバーにヒモ付けされますから、
年金手帳も基礎年金番号も用済みとなります。
マイナンバーカードを早目に入手しておく方が、この先、何かと便利となります。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、大切に保管しているな厚生年金手帳は不要だ、と今回初めて学び、
苦笑したりした。
そして《・・個人の年金加入記録は年金機構が把握しているものが全てで、
そのため、記録に間違いがないか、毎年、『ねんきん定期便』で確認・・》
《・・今後は、年金加入記録がマイナンバーに、ヒモ付けされますから、
年金手帳も基礎年金番号も用済みとなります。
マイナンバーカードを早目に入手しておく方が、この先、何かと便利となります。・・》
このように私は学び、微苦笑してしまった。
確かマイナンバー制度は、2016年1月に導入されたが、
過ぎし日に新聞を読んだりしていた中、マイナンバーカードの普及率は、
2018年3月1日現在で10.7%にとどまっている。
そして、税務調査の効率化などを目的とした銀行口座との任意の紐付け制度が
2018年1月に始まり、再び注目を集めている、と学んだりしてきた。
我が家にも、日本国内に住民票がある個人に割り当てられる12桁の数字で、
「マイナンバー」設定の書類が郵送されてきたが、これといった具体的なメリットが感じられないので、
わざわざ「マイナンバーカード」を作成することはない、と今日に至っている。
今回、《・・年金加入記録がマイナンバーに、ヒモ付けされます・・》と今回学び、
いつの日にか、「マイナンバーカード」を作成する必要があるかしら、と私は微苦笑したりしている。
先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 相続民法大改正、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる 』と見出しを見たりした。
私は高齢者74歳の身であるが、何かと悩ましい相続について、
民法大改正に伴い、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる、と知り、
具体的にはどのようなことなの・・と思い記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年10月26日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【 NEWSポストセブン 】2018年10月15日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・かつて相続税は、「お金持ちにだけかかる税金」だった。
それが2015年の相続税増税で、基礎控除が大幅に縮小され、「普通の人も納める税金」に変わった。
そうしたなかで、2018年7月に相続に関する民法の規定を
40年ぶりに見直す改正案が国会で可決・成立した。
2019年1月以降に順次、施行されていく改正民法によって、相続の常識は大きく変わる。
変更の多くは、高齢社会への適応を進めるものだ。
「残された高齢の妻が、住む場所に困らないように」、
「介護に尽くした人に報いることができるように」──変更後の相続ルールは、
上手に利用すれば心強い味方となる。
ただ一方で、新たな落とし穴も生まれている。
相続によって、家族関係にヒビが入る“争続”を避けるための新常識を解説する。
今回の大改正の大きなポイントの1つが、「配偶者の権利の拡充」だ。
妻と子が相続人となるケースでは、民法で定められた法定相続分に従うと、
遺産は配偶者に2分の1、残り2分の1が、子供たちの人数によって配分される。
しかし、現行制度下では、法定相続分通りに遺産分割しようとすると、
妻が自宅を処分せざるを得なくなるケースが、少なからずあった。
夫を失ったばかりの高齢の妻が、長年住み慣れた家からの引っ越しを余儀なくされるのは、
肉体的にも精神的にも負担が大きい。
そうした事態を避けるため、今回の法改正で「配偶者居住権」が認められるようになった。
その違いは大きい。
別掲図は資産価値4000万円の自宅と、現金2000万円の計6000万円が遺産として残り、
妻と子供2人が相続する場合をシミュレーションしたものだ。
妻は3000万円、子供はそれぞれ1500万円が法定相続分だが、
夫の残した現金は2000万円しかない。
子供の相続分(2人で3000万円)を捻出するには、家を現金化しなければならなかった(別掲図「改正前」)。
もちろん、相続人全員が承諾すれば、法定相続分に従う必要はない。
ただ、妻が4000万円の家を、子供たちが預貯金を1000万円ずつ受け取ると、
今度は妻の手元に、現金が残らない。
相続後の日常生活に支障をきたす恐れもあった。
こうした問題を解決するのが「配偶者居住権」だ。
別掲図の「改正後」を見ていただきたい。
https://www.news-postseven.com/archives/20181015_781345.html?IMAGE&PAGE=1
☆【 NEWSポストセブン 】公式サイト
==>『相続民法大改正、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる』
==>図表『家と現金両方が配偶者に』☆
4000万円の家を「居住権」と「所有権」に分けて相続できるようになる。
図では妻の居住権を2000万円と仮定したが、妻は別に1000万円の現金を受け取る。
一方、子供たちは1000万円ずつの家の所有権と、現金を500万円ずつ相続する。
妻はもともとの家に住み続けられる上、夫の預貯金の一部を生活費に充てることができる。
フジ相続税理士法人の税理士・高原誠氏はこう語る。
「これまで、遺された配偶者の当面の生活費をいかに工面するかが、実務上の大きな課題でした。
高齢のケースも多く、そういった方は家の所有権の有無より、そこに住み続けられるかが重要になる。
そこで、評価額を少し抑えた居住権という概念を作り出して、
そのぶん手元に残せる現金を増やせるようにしたわけです」
居住権を得るには、相続開始時(夫の死亡時)に、その家に住んでいることが条件となる。
「住民票を置いているかどうかといった規定はなく、
生活の実態があれば、認められるものと考えられます」(まこと法律事務所の弁護士・北村真一氏)
居住権の金額価値への換算は、当事者の話し合いで決定されるが、
法務省は目安として「簡易な評価方法」を公表している。
基本的には、妻の平均余命をベースにした計算だ。
妻の年齢が若いと、その後の居住年数は長くなると想定されるので、居住権の価値は高くなる。
一つの目安として、妻が65歳だと、家の価値の半分ほどが、居住権の価値となる。
配偶者居住権は登記され、子供たちが所有権を第三者に売却、譲渡などした場合も消失しない。
妻はその家に住み続けられるので、配偶者を守る非常に強力な権利といえる。
◆住んでいない家の固定資産税
一方で、新たな火種となる可能性もある。
原則として家の所有権をもつ子供たちに、固定資産税の納付義務が発生する。
子供たちが別の場所で暮らしていた場合、
「住んでもいない家の固定資産税を払う」ことになり、抵抗を感じる人も少なくないだろう。
今回の法改正は、配偶者の権利を大幅に拡大するものだが、
逆に言えば、その分、子供たちの権利は縮小する。
実家の所有権を相続しても、自由に売却はしづらく、しかも税も負担しなければならない。
修繕費やリフォーム費用なども含め、家のランニングコストの負担については、
十分に話し合っておく必要が生じる。
家族内で変更された相続ルールの内容を共有し、権利と負担のバランスをどう調整していくのか、
全員が納得する答えを改めて探っていくことが重要になる。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終えた後、夫を亡くした妻は居住権が確保されれば、
従来通り長年住み慣れた家で、このまま住むことが出来、
妻にとっては何よりの朗報だ、と深く感じたりした。
東京都の武蔵野市では、1981年(昭和56年)に高齢者の住宅を担保に
在宅福祉サービスの代金を融資する制度が実施された。
しかしながら、やがてバブルの時代、武蔵野市の住宅街に住んでいた御夫婦が、
夫が亡くなり、多額な相続税が発生して、残された妻は住み慣れた家をやむなく売却して、
引っ越しされた、と私は新聞記事を読み、余りにもお気の毒と思い深めたことがあった。
この後、こうした住民の対策のひとつとして、それぞれの有力な自治体で、
すでに保有している住宅を担保に、毎月一定額の融資を受けるローンで、
返済はせず借入者の死亡時に住宅を処分して、返済資金にあてるリバース・モーゲージが実施された。
こうした方法を活用すれば、生活資金も補充でき、住み慣れた家で従来通り生活ができ、
この後は、幾つかの都市銀行でも設定されている制度である。
このように学んできた私は、今回の相続民法大改正に伴い、
配偶者居住権で家を売る必要がなくなる、と私は学び、
夫を亡くした妻は居住権が確保されれば、従来通り長年住み慣れた家で、このまま住むことが出来、
妻にとっては何よりの朗報だ、と感じ深めたりした。
先程、愛読しているネットの【 NIKKEI STYLE 】を見ている中で、
『人生の悩みは大きく4つ
人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」教えます』と見出し記事を見た。
私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職するまで、何かと悪戦苦闘が多い人生航路で、
この後の年金生活は予測した以上に安楽に過ごして、14年生の身である。
しかしながら、この世には人それぞれ悩みもあり、
標題の『・・人生の悩みは大きく4つ 人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」・・』、
まるで魔法の杖(つえ)のようなことなんかあるの・・と思いながら精読してしまった。
この記事は、日本ファシリテーション協会フェローの堀 公俊さんの寄稿文であり、
【 NIKKEI STYLE 】に2018年10月11日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・人生の悩みは大きく4つ 人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」教えます
■どんな悩みでも解決してみせます!
私の職業は「組織コンサルタント」です。
人・組織・社会が抱える悩みの解決のお手伝いをする、いわば問題解決のプロフェッショナルです。
人生経験も社会経験も豊富ですし、幅広い人脈も持っています。
読書量もかなりのもので、自分の著作も海外を含め50冊に上ります。
どんな悩みでもたちどころに解決する自信があります。
嘘だと思うなら、試しにやってみせましょうか。
たとえば、皆さんの中に、なかなか痩せられなくて困っている人はいませんか。
私がとっておきの方法をお教えしましょう。
体に入るエネルギーの「入」を抑えて、「出」を増やせばいいんですよ。
まずは、何より食べないことです。
それが嫌なら、ガンガン運動することですね。
それでこの問題は解決がつきます。
嘘だと思ったら、ツベコベ言わずにやってみてください。必ず解決しますから。
そもそも、ベテランの占師によると、人生の悩みは4つに集約されるそうです。
(1)人間関係
(2)お金
(3)健康
(4)将来です。
(1)人間関係に悩む方、相手と別れられないなら、相手に合わすしかありませんね。
(2)お金は死ぬほど働くか一発事業で当てるか。それが無理なら節約でしょう。
(3)健康の話は、よくなるなら医者、ならないならカウンセラーのお世話になるしかありません。
(4)将来の話は、悩む暇があったら、何かアクションを起こすほうが早いですよ。
どうですか、これですべての問題が解決できませんか?
もちろん、これは悪い冗談です。
これでは問題は解決しません。
解決策を実行するのは生身の人間であり、やるべきことが分かっていても、
「できない」、「やりたくない」ということがあるからです。
いくら明快な解決策があっても、誰も何もやらなければ、何の成果にも結びつきません。
つまり、なぜ問題が解決しないかといえば、解決策を実行しないからです。
アイデアもさることながら、モチベーションに問題の本質があるのです。
であれば、「やるべきこと」ではなく、「やりたいこと」を見つけ出そう。
それが「ポジティブ・アプローチ」の基本の考え方です。
問題解決というと、完全な解決策を求めるあまり、
どうしても「やるべきこと」や「やらねばならぬこと」を
「やらなければいけない」と思ってしまいます。
英語で言えば、ShouldやMustに当たります。
ところが、そのせいでやる気にならなかったり、やるのを諦めたりしたのでは、
何の解決にもなりません。
完全な解決を求めて何もやらないよりは、
「やりたいこと」、「やれること」を着実に進めたほうが、はるかに得です。
そう考えて、Will、Canを探そうというのが、ポジティブ・アプローチです。
特に、人の意欲や行動が問題になっているときに効果的です。
■自分の経験に勝る資源はない
では、実際にどうやって問題を解決していくのか。分かりやすいやり方を一つ紹介しましょう。
先ほど述べた「なかなか痩せられない」という悩みを例にして。
まずは、解決したい問題を定義します。
「痩せられない」ではなく「痩せたい」とポジティブ(肯定的)に表現します。
そうしないと、どこに向かっていくのか、分からなくなります。
あわせて、どれくらい痩せればどんな効用(ベネフィット)があるのか、
理想のありたい姿を明らかにします。
そうすることで、問題解決の本当の意味を明らかにしていきながら、問題に取り組む気分を高めていきます。
次が最も大切なステップです。
おそらく本当に痩せたいと思っているのなら、今まで何もしなかったということは考えられません。
問題解決に取り組んだ過去や現在の事例があるはずです。
自分が持っていない外のものに解決を求めるから、苦しくなるのです。
そうではなく、既にあるものや自分の中に求めるようにしましょう。
なかでも経験は、一番の資源となります。
例外でも偶然でもよいので、何かうまくいったことはないか、
どうしてそのようなことができたのか、どんなささいなことでもよいので
過去の成功事例を集めて掘り下げていきます。
それは解決アイデアを考えるヒントになります。
その上で、現在の到達点を確認しておきます。
目指す姿を100点満点だとしたら、今はどれくらいできているか。
現状の到達点を明らかにします。
スケーリングと呼ぶ作業です。
仮に現状が60点だからといって、あと40点稼いで100点満点を目指したのでは、
初回に紹介したギャップ・アプローチになります。
そうではなく、あと1点でもよいから、目標に近づくためにできることを考えます。
ここでは実現性や効果は、一切考える必要はありません。
夢物語でも無責任でもよいので、ありとあらゆる手を考えます。
思いつかないなら、何でもできるとしたらどんなことが起こるか、
一切の制約を取り払って考えます。
これをミラクルクエスチョンと呼びます。
あるいは、仲間を呼んでブレーンストーミングしてもらうのも手です。
他人の経験が生かせると同時に、「できない」という思い込みを打ち破ってくれるからです。
そうやって集まった選択肢の中から、最後に実際の行動に移すものを選びます。
かといって、前回の合理的決定アプローチのように効率性や投資効果では選ばず、
「やりたいかどうか」、「できると思うかどうか」が唯一の基準となります。
一番しっくりくるものを選び、具体的なアクションプランに落とし込みます。
もちろん、これで思う通りに痩せられるわけではありません。
問題は完全には片づきませんが、解決に向けて着実に一歩前に進められます。
小さな変化は、大きな変化を生み出すキッカケになり、
何もしないよりは、状況を変化させることが大切です。
そうやって少しずつ歩を前に進めていけば、いつかは大きな目標を達成できるかもしれません。
そうやってポジティブに考えて進むのがこのやり方です。
ポジティブ・アプローチでは、「なぜ?」を考えるのはご法度です。
できない理由よりも、できることを考えます。
うまくいかない原因よりも、うまくいった事例を探します。
何が足らないかではなく、どうすれば達成できるかに集中するようにします。
順調に進んでいることは、いじらないことです。
余計なことをせず、そのまま置いておきましょう。
下手にいじると、せっかく順調にコトが運んでいるのに、かえっておかしくなるかもしれません。
その上で、うまくいったことを探して、とりあえず繰り返してみましょう。
それなら、新たなアイデアも要らず、確実に成果も得られ、やる気も高まります。
どんなささいなことでもよいから、うまくいったことを探して繰り返せば、
いずれ大きな成功に近づく源となります。
逆に、うまくいかなかったなら、違うことをすべきです。
うまくいかないことを、「もっと頑張れば」、「次こそは」と繰り返すのは、愚の骨頂です。
同じやり方から違う結果は生まれてこず、それをガンバリズムでどうにかしようとするから
難行苦行になるわけです。
うまくいかないことは、あっさりとやめてしまいましょう。
その上で、何か違うことや、新しいことをやってみましょう。
うまくいかないことを繰り返すくらいなら、何でもよいから変えてみる。
数撃てば当たるで、そのうちうまくいくことが見つかるはずです。
いかがですか。
案外、ポジティブ・アプローチって合理的な考え方だと思いませんか。
なかなか解決できない問題で悩んでいたら、ぜひだまされたと思ってやってみてください。
占いなんかに大枚を払うよりも、よほどマシだと思いますよ。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、人生の人間関係、お金、健康、将来の難題を
一刀両断のように明記されても、それぞれ人は悩むことが多いですょ・・と微苦笑してしまった。
私の知人で、子供が家を建てる資金、孫の教育資金などを援助し過ぎて、
肝心の年金生活に困苦したりしている。
或いは私が現役時代に、知人がリストラに遭遇して、会社をやめて、
やがて収入が下がり貯蓄を切り崩して生活し、お気の毒にも何とか生活されている御方がいる。
そして私の知人のひとりには、大病でここ6年入退院を余儀なくされて、
不安な思いで過ごされている御方もいる。
私の場合はプラス思考であるが、いつの日にか介護・要となり、やがて予測した以上に永がらえぱ、
老後の資金が大丈夫かしら、と不安になる時もある。
人は誰しも大なり小なり悩みをいだいて、人生を過ごされているのだから、
今回のように一刀両断のように解決できないのが、人間だよなぁ・・と私は微苦笑したりしている。
先程、くらしの経済メディア【 MONEY PLUS 】を見ている中、
『 社員が自腹でも買いたい、成城石井の隠れた名品7選 』と見出しされた記事があり、
私の住む程々近く所に、成城石井の本店もあり、幼年期から何かと知ったりしているので、
精読してしまった。
https://moneyforward.com/media/hobby/72143/
☆【 MONEY PLUS 】公式サイト ==>2018.10.14.『社員が自腹でも買いたい、成城石井の隠れた名品7選』☆
やがて記事を読み終えた後、年金生活の我が家は、毎日のように買い求めたら、
食費・嗜好品が膨らみ、困るよなぁ・・微苦笑を重ねてしまった・・。
まもなく成城石井に関しては、私が若かった時代に、別れた恋人に偶然にめぐり逢えたような複雑な心情で、
思い馳せたりした・・。
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉4月の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして小さな川が所有している田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。
母屋の宅地のはずれに土蔵、納戸小屋が二つばかりあり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の代々継続している家は、このような情景が、多かった・・。
そして小田急線と京王線の間にサンドイッチのような辺鄙な処で、
京王線の最寄駅は『つつじヶ丘駅(当時は、金子駅)』か『仙川駅』であり、
児童の私としては、15分ばかりを歩いて『つつじヶ丘駅』に近い小学校に通ったりしていた。
或いは小田急線の最寄駅は『成城学園前駅』か『喜多見駅』、そして『狛江駅』であり、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に生家があった。
こうした中で、確か小学1年生だったと記憶しているが、父の妹が未婚だったの頃、
この叔母に連れられて、30分ぐらい歩いて『成城学園前駅』の近くにある『石井食料品店』に行った。
☆これ以降の写真は、たまたま私が2014年の12月初旬、成城学園駅の周辺を散策していた時、撮った情景である☆
祖父、母、叔母たちから『石井食料品店』の実家とは、何かしら曽祖父の時代に血縁していていたらしく、
遠い親戚の人、と私は幼年なりに教えられていた。
そして叔母は高校を卒業してまもなく、『石井食料品店』で従業員のひとりとして働いていた。
こうした縁で、私は叔母に引率されて、生まれて初めて成城学園の住宅街を歩いた。
数百坪の敷地が整然と並び、お屋敷町みたい、と私は幼年心なりに、叔母に言ったりしていた。
そして『石井食料品店』に到着したが、見た事のない高価な果物がたくさん店内に並べられていた、
こうしたことが鮮明に今でも、心の片隅に残っている。
この後、水道の水を生まれて初めて飲んだ・・。
この当時の生家は、つるべの時代を終えて、母家の裏にある井戸のポンプを手でこぎながら、
飲んでいたので、私は井戸水しか知らず、水道の水は不可解な味であった。
そして私が小学2年の三学期の1953年(昭和28年)の3月に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、生家として大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。
やがて私が34歳になった時、生家の近い処に一軒家を構え、
私は当時は中小業の会社に勤めて、本社は六本木に所在していたので、
我が家から通勤コースとして、利便性のある路線バスで『成城学園前駅』経由で六本木に通ったりしていた。
そして私も家内も成城学園前の商店街で買物もするようになった。
こうした中で、『石井食料品店』は高級なスーパーマーケット『成城石井』と変貌しており、
多彩な食材とか食品も高品質で、ときおり買い求めたりしていた。
私が40代の半(なか)ばの時、不覚にもギックリ腰が悪化して、
28泊29日で入院した時、会社関係の人にお見舞いを数多く頂だき、
この後、御礼としてデパートとか成城石井から送付したりした。
この中のひとりが東急の田園都市線の青葉台駅の近くの住宅街にお住まいで、
成城石井の支店、青葉台もあるよ、
と私は言われて、成城石井も支店を出店するようになったか、と驚いたりした。
この間の私は、働き始めた25歳からの習性として、
母にはお中元、お歳暮の時に、いくばくかお金を包んて渡したりしていた。
そして私が40歳を過ぎた頃から、成城石井のお惣菜売り場で買い求めた3品前後も、
手渡した時、母は私が予測した以上に悦こび、私は母が亡くなる15年近くまで続けたりした。
こうした中、私と母は毎週土曜日に電話連絡をして、
週刊ニュースのように母の一週間の出来事を聞いたりしていた。
たまたま母が成城に行き、歯科医院で治療した後、成城石井に寄って買物をしている時、
御曹司の方が店長として店内にいた時、XXちゃん・・と話しかけ、
5分ぐらい立ち話しをしてしまったわ、と母は私に言ったりした。
『お母さん・・昔のゆったりとしたおおらかな食料品店の時代と違い、
お客さんで混雑している中、店長は奮闘しているのだから、ご迷惑だょ・・』
と私は母に言いながら苦笑したりしていた。
こうしたこともあったりしたが、私、家内、そして母は生前していた時は、
何かと成城石井で買物をしたりしていた。
私は2004年に定年退職をした後、多々の理由で年金生活を始めた頃、
風の噂として、成城石井はある大手の会社に株式の大半を譲渡した、と聞いたりし、
私と亡き母が親しみを感じてきた亡くなった先代の御方、そして後を継がれて高級スーパーに変貌させた御曹司の御方、
無縁となってしまい複雑な思いで、ときおり私は買い求めたりしている。
やがて2014年5月、テレビ東京の『ガイアの夜明け』という番組で、
成城石井の躍進を、《 どんな場所にも出店 成城石井・・驚きの戦略 》と、
タイトルが付加されて放送されていた。
何かしから地方まで多店舗する中で、昨今の都心で出店も急増する実態、
こうした中で、自社で手作りしているお惣菜の製造センター、
各店からの細かな発注に対応出来る物流センター、
そして独自の目利きで輸入している種類豊富な高級な生ハムやチーズ等が映しだされた。
或いは麻布十番の店では、2階をワインバーとして、
1階で販売している食材・商品のを使ったメニューを開発しながら提供し、好評されている実態が放映されていた。
私は視聴しながら、成城石井もあの当時からして大きく変貌したなぁ、
と少し溜息を重ねながら、過ぎ去った日々に思い馳せたりした・・。
そして2015年11月下旬に、テレビ東京の『カンブリア宮殿』という番組で、
加速されている成城石井の多彩な各店の状景が放送されたりし、
私は25年前の前後、成城学園前の近くにある成城石井で、
私たち夫婦、母が何かと買物していた情景が、走馬灯のような思い馳せられたりした。
このような深情ある私は、ここ数年は家内と共に、来宅用に備えて年に数回ぐらい買い求める程度で、
平素の買い物は年金生活の身であるので、普通のスーパーで買い求めているのが実態であり、
確かに高級スーパーの成城石井は今回紹介された名品7選定・・確かに良いですよねぇ・・
と改めて微苦笑を重ねたりしている。
先程、ときおり愛読している小学館の教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見たりした中、
『 50歳からのカード選び ~ クレジットカードを解約した人の末路 ~ 』と明記された見出しを見た。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
過ぎ去り年の2004年(平成16年)の秋に、私は民間会社のサラリーマンを定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私たち夫婦は、齢を重ねるとボケたことを配慮して、
まもなくクレジットカード、銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約し、
こうした中、クレジットカードもある大手のカードだけは、継続して、今日に至っている。
このような私は、『クレジットカードを解約した人の末路』は、どのように・・と思いながら、
記事を精読してしまった。
この記事は、消費生活ジャーナリストで、
特にクレジットカードについては30年の研究歴を誇るレジェンド的存在の岩田昭男さんが、
『50歳からのカード選び』の連載記事を『サライ』寄稿され、
今回は第二回の記事で、関連の【サライ.jp】に2018年10月12日に配信されていた。
この記事を無断ながら、記事の大半を転載させて頂く。
《・・(略)・・クレジットカードの場合は、毎月の支払いの実績、つまり、いくらの利用金額があり、
それを期日までにきちんと払っているかどうかで評価されます。
そのため、カード会社は事前に利用者の職業と年収を見て、返済能力のリスクを把握しています。
月々の焦げ付きを怖れるカード会社にとって、
毎月決まった収入があって、その範囲内で家計をやり繰りしているサラリーマンこそ、
最も好ましいグループといえます。
そういう人なら、返済に困る事はないと考えて、クレジットカードを積極的に発行してくれます。
ただし、サラリーマンの多くは、60歳(最近は65歳もあり)で定年ですから、
それ以降は、高い評価は通用しなくなります。
リタイアした後は、定期収入のあてがなくなりますから、
いくら年金がもらえるといっても、状況は悪くなります。
それまでは甘い顔をしていたカード会社が、急に冷たくなって、
厳しいことを言い出すのは、こうした背景があるからです。
勤め先のバックアップもなく、定期的な収入もなくなった高齢者は、
信用力の低い人物とみなされる可能性が高いのです。
ですから、リタイアした後に、「断捨離」や「終活」の掛け声に乗って身辺整理をしようと、
クレジットカードを解約したりすると、二度とカードを作れなくなります。
そうした事情を知らないために、リタイアした多くの人がトラブルに巻き込まれています。(略)
☆終活でクレジットカードを勇んで「捨てた」女性
一人暮らしのBさんは70歳になったのを機に、
持っていたクレジットカードをすべて解約したといいます。
自分が死んだあとに、残される親族に余計な面倒をかけないようにと考え、
カードというカードをきれいさっぱり廃棄したのです。
Bさんは「これでスッキリあの世に行ける」と思ったのですが、
いざクレジットカードがなくなってみると、
それまでは当たり前にできていたことができなくなり、困り果ててしまったそうです。
例えば、楽天市場で化粧品を購入していましたが、クレジットカードがなくなったため、
カード払いができなくなってしまった。
そこで仕方なく代引きに換えたのですが、配達される時間に自宅にいないと化粧品を受け取れない。
一人暮らしで外出することが多かったBさんにとっては、相当なストレスだったようです。
リアルの買い物でも、クレジットカードを使っていたので、
カードがなくなると、現金の取り扱いに戸惑い、不便さを感じました。
常に財布に、お金を入れておかなければいけないので、
ATMに行く回数も増えて、これも重荷になっているといいます。
このようにBさんは、改めてクレジットカードの大切さを知ったわけです。
そして、もう一度クレジットカードを持ちたいと思って申し込んでみたそうです。
ところが、なかなか審査を通らない。
「70歳を過ぎた年金暮らしのおばあさんには、クレジットカードを発行してくれないのでしょうか。
断捨離とかの言葉に惑わされて、クレジットカードを解約してしまったことを本当に後悔しています。
何か良い方法はないかと思い、ご相談させていただきました」
Bさんの投稿はこんなふうに結ばれていました。
リタイア後に、家族や親戚に迷惑をかけたくない一心で、
クレジットカードを解約してしまうと、改めてクレジットカードを持つのは難しくなります。
カード会社が、年金生活に入った人の審査をより慎重に行うからです。
しかし、だからといって、クレジットカードの代わりになるものがあればよいのですが、
投稿のあった2013年当時は、全く思いつきませんでした。
それから2カ月ほど経って、そのご婦人が、千葉県で開催された私の講演会に参加されたので、
終わってからゆっくり事情をお聞きしました。
やはり一番困っているのが、ネットショッピングができなくなったことでした。
「生きがいだったのに、突然取り上げられたので、心に穴があいたようです」
と、すっかりしょげていらっしゃいました。
もう一つがカードを申し込んでも、審査に通らなくなってしまったことで、
こちらも悩みの種とおっしゃっていました。
私は、コンビニで品物を預かってもらう「コンビニ受け取り」など色々なアドバイスをしましたが、
どれも決め手になりませんでした。
これでは万事休すだと諦めかけた時です。
少し前にプレスリリースで見た新しいカードのことを思い出しました。
三菱UFJ銀行が、新しくデビットカードの発行を始めたと言う記事でした。
欧米で広まりつつあったデビットカードは、
クレジットカードと違って、預金口座から即時に代金を引き落とすカードでした。
口座を作れば、審査なしにカードを利用することができるのが利点です。
さらに新しくVISAのブランドがつくので、世界3900万カ所の店で利用できるのが特色でした。
当然ネットでも、買い物ができました。
「デビットカードは、どうでしょうか」と私が思い切って尋ねたところ、
ご婦人は、キョトンとして「何のことですか」といいました。
当時は日本人のほとんどが、このカードのことは知らなかったのです。
「銀行が発行するカードで、即時決済ですから借金にはなりません。
それに、審査なく持てますから便利ですよ」というと、
「そう?」と彼女は関心なさげでした。
そこで私が「VISAがついているので、ネットショッピングもできますよ」というと、
彼女はさっと顔を上げて、
「楽天も使えるのかしら」と興味を示しました。
「大丈夫ですよ、楽天だってYahoo!だって、何だって」というと、
急にニコニコして、
「何てカードでしたっけ、そのカード」とご婦人が聞いてきました。
「デビットカードです」
「ラビットカードって?」
「いや、デビットカードです」
「デビット? 変な名ね」
結局最後までご婦人は、デビットカードという呼び名にこだわっていましたが、
それでも、いままでの悩みが吹っ切れたように晴れ晴れとした顔になって、
「ちょっと銀行で聞いてみます」といって出て行きました。
それから3カ月してメールが来ました。
「デビットカードを手に入れました。毎日快適に暮らしています。
ネットショッピングって、ほんとうに素敵ですね。ありがとうございました」
私のアドバイスが誰かの役に立ったと、はっきりわかったのはそれが初めてでした。
ご婦人はこれからデビットカードを使って、以前のように自分のやりたいことをやり、
残りの人生を楽しく過ごされるのでしょう。・・(略)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
独り暮らしの年金生活の女性Bさんは、70歳になったのを機に、
自分が死んだあとに、残される親族に余計な面倒をかけないようにと考え、
持っていたクレジットカードをすべて解約し、この後の日常生活に困苦された。
やがて今回の岩田昭男さんに問いあわされた結果、まもなくデビットカードを利用され、
クレジットカード解約以前のように、溌溂と日常生活を楽しまれている、
このような概要である。
私は読み始めた時は、前向きに「終活」をされた女性Bさんに、お気の毒・・と思いながら、
やがてデビットカードを活用されて、以前のように、溌溂と日常生活を楽しまれているご様子に、
良かったですねぇ・・と微苦笑を重ねたりした。
我が家は、後払いの指定日に決済されるある大手のクレジットカードで、
デパートで買い物、旅行代理店の支払い、そして少し高価な品を買い求める時に活用している、
或いは最寄りのあるスーパーの専用カード、あるホームセンターの専用カード、
あるドラッグストアの専用カード等を日常の買い物として愛用して、
何かしらポイントが付くので微笑む時がある。
そしてパソコン、デジカメを買い改める時は、専門店のカード、
或いは洗濯機、掃除機、テレビなどを買い改める時は、家電量販店の専用カードを
活用してきた。
我が家は、ネットショッピングも一度もしたことがない何かと時代遅れであるが、
ここ日本の40年は、クレジットカードを中核に、それぞれの専用カード全盛期の上、
利便性のあるネットショッピングも盛んに利用されている。
こうした今日、やはりクレジットカードは、欠かせないですよねぇ、
と裕福層に無縁な私でも、微苦笑したりしている。
先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 すぐに病院へ 突然発症する「脳梗塞」3つの予兆 】と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
私は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
このような私は、過ぎし2年前に御近所の同世代の男性の知人が、「脳梗塞」で突然に亡くなり、
私は呆然としながら、御通夜に参列したりしてきた。
こうした体験もあり、『突然発症する「脳梗塞」3つの予兆』を学びたく、
記事を精読してしまった・・。
この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年10月19日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【AERA dot.】に10月12日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・すぐに病院へ 突然発症する「脳梗塞」3つの予兆
日本人の死因として多い脳梗塞。
週刊朝日ムック「脳と心臓のいい病院2019」から、実際の例をもとに、その予兆を探る。
【こんな症状には注意! 脳梗塞の3つの予兆】
大場直人さん(当時79歳、仮名)が、異変に気づいたのは午後11時ごろ。
床に就いたもののすぐに眠れず、布団の中で寝返りを打っているとき、
ふと左手指の開閉の鈍さやしびれに気づいた。
最初は、圧迫によるしびれかと思い、少し時間を置いたものの、一向に治ることがない。
そればかりか、指だけでなく、手首から指先まで全体が、しびれていることがわかってきた。
妻の強い勧めで、すぐに夜間救急センターに電話し、脳神経外科専門病院にタクシーで受診した。
診断の結果、血栓や脂質によって脳血管が詰まる「アテローム血栓性の脳梗塞」と判明し、
ただちに入院となり、薬物療法がおこなわれた。
もともと、大場さんは毎年の健康診断で、
頸動脈(けいどうみゃく)の一部が細くなっている、と指摘されていたという。
昭和大学病院脳神経外科主任教授の水谷徹(みずたに・とおる)医師は次のように説明する。
「頸動脈が、血栓や脂質の沈着によって狭くなっていると、
それらがちぎれて、脳血管に流れていくことがあります。
結果、血管が詰まり、脳梗塞を引き起こすのです。
こうした症状の場合、小さな脳梗塞が、複数箇所で発症していることもあります」
脳梗塞の症状として、手のしびれ・まひのほか、言語障害や顔のまひ、片目の見え方の異常が挙げられる。
大場さんは症状に気づいて、時間を置くことなく病院に行ったことで、
生命に関わる事態を防ぐことができたといえる。
なお、頸動脈狭窄症を原因とする脳梗塞は、
これらの症状が24時間以内に治まる、TIA(一過性脳虚血発作)と診断されることも多い。
そうした訴えで、来院した患者をMRI検査で調べると、
小さな脳梗塞が見つかるのだという。
脳梗塞が疑われる症状が見られたら、その程度を問わず、すぐに病院に行く必要がある。
この頸動脈狭窄症を原因とする脳梗塞の場合、
脳梗塞そのものを治療したとしても、原因となる頸動脈狭窄症を治療しなければ、再発の恐れが高い。
水谷医師は次のように説明する。
「海外では、頸動脈(けいどうみゃく)が60%以上狭くなっていると、
年間2%の割合で、脳梗塞を発症するという報告もされています。
もし、60歳で頸動脈狭窄症が生じていれば、80歳までに40%近くの割合で起きるのです」
大場さんも脳梗塞の再発を防ぐため、水谷医師のもとで
頸動脈狭窄症の治療の一つである「頸動脈内膜剥離術」を受けることとなった。
全身麻酔下で頸部を切開し、頸動脈内部を詰まらせている血栓や脂質を直接取り除く手術だ。
もう一つの治療である、血管の内側にステントと呼ばれる網目状の金属の筒を留置して
血管を広げる「頸動脈ステント留置術」に比べ、からだに負担がかかるものの、
根治性が高く、体内に異物を残す必要がない利点を持つ。
治療後の経過も順調で、脳梗塞の再発もなく過ごしているという。(取材・文/鈴木健太)
■脳梗塞の3つの予兆
症状はすべて突然発症するのが、脳梗塞の特徴
□片側手足の脱力(まひ)や感覚の異常 ※顔の片側のまひを伴うことも
□言語障害
□片目の見え方が一瞬暗くなる、見えなくなる・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、多々教示された。
私は過ぎし6月の下旬、東京都町田市にある「なかはら脳神経クリニック」院長の中原邦晶医師が、
脳梗塞は、“時間との勝負”、と語られたことを読み、今でも心の片隅に残っている。
(・・脳の血管が詰まって、血流が途絶え、組織が壊死していく・・・。
脳梗塞が命に直結する重大疾患であることは間違いないし、
たとえ命は助かったとしても、麻痺などの重大な後遺症が残ることもある。
一方で、迅速な初期対応と効果的なリハビリによって、元の生活を取り戻す人もいる。
「発作から数分で脳細胞の壊死が始まり、時間が経つほど、ダメージは広がります。
でも、発症から4時間半以内にt-PAという血栓溶解剤を静脈に注射できれば、
約4割のケースで、後遺症をほぼ残さないレベルへの回復が可能。
t-PA療法が難しいケースでも、8時間以内にカテーテルを使った血管内治療ができれば、
命を救える可能性がある。
まさに脳梗塞は、“時間との勝負”です」
このように明言されていたので、今回の『・・すぐに病院へ・・』には、改めて学んだりした。
そして私は、今回学んだ『脳梗塞の3つの予兆』を学び、やがていつの日にか、
感じた時は、一刻も早く病院で治療を受けよう、と思い深めたりしている。
読売新聞は「音故知新」の特集記事を音楽評論家の安倍寧さんが中核となり連載しているが、
今回、女優の大竹しのぶさんをゲストとして招き、
公開のトークショーが10月10日にシアタークリエで行われた。
女優の大竹しのぶさんが2011年以来、過去3度にわたってシアタークリエの舞台「ピアフ」に主演し、
多くの方からピアフが乗り移ったと賞賛された迫真の演技を披露され、
今年11月には4度目の再演を控えている。
こうした中で、舞台「ピアフ」の開演する前の序曲として、500名の御方の観覧者の前で、
音楽評論家の安倍寧さんに導かれて、女優の大竹しのぶさんがピアフを語り尽くす、テーマであった。
音楽評論家の安倍寧さんは、美空ひばりさん、越路吹雪さん、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ等、
今や伝説となったアーティストをリアル・タイムで見聞きし、論評してきた御方である。
或いは、浅利慶太さんの学生時代からの盟友でもあり、
劇団四季取締役として、「キャッツ」、「オペラ座の怪人」、「マンマ・ミーア!」などの
日本公演の企画、交渉に深く携わった、と私は過ぎし年に関係者から聞いたりしてきた。
そしてピアフの歌を数多く唄っていた越路吹雪さんにアドバイスされた安倍寧さんが、
女優の大竹しのぶさんにピアフを演じたら・・進言されたことは、伝説となり始めている。
今回、こうしたおふたりが、安倍寧さんが、女優の大竹しのぶさんにピアフを演じたら、と進言された
エピソードを談笑するように語り合ったりした。
そしてピアフの壮絶な人生の中、ピアフが愛した人を語ったりあう中で、
こうしたひとりに公演旅行に同行させたシャルル・アズナブールも・・と語り合ったりした。
そして過日、日本の公演で圧倒的に好評だったシャルル・アズナブールの力量にお互いに感動した後、
シャルル・アズナーブルを囲んで、数多くのバラの花束を抱えた大竹しのぶさん、そして安倍寧さんの一期一会の写真が
今回、掲げられたりした。
或いは大竹しのぶさんは、舞台「ピアフ」の主演を、公演開催期間、
連日してきたが、その日、その日の思いで演技してきたので、
もとより( 映画、テレビのように )同じことはない。
このような意味合いの言葉、真摯に大竹しのぶさんは、発露されていた。
https://www.tohostage.com/piaf2018/
☆ 大竹しのぶ・主演『ピアフ』オフィシャル サイト ☆
こうしたトークショーが終わった後、エディット・ピアフの命日のあたり、
10月10日にカバーアルバム『SHINOBU avec PIAF』を発売に際して、
この中の二曲をアコーディオンの演奏する中、披露された。
最初は『アコーディオン弾き』、この後は『愛の賛歌』であった。
私は音楽好きで、この名曲ふたつも数多くの歌手が唄うのを聴いたしていたが、
やはり大竹しのぶさんは、良き意味合いで舞台「ピアフ」の主演を演じてきたので、
舞台女優としての圧倒的な表現力で唄われて、歌手の領域と違う魅力させる力量が十二分に発露した。
この後、大竹しのぶさんは、最初の曲は美輪明宏さんの訳詞で唄ってきたが、
今宵は、初めて岩崎時子さんの訳詞で唄い、少し戸惑った、と発言されていた。
こうした言葉、しぐさが、若い女性のような可愛らしさがあり、
大竹しのぶさんは、もとよりテレビドラマ、映画、舞台、CMなど多彩に活躍され、
何よりも第一線で45年近く継続している稀(まれ)な御方である。
人は誰しも光と影があり、大竹しのぶさんは、特に影の深淵も深く演じられる稀(まれ)な御方であり、
テレビドラマ、映画、舞台の第一線の演出される御方が、大竹しのぶさんを抜擢したがる
稀(まれ)な御方、と私は感じたりしてきた。
この後、大竹しのぶさんはアルバムの制作過程に触れて、それぞれのミュージシャンの演奏と共に、
同時に唄った、発露された。
こうした録音方法は、過ぎし1970年代までに流行った方法であるが、
これ以降はそれぞれのミュージシャンの演奏され、歌い手も別の機会で唄われたり、
こうした後に、マルチ録音方法でつなぎ合わせることが殆どとなっている。
現代、余程の自信のある歌い手、或いはミュージシャンの演奏と共に、唄いあげる効果が曲の思いが深まる、
と信愛している歌い手、と私は思っているので、
大竹しのぶさんは、舞台経験を重ねた為か、この高揚感が御存知だ、と私は好感を増したりした。
この後、大竹しのぶさんは、私生活の面を発言されていた。
過ぎし9月1日に老衰のため死去した母(享年96歳)への思いを語り、
『あっぱれな人生でした』と語り合うように明言された。
そして『行ってきます』、『ただいま』を言う人がいなく、
母親って、こんなに大きな人だったんだな・・と喪失感を発露されたりした・。
この後、今回の観覧料は3000円であるが、主催社の御厚意で、
大竹しのぶさんの最新アルバム『SHINOBU avec PIAF』を無料で、
観覧者500名に、大竹しのぶさん御自身で、手渡すイベントが実施された。
今回、私は観覧者のひとりとして鑑賞したが、20代後半から70代まで幅広い世代で、
女性が7割前後であった。
こうした中の最後に、大竹しのぶさん御自身で手渡すイベントに於いて、
観覧者の御方が、大竹しのぶさん御自身に、その御方なりの思いを言葉にして、
アルバムを受け取っていた・・。
しかしながら、おひとりさまが30秒の熱き思いを大竹しのぶさんに伝えると、
時間が要した。
やがて私の順番になると、大竹しのぶさんは既(すで)に一時間以上の手渡し応対に、お気の毒と感じて、
『お疲れさまですねぇ・・』と短く微笑みながら握手をしたが、
想定した以上に大竹しのぶさんの手は、若く柔らかく感じたりした。
そして私は、シアタークリエを辞して、帰宅に向かった。
尚、コメント欄は、再開致しました。
女優の大竹しのぶさんが、10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う、
と私は知ったのは、過ぎし9月22日、購読している読売新聞の朝刊であった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
この読売新聞の朝刊を見ていたら、
『 シャンソン 大物俳優が挑む 』と見出しされた記事があった。
私は若き26歳の1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。
そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも退社後に週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。
こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を自宅の居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
このような体験を秘めてきた私は、過ぎ去った日々に愛惜を重ねるように
記事を読んでしまった・・。
こうした記事の中で、《・・大竹しのぶは11月、主演舞台「ピアフ」の3度目の再演に挑む。
そして初めてピアフの代表曲だけを歌うCD「SHINOBU avec PIAF」(ビクター)も録音。
眼前に大竹が迫って来るような熱唱は、聴いていて鼓動が高鳴るほどだ。
「30歳で夫を亡くした時に、『愛の讃歌(さんか)』に励まされた」と大竹。
「子供の前では泣けないから、シャワーを浴びて泣きながら歌っていた」。
すると、気持ちがスッキリしたという。
「愛や死や別れなど、誰もが経験するテーマを持つ歌を聴いて一緒に泣いてもらい、力になれば」と語る。
大竹は、恋人の死、薬物中毒といった波乱の中でも、
力強く歌い続けたピアフの生き方に魅了されたという。・・》
私は女優の大竹しのぶさんが、主演舞台「ピアフ」をしていたことは雑誌で知っていたが、
こうした根底の理由を知り、瞼(まぶた)が熱くなった・・。
そして記事の最終章には、《・・大竹はCD発売日の10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う。
お相手は、大竹にピアフを演じることを提案した音楽評論家・安倍寧氏。
参加費はCD付きで3000円。歌唱披露も決まった。・・》
掲載された下段には、『申し込みはサイト名』が表示されていた。
まもなく私は、大竹しのぶさんのシャンソンの思い、しぐさ、話す声の質、顔立ちも拝見致したく、
指定されたサイトをクリックした。
そして《・・トークショー「音故知新 ピアフ~恋に生き、歌に生き」開催
(ゲスト 大竹しのぶ・最新CD付き、先着500名様限定)・・》
と表示されて、500名様限定、と知り、絶大な名声ある大竹しのぶさん・・
全国のファンから申し込みが殺到すると思われ、私は無理だよなぁ・・、と思ったりした。
こうした中で、アンケート欄があり、確かトークショーの観覧したい理由だった、と記憶しているが、
私なりにシャンソンの若き日の熱き思いを綴り、ぜひとも大竹しのぶさんのシャンソンの思い、
しぐさ、声、顔立ちも拝見致したく・・このような意味合いを短い綴りをして、サイト宛てに発信した。
やがて私が9月27日の74歳の誕生日に、パソコンで電子(E)メールを開くと、
この主催社より、9月26日付で、ご当選の案内を頂だいたりした。
私は幸運なラッキー老ボーイだ・・誕生日のお祝いかしら・・と微笑んだりした。
そして本日、久々に都心の日比谷のシアタークリエに行くが、
昨今、この周辺は話題の多い『東京ミッドタウン 日比谷』もあり、我が家を早めに出かけることとした。
尚、コメント欄は、一時閉鎖致します。
先程、暮らしとお金を考えることをテーマにした情報メディアの『ファイナンシャルフィールド』を見ている中で、
『 年をとるにもお金が必要?
素敵に年をとるために必要なこと 』と見出し記事を見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間のサラリーマンを卒業した数多い年金生活している高齢者夫婦の家庭であり、
今回の標題に、どのようなことですか・・と知的好奇心に負けて、
記事を精読してしまった・・。
この記事は『ファイナンシャルフィールド』に2018年10月8日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・年をとるにもお金が必要? 素敵に年をとるために必要なこと
年齢を重ねてくると、これまでは当たり前だったことが、当たり前でなくなることもしばしば。
それをまとめてコストとして考えたりはしないかもしれませんが、
意外とコストがかかっていることも事実です。
今回は、素敵シニアになるためのコストを考えてみたいと思います。
若いときには、意識もしなかったことですが、
男性でも女性でも、髪の衰えって気になりますよね。
髪次第で、若くも老けても見える、とよく言われています。
そんな髪を健康に若々しく見せるために、お金をかけている人は多いようです。
例えば、育毛剤。
使っている人も多いのではないでしょうか。
育毛剤に関しては、数百円のものから、高ければ数万円するものまでさまざまです。
効果も人それぞれで、説明書には数ヶ月使用しても効果を感じなければ
その後の効果も難しいだろうという但し書きや、年齢制限、副作用、使用期間の制限などもあります。
気になったら、早めに取り掛かって、難しければすぐに撤退という考え方で使ったほうがよいものが多そうです。
次によくあがるのが、美容室でのケア。
一回数千円程度からで、ジャンルとしてはさまざまなようですが、
白髪染め等のヘアカラー系と、美髪をつくるためのメンテナンスの大きく二種類。
どちらも定期的に行わなければ、効果は保てず、それなりのコストになりそうです。
☆筋肉を維持して、いつまでも動ける体でいるためのコスト
いやいやまだまだ若いころと同じ様に、動けるぞと思っていても、
つまずきやすくなったり、階段を上るとすぐ息がきれたり、
気づけば、どこそこ痛かったりしていませんか?
それは、やっぱり年齢による衰えかも!
そんな恐怖におびえて、健康食品やサプリメントを購入している方も多いのではないでしょうか。
また、体力・筋力を維持するために、ジムに通ったり、定期的に運動をしている方も多くいますよね。
ジムに通ったり、習い事をしたりということになれば、やはりそこはコストに。
健康な体づくり、いつまでも動ける体づくりも、なかなかタダという訳にはいかなそうです。
☆できるだけお金をかけずに素敵シニアになれないか?
ここまで、年齢を重ねることで、起こるさまざまなことに
対処するためにかかるコストを見てきました。
かけようと思えば、いくらでもかかりそうです。
もちろんいつまでも若々しく健康でいたいものですが、
お金をかけずにできれば、それに越したことはありませんよね。
ちょっとそんな視点で、考えてみましょう。
■正しい髪の手入れ方法をマスターする
定期的にプロによる手入れをできればよいのでしょうが、それはかなりのコストに。
ただ、プロによるお手入れと同等までとはいかないものの、
正しいお手入れの方法、自分にあったお手入れの方法ができれば
健康な髪を保つことにぐっと近づきます。
また、一見高く思えるサロンメイドのヘアケア剤なども、
何度も専門店に通うつもりで計算すれば、意外と安く済むことも。
まずは、プロに相談をしてみるのもいいかもしれません。
■公共のセミナーや施設を利用する
ジムや習い事、スポーツサークルは、やはり民間のものだと、それなりの金額がかかります。
都道府県や市区町村が運営するものであれば、比較的安価で利用できるものもあり、
さらにスポーツ系や健康維持系の講座なども、半年単位程度で割安で実施されていることもよくあります。
都道府県や市区町村にもよりますが、地域の広報誌や自治体のサイトなどにも掲載されていることがあるので、
まずは情報収集が大切です。
■ながら運動を心がける
筋力を維持する、体力を維持するためには、何か運動をと考える方は多いかと思いますが、
日常生活の中でのながら運動でも、意外にかなりの負荷がかけられるもの。
掃除や料理、洗濯など日ごろの家事の中で意識してみると、いい運動になりそうです。
例えば、あえて少し高いところに洗濯を干してみたり、
野菜を刻むときにリズムをとりながら、足踏みしてみたり、
アイロンがけは、立ったまましてみたり、
何気ないことですが、プラスアルファの負荷があれば、立派な運動です。
☆何よりもまずは心がけが第一
どんなにお金を使っていても、そこに意識・心がけがあるかで効果や結果は変わります。
たとえお金は使わなくても、毎日自分のことをしっかり意識して、
ケアしてあげるだけで、若さは保てるのではないでしょうか。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は年金生活の中で、高齢者は何よりも清潔感が大切ょ、と家内から叱咤激励をされている。
こうした中、私は近所にある散髪屋(理容店)に月に一度に行っているが、
白髪が目立つようになってきたが、
人生の苦労が足りない為か、私と同世代の御方より髪の毛だけは多くなっている。
私は夕食前に私は、入浴している。
『お風呂に入ってくるょ』と私は若き自衛官に負けないように、家内に大声で伝えている。
そして私は浴室にある湯船のフタを開け放ち、浴室を湯気で温めたりしている。
この後、洗面所で服を脱いで、浴室に入り、シャワーで暖かな温質で身体を清めた後、
湯船に身も心をあづけて、何よりも倖せを享受している。
やがて私は、湯船から上がり、洗い場で石鹸を付けて、身体をくまなく洗い、
そして私は毎夕に髪の毛は、シャンプー、そしてリンスで洗い清めたりした後、
髭(ヒゲ)を剃ったりしている。
まもなく再び湯船に浸かり、倖せを再び享受し、やがて浴室を出て、
洗面所で、髭(ヒゲ)剃り後のクリーム、そして髪の毛にはヘアートニック、わずかなヘアークリームで整髪した後、
下着そしてパジャマを着たりしている。
この後、私は『お先に・・』と居間にいる家内に大きな声で伝え、
まもなく家内の入浴タイムとなるのが、年金生活の我が家の習(なら)わしとなっている。
家内の髪型はセミロングで、月に一度前後、白髪が少し目立ったいるので薄茶色に染めていて、
帰宅後、少し髪の毛は短くないかしら・・と家内は私に尋ねて、
お似合いだょ・・と私は褒めたりしている。
私たち夫婦は1976年(昭和51年)の春に結婚式の直前に、
花嫁人形のような角隠しで白無垢の容姿となった新妻となる人を私は見て、
この先の人生、どのような荒波があろうと私は・・と私は改めて思いながら緊張を増したりした。
そして幾たびかの人生の困難を私たち夫婦は乗り越えてきたので、
私は家内を戦友と感じることもあり、この世で安心して背にできる人であり、
私は一日に一回ぐらいは、感謝の言葉の代わりに言ったりすることが多い。
衣服に関しては、年に数度、家内に引率されて、デパートで買い求めたりしている。
そして私は、最初は都心で懇親会、国内旅行に着たりし、
この後は平素の買物、散策に愛用した後、やがて小庭の手入れなど活用している。
少しばかり高価に品であっても、長年愛用すれば、
何かとケチな私でも、充分採算が取れるょなぁ・・と英国の紳士から学んできたこと実践している。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
自治会の回覧板で行った時、そして買物の行き帰りに出会ったり、
或いは散策の時に逢ったりした時、談笑している。
民間の『スポーツジム』に関して、私の友人、知人などの多くは、
月に一万円ぐらい支払って通ったりしているが、
私は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを歩いている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
こうした中、四季折々のうつろう情景を享受したり、歩くことは健康の源(みなもと)であり、
遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、女性グループの御方たちと、話しかけられたり、
或いは話しかけたりして、談笑する時もある。
こうしたことを殆ど毎日、午前中のひとときを過ごして、
無料で体験をして、心も身にも良いビタミン剤だねぇ・・と微笑んだりしている。
先程、暮らしとお金を考えることをテーマにした情報メディアの『ファイナンシャルフィールド』を見ている中で、
『 ひとりで買い物に行くシニア女性は7割以上!
日々の買い物は心と体を元気にする原動力 』と見出し記事を見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初から、
我が家の平素の買物に関して、自主的に買物専任者として、家内に宣言したりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている
買物メール老ボーイとなっている。
我が家は朝のひととき、家内が新聞に添付されているスーパーのチラシを見た後、
赤のサインペンで丸印を付けたりする・・。
まもなく私は手渡されて、赤丸が付いたのが本日の買物の対象品であり、
そして私が店内で魅せられた品を追加するのが、我が家の鉄則となっている。
このような我が家の平素の買物に関して、買物メール老ボーイとなっている私は、
こっそりと今回の記事を精読してしまった・・。
この記事は、『ファイナンシャルフィールド』に2018年9月16日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・ひとりで買い物に行くシニア女性は7割以上! 日々の買い物は心と体を元気にする原動力
近年、75歳以上の後期高齢者の人口が増加するニュース、
また、地方の人口が減少しているというニュースなどを耳にするようになりましたね。
加えて、都市部でもスーパーの大型化・郊外化が進み、小規模食料品店の撤退も少なくないようです。
そこで問題視されているのが、全国で約825万人にものぼるとされるシニア世代の「買い物弱者」。
(2015年 農林水産省推計)
今後は、首都圏のような大都市でも、シニア世代の「買い物弱者」が増えると報道されていますが、
シニアのみなさんは、いったいどのような買い物行動をとっているのでしょうか?
首都圏にて自立生活を送っている70~80代の高齢女性(以後「シニア女性」と表記)を対象に、
花王株式会社 生活者研究センターが報道発表した「シニア女性」の
日々の買い物についての調査結果を見てみましょう。
☆ひとりで買い物に出かけるシニア女性は、なんと7割以上!
【買い物へ行く場合の同行者について】
・ひとりで行くことが多い 75%
・誰かと行くことが多い 25%
調査結果によると、買い物にはひとりで出かけるシニア女性が、7割を超えているという結果に。
調査対象のシニア女性の大半は、旦那さんや家族と同居しているにもかかわらず、
誰かと行くことが多いと答えた方のほうが、圧倒的に少ないのですね。
【買い物へ行く頻度について】
1位:週2〜3日 40%
2位:週4〜5日 27%
3位:ほぼ毎日 22%
買い物の頻度については、このような結果に。
およそ半数のシニア女性が、週4日以上買い物に出かけているのですね。
週1回でまとめ買いするのではなく、頻繁に通っていることがわかりました。
【日常的な買い物の主な交通手段について】
1位:徒歩 38%
2位:自転車 24%
3位:バス 15%
一番多いのが、徒歩。
日々の散歩と買い物が、一緒になっているという印象です。
シニア女性が運べる買い物量を考えると、やはりひとりで頻繁に出かけて、
そのとき必要なものだけを調達するスタイルが主流ということでしょうか。
☆ここ5年で利用数アップ!シニア女性も選ぶコンビニエンスストア
次は、シニア女性が利用している買い物先を見てみましょう。
【現在利用している買い物先(複数回答)】
1位:スーパーマーケット 99%
2位:ドラッグストア 65%
3位:百貨店、デパート 56%
4位:個人商店(パン屋、八百屋)55%
5位:100円、300円均一ショップ 49%
6位:コンビニエンスストア 45%
圧倒的に多いのは、やはり食料品から日用品まで手軽に揃うスーパーマーケット。
実はこの調査、2012年にも同じものが行われているのですが、
ここ5年でシニア女性の支持率が、グッと上がっている買い物先があります。
それが、コンビニエンスストア。
2012年では32%にとどまっていたコンビニですが、
2017年のデータでは、上記のとおり45%にアップ。
近年では健康志向の商品が増えていたり、
サラダや惣菜などもう一品のおかずの品揃えが豊富だったりと、
シニア女性にとって、コンビニは身近なお店として定着しつつあるようです。
☆シニア女性にとって、買い物は生活にうるおいを与える役割も
【普段の食品、日用品の買い物についてのおもい】
1位:野菜や肉・魚介類は自分の目で見て選びたい 96%
2位:元気なうちはできるだけ自分で買い物に行きたい 96%
3位:買い物は楽しみだ 81%
(「あてはまる」「ややあてはまる」の回答の合計)
シニア女性は、買い物に対して、上記のような意識を持っているようです。
自分の目で見て選びたいという意志や、できる限り自分の力で買い物をしたい、
買い物することが楽しい、といった前向きな意見が印象的です。
また、このほかにも「運動のために、買い物に行くようにしている」(78%)、
「老化防止のために、買い物に行くようにしている」(77%)など、
健康面を気遣う意見も多くありました。
毎日家にこもるのではなく、外に出て買い物で活性化することで、
日々社会のなかで、生きるパワーが湧いてくるのかもしれません。
☆とはいえ、年齢を重ねると買い物にも不便が・・・。
日々の買い物を楽しく感じる反面、
やはり坂道がきつい・荷物が重すぎるとつらい・・・といった不便を実感する声も。
シニア女性は、今後どのような買い物に関するサービスを使ってみたいと思っているのでしょうか。
【さまざまな買い物スタイルの今後の利用意向】
1位:同居家族に依頼 40%
2位:生協の宅配、共同購入 36%
3位:カタログ通販(電話) 24%
4位:配送サービス利用 19%
5位:近居家族に依頼 18%
家族に頼みたいと思っているシニア女性が、一番多いという結果に。
ほかにも生協の宅配や電話でのカタログ通販、スーパーの配送サービスなど、
インターネットを使わずにできる通販などを挙げる人も。
10年後、20年後には、インターネットに親しむシニア女性が、
今より増えることが予想されますので、ネットスーパーなどを利用する方も多くなるのかもしれません。
とはいえ、「自分の目で見て選びたい」、「自分の足で買い物に行きたい」という思いが強いシニア女性は、
ネットで完結するサービスより、やはり商品や店員と向き合って、
買い物をしたほうが満たされるのかもしれませんね。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、買物メール老ボーイの私は、
シニア女性の多くの御方は、《・・日々の買い物は、心と体を元気にする原動力・・》に、
そうですよねぇ・・と微笑み返しをしてしまった。
我が家は恥ずかしながら自動車も所有するできないので、
私は根がケチた為か、利便性の良い路線バスに頼らず、ひたすら歩くことが多い。
こうした時の私は買物をする時、多くの品を購入する時とか、或いはビール、お米などの重い品を買い求める時、
買物の引き車と称される『キャリーカート』を曳〈ひ〉いたりして歩いたりしている。
☆過ぎし日、この『キャリーカート』を私は玄関の前で、段ボールを乗せて、
ゴムバンドで括(くく)り付けた状景をたわむれで撮ったりした☆
こうした中、家内から依頼された品を殆どスーパーで買い求めているが、
やはり野菜、果物などは鮮度が肝要なので、見極めている。
しかしながら、買物メール老ボーイを始めた当初は、失敗をしたりした。
家内はトマトが好きであり、少し高い値段であったが何より新鮮であったので、3つばかり買い求めたりした。
帰宅後、家内に手渡すと、
『わぁ・・立派なトマト・・美味しいそうだわ・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。
やがて家内から、値段を訊(き)かれて、私は応(こ)えた。
『でもねぇ・・高過ぎるわょ・・我が家は年金生活ですから・・程ほどにして下さい・・
貴方は幼年期の頃、農家の児だったでしょう・・トマトの見極めぐらいは解っているでしょう・・
私は長い間、程ほどの品をお廉(やす)く買い求めてきたわ・・』と私は家内から叱咤されたりした。
『XXちゃんさぁ・・専業主婦25年選手でしょう・・ボクは買物一年生だょ・・気を付けますょ』
と私は家内に抗弁したりした。
これ以来、私は野菜、果実(くだもの)は、新鮮さを見極めながら、
程ほど品を廉(やす)く買い求めたりしてきた。
我が家は3週間於きに、家内が先導となって、私はボディガード兼お供、荷物持ちで、
駅前などに行き、買い物をする時がある。
ドラッグストアで家内の化粧品、私のヘアートニックなどを購入したり、
スーパーの食品コーナーに行ったり、或いは百円ショップまで行ったりしている。
ある時には、日用雑貨品を買い求めにホームセンターに私たち夫婦は行き、
まとめ買いをしているので、配達サービスを利用している。
ここ数年は、スーパーでまとめ買いをする時は、やはり配達サービスを利用している。
私はコンビニは余り利用していなく、スーパーの買物の帰路に、
ときおり家内が喜びそうなスィーツをお土産代わりに買い求めたりしている。
このように我が家の平素の買物であり、買物メール老ボーイの私でも、
スーパーの店内、ドラッグストアの店内で、数多くのシニア女性を見かけて、
しぐさ、顔立ち、会話が聴こえて、《・・心と体を元気にする原動力・・》となっている。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そしてブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入し、
早や丸13年が過ぎて、14年生となっている。
しかしながら、この後、2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入したりした。
そして、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って、結果としては、
パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは7年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったりして、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは14年生となっている。
ここ6年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くの御方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。
こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。
しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、家内より多くの御方に恥ずかしくないように、
叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。
そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。
コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、
微笑んだり、苦笑したりする時もある。
まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、
返信を認(したた)めたりしている。
こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。
こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。
このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。
しかしながら私の投稿文に於いても、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。
たとえば2005年(平成17年)の当時に、
あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。
《 タイトルは、《あいうえお》
内容は、ゲボリッチ
ゲボリッチャン
発信人は、f4rr
発信時間は、20.39 》
と綴られて、ご丁寧に8回連続されていた。
この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
或いは私の投稿文について、確か10年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視している・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。
私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘する時もあるが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。
そして7年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。
或いは、過ぎし12年前の頃、煙草は日本の文化のひとつである、と私は投稿文を発信したら、
40代の男性より、嫌煙の昨今の状況を認識していない、と叱咤されたコメントを頂いたりした。
私は昭和時代まで、愛煙家の人が喫茶店、国鉄のL特急の座席、飛行機の水平飛行の中、
煙草を喫えた哀愁を重ねた内容文であったが、応酬しても時間の無駄と思い、
解決策のひとつとして、お詫びしたりした。
このようにコメントの内容により、ネットの世界は、リアルの世界と違い、なんでもありの不思議な世界であり、
受けた御方は険悪と感じたり、或いは多忙の中コメントの返信もままならず、
やむなくコメントの閉鎖されている御方もいる。
そして私は、コメントの閉鎖されている御方の投稿文は、公共施設に掲げられた絵画を鑑賞するように、
その御方なりの思いを読ませて頂いている。
こうした中でも、コメントはそれぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と信愛して、
私はブログの投稿文をパソコンの故障、国内旅行などしない限り、日々投稿し、
早や14年近くを迎えている。
『 あなたの記憶力を底上げするシンプルな習慣 』と題された見出しを見た。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、記憶力が劣化している、と気付き、
独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
このような深情を秘めている私は、『 あなたの記憶力を底上げするシンプルな習慣 』を学びたく、
こっそりと記事を精読してしまった・・。
この記事は、記憶術ガイドの宇都出 雅巳さんの寄稿文であり、
【All About(オールアバウト)】に2013年6月19日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・あなたの記憶力を底上げするシンプルな習慣
「なぜ、私は記憶力が悪いんだろう・・年のせいかな・・」なんて悩んでいるあなた。
それは年のせいでも、あなたの脳の働きが、悪いせいでもありません。
実は記憶力の違いは、ほんのちょっとした行動、習慣の違いに過ぎません。
だれでもかんたんにできる、記憶力を底上げするシンプルな習慣をご紹介します。